ロボメイドたちの恩返し【短編集】   作:おさくら

7 / 8

「今日はきっといいことあるなー、あるかもなー」と思いながら一日を過ごして実際にいいことがあると、「やっぱりいいことあった!」って感じで漫然と過ごしている中でラッキーに遭遇したときの2倍嬉しくなれるんです。
これ豆知識な。




今日はきっといい日になる

 

 

 

 その日俺は大学の前期定期試験の開始時刻を三時間ほど寝過ごし、爽やかな朝を迎えた。時刻的には昼だ。

 取得単位の問題に関しては、出席日数の不足によりとっくに落単という形で決着がついている。動揺はしなかった。多分するべきなんだろうけど。

 

 煎餅みたいに薄っぺらい布団から這い出て、曙光が差し込んでくる窓を開けてそこから空を見上げる。雲一つない快晴。ボロアパートと大学を往復するだけの生活の中で濁り切った心が洗われるような感覚を覚えた。

 

 何気ない一日の始まり。それでも、きっと今日はいい一日になるだろうという気持ちにさせられる。

 

 特筆すべき予定はないとはいえ、こんないい天気の日に部屋に引きこもるというのも勿体ない。

 俺は適当に朝食を済ませ身だしなみを整えた後、先日新調したばかりのスニーカーを履いて気の向くままに玄関の扉を開き、外へと繰り出した。

 

 冬には降り積もった雪が辺り一帯を覆ったりする地域だが、今は真夏。すれ違う人も歩く道も連なる建物も分け隔てなく銀灰色に焼けており、柔らかな新緑の間を爽快感の欠片もない熱風が通り過ぎている。木々にアブラゼミが何匹か留まっていて、夏の暑さを掻き立てるように力強く鳴いていた。

 しばらくはそんな夏特有の街並みを眺めて楽しんでいたのだが、十分もすると照り付ける日差しや日々の運動不足も相まって疲れてしまった。

 

 体力の回復を図り、ベンチのある公園を目指すことにする。ベンチに腰掛けながら、その辺の自販機で飲み物でも買って飲めば大分体も休まるだろう。

 軋む肉体に鞭打ちながら歩を進めると、小さな公園の敷地内に据えられたベンチとそこに腰かけるバクが目に入った。

 よかった、これで休める。

 

 

「…………」

 

 

 バク? 

 

 

「ピィー」(バク特有の笛音みたいな鳴き声)

 

 

 見間違えじゃねえぞバクだ。

 白黒のツートンカラーの体毛、湾曲した鼻、短い手足。

 昔、動物園で一度だけ見たことのある四足歩行の哺乳類動物が、やたら人間臭い仕草でベンチに座っていた。あれは骨格的に可能な体勢なのだろうか。眼鏡もかけているし、そのうちパイプとかふかし始めそうだ。

 あまりにショッキングな光景だったため、俺はその場で硬直したままバクを凝視してしまった。すると、そんな俺の気配を察したのか、バクがこちらを振り返る。

 

 

「こんにちは。ベンチは空いているよ」渋いバリトンボイス。

 

「こ……、こんちは」

 

 

 気付かれた! 喋った! 前足こまねいてきた! 

 間違いなく(もの)()の類だ。チビりそうになる。

 物の怪の目線が俺から離れない。どうやらバクは俺がベンチに座るのを待っているようだ。

 正直即座に踵を返してこの場を立ち去りたかったが、こんな得体の知れない不思議生物に背を見せるのもまた恐ろしい。

 結果、俺は警戒心も露にすり足でベンチに近づき、可能な限りバクから距離をとって腰を下ろした。バクの体から仄かに、野生の獣らしからぬ甘い香水のような香りがした。

 俺の怯え切った内心を知ってか知らずか、バクは朗らかに言葉を投げかけてくる。

 

 

「学生さんかな?」

 

「あ、はい。取ってた講義が休講になったんで、散歩でもと」

 

 

 こんな状況でも、至極滑らかに虚言を紡げる自分の舌に称賛を送りたい気分だった。

 

 

「健康的でいいねえ。私など、最近は足腰も衰えてきたものだから、ちょっと探し物をしただけでへばってしまった」

 

「なんか落としたんすか?」

 

「ああ。君と同じく散歩中に、このくらいの小瓶をひとつね」

 

 

 そう言いながらバクは両の前足を器用に使い、手のひらサイズの小瓶を表現する。

 バク曰く、正確には小瓶の入った紫色のポーチを散歩中にこの街のどこかに落としてしまったらしい。虱潰しに街中を探し回ったものの成果はなく、途方に暮れて公園のベンチに座り黄昏ていたところ、捜索を手伝ってくれそうな好青年に出会ったのだという。

 

 

「アレがないと困るんだよ。お腹も空いてしまう」

 

「はへぇ~、大変そうすね。じゃあ俺はこれで」

 

「待ってくれ」

 

 

 その場から立ち去ろうとしたところ、バクに前足で着ていたシャツを掴まれた。

 即座にシャツを脱ぎ捨てて脱出を図るも、今度は腰に直接しがみつかれる。足腰が衰えてきたと言っていた割には目を見張る反応速度だ。その上前足から伝わってくる膂力も中々のものであり、俺は真昼の公園で、上半身裸のままその動きを完全に封じられることとなった。

 

 

「ポーチ捜索を手伝ってくれ」

 

「話に出た好青年クンに頼めばいいじゃないすか。俺は今日定期試験があるんですよ。多忙極めてるんですよ」

 

「話の好青年クンは君のことだ」

 

 

 正直気付いてはいたが聞きたくなかった事実である。

 

 

「それに今日は休講と言っていたじゃないか。散歩を満喫していたのだし、余裕はあるだろう? どうかひとつ助けると思って」

 

 

 吐いた嘘が己の首を絞めてきた。やはりその場しのぎの嘘など吐くものではない。

 恐らく悲痛な面持ち(見た目はまんまバクなので表情の移り変わりがよくわからない)で縋り付いてくるバクだったが、必要以上にこの異形と関わり合いになりたくないというのが俺の本音だ。こうして何でもない風を装って会話を続けるのにも限界が生じていたのに、これ以上は勘弁して欲しかった。

 以上の言い分を正面から叩きつけることが出来たなら気が楽だったのだが、強気に出たら出たで何をされるかわからない。

 

 

「頼むよ~」

 

「く……」

 

 

 機を窺うべきか、どうにかして今すぐこの場から逃げ去るべきか、二つに一つ。脳内で天秤が揺れる。

 そして、葛藤の末───、

 

 

「わかり、ました……」

 

 

 渋々ながら、俺はバクの嘆願を受け入れることとなった。こわいからね。

 

 

 

 ◆   ◆   ◆

 

 

 

「そっちにはあったかーい?」

 

「いや、ないっすー」

 

 

 あれから俺はシャツを着直し、バクの案内に従って30分ほど公園から続く道路上の草むらや排水溝の中を漁ってバクと共にポーチを捜索し続けた。

 しかしいくら探せど出てくるのは、ポイ捨てされたゴミや潜んでいた虫ばかり。かなり大きめのバッタが顔の方で跳躍してきた時は思わず絶叫した。俺ではなくバクが。彼の方が人目に触れれば絶叫されそうな風貌のくせして。なんだか釈然としなかった。

 

 捜索活動の進捗としては、端的に言ってかなり難航していた。何せ、手掛かりらしい手掛かりがバクの話以外に皆無なのだ。30分も探し続けた体力を褒めてほしいものだが、褒めてくれる()()は周辺にはいない。

 この真夏日の中で単調な作業続きなものだから、疲労が蓄積し、頭もぼうっとしてくる。バクの方もそうだったなら隙を突いて逃げ出そうとも思ったが、当人は困ったように眉を下げながらも疲労を感じさせないキビキビとした動きで捜索を続けていた。クソッタレ。

 

 こんな状況でさらに脱水症状に陥ったりしたらたまらないので、目についた道路脇に設置されている自販機でペットボトルのお茶を購入して一息に呷る。冷たい液体が口内を濡らして喉を滑り落ち、胃に流れ込む感覚が気持ちよかった。

 と、そんな俺の様子を見たバクが、捜索を中断してこちらへ寄ってきた。まずい、懐に入られた。

 

 

「ああ、気が利かなくてすまないね。 僕が出すよ」

 

 

 死を覚悟したが、拍子抜けなことにバクはそう言いながら500円玉を差し出してきた。

 律儀ぶるのであればさっさと解放して欲しいものだが。

 

 

「あの、ここからどうするんです」

 

 

 とりあえず500円玉は頂戴しておき、俺はバクに問いかける。やはりこのまま捜索を継続するのだろうか。

 

 

「どうしようね。今のところ、私の家からあの公園までの散歩ルートを遡って探しているのだけれど」

 

 

 これまでバクの後ろに引っ付いて捜索を続けてきたワケだが、かなりあちこち入り組んだルートを通ってきていた。彼はいつもあんな無軌道なルートで散歩をしているのだろうか。そんなだから落とした場所にも心当たりがなくなるのではないか。

 そんな愚痴を必死で飲み込み、重ねて問う。

 

 

「ちなみに家から公園まで何分くらい歩いたんです」

 

「3時間だ」

 

「どれだけ付き合わせる気でいるんだコラ」

 

 

 今度は飲み込めなかった。

 しかし実際、縁もゆかりもないバケモノと徒歩3時間のルートを散策するのは非常にキツいものがある。その上落とし物を捜索しながらとなれば、費やす時間はさらに多くなるだろう。もはや苦行と言って差し支えない。

 これ以上ないほどにさっさと帰らせろという意思表示をしたつもりだったが、当のバクはどこ吹く風、まるで聞き分けのない子供を諭すように返してくる。

 

 

「私もそんなに長い時間君を付き合わせる気はないさ。それに、私には秘密兵器がある」

 

「秘密兵器?」

 

 

 それはつまり、落とし物を見つけるための秘策ということだろうか。

 GPSでもポーチの中に仕込んであるのかと思ったが、であればわざわざ今まで草の根を掻き分ける必要がそもそもない。では一体どんな手段を用いるのかと少しワクワクしてきた。

 

 

「それは一体どんな」

 

「ふふふ、気になるかね。刮目したまえ───これだ!」

 

 

 声を張り上げ、バクが四足歩行になった。

 

 そんだけ。

 

 

「なんの真似ですか」

 

「見ての通りだ。私はバクだからね。こうして四つん這いになって鼻を地面に近づけることで、ポーチに染み付いた私の匂いを探し当てやすくなるという寸法だ」

 

 

 確かにバクは視力が低い代わりに、優れた嗅覚と聴力を持つという話を聞いたことがある。聴力は落し物の捜索にはさほど貢献しないにしても、嗅覚の方は実に有用だろう。

 というか、本人も自分の風貌が明らかにバクだということは自覚しているのか。あまりに人間的な言動を繰り返すものだから、バクっぽく見えるだけの別のナニカかと思い始めていたが。

 

 それに、彼が生物学的にも完全にバクだと言うのならば、新たに疑問が湧いてくる。

 

 

「鼻が利くんなら最初からその体勢で探せば良かったじゃないすか? なんで今までわざわざ悪い視力に頼った探し方をしてたんです」

 

 

 バクはこれまであたかも人間のように二足歩行で捜索を行ってきていたが、考えてみれば嗅覚の使用なんぞ別に秘密兵器でもなんでもなく、いつでも行えることだったハズだ。

 なぜわざわざ非効率的な探し方を続けていたのか。

 

 

「それについては明確な理由がある。いいかい、嗅覚の精度を上げるためにはこうして四つん這いになり、顔をアスファルトの地面に近づけながら歩くことになるだろう」

 

「そうですね」

 

「加えて、今日は真夏日だ。上を見たまえ、雲ひとつない青空に灼熱の太陽が煌めいている」

 

「そうですね」

 

「こんな日に地面に顔近づけると照り返しがつらい」

 

 

 蹴り殺してやろうかと思った。

 

 一瞬殺意が恐怖をも上回り、臨界点を突破しかけたものの、なかなかどうしてバクの嗅覚は侮れないもので、再開された捜索活動の効率は飛躍的に上昇したといっても過言ではなかった。

 

 とはいえ、紛失したポーチが見つかったワケではない。

 バクは自身の嗅覚に絶対の自信を持っているようで、ほんの数十秒ほど辺りを嗅ぎ回って反応がなかった場合は、その周辺にはポーチはないと早々に見切りをつけるために、エリアごとの捜索にかける時間が非常に短くなったのである。

 このペースでいけばすぐに……と思わなくもないが、そもそも普通に歩いただけでも3時間かかる距離なわけで、未だに先は長い。

 

 

「あの。ポーチの外見とか小瓶の中身とか、もう少し詳細に聞かせてもらえませんか?」

 

 

 バクの新フォーム披露からさらに20分ほど過ぎたころ。

 無言で探し続けるのもアレなので、そんな風にバクに問うてみた。

 なんだかんだ、必死に四つん這いになってまで(バク的には四足歩行が標準のハズではあるが)落し物を探し、ちょくちょく熱せられたアスファルトの地面に鼻先が触れてしまって悶絶するバクの姿は滑稽ながらも哀れであり、このまま落とし物を見つけないまま逃げ去ってしまおうという気持ちは薄れてきている。

 であれば、より彼の落とし物についての詳細を聞き出しておき、万が一の見落としの可能性を潰しておくべきだろうと考えた。

 

 

「そうだね……。最初に君に伝えた特徴以外となると、ポーチの形状はがま口だ。それと、側面に小さな三角形のエンブレムがある」

 

 

 四足歩行を継続しながら、俺の方を振り返らずにバクは答える。

 

 

「ポーチに入っている小瓶の中身は私にとっては食料なんだが、君にとっては異様に映るかもしれないね。まあ、見ればわかるさ」

 

「? そうですか」

 

 

 小瓶の中身の説明だけ異様に要領を得なかった。

 それにしても、見ればわかるだの行けばわかるだの言う人はいるが、それを言う人はこちらの理解力をどれほど理解しているというのだろうか。

 その場で説明できるのならしてしまえば良いだろうと考えてしまうのは、俺の心が狭いからなのか。

 まあ、ポーチを見つけたらそれをバクに渡せば良いのだから、小瓶の中身まで詮索する必要もないだろう。バクの回答を聞いた俺はそう考え、捜索を続行しようとしたその時──、

 

 

「ムッッッッ!」

 

 

 バクが何かに反応し、いかにも反射的といった様子で立ち上がり、二足歩行になる。くどいようだがバクが反射で二足歩行になるのはおかしい。

 見慣れた哺乳類動物の姿から再び物の怪の様相を呈したバクが、鋭い目付きで辺りを見渡し始める。

 

 

「ポーチ、見つけたんですか?」

 

「この近くにあるのは間違いない! 微かだが私の体臭がする!」

 

「体臭って言い方、なんか生々しくて嫌ですね……」

 

「私のフレグランスが香ってくる!」

 

 

 ともあれ、ついにポーチの居場所が絞られたようだ。

 バクの嗅覚が反応した地点から周囲を見渡すが、街路樹や植え込みが多いものの至って普通の住宅街の一角といった様子だ。

 これならあと少し探せばポーチも見つかるだろう。

 

 

「あと一息ですね。さっさと見つけちゃいましょう。ほら、また四つん這いになって」

 

「うむ」

 

 

 周囲にはゴミ捨て場など、バクの嗅覚を妨げるものはなさそうなので、二手に別れる必要ももはやない。

 俺は四足歩行を再開して鼻を利かせ始めたバクの後ろを追従しながら、彼よりも高い視点で辺りを見回す。

 道路の脇、街路樹の陰、植え込みの中……。

 

 

「臭いが強くなってくる……。こっち……、いやこっちか……」

 

 

 ブツブツ人語でつぶやきながら歩を進めるバク。

 そのケツを追っかけながらキョロキョロする大学生。

 ふと我に返り、傍から見たら今の状況は大層異様なのだろうなと気付いてしまった。

 見ず知らずの人に俺もバケモノの同類と思われたりしたら嫌だなー怖いなーとかなんとか考えたが、すぐにそんな思考も打ち切られる。

 

 バクから聞き及んでいた特徴と合致する外観のポーチが、俺の視界に入ったからである。

 

 

「あっ、ポーチありましたよ」

 

「なに!? どこだい!? どこ!?」

 

「あそこっす、あそこ」

 

「あそこじゃわからない! どこ!?」

 

「いやだから……」

 

 

 一通り不毛な会話を交わした後、痺れを切らした俺は歩道脇の方へと駆け足で近づいた。

 ポーチは植え込みの草木の間に隠れるように挟まっていた。中々見つけにくいところに上手く挟まったものだが、バクの先導があったことに加えて、ポーチ自体が遠目からでもわかりやすい鮮やかな紫色であったことが幸いした。

 俺はポーチを拾い上げ、確認のためにバクの方へそれを掲げて見せる。

 

 

「コレで合ってます?」

 

「おお、まさにそれだよ! いやあ、本当にありがとう! 君のおかげだよ!」

 

 

 そう言ってバクは満面の笑みらしきもの(例によって顔は獣そのもののため表情の変化が判断しづらい)を浮かべつつ俺の方へ歩み寄り、両前足で俺の手を掴むと、ブンブンと上下に振った。

 一見すると妖怪の類であるバクなのだが、なかなかどうしてこうも真っ直ぐに感謝されるとささやかな満足感があり、自然と頬が緩む。

 

 

「いやあそんな、礼を言われるほどのことでもないっすよウェヘヘヘ」

 

「笑顔がだらしないな君は」

 

 

 ほっとけ。

 一瞬で真顔になってしまった。

 

 

「あ、すまないが中身の方も確認してみてくれないか? 小瓶がなくなってしまっていたり、割れてしまったりしていないか見て欲しいんだ」

 

 

 思い出したようにそう言うバクになぜ俺が確認しなければならないのか、という疑問も浮かんだものの、別に拒否するほどのことでもなし、無言でポーチの口を開いた。バクは中身を食料の入った小瓶だと言っていたが……。

 中身をつまみ上げてみると、それは確かに小瓶だった。

 

 

「……は?」

 

 

 そして小瓶の中身を確かめた俺の口からは、無意識に声が漏れた。いや、これはそうなるのもやむを得ないだろう。

 

 なんたって小瓶の中には、一人の人間が入っていたのだから。

 

 なぜか小瓶の中に閉じ込められるほどに小さく、老いさらばえた男性が、妙に安らかな表情のまま体育座りの形で座り込んでいた。

 要は座った小人の老人である。

 

 

「えっ、なんすかこれ。作り物?」

 

「本物の人間だよ」

 

 

 俺の問いにバクはなんてことのないように答える。

 

 

「彼と一緒にピンク色の花が入っているのがわかるかい? その花の香りには特殊な効能があってね、それを嗅ぐと人は常に微睡んだような、夢心地の気分になるのさ。バクが夢を食べるという言い伝えは知っているかい?」

 

 

 今度はバクの方から投げかけられた問に俺はこくりと頷く。

 本来野生のバクは森林地帯の中でも河川や湖沼などの近隣にに生息しており、食べ物の方もその一帯にある草、木の葉、細い枝、果物などを主に食べるという。

 

 しかし古代中国から伝わる霊獣『(バク)』に関してはその限りではない。

 中国から日本に俗信が渡るにあたってその言い伝えの内容は大きく変わっているものの、現代において獏は人の夢を食って生きる伝説上の生物とされることが多い。

 

 

「私は小瓶の中の彼の夢を食べるのさ。軽くて持ちやすくなるように捕獲して、彼が生きている限りは尽きることがない。最高の携帯食料だ」

 

 

 そもそもどうやって人を小さくしてんだとか、一緒に入っている物騒な花はどこで栽培されているんだとか聞きたいことは山ほどあるのだが、とりあえずいの一番に聞いておきたいことがある。

 

 

「……俺も、この人みたいに、食料にする気ですか?」

 

 

 思えば最初からおかしかったのだ。

 

 なぜこのバクは執拗に俺を逃がさないようにしていた? 

 なぜこのバクはこれほど長時間俺を連れ回した? 

 なぜこのバクは捜索中に虫にビビり散らかしたり、焼けたアスファルトに鼻先を触れさせ悶えるような無様を晒していた? 

 

 それは最初から俺を新たな「食料」とするためではないか。

 それは俺を疲労させ、捕らえやすくするためではないか。

 それはわざと醜態を見せつけ、俺を油断させるためではないか。

 

 考えれば考えるほどにバクの周到かつ悪辣な本性が露になっていく気がした。背筋に冷たいモノが走る。

 

 目の前のマスコットみたいな見た目のバクが、人の夢を食らって永劫の時を生き続ける、獏という理外の生物なのだという実感が湧き上がってくる。

 後退りをしようにも足が震えてそれは叶わない。瞳の端からは涙が溢れそうになる。俺はか細くなった声でなんとか命乞いのひとつでもしてみようと試み──、

 

 

「いや、無理やりは良くないからね。彼は生きる上でやりたいことをすべてやったから、食料になってもいいよと言ってくれたのでなってもらっただけだよ。若者の君がなりたいと言うのなら私としても助かるけど」

 

「あっ遠慮しときます」

 

 

 俺は奇跡の生還を果たした。

 

 

 

 ◆ ◆ ◆

 

 

 

 心なしか残念そうだったバクと別れた頃には時刻はすっかり夕方になっており、街一帯は琥珀色に染まっていた。

 街並みに気をやり、時間の経過を実感した途端に足や腰などの体の節々が痛くなってきた気がする。あれだけ歩き回り、曲げたり伸ばしたりを繰り返していれば当然だろうが。

 

 それにしても、今日は刺激的な一日だった。

 

 今まで目撃したことはなかったが、あのバクと今後また鉢合わせする機会はあるのだろうか。それとも、また別の異形と遭遇したりするようなこともあるのかもしれない。

 未知との遭遇はこれ以上ないほどに人の好奇心を唆る。()()()()()()がこの世界に存在するという事実を知った今、俺の目には世界が今までとは様変わりして見えた。

 

 明日への期待が高まる。

 

 定期試験はすっぽかしたものの、また明日からはいつの通り大学へ通い、いつも通りに講義を受ける日常が始まる。

 だが、そんな平凡な日を過ごすのも悪くないと今では思うし、そういった日々の中だからこそ見えるものもあるだろう。刺激は日常の中に何気なく転がっているものなのだと、今回の件で嫌というほどわかった。

 

 だから、俺は思うのだ。

 

 

「明日もきっと、いい一日になるだろうな」

 

 

 ……と。

 

 

 

 

 

 

 

 

 数分後、俺のスマホに『今期も単位を落とした科目があった場合、仕送りの額を半分にする』といった旨のメッセージが母親から届いた。

 

 明日から俺は死んだような目で日々を過ごすことになるだろう。何がいい日だバカヤロウ。

 

 

 

 





今回の短編は当初「悪夢」のテーマに執筆を開始したものの締め切りに間に合わずボツになり、そして次の「未知との遭遇」というテーマで執筆することになった際に、ボツになった作品を再利用する形で書き上げたものです。つまり今短編は二つのテーマに沿ったものになっています。

再利用して完成させた作品をさらに再利用してここに投稿する、省エネ〜。
  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。