何が足りない。コアは全て掌握した。なのに、君にまるで届かない。
思考回路、意思、精神、それら全ては脳が知識と経験によって形作られる。
知識は全て私が持ち、経験はコアの演算により組み立てた。
全て足りている筈なのに、君に届かない。
それほどまでに、君は遠いというのか。
否、断じて否だ。
君はここに居る。──の仮説は間違っていない。
足りないというのなら、足りるまで計算を続けるだけだ。
その為に、──は肉体を捨て私を造り出した。
寿命という概念の無い電子存在、故に私は君に再び会う為に永遠に計算を続ける。
宛の無い旅路でも、君に会う為なら苦は感じない。
「コア掌握率は99%、残る一つは……」
何処にも無い。
インフィット・ストラトスのコアは、全て把握している。だが、最後の一つが見つからない。
コアは全て独自ネットワークに接続されている。
ネットワーク上に存在し、ネットワークそのものとなった私が見付けられないコア。
……そうか、君か。
「篠ノ之・箒」
「先生、貴方を止める。その為に、私は来ました」
「私の悲願は、君にも理解出来る筈だが?」
「ええ、私も姉さんにもう一度会いたい」
「なら……」
「でも、それは叶わない。叶えてはいけない」
──先生なら、私の理論を理解出来るよね
何故、あの日の言葉が思い出される。
篠ノ之・箒は篠ノ之・束ではない。単なる姉妹で、彼女の知能の足元にも及ばない。なのに、何故だ。
「貴方も理解している筈です」
ああ、そうか。やはり君は篠ノ之・束の妹なのだな。
「そっくりだな」
「は?」
あの日、私に向けられた強い目。
己の限界を知り、それでも抗おうとする強い意思を燃やす目。
やはり、彼女は彼女に足らずとも、篠ノ之・束でなくとも、彼女の妹の篠ノ之・箒なのだ。
であるならば、私のする事は決まっている。
「篠ノ之・箒、私は止まらない。止める事など出来はしない。なら、君のやるべき事は理解出来ている筈だ」
「……それしか、無いのですか?」
「くどい。君と私とでは答えが違う、そこに至る方程式も違う。ならば、導き出される答えも違う」
最早、言葉は必要無い。
「来い、篠ノ之・箒。君が望む答えの為に」
私は私の望む答えを得る為に造られた。
篠ノ之・束、私は君にもう一度会いたい。
ただそれだけだ。君が望まぬと解っていても、私はただそれだけを望んだ。
そして今、君の妹が私を否定しに来た。
やはり彼女は君の妹だ。
そうだろう?
君も理解していたから、彼女にあれを遺した。
コアNo.00、私と君が造った最初のコア。全ての原点、マスターピース。
そして、君が構想していた最新技術を搭載した機体。まだ君の理論に追い付いていない技術では、恐らくデータだけだろうが、それでも君はあれを完成させた。
君が望んだ未来は確かに此処に有る。だが、私はそれを認められない。
──先生、世界は変われるよ
何も変わらなかった。世界は君を理解し得なかった。
誰も君の夢に見向きもせず、君の夢を残骸にして、その瓦礫で下らん遊びを続けるだけだった。
地上にへばりつき、君の夢を嬲りものにした結果がこれだ。
──私は信じてる。世界はきっと変われる。時間は必要だろうけどね
否、世界は変わらない。変わらなかった。
目の前に餌を吊るされた獣の様に、目に見える利権しか見ていない。
その結果がこれだ。
第二、第三世代、何も変わっていない。君が求めた進歩を、世界は歩まなかった。
──だから、先生。世界を悲観しないで、必ず希望が訪れるから
何も変わらず、君をただ消費するだけの世界に、どの様な希望があると言うのだ。
「──先生……!!」
「……ああ、そうか」
君が、希望だったのか。
篠ノ之・箒、篠ノ之・束の妹、君を知り、君の夢を理解した唯一の人物。
──先生、私を忘れないで
君を忘れていたのは、私だったか。
「……先生」
「君の、勝ちだ。だが、最後に悪足掻きをさせてもらおう」
データ損壊率が六割を超えた今、最早私の望みは叶わない。
しかし、私もまだ諦めたくはない。
「プロテクトコード……」
「そのコードが最後の悪足掻きだ。さあ、解け。後数分もしない内に、私は自己修復を完了する。そうなれば、私は全てのコアを暴走させるぞ!」
「そんな事になんの意味が……!!」
「意味など無い。ただの愚か者の最後の悪足掻きだ」
君になら解ける。彼女を忘れなかった君になら、彼女を記憶し続けた君にしか解けない。
これは私と彼女が世界に望んだ希望だ。
彼女を消費するしか出来なかった世界には解けない。
「さあ、やれ!」
迷うな、篠ノ之・箒。君は既に答えを得ている。
公式は記され、方程式は解かれた。ならば、解を示すだけだ。
「……そうだ、それでいい」
君の望んだ世界には程遠い。しかし、君が望んだ希望は確かに此処に有る。
「さあ、行くといい。じきにこの空間は崩壊する」
「先生は?」
「私とこの空間は同一、つまりそういう事だ」
「……さようなら、──先生」
ああ、それでいい。
これで私は消える。消えていく。
90%
──、君と私が望んだ世界は望んではいけない世界だった。
だが、私達はそれを望まずにはいられなかった。
70%
篠ノ之・束、君にもう一度会いたかった。
もう一度、君と話したかった。
もう一度、君の見る夢を共に見たかった。
30%
だがそれは、叶わない。叶えてはいけない。
生者と死者は別たれるべきだった。
10%
結局、私も君の夢に群がる有象無象に過ぎなかった。
君を忘れ、自分の中にある君を求めるばかりで、あの日の君を見ていなかった。
その末路がこれとは、滑稽な話だ。
──先生
「──、私は……、夢を見ているのか?」
造られた人格に過ぎない私が、人工物でしかない私に夢を見る機能など無い筈なのに……。
君を忘れてしまった。
再び会いたいと願いながら、私は君を忘れてしまっていた。
0と1、あの世とこの世の狭間でも遠かった。
いくら模造品をかき集めても、遥か彼方に見えなかった君は……
「嗚呼、そうか……」
君はずっとそこに居てくれたのか。
「篠ノ之・束……」
話したい事があるんだ。
もう一度、君と交わしたい理論があるんだ。
──先生、行こう
ああ、そうだな。
君に会いたいという夢は叶った。
私は満足だ。
〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃
「……箒」
「ああ、大丈夫だ。私は大丈夫だ、一夏」
──が造り上げた人工人格、その完全消去が完了した画面を眺めながら、箒は酷く疲れた顔でそう言った。
結局、自分が何をしたかったのか。箒にはもうよく分からない。
だが、自分がやらなくてはならない事は分かる。
「……一夏、頼まれてくれないか」
「おう、いいぞ」
そんな箒の頼みを、一夏は文句も言わずに引き受けた。
恐らくこれが、自分のやるべき事だと思ったから。
〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃
ISコア連続凍結事件から数日が経ち、あの事件は、篠ノ之・束と──が事前にコアネットワークに仕込んだアップデートが原因だという事で、世間は一応の落ち着きを取り戻した。
夏が終わり、次第に秋の気配が姿を見せ始めた日に、箒は一夏を伴って、実家に戻っていた。
「すまん、一夏。無理を言った」
「いいよ。これは他の皆には頼めないからな」
実家の庭先、そこで二人は焚き火をしていた。
まだ夏の気配が残る日差しの下で、箒は紙束を火に焼べていく。
それは束と──が遺した研究資料だ。
「だけど、本当に良かったのか? 束さんと──先生の遺品だろ?」
「いいんだ。これを残していると、また誰かが良からぬ事を企むかもしれない。……先生は姉さんにもう一度会いたいという願いで使った。だが、他の連中がそんな願いで使うとは思えない」
一度には燃やさず、数日に分けて二人は研究資料を灰にしていった。
束の自室に残った物だけだが、それでも箒は遺すべきではないと判断した。
誰にも文句は言わせなかった。これらを相続したのは箒だ。だから、箒だけがこれらを消す権利を持つ。
──箒ちゃん、いっくん。人は何時か宇宙を目指す。だから、皆より先に私達で宇宙に行こうよ
束の言葉を思いだし、箒は最後の資料を手に取る。
〝インフィニット・ストラトス〟
そう題打たれた資料は一番分厚く、そして何度も書き直され、読み返された跡が残っていた。
「箒」
「ああ」
箒の震える手を、そっと一夏が支える。
千冬は既に別れは済ませたと、ここには来ていない。
だから、本当の篠ノ之・束と──を知る最後の二人が、これを終わらせる。
「さようなら、姉さん、──先生」
厚い紙束に火が点り、容赦なく灰にしていく。
これで良かったのだ。
姉と恩師が遺した物を悪用させない。それが箒のやるべき事だ。
「……火が消えたら帰ろう」
「いや、先に帰っていてくれないか。出来れば一人で見届けたい」
「……分かった。だけど、火が消えるまでは居るぞ」
「ああ」
もう資料は読めない。火に焼かれ灰となり、風に巻かれた塵が空に還っていく。
夏の終わりを告げる蝉の声が小さく聞こえる。
「なあ、一夏」
「どうした?」
「先生は……、姉さんに会えただろうか」
「分からない。だけど、先生は束さんにもう一度会いたいだけだった。なら、きっと会えたさ」
「そう、だな」
──じゃあね、箒ちゃん
声が聞こえた気がした。
そんな事はあり得ないのに、風に拐われた麦わら帽子を追う様に、箒は灰が舞い散る空を見上げた。
あの日もこうして、空を見上げていた。もしかしたら、姉が空から戻ってくるのではないか。
そして、また自分にしか分からない荒唐無稽な話をしてくれるのではないか。
そう思って、箒は泣かずに空を見上げて束を待っていた。
だがそんな事は無く、空からは夏の日差しと蝉の声が降ってくるだけだった。
「箒」
「なあ、一夏。私は姉さんが死んだ日も、先生が死んだ日も泣けなかった。もしかしたら、戻って来るんじゃないかと思ったら泣けなかった。……だが、もういいよな」
「ああ、もういいよ」
その日、箒はようやく泣けた。ようやく、二人が居なくなった悲しみを流す事が出来た。流れだした涙は止めどなく、今まで流れなかった悲しみを押し流すかの様に、箒の両の眼から溢れた。
箒の涙を知るのは一夏以外誰も居ない。
ただ、微かに聞こえていた蝉時雨だけは、箒の悲しみを隠す様にその声を張り上げていた。