「は?」
何が起きているのか。
食堂で箸を持った箒の理解と世界は、その一瞬で止まった。
「昨日、自宅へ帰宅中の──教授が、交通事故により亡くなりました。警察は詳しい事情を……」
「な、にが……」
ニュースキャスターが読み上げる言葉を理解するのに、さほど時間は掛からなかった。
よくあるありふれた事故、当事者と関係者以外は聞き流す毎日に埋もれていく事故。
それなのに、箒は聞き流す事が出来なかった。
「箒!」
「いち、か」
「落ち着け。ほら、水を飲め。とにかく、落ち着け!」
呆然とする箒に、一夏が慌てて水を汲んで渡す。
一夏から受け取った水を口に含むが、水の味すら箒には分からない。
一体、何が起きている。理解は出来たが、納得は出来ない。
──が死んだ。その事に納得出来たのは、一夏が千冬に連絡し、寮の部屋まで連れられた後だった。
「箒、大丈夫か?」
「……ああ、なんとかな」
「暫くは外出しない方がいい。モノレール駅にマスコミがウジャウジャしてるらしい」
「そうか。……他の子達に申し訳ないな」
「気にするなって、クラスの皆は分かってくれてる」
インフィニット・ストラトス開発者の二人が、この世を去った。
このニュースは瞬く間に世界中を駆け巡り、業界は騒然とした。
いまだに未知の領域である新技術、各国はどうにか日本に責任を負わせ、自分達に有利な条件を引き出そうとしている。
技術者達はどうにかして、──と篠ノ之・束が遺した文献を得ようと、関係各所にコンタクトを取っている。
いまだ詳細の分からぬ事故、目撃者も居らず加害者も不明。現場に残されていたのは、──の遺体と誰も乗っていない車が一台だけだったと、一夏は千冬からこっそりと聞いた。
「一体、何がどうして……」
姉を知る者が居なくなる。
自分が居る以上、完全に居なくなる訳ではない。だが、篠ノ之・束という人物を知る人間は数少なく、他はインフィニット・ストラトス開発者であり、稀代の天才の篠ノ之・束しか知らない。
篠ノ之・束という個人が段々と希薄になり、既存の理論を踏み散らした傍若無人な天才というラベルにのみ、人々は姉を見る様になる。
違う。本当の篠ノ之・束は違う。
自らの命の限界を悟り、組み上げた理論を実証するべく東奔西走し、ようやく自身を理解してくれる人に出会えただけだ。
「箒……」
「すまない、一夏。少しだけ、一人にしてくれないか」
「……分かった。部屋の外で待ってるから、大丈夫になったら呼んでくれ」
「すまない」
一夏はそう言って部屋を出た。
箒の両目からは、涙は溢れなかった。
ただ、口から嗚咽だけが溢れだした。
「ふ、うああ……!」
涙は出ず、どう感情を整理していいかも分からない。
溢れて止まらぬ嗚咽は、せめてもの手向けだろうか。
一夏は扉越しに聞こえる嗚咽に、ただ目を伏せた。
〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃
「……先生」
身寄りの無い──の葬儀は、関係者だけで執り行われた。
親兄弟も居らず、親類とも疎遠だった──の葬儀は、粛々と進み、箒が気付いた頃には──は灰となった。
「本当に研究の虫だったんですね」
──の遺品は少なく、僅かな着替えと日用品と、膨大な研究資料だけが自宅に遺されていたと聞いた箒は、まだ五月蝿い蝉の声の中、実家の部屋で呟いた。
実家に帰った理由は、特には無い。ただ、戻りたくなっただけだ。
あの時のまま止まった時間の中、箒は自室から姉の部屋の前に来た。
襖を開けると、あの日と変わらず膨大な研究資料に埋もれた和室があった。
「姉さん……」
まだ箒が幼く、姉の体に変調の無かった頃、ここで二人は議論を交わす事があった。
箒は束から、よく話を聞かされていた。
夢の話、人が飛行機に乗らずとも、いつか自由に空を飛べる様になる話。
全て覚えている訳ではない。だが、幼い箒に聞いてもらいたかっただけだろう。
しかし、それでもその日々は箒にとって大事な日々だ。
「……これは?」
あの日々を懐かしむ様に、箒は部屋の資料を見回すと、黒いクリップで留められた厚い紙束が目についた。
他の資料には、埃が積もっているのに、それだけは僅かにしか積もっておらず、他に比べまだ新しい。
見れば、表紙には──の名だけが記されていた。
箒はそれを手に取り読んだ。あまりに難解で専門的過ぎる内容は、理解出来るものではなかった。
しかし、読み進める手は止まらない。
「そんな、いや、でも……」
冷や汗が頬を伝った。
五月蝿い蝉の声がやけに空虚に聞こえる。
「電脳を介した疑似脳髄……」
束の机に置かれたコアの模型を見る。
ISコアは電脳と発電機構の二つに大きく分けられる。
特殊な鉱石を用いた発電機構は、従来の物よりも遥かに優れた性能を持ち、スーパーコンピューター以上の演算能力を持つ電脳を支える。
そして、コアの心臓部である電脳は、常に計算を続ける事で発生した負荷を発電機構に送り、発電機構はその負荷を元に発電を行い、接続された独自ネットワークにその情報をフィードバックし、更なる計算を行う。
一つの完成した研究機関、それがISコアだと姉は言っていた。
「研究機関、コアの凍結、ネットワーク連結、疑似脳髄」
箒の中で、どんどんと嫌な想像が膨らんでいく。
コア単体で不可能な計算でも、連結されたネットワークにより不足した演算能力を補う。
凍結されたコアは、その演算能力とネットワーク接続だけは機能している。
しかし、それがこれに繋がるか。
その答えは最後のページに記されていた。
〝世界に蔓延る模造品。こんなものが、君である筈がない〟
箒は目を閉じ、資料を置いた。
これが事実だとして、誰にどう伝えれば理解を得られる。
不可能だ。誰も、誰にも理解されない。
あの二人は誰にも理解されない。
だが、
『箒!』
「一夏か、どうした?」
『学園に戻ってくれ! 大変な事が起きてる!』
「……ISコアが凍結を始めたんだな?」
『え? 箒、何でそれを知ってるんだ?』
「着いてから話す」
箒は電話を切った。
「──先生、貴方を止める」
一度置いた資料と、束が作ったコアの模型を手に、箒は確かな覚悟を胸に歩き出した。