「篠ノ之、戻ったか」
「織斑先生、状況は?」
「学園保有のコアの半数が凍結、専用機のコアはまだ保っているが……」
限界が近いという事だろう。
箒は落ち着いた様子で、千冬に資料を渡す。
「これは?」
「織斑先生、一夏は?」
「あ、ああ、もうすぐここに来る。しかし、篠ノ之。これは先生の研究資料ではないか。一体これがどうしたというんだ?」
「……最後のページに、答えがあります」
〝電脳を介した疑似脳髄〟
そう綴られた難解な内容を千冬は流し読み、箒の言う最後のページを見た時、千冬の目が見開かれた。
「これは……?! いや、まさかそんな事……」
「織斑先生、──先生がこれを仕上げたのは、恐らく姉さんが倒れてからです」
山と積み上げられた資料の中で、これだけがまだ新しかった。
そして、最後に記された言葉が全てを物語っている。
「千冬姉! 箒!」
絶句する千冬を他所に、一夏が部屋に飛び込んでくる。
「箒、お前……」
「一夏、いきなりで済まんが頼まれてくれるか」
今にも泣き出しそうな箒の言葉に、一夏は黙って頷いた。
〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃
リトライ、再試行を繰り返す。
足りない。やはり、紛い物をこの程度集めた所で、彼女には届かない。
だが、
「コア占有率は50%を越えた。もうじきだ。篠ノ之・束」
世界中に散らばるISコアの半数以上は、既に──の手に堕ちた。
原典の更に原典を知る──に、今蔓延る模造品を掌握する事は造作もない。
「米国は掌握した。後は……」
独自ネットワークにより繋がる専用機コアのみ。
今はアクセスに手間取っているが、後数分で専用機コアも──の物となる。
そうすれば、彼女に届く。
「……やはり、来るか」
無機質な空間、あくまでもイメージでしかない空間の想像に、自分以外の意思が発生する。
次第に形を得る者は、見知った姿だった。
「篠ノ之・箒」
「……──先生」
「──……、いや、私は──ではない」
──、否、その者は自身の名を否定した。
「……──が遺した資料を読んだ君なら理解出来るだろう」
「ええ……、貴方は──先生が作った人工人格。でも、貴方は……」
「そこから先は否定する。──は死んだ。私が殺した。彼には成し遂げられないからな」
「〝ISコアには固有人格がある〟でしたか」
「そうだ。ならば、寿命というタイムリミットの無い私しか成し遂げられない」
電脳空間の中、箒は唇を噛んだ。
目の前に居る──の姿をした者は、性格や容姿は──でも──ではない。
──が研究の果てに造り出した人工人格。──は、あの資料にこう記していた。
〝人を人とするのは、それまでに得た知識と経験。ならば、その知識と経験を一から全て与えた者は、一人の人となりうる〟
──は現実世界を否定していた。
しかし、それは逃避と呼ぶにはあまりに非現実であった。
ISコアという、製作者二人しか理解しえない究極のブラックボックス、──はその中に自分を造り出した。
そして、自らが果たせぬ目的を果たす為に、──は自ら命を絶った。
「……目的とは?」
「君も理解しているだろう? この世界は紛い物だらけ、誰も彼女を理解していない」
「だからと言って、道理をねじ曲げていい理由にはなりません!」
「なる。これはねじ曲げるべき道理だ」
「それを姉さんが望むと?!」
「……望まぬだろう。だが、私は止まらない!」
その声と共に、電脳空間が歪みだす。
ありとあらゆる空間が歪み、地面がせりだし、一つの要塞を形作っていく。
「先生……!」
「箒、あぶねえ!!」
「……さらばだ。篠ノ之・箒」
白式を介した電脳ダイブは強制的に切られ、目覚めた箒は酷い頭痛と、己の無力に頭を抱えた。
「……箒」
「一夏、すまない……。白式は?」
「本体の制御権限はまだ俺にあるが、ダイブは無理だ。今のでネットワーク接続権限が奪われた」
「そう、か……」
千冬は急激に進むISコア凍結の対策に呼び出され、今この場に居ない。
電脳ダイブだけなら、今の機材でも不可能ではないが、ISコアネットワークに接続する事は出来ない。
──は、ISコアネットワーク内に姉を甦らせようとしている。
それを姉が望まないと理解していても、彼は止まらない。
どうにもならない。狂った愛を止めるには、相応の覚悟が必要となる。
だが、箒にその覚悟があるのか。
自分と同じ大切な人を想い狂いながらも、まだ同じ人を想い続ける男を終わらせる覚悟が、篠ノ之・箒にあるのか。
「私に、何が出来る……」
端末に入るニュースは、世界のISコアの九割近くが掌握されたと報せてくる。
恐らく、学園のコアは全て奪われた。唯一の頼みの綱となる初期ロットの白式も、ネットワーク接続権限を奪われた。
ISコアネットワークには、ISコアがなければアクセス出来ない。
つまり、現状で箒に打つ手は無い。
「どうすればいい」
世界は──の手に墜ちる。だが、それは姉の望む事ではない。
──箒ちゃん、いつか空の向こうに行こうよ
──空の向こう?
──そう、宇宙だよ。無限の可能性がある世界。これはその約束の為の贈り物だよ
姉の言葉が脳内に転がる。
あの日、姉は自身の限界を悟っていた。
箒は姉から贈られた腕飾りを見る。
──姉さん……
約束を守れない。
布ではない、不思議な素材で編まれた腕飾りは、箒の好きな朱色で、金の飾りがあしらわれている。
僅かに冷たいそれに触れると、不思議と光を反射する。
「ん? なんだ、この反応。……っ! 箒!!」
「ど、どうした、一夏」
「これを見てくれ! この数字!」
一夏が指し示す画面には、99%とあった。
そしてそれは、──のISコア掌握率だ。
「まだ一個、先生の手に堕ちてないコアがある」
「しかし、ISコアは決まった数しかない筈だ。一体、何処に……」
──約束だよ、箒ちゃん。いつか一緒に、空の向こうに行こう
声が聞こえた気がした。
姉はもう居ない筈なのに、確かに箒の耳には束の声が聞こえた。
「姉さん……?」
箒の腕、朱色の飾りが、彼女の声に僅かに光を帯びた。