なんならバカは気候を舐めたり健康管理を怠ったりするので、風邪を引きやすいまであるのではないか。
じゃないと私が風邪ひいたことに説明つかないよなぁ?
※サブタイトルに追記しましたが、今回の話は若干のガールズラブ描写がありますので、苦手な方は読み飛ばすようお願いいたします。
八月中旬。
街中には目映い直射日光が降り注ぎ、幾重にも重なった騒々しい蝉の鳴き声が鼓膜を揺らす時期だ。
現在大学生一年生である私、
ウチの大学の夏休みには中学高校の頃とは違って課題が課せられておらず、部活にも所属していない私には時間が有り余っている。アルバイトも半年ほど前から始めたので、膨大な時間を彩るための資金も潤沢。小金持ちなのだ。リッチ楓花なのだ。
そんな私は漫然と過ごしていては瞬く間に過ぎ去ってしまうのが夏休みであると過去の教訓から学んでいた。だからこそ一日たりとも無為に過ごすまいと夏休み開始前から意気込んでいたのだが──―。
「あー……。うー……」
どういう訳か今、私は病床に伏せていた。
顔周りは熱いのに背筋は凍えるような悪寒に苛まれている。汗が止まらないので身につけているものは寝間着も下着も区別なくぐっしょりと濡れてしまっているし、喉の奥には絶えずイガイガとした不快な感覚があった。
典型的な夏風邪の症状だ。そんな馬鹿な!
「
「暑いからって毎日あれだけエアコンガンガン効かせてたら体調も崩すわよ。母さん注意したじゃない、バカねえ」
自室のベッドに横たわり、布団にくるまっていた私の呟きに、私の亜麻色の髪を掻き分け、額に張り付けられていた冷却シートを替えてくれていた母親が呆れたようにそう返してくる。
全く仰る通りだが、毎年毎年嫌がらせのように燦然と輝いてくる太陽さんサイドにも責任はあると私は思うのだ。もうちょっと人類に優しくしてくれてもいいじゃんかよ。
「うう、夏休みが。私の青春がぁ。ゴホゴホ」
「まだ咳出てるじゃない。その体調で外出しようだなんて考えるんじゃないわよ。母さんはもう仕事に行くけど、一人で大丈夫?」
「ゴーッホゴッホ! ヴィンセントヴァンゴッホ!」
「大丈夫そうね。一応
咳に見立てた小粋なジョークをかます事で自らの無事を伝えたつもりだったが、実の娘に向けるものとはとても思えない、冷え切った瞳で見下ろされつつそう言われた。ほほう、亜里沙が来るのか。
それはともかく、これでも楓花ちゃんはもう大学生なのだ。多少体がだるいとはいえ、親に付きっきりで見てもらわなければ一日を乗り切れないほどに生活力に欠けてはいない。
私は体を無理矢理動かして頬の横でダブルピースを作り、若干心配そうな表情をしながらも私の部屋を出ようとする母親を見送った。
ばたん。と、寝室のドアが閉められる。
「ふう」
階下で玄関の扉の鍵が閉められ、母親の車のエンジン音が遠ざかっていくのを聞きながら、私はフラフラと幽鬼のような足取りで立ち上がり、汗を吸って重くなった寝間着を脱いで濡れタオルで体を拭いた後に手早く部屋着に着替えた。
濡れタオルも部屋着も母親が用意しておいてくれたものだ。ちょっと前に母親の手を借りなくても一日を乗り越えられると内心で豪語した手前、いきなりこんなに助けられるとなんだか恥ずかしくなる。母は偉大だ。調子に乗った娘の鼻っ柱を片手間にへし折ってくる。タオルと着替え、ありがとうございます。
風邪の時に大切なのは水分補給と体温調整、あとは安静にしておくことだ。
水分に関しては枕元にスポーツドリンクが用意してあるし、体温調節については引き続き布団に簀巻きになっていればいいだろう。
このクソ暑い時期に、分厚い布団にくるまるのが快適に思えるなんてかなり珍しい体験だ。こんな貴重な体験ができるのなら夏風邪も捨てたものではないではないか。フハハハゲッホゲッホ。めっちゃ喉痛い。
「……寝よ」
最早脳内で道化を演じる気力すら残っていない。
グラグラ揺れる頭に引っ張られるように顔からベッドにダイブした私は、底なし沼に沈んでいくような感覚と共に眠りへと落ちていった。
◆ ◆ ◆
「──―はぇ?」
「あ、起きた」
目が覚めたらあら不思議。
私を見下ろすような形で少女の顔が私の顔と目の鼻の先にまで近づいてきていた。少し首を動かせば唇同士が触れ合ってしまいそうな距離。
白く抜けるような肌、黒水晶かと見紛うほどに綺麗な濡れた瞳、微かに震える長い睫毛、筋の通った形の良い鼻梁、等間隔で吐息が漏れる薄桃色の唇。
端的に言って超美少女。私が男だったら即惚れていたと断言できる。
しかしそんな美少女に対して疑問が一つ。
「なんでこんなに近くに寄って来てるの亜里沙」
「風邪は
「離れろきさま!」
体の不調もこの時ばかりは忘れ、生涯一と言っても過言ではない速度で正面へと足を振り抜く。
彼女の鳩尾を蹴り抜かんとした一撃だったが、刹那に亜里沙は俊敏な動作で飛び退り艶やかな黒髪だけを残してその場から離脱していた。
「楓花、危ない」
「私のファーストキスが強奪されそうになったんだから仕方ないでしょ。うう、だる……で、何で亜里沙がここにいるの?」
「楓花のお母さんに楓花が風邪を引いたから面倒を見てあげてって連絡が来た。……聞いてない?」
「……ああ、いや。そういえば言ってた」
母親が家を出る直前に亜里沙を呼んでおいた旨の発言をしていたことを思い出す。
彼女──
ちょっぴり変わり者な面がある亜里沙だけれど、信用はしているし、彼女になら風邪でダウンした私を託しても心配ないと母親が判断したのだろうということはわかるのだけれど。
「今の言動でいきなり不安になったよ。私の事ちゃんと看病してくれるの?」
「アリサにおまかせ」
自身の胸に拳を当てて亜里沙が言う。
「まあ、そこまで言うなら……って、私何時間寝てたんだろ」
「今、ちょうど午後の一時半。お腹空いてない?」
「ん……ちょっと空いてるかも。冷蔵庫に何か入ってるかな」
「ステイ」
「おぅ」
自分が五時間以上眠っていたことにも驚いたが、その間に食欲は戻って来ていたらしい。何か食べる物はないかと冷蔵庫を漁るために立ち上がろうとしたところ、亜里沙に両肩を掴まれやんわりとベッドに押し戻された。
「割と食欲は戻ってきてるみたいだし、私が何か作ってくる。楓花は絶対安静」
「え、料理までしてもらうのは悪いよ。別にそこら辺の果物でも」
「いいから寝てて。楓花のこと好きだから、一刻も早く風邪を治して欲しい」
そう言って亜里沙は私の返事も待たずに部屋を出て行ってしまった。
「大袈裟なんだから」
個人的には涙目になる程度には辛いのだけれど、所詮は単なる夏風邪だ。食べて飲んで眠って時間をおけば自然に治るはず。それなのに亜里沙はあんなに心配して……ああ、なぜ私は誰に聞かせるでもなく脳内で言葉を連ねているのか。
あまりにも直球かつ無邪気な亜里沙の好意が弱った心に響いたのか。もしかすると自分は照れているのか。この顔の熱さは熱のせいではないのかいやーもう面倒くさいまた寝ちまおっ。
私は乱れ始めた思考をリセットするため、再三布団に顔を埋めた。
◆ ◆ ◆
「二度目の朝チュンは役得」
「今は昼だ!」
「むぃ」
しばらく経ち、私は再放送が如く私に覆い被さってその唇を奪おうとしてきた亜里沙の頬を両手で掴み、左右に思いきり引っ張ることでそれを阻止した。
今度は私の意識がハッキリしていたおかげで彼女を逃がすこともなく刑の執行に成功する。
やーらかい。これがもち肌というやつか。
その感触に夢中になり、しばらく私が亜里沙の頬を上下左右に弄んでいると。
「むぅ、にゅ、ふうか、さめちゃう」
「……はっ」
困惑した、けれどどこか嬉しそうな声音の亜里沙に窘められ我に返る。
私が彼女の頬を話すと同時に亜里沙がベッド横のテーブルを指で指し示し私がそちらに視線をやると、テーブルの上には中身から湯気を立てている小鍋が一つ。
私がいる場所からはあまり中身が見えないけれど、アレは。
「お粥作ってきた」
「定番だねぇ」
キッチンミトンをはめた手で小鍋を傾け中身を誇らしげに見せびらかしてくる亜里沙。
「楓花、お腹鳴ってる」
「お粥が美味しそうなんだもの、お腹の一つや二つなるよ。恥じる気はないからね! もう食べていいでしょ! いただきます!」
実はちょっと恥ずかしい。親の前ならまだしも友人にはあまり聞かれたくない音だ。
勢いで羞恥心を誤魔化すべく、私は若干オーバーな動作で首を部屋の中に巡らせ、お粥を食べるために使う食器を探す。
しかし探せど探せど食器は見つからない。かくなる上は素手で卵粥を貪るしかないが、それをした場合私の手はまず間違いなく火傷を負う。風邪を治すために新たに肉体を痛めつけなければならないというのか。
いや、大丈夫だ。私には亜里沙という味方がついている。
「ごめん亜里沙、スプーンか何か持ってきてくれない?」
「ここにある」
「あ、ありがと」
亜里沙が懐から木製のスプーンを取り出し私に見せてきたので、それを受け取るべく私は手を伸ばす。そして私の手がスプーンに触れようとしたその瞬間。
「えい」
亜里沙が卵粥の中にスプーンを突っ込んだ。
「ほい」
卵粥がしらすと刻みねぎと共に掬い上げられる。
「はい」
スプーンに乗った卵粥が私の口元に差し出された。
スプーンの持ち手は依然亜里沙に握られている。スプーンを受け取ろうとした私の手は空を切り、今は両手ともベッドの上に所在無げに放り投げられている。
つまり私は今、亜里沙に「あーん」されている。
「……いや、なんで?」
「楓花は病人。出来るだけ体の負担になるような行動は避けるべき」
「さっき私に蹴りやら何やらを繰り出させた原因はあなたにあるんだけど」
「あの行動は予想外だった。以後気を付ける」
普通親友相手であれ寝起きにキスをかまされそうになったら、大なり小なり人は抵抗すると思う。それが予想出来なかったとは何事か。
……亜里沙は色々理由をつけて私にこの「あーん」の形で卵粥を食べさせたがっている。
そのことにはまあ、当然気付いている。
普段ならこっ恥ずかしいし食べにくいし貞操の危険を感じるしで拒否するところだけれど、不運なことに今の私は絶不調。いちいち手を動かすのも億劫だと思うことには思う。
それに、今日の亜里沙には迷惑をかけたし、心配もさせてしまったし。
今日くらいなら、良いかな。
「……あ、あーん」
「……!」
私が乞うように口を開くと、正面の亜里沙が息を呑んだような気配を感じた。目は閉じているため本当のところはどうかわからない。でも、なんだか今は亜里沙の顔は見られなかった。
しばらくそのままでいると、恐る恐るといった様子でスプーンが私の方へと近づけられてきているのを感じた。
「あ、っつ」
下唇に卵粥が微かに触れ、声が漏れた。
「っ! ごめん楓花。熱かった?」
「ううん、だいじょぶ」
ちょっと驚いただけだ。
口内に入れられたスプーンから、卵粥だけを唇を使って舌の上に運び咀嚼する。
とろりとしたお粥の中に混じる具材の食感と風味が面白い。白米の甘味とほんのりとした塩気のバランスがまた絶妙で、噛んでいる間にもどんどん食欲が湧いてくるような気さえする。
飲み込んだ途端に物寂しさを覚えるほどの充足感。
「すごく美味しい」
「……良かった。もしよければ私が口移しで食べさせてあげるサービスもある」
「それはいらない」
軽口を叩き合いつつも、気付けば私はもっと、と懇願するように口を開いていた。
なんだか小っ恥ずかしかったから閉じていた目も、もう開いている。眼前の亜里沙は陶酔したように表情を蕩けさせつつ、私がお粥を嚥下すると共にお粥の乗ったスプーンを差し出してくる。
口で受け取って、噛んで、飲み込む。
卵粥が差し出される。
受け取って、噛んで、飲み込む。
繰り返し。
機械になったみたいだ。お互い無言のままプログラミングされたみたいに延々と同じ行動をとり続ける。
けれどその一連の動きに機械みたいな冷たさはなくて、むしろ温かくて心地よい。
……お粥が温かかったからだろうか?
「ごちそうさまでした!」
「……ん」
あれからどれだけの時間が経ったのだろうか、気付けば小鍋の中身は綺麗に空っぽになってしまっていた。
ぱちんと両手を合わせて食後の挨拶を済ませると、亜里沙は満足気に微笑んだ。妙に彼女の肌がツヤツヤしているように見えたのは錯覚じゃないと思う。
小鍋を下げつつ、亜里沙が私の体温を確かめるようにそっと額に手を当ててきた。
「もう少ししたら薬と水を飲んで寝るといい。眠れないかもしれないけど、とりあえず横になるくらいは」
「うん。そうする」
「私はリビングにいるから何かあったらスマホで呼んで」
「あ、まだいてくれるの?」
てっきりもう帰ってしまうものだと思っていた。もちろん帰って欲しいというわけではないけれど。
私の問いに亜里沙はこくりと頷く。
「食器も洗わないといけないし、少なくとも楓花のお母さんが帰ってくるまではこの家にいるつもり。安心して」
いつも取り澄ましたような亜里沙にしては珍しい、ふわりとした優しい微笑みに思わず心臓が高鳴ったのを感じる。
中身はちょっぴり変態だとしても外見だけは亜里沙は美少女なのだ、いきなりそういう表情をするのはやめて欲しいものだ。
そう、中身は変態だとしても。
変態だとしても──。
「……ねえ亜里沙、そのスプーン、どうするつもりか聞いていい?」
「…………」
動物的本能というべきものか。
私の
亜里沙は微笑を崩さないまま答える。
「流しの方へ持って行って洗う。そう言ったはず」
「話は変わるんだけど、私、正直な人が大好きなんだよね。もうそれだけで惚れちゃうくらい」
「ちょっと先を舐めるくらい良いかなって思ってた」
「そのスプーン渡せこら!」
もう、色々と台無しだ!
私は口内と胸の内に残る温かさを振り払うように布団を跳ね除け、亜里沙に飛びかかった。
アンドロイドでもクール系女子でも、私は表情薄めのキャラが好きです。
私も基本表情薄めの大和男子です。
ただの仏頂面とも言う。