蝉時雨の天才とある科学者   作:ジト民逆脚屋

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君を

初めてあったその日に、一番初めに耳に入ったのは、毎年毎年飽きもせず、命の限りに叫ぶ蝉の声だった。

そして、初めてあったその日に、一番初めに聞いたのは、生まれて初めて聞いた君の声だった。

 

「先生、先生は頭が良いって本当?」

 

驚かなかった、と言えば嘘になる。何せ、当時の私が居た場所は幼い少女が、一人で入ってこれる様な施設ではなかった。非合法ではないが、一般的という概念からは程遠い。人体に関する研究施設がそこだった。

 

「……君は?」

「質問に質問で返すのはダメだよ」

 

彼女はそう言って、厚い紙の束を差し出した。これが全ての始まりだった。

 

「でも、答えないと話が進まない。私は篠ノ之・束、先生はこれを理解出来る?」

 

問われ、差し出された紙束と少女〝篠ノ之・束〟を、交互に見た。まだ中学生にもなっていないだろう彼女が、差し出してきた紙束の表紙は白紙だった。

しかし、始まりを捲れば、そこからは情報が溢れ出した。

 

「……失礼を承知で聞くが、これを君が?」

「そうじゃないなら、私がどうしてこれを先生に渡すの?」

「すまない。だがこれは、画期的を遥かに越えて、悪魔的とも言える」

 

人がほぼ生身で、空を制する。子供の発想だと、笑い飛ばすのは簡単だった。だが、それは出来なかった。

専門分野ではないとはいえ、この資料に記された内容は、今までの技術を遥かに超えていた。

 

「悪魔も神も居ないよ。居るのは、人間だけ」

「ああ、その通りだ。この世に神も悪魔も居ない。だが、世の科学者の誰もが神の存在を完全には否定出来ない」

「不明瞭な存在は完全に否定しきれない。だけど、私は神じゃない。私には発想知識理論はあっても、金機材人脈が足りない。先生、手を貸してくれる?」

 

その時の彼女の声は、掻き消す程に喧しい蝉の声すら、漣の様に安らかな音に聞こえた。

決して声を荒げていた訳でもないのに、それ程に彼女の言葉は私の脳髄を揺さぶったのだ。

脳髄を揺さぶり、精神に一抹の安らぎと動揺、そして魂に欲望が灯った。

 

「……ああ、いいだろう。だが、こういった常人には理解し難いものには建前が必要になる」

「建前も何も無いよ。宇宙開発、これだけで先を見れる凡人は飛び付くよ」

 

この日から、私と篠ノ之・束の知識と理論の空への旅が始まった。彼女の知識は凄まじく、齢10余年にして脳科学の専門家でもある私を上回る理論を構築してみせた。

私は楽しかった。たった数年の月日の間に、彼女から得たもので今までの壁が全て破壊され、新たな知見を得られた。

百年、いや数千年に一人の天才。正しく、そう呼ぶに相応しい。だが、私には一つ気になる事があった。

篠ノ之・束は確かに天才だ。しかし、それでも彼女の脳機能は異常だった。一を聞いて十を知るどころではなく、何も聞かずとも十以上の事を知る。

まるで、この世全ての未知と既知の理論が頭の中にあるかの様に、彼女は迫り来る難題全てを蹴散らした。

周囲は彼女に恐怖したが、私だけは何故か恐怖を得なかった。

何故か、私はそれを無意識に理解していたのだろう。

 

そして、あの日に全てが唐突に終わりを告げた。

 

 

「篠ノ之・束」

「……ごめんね、先生。間に合わなかったよ……」

 

突如として頭痛を訴えた篠ノ之・束は倒れ、三日間意識不明のまま眠り続けた。

その間、治療の為に撮ったスキャン映像を見て、私は愕然とした。

あり得ない事が、彼女の頭部で起きていた。

 

「君は……」

「解ってる。もう一年は保たない。以前にも増して頭の中で新しい理論が湧き出して止まらない。あーあ、もう少し保つと思ったのにな……」

 

彼女の脳は異様な程に発達し続けていた。それこそ、入れ物である頭蓋を圧迫し始める程に。

 

「発達し続ける脳、君が周囲に恐怖を与える程に活動していたのは、これが理由か」

「流石先生、やっぱり先生を頼って正解だったね……」

「篠ノ之・束、専門家として言葉を尽くしたいが、私もこれ程の症例は見た事がない。だが、君と過ごした時間で開発出来た薬がある。……無論、まだ未完成で治験などしていない」

「先生の薬なら大丈夫だよ」

 

私は彼女に新薬を投与した。仮にも医学や薬学に精通する者として、それは避けるべき行為だった。

だが、それでも私は彼女の死を認められなかった。

薬で抑えても着実に彼女の脳は肥大化を進め、彼女の命という対価に見合う理論と技術を吐き出し続けた。

否、見合う筈が無い。彼女という天才の命に、どの様な奇跡の如き発見が見合うというのか。

もし、彼女がこれから一人の人として天寿を全うしたとして、人間の文明はどれ程に発展したか。

肥大化する脳が次第に彼女の体機能すら奪い始めた時、遂に彼女の望みが形を得た。

 

「篠ノ之・束、これが……」

「うん、これが……、〝インフィニット・ストラトス〟。……人を新たな地平に立たせる為の無限の成層圏。……間に合ったね」

「篠ノ之・束、まだだ。まだ、君の子は産まれていない。人々に認知させねばならない」

「いや、私はここまでだよ」

「篠ノ之・束。……まだ、手はある」

「駄目。駄目だよ、先生。それは駄目」

「だが……!!」

「ねえ、先生……。人は死ぬから人なの。私は物質的には居なくなるけど、記憶と記録、そして私達が残した子達が私の証明になる」

「駄目だ篠ノ之・束。私は君と君の理論を理解しているが、幾百の凡人は君の理論に君を見ていない」

「大丈夫……、そんな先生を私は、選んだんだから……。だから先生、私を忘れないで……」

 

車椅子に座り、蝉の声が鳴り止まぬ中、彼女はそう言って目を閉じた。

この日から、篠ノ之・束は眠り続けた。肥大化した脳髄は次第に頭蓋を圧迫し、インフィニット・ストラトスを学会に発表する頃には、人口呼吸器無しでは呼吸すら出来なくなっていた。

彼女の名で発表したインフィニット・ストラトスは、その機能性と未知の可能性を以て、世の権力者を魅了した。

瞬く間に世界中でコアパーツが量産され、その数が五百に迫ろうとした時、私は絶望した。

 

「PIC、拡張領域、第三世代計画……、これが、こんなものが! こんなものが君である筈がない……!!」

 

篠ノ之・束の子、インフィニット・ストラトスは瞬く間に世界中に浸透した。

だが、その出来は明らかに劣っていた。宇宙開発を目的に造られた筈の子らは、本来到達すべき場所に到達する事すら出来ず、地上にへばりつく事しか出来ず、国の政治と軍事のゲームの駒へと成り下がった。

その上、量産されたコアパーツでは女性しか反応せず、愚かな女共がその優位性を背に、価値の無い差別思想で以て全てを無二帰している。

 

 

──先生、いつか宇宙に行こうよ

 

 

インフィニット・ストラトス発表と同時期に亡くなった彼女の声と言葉が、私の脳髄の中で木霊する。

篠ノ之・束、やはり世界は君の理論に君を見ていない。

ならば、

 

「ならば、〝君〟を造ろう。美化もせず、風化もさせず寸分違わず狂う事無く、君を造り出す」

 

0と1、私が構築し続けたと君が遺した理論。この世界に過ぎた科学と既存の理論の融合だ。

この世とあの世の境界を解き、君を再び世界に呼び戻す。

君は嗤うだろう、蔑むだろう。

だが、私はこの世界を認められない。

 

 

 

私は〝君〟を造る。




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