トレーナーと恋人になりたいアヤベさん   作:アルゴル

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催涙雨(さいるいう)、と呼ぶらしい。七夕に降る雨は、会えなかった彦星と織姫の悲しみの結晶。この日のために働いてきた彼らには残酷な仕打ちだと思わないかい?」

 

 今年の七夕は生憎の雨。トレーナー室に飾られた竹も少々萎れて見える。それを流し目で見ながら青年は読んでいた本を閉じ、眼前の少女に問い掛けた。

 

 頭上の音を捉える感覚器と尾骶骨の上辺りから生える尻尾は、彼女が人間とは異なる種であるという事を雄弁に語っている。

 ウマ娘、と呼ばれる人類の近縁種だ。そんな彼女……アドマイヤベガは雨雲を見上げたまま。

 

「ええ、そうね……とても、悲しい。1年に1回しか会えないのに、その仕打ちはあんまりね……」

「あぁ……ベガ、君は七夕伝説を知っているかい?」

「馬鹿にしないで……と言いたいけど、そこまで詳しいわけではないわ。精々、愛し合う二人が1年に1回しか会うことが許されないってことくらい。たしか、パートナーを愛するあまり仕事をさぼったからかしら」

 

 幼い頃聞いた七夕伝説、その断片。それを繋ぎ合わせてストーリーを組み立てる。たぶん、こんな感じではないかと。

 それを聞いて、トレーナーは笑みを浮かべた。

 

「その通り。大まかな筋書きは合っている……では、カササギという鳥を知っているかな?」

「……いえ、知らないわ。その鳥と、七夕に何か関係があるの?」

 

 あぁ、と彼は言葉を返す時のテンプレートを言って。

 

「七夕伝説は発症が中国とされていてね……カササギはその中国で縁起物とされているんだ。

 伝説に曰く、カササギは雨で嵩が増した天の川の橋渡しを行うんだ。二人がちゃんと再開できるように、ね。確か大阪府枚放市の天津橋にモニュメントがあったかな……」

「じゃあ、二人は空の向こうで逢えているのね。なら良かった、会えているならきっと幸せね……でも、じゃあなぜ催涙雨なんて言われているの? それじゃあまるで……」

 

 二人が再会できていないみたいじゃない、と。

 

「相変わらず君は聡明だね、ベガ。七夕伝説は諸説あるんだ。晴れの日は天の川を渡れる説、晴れの日でも橋渡しが必要な説、雨の日のみ橋渡しが必要な説、そして……」

 

とても、悲しい結末がひとつ。

 

「雨の日は例え橋渡しがあっても逢えない説、ね。その説でこの雨が催涙雨と呼ばれているのかしら。昔のお祭りらしく、たくさんの解釈があるのね」

「君はどの解釈を選び取る?」

 

 その問いに、アドマイヤベガは「そうね……」と言って考え込んだ。思考に合わせ、頭上の長い耳が揺れる。それから20秒ほど経って、少女は口を開いた。

 

「やっぱり、会えた方が良いわ。たとえ雨でも。この雨に催涙雨なんて似合わない。ただの夕立の方が笑顔が増えるもの。最低でも、2人分はね。

 でも、例え晴れの日でもカササギに彼らの橋渡しをしてほしいわ」

「それはどうして?」

「その方がロマンチックだからよ。鳥の橋を渡る天上人なんて、とても素敵じゃない?」

 

 アドマイヤベガはちらりと後ろを向く。ロッキングチェアには目を閉じ足を組んだトレーナーが坐していて……それは、いつも通りの光景だった。

 

「君らしい、素敵な回答だね。あぁ、悲劇に悲劇を上塗りするのは無粋だ。一年に一回くらい、月並みなハッピーエンドの話をしても誰も咎めないさ」

 

 青年は揺り椅子で組んでいた足を解きながら。その余裕のある落ち着いた動作を見て、アドマイヤベガは彼の答えを求めた。

 

「貴方はどんな答えを?」

「……ぼくは、会えても会えなくてもどちらでも良いと思っているんだ。永遠の別離ではない。チャンスはまた365日後に訪れる。周期的だから、一度逃しても取り返しがつく。それにベガとアルタイルの寿命は80億年もあるからね……悲劇で終わるのも、それはそれで一つの結末だ」

 

 昔のアドマイヤベガが苦手としていた、全てを見透かしているかの如く虹彩。それが僅かに彼の瞼の奥から覗いていた。

 

「自論だけど、カササギの解釈は人の優しさから生まれたものだと思っているんだ。誰かに優しい人には、優しくされたかった過去があるのと同じように……悲劇で終わらせたくない人には、悲劇で終わった物語があるはずさ」

「例え星の向こう側の人にも悲劇を味わってほしくない……途轍もないほどお人好しね。貴方の解釈の方が余程ロマンチックに思えるわ」

 

その言葉に彼は。

 

「星を仰ぎ、線で繋いで物語を描く……古来より信仰の対象だった星々に興味を持つ限り、ぼく達はみんな夢想家だよ。いつか星海の彼方へ征くことを願い続ける、ね」

 

 彼は棚に大切に飾られているトロフィーと盾を見遣る。アドマイヤベガと彼が歩んだ大切な記憶。見果てぬ夢へと駆け上がった足跡。どれほど遠くとも、穢れようとも……彼女達は星を目指した。遙かなる一等星に相応しい勝利(かがやき)を捧げるために。

 

 随分遠くに来てしまった、と彼は思う。お互い自分の事で精一杯だった頃から比べると大幅な進歩だろう。素晴らしい成果だと胸を張って言える。

 

「そういえば、短冊にはどんな願いごとを?」

「大した事は書いてないわ。あの子に相応しい走りをするって宣誓と、皆と来年も過ごせるようにって……そんな事、短冊を見れば分かるでしょう?」

「流石に本人の許可なしに願いごとを見るような真似はしないよ。せっかく書いてくれた君たちに失礼だし、見られて嫌な思いをする子だっているかもしれないからね」

 

「それこそ、君たちの願いは星だけが知っていればいい」と言って彼は立ち上がった。そのまま簡易的なキッチンブースへ向かい、コーヒーの豆を取り出した。

 

「何か飲むかい?」

「そうね……アイスカフェラテでもお願いしようかしら」

「わかったよ。ちょっと待ってて」

 

 キッチンに消えていく彼を見送ってから、もう一度、アドマイヤベガは空を見上げた。ベガもアルタイルも見えない。空に輝くはずの星々は雲に閉ざされてしまっている。

 

 ──────だが、空の向こう側で彼らは会えている。アドマイヤベガはそう信じたい。特別な日に会えないのは思ったよりも苦しいから。

 

 そこまで考えてから、ふと思った。

 自分とトレーナーが引き裂かれたらどうなるのだろうか。あの二つの星のように離れ離れになったとき……彼は悲しんでくれるのか。そして、自分は悲しいと思えるのか。彼の虹彩が悲しみで歪む場面を見たいとは思わないが、多少なりとも興味はある。あの人の中で、私が悲しむに足る存在になっているなら……それは、少し嬉しい。

 

 コーヒーの香りが鼻腔をくすぐる。後ろを向くと2人分のカップが乗ったトレーを持った彼がソファーに腰掛けようとしていた。

 

「おいで、ベガ」と言われて彼の元へと向かう。彼の隣……30cmほど離れた場所に座ってカップに手を伸ばす。今日のお茶請けはツッカベライカヌヤマのクッキーだった。

 

「……おいしい」

「ありがとう。そう言ってもらえて嬉しいよ……ところで、さっきは何か考え事をしてたのかな?」

「そこまで大したことではないわ。ただ、私と貴方が星みたいに引き裂かれたらどうなるか……ってだけ。意味のないifよ」

 

彼は「そうだね」と回答をワンテンポ遅らせて。

 

「人並みに悲しむと思うよ。あぁ、寂しいし、悲しい。絶望とまではいかないと思うけど、それでもひどくショックを受けるはずだ……この回答は、不服かな?」

 

 彼は流し目でアドマイヤベガを見た。日本人離れしたバイオレットの瞳と、アドマイヤベガのライラックの瞳が交錯して……くすりと笑った。

 

「満足よ。貴方にそう言ってもらえるなら私も嬉しい」

 

 30cmの境界線を超えて彼に近づき、肩に頭を乗せる。近づきすぎて少し皺になった制服すらも愛しい。アドマイヤベガは、この時間が何よりも好きだ。

 目を閉じるアドマイヤベガに彼は「仕方がない子だね」と言いながら、その声音と目には溢れんばかりの慈愛が篭っている。

 

 アドマイヤベガの姿勢を崩さぬように慎重に手を動かし、タブレット端末を鞄から取り出す。そのままメールとタスクのチェックを行い、明日の予定を確認。

 

「……なにかやるの?」

「今はやらないよ。でも、後々やる事がいくつかあるだけ。二学期以降の授業計画とか、夏季休暇の課題とか。あとは休暇中の補習についても打ち合わせが必要かな……」

 

眼精疲労を紛らわせるように眉間を揉んでいる彼を見て、アドマイヤベガは苦笑して。

 

「……勉強のことばっかりね」

「まあね、ぼくは教師でもあるし……君をレースの舞台で輝かせるのも仕事だけど、君達をレース以外の道でも歩めるようにするのも仕事なんだ。選択肢は多い方がいい。その方がきっと豊かな人生を歩める。勿論、何か一つを極める人生も素晴らしいものだろうけどね……」

 

 アドマイヤベガは竹に下げられた短冊を見る。あれを書いたのは彼女のクラスメイトだったり、先輩だったり、後輩だったり。彼が授業を受け持っている生徒がテスト週間に書いたものだ。トレーナーとしての彼ではなく、教師としての彼を訪ねて。

 

「人気者ね、貴方」

「そうでもないと思うよ。彼女達にとって、ぼくは教師のうちの1人さ。勿論、嫌われるよりは好かれる方がいいけど。それに珍しいんだと思う。中々、トレーナーと教員を兼ねてる人なんていないからね」

「そういうものなの?」

「そういうものだよ……あぁ、ベガ、明後日締め切りの課題が未提出になってる。多分ネットワークの不調か何かで正常にアップロードできてないだけだと思うから、自室に戻ったらチェックしておいてね」

「そう……分かったわ、ありがとう」

 

 言われなかったら気づかなかっただろうな、なんて思いながらアドマイヤベガは彼に体重をかける。ちらり、と彼を上目で見ると何やら文章を書いていた。恐らく、課題が提出されていない人に向けて。

 その作業も終わり、彼はタブレットをスリープさせテーブルに置くと、鞄の中から本を取り出した。白い革のブックカバーと木製の栞で装飾されている文庫本。

 

 彼は読書家だった。それも重度の。一年で読む本の冊数は100を下らないだろう。

 

『君がトレーニングを行い、その過程でタンパク質が筋肉に変換される。それと同じように、本から得た言葉は知識に変換されて君の血肉になる。そして、その知識は決して衰える事がない。

 本のない部屋というのは、魂のない肉体のようなものだ、なんて言う人もいる。健全な体に健全な魂が宿るなら、偶には本を読んで知識をつけるのもいいと思うな……』

 

 彼はアドマイヤベガにそう言って、本を差し出した。それがきっかけになったのか、彼女は本を嗜んでいる。元凶になった彼ほどではないが、月に一冊のペースで活字に触れている。元々、静寂を好むのがアドマイヤベガだ。自分の世界に篭ることができる読書とは相性が良かったのかもしれない。

 

「何を読んでいるの?」

「人間失格だよ」

「あぁ、太宰治の……好きなの?」

「そうだね……お気に入りの作家の1人かな。太宰が書く退廃の美に、ぼくは惹かれているんだと思う」

 

 雨音、靴底がリノリウムを叩く音、紙を捲る音。そして、一定のリズムの呼吸音が2つ。活字に目を落とす彼と、彼に身を寄せるアドマイヤベガ。慌ただしく、騒がしいトレセン学園に存在する一つの静寂。

 その静寂を破ったのは、他でもないアドマイヤベガだった。

 

「今から言うのは独り言だから、気にしないで」

 

 彼に宛てた、独り言。

 

「私はあの子の為に走ってきた。あの子の分まで走らなきゃいけなかった。勿論、今でもその気持ちは変わってないわ。これまでも、これからも、あの子と二人三脚で走っていく。でも……」

 

 アドマイヤベガはちらりと彼を見ると、本をデスクに置いて声に耳を傾けていた。

 

「今は自分のためにも走れるし、貴方のためにも走れるようになった。それが出来る様になったのは、貴方がきっかけ。一緒に星を見つめてくれる貴方が隣に立ってくれたから、私はこの3年間を駆け抜けられた」

 

 他のウマ娘と比べてもずいぶん面倒で頑なで、不器用だとアドマイヤベガ自身も自覚している。そんな自分に根気よく付き合ってくれている彼には感謝しかない。

 

「瞼を閉じると鮮明に浮かぶ、あの日々。たくさんのレースを駆け抜けて、勝利も敗北も栄光も挫折も後悔も味わった。いつしか貴方が隣にいることが当たり前になって、それを何処か嬉しく思う私がいたの」

 

「私のレースは3年で終わる予定だった。体が耐えきれない筈だった。でも、今、タイムリミットを超過しても走れている。貴方は私に本来無かったはずの道を与えてくれたの。貴方のおかげで、今も夢の続きを見ていられる」

 

「だから、ありがとう。私のアルタイル。願わくば、ずっと一緒に」

 

 アドマイヤベガは一等星のような笑顔を浮かべた。

 

 

 ▼

 

 

 自室のベッドに寝転びながら、アドマイヤベガは今日の会話を思いかえす。

 

 いつもより沢山お話しができた。いつもより近づけた。あの静かさが愛しくて、一線を踏み越える勇気をもらえた。

 

 七夕というイベントを使って、ずっと言いたかった感謝も伝えられた。

 

 そして──────。

 

「……っ!」

 

 思い返すだけでも顔が赤くなる。私だけのアルタイルなんて言ってしまった。

 流石にキザすぎないか、とか。後々黒歴史になりそう、とか。そう言った自制心が丸ごと吹き飛んだ末、口から零れた言葉が『私だけのアルタイル』だった。

 

 この告白は確実に勘違いが起こらないだろう。アルタイルとベガ……彦星と織姫の関係性、七夕という日付け……そして、それをアドマイヤベガたる自分が言うのだ。この告白を取り違えるなんて万一もあり得ないだろう。

 

 この関係性から、先へ。変化は少し怖いけれど、それも貴方がいるなら大丈夫。ベガ(わたし)を見上げてくれるアルタイル(あなた)がいるなら、どこへだって飛べる。だって、たとえ遠く離れたとしても……繋いだ心だけは結ばれているから。

 

 ──────勿論、遠く離れるつもりなんて全くないけども。

 

 スマートフォンを取り出し、スリープを解除させる。ロック画面とホーム画面には彼とアドマイヤベガのツーショット。写真フォルダには彼と一緒に撮った写真が山ほどあるが、その中でも一番のお気に入りがこの写真……有マ記念で1着を取ったときのツーショット。悲願を達成した2人の笑顔が画面一杯に写っている。

 

 それを愛しそうに撫でながら、アドマイヤベガは呟いた。

 

「私だけの、アルタイル……」

 

 アドマイヤベガは最愛たるトレーナーに思いを馳せた。

 

 

 ▼

 

 

「私のアルタイル、か……」

 

 アドマイヤベガがトレーナー室を去ってから暫く経った後、デスク作業が終わった彼はアドマイヤベガから送られた言葉を反芻した。

 

「相変わらずロマンチストだね、君は。なるほど、『月が綺麗ですね』を君なりに解釈するとそうなるんだね」

 

 愛おしそうに微笑む彼は、その表情のままPCをシャットダウンさせた。

 

「でも……」

 

 彼は少し考えて。

 

「言う相手を間違えているのかな……?」

 

 このトレーナーはクソボケだった。愛らしく、それでいて数年後に黒歴史になりそうな告白をしてきたアドマイヤベガにこの対応をしてしまうレベルには鈍感であった。

 

「ぼくと彼女は教師と生徒の関係だし、年齢も5歳くらい違うしなぁ」

 

 思い入れ? 勿論あるとも。初めて担当して、3年間を共に歩んできた仲だ。情もあるし、依怙贔屓だってしたくなる。信頼も信用もしているし、ベガのためなら大半のことはやってしまうだろう。

 

 だが、悲しきかな──────彼が抱いている感情は恋情ではなく親愛であった。

 

 つまり、彼は教師として彼女を尊重し、大切に思っているだけであった。健全かつ模範たる関係性であるが、アドマイヤベガの内心を思うと不憫で仕方がない。

 

「うーん……もしかして、好きな人でもいるのかな……?」

 

 お前だよ気づけ。

 

 ──────しかし彼が気づく事はない。かれはアドマイヤベガの性質や性格、傾向を考慮し、プライベートに殆ど干渉してこなかった。

 

 故に、そのプライベートで好きな人や気になる人ができたのではないかと見当違いな考察をしている。少しでも彼女の私生活を知っているならば出てこない考えだった。

 

「だとすると、ぼくはその告白の実験台にされたのかな……その告白伝わり難いよって、それとなく言うべきか否か……」

 

 最愛の人にした告白を、当の本人からダメ出しされるとか死にたくなるからやめていただきたい。

 

「あぁ、今度聞いてみようかな。あの言葉の、本当の宛先」

 

 本当に可哀想だからやめろ。

 

 

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