いつきは、見ていた。魔術により生み出された炎を。揺らめく業火に悲鳴を上げる大気を、眼帯に覆われた右目が見ていた。
例え手で右目を押さえても、瞳は手を透かし魔術や神秘を彼に見せる。魔術をろくに知らない少年の脳髄を焼き尽くすように、魔術の深淵を覗かせる。
だが、いつきは見ているだけでなく、その魔術の軌道を予測することも可能にしていた。
眼帯の上からでは、精度や予測の質は格段に落ちる。それを差し引いても、いつきは指を差し、咄嗟に叫んだ。
「盾を!」
「っ!」
いつきが指差した一角を目掛け、オルトヴィーンはルーンの刻まれた小石を投擲し、口早に呪文を紡ぐ。
「汝はヘラジカ。汝は角。汝は庇護。されば守れ、アルギス」
紅蓮の炎が疾駆するよりも僅か先にオルトヴィーンの魔術が盾を完成させる。その時を見計らったように炎が盾とぶつかり、二人に傷を与える事なく、炎は治まったが、叩きつけて来る膨大な熱量にいつきは身を震わせた。
もし、あれが当たっていれば、消し炭だ。それどころか、原型を保っていたらいい方である。
恐怖からくる震えを落ち着かせようといつきは深呼吸をする。
だが、その恐怖を跡形もなく消し飛ばす光景を、眼帯に覆われた右目が少年に見せつける。
「…………ぁあ」
その光景を正常にいつきが認識した途端、震えも恐怖も無くなった。変わりに、身を焼き尽くす感情が少年の中に渦巻いた。
神代の魔眼は、目の前の魔術師を透かし、彼が隠していたモノを捉える。それは、純白と言ってもよい少女だった。真っ白な法衣に身を包みうつ伏せに冷たいコンクリートの床に倒れていた。
倒れて、血を流していた。背中を鋭利な刃物で切り裂かれ、治療を今すぐにしなければ、死んでしまう事が容易に想像できる。
「あなた、その子……」
上擦った声で、いつきは問う。
「そんなになるまで、あなたが傷つけたんですか?」
あまりの痛々しさに舌も絡まりちゃんと発音できたのか怪しい。だが、それでもいつきが何を言いたいのか察した炎の魔術師は、苦々しい表情で舌打ちする。
「答える筋合いはないね。ただ僕が傷つけてないのは、確かだ」
「んな事どうでもいい。〈アストラル〉として、テメェをぶん殴って持って来やがった厄介ごとを潰せばいいんだろ?」
なんの悪びれもなく淡々と事を説明する魔術師の前に今度はオルトヴィーンが立ちはだかる。いつきは痛みを堪える表情で一歩下がると、眼球に指が食い込むんじゃないかと疑うほど手で眼帯を押さえつけた。
そして、いつきの口からたどたどしいが、はっきりと言葉が紡がれた。
「左斜め二十四度、氷のルーン」
強制力もないただの声。しかしそれは、確かに魔法の声だった。
力強さもない少年の声に、オルトヴィーンの指と意識は応えた。疑いなど最初からどこにもなく、彼自身も驚くほど素早く、ルーンを放つ。
「汝は氷。汝は凍結。汝は停滞。――――されば阻め、イーサ!」
その時、驚く現象が起きた。
まるで、炎と氷がお互いに引き合うように、衝突し、相反する呪力により弾け、その衝撃でオルトヴィーンも後退する。
だが魔術が引き合いを起こす事はあり得ない。この結果は、神代の魔術師が行使した魔眼による作用だ。いつきが先読みをし、オルトヴィーンがそれに合わせ、炎を退けた。
魔術の常識が通用しない隙を突き、オルトヴィーンが吠える。
「汝は嵐! 汝は雹! 汝は災い! ――――されば、食らえハガラズ!」
「だめだオルトくん!!」
全てを腐敗に導く死の嵐。魔術を放つと同時にいつきの静止が入るも、間に合わない。
そして、精度は格段に低いがいつきの右目は、それからの光景を、未来におけるこの場面を、はっきりと捉えてしまった。
「――――
いつきとオルトヴィーンをただの炎では成しえない、重圧を纏った熱が押し寄せる。
「がはっ!」
魔術師に放った死の黒い嵐が、それ以上の暴力に蹂躙された瞬間、オルトヴィーンが膝を付き倒れた。
無理もない。放った呪力が跳ね返され、返し風に近い効果が襲ったのだ。
今の彼には、立ち上がることは出来ても、魔術を後二発放つ事が出来れば御の字である。
そんな危機の中、無慈悲な王が、二人の前に姿を現す。
魔術の残滓と呪力の混じった水蒸気の厚いヴェールを押しのけ、圧倒的な存在が形を見せた。人が頭から重油を被り火を放てば、このような形になるのかも知れない。
それには、頭もあれば目のように輝く所もあった。そして手に炎で作られた十字架を携え、哀れな子羊を冷たく見下ろす。
「う……わぁ」
出せた声も小さなうめき声でしかない。
この魔女狩りの王にしてみれば、いつきなどどれほどちっぽけな存在か。ただ前に居ると言うだけなのに、魂そのものまで跡形もなく燃やされて、消えてしまいそうになる。
圧倒的な力。故に炎の魔術師も、どこか疲弊した声で名を名乗った。
「これを出してしまったからには、名乗らなければならない。イギリス清教〈
「くっそ。ここに来て本気って訳かよ!」
オルトヴィーンも苦しそうに肩で呼吸をしながら悪態をつく。
魔術師が魔法名を名乗る。それは、これから起こることが本気の殺し合いである証拠。ここからは一切の慈悲も無くあるのは紅蓮の殺意。
「イノケンティウスの意味は、必ず殺す。そうだ。だから君たちには死んでもらおう」
法皇級の魔術を目の前にしても、いつきに眼に諦めていなかった。確かに圧倒された。確かに、一度は抵抗の意が削がれかけた。だが、視界の端でオルトヴィーンがこっそり忍ばせたルーンにいつきも最後に目にものを見せてやろうと言う気が沸いたのだ。
だが、その魔術を行使するには、オルトヴィーンの呪力が足りない。だからこそ、いつきの眼が必要になる。
呪力を呪力のまま導く、その力が。
言葉はいらない。今までもそうしてきたのだから。ただ、意識して行使するのは、これがきっと初めてになる。しかし恐怖はない。
「っは! 窮鼠だからって舐めんなよ! 汝は始まり。汝は導く船。汝は輝ける松明。――――されば爆ぜろ、ケイナズ!」
唱えられた詠唱にステイルは、イノケンティウスを盾にする。
しかし、幾ら身構えても何の衝撃もなく、ステイルにしてみれば肩透かしを食らった。魔術師としてこの土壇場で魔法の不発なのだ。
思わず嘲笑する。
「なんだ〈アストラル〉と言うのは、その程度か!」
主の感情の発露に応え、イノケンティウスはその腕を振り上げる。女性の腰ほどある腕回り。凶悪な腕から振り下ろされるは、十字架。
だが、その勢いを横から邪魔するように学生寮全体が揺れる。
見れば、寮の一角から火の手が上がっていた。どうやら爆発が起きたらしい。
「あそこは!」
それ以上にステイルは、爆発が起こった場所に目を剥いた。なぜならあそこには、イノケンティウスを顕現させる核となるルーンを書いた紙を大量に散らばせていた所なのだから。
見ればオルトヴィーンは、悪戯が成功した悪ガキのような顔で笑い、イノケンティウスは悶えながらその形を崩して行く。崩壊する王の姿にステイルも思わず叫んだ。
「イノケンティウス! 今すぐそいつらを消せ!」
呪力の誘導で疲弊したいつきには、最早足掻くだけの体力も残されていない。オルトヴィーンも最後の力で放った魔術で立ち上がることも出来ないでいる。
炎の十字架を避けることもままならない二人に、それが振り下ろす。
死を覚悟した瞬間、誰かがいつきの横を駆け抜け、その右腕を突き出した。黒くツンツンとした特徴的な髪形に何の特徴もない制服を着た少年。
その後ろ姿をいつきは知っている。いや、今日であったばかりの人物だった。
「上条くん!」
反射的に叫ぶ。この炎の魔人にとってみれば人体など障害にもなりえない。それが崩壊しかけていたとしても、その身に宿す数千度の熱量は失われていないのだから。
だからそこ、目の前の光景にいつきも言葉を無くした。
「どこの誰だか知らねえけど、人の友達に何してんだよ!?」
あり得ない。
彼は燃え尽きることもなく普通に生きていた。突き出した右腕に触れた十字架は、幻想だったように消え失せ、イノケンティウス本体もついには形を保つ事も出来ずに崩壊した。
魔術結社の首領で、未だに魔術や魔法に疎いいつきでも分かりきった異常で、誰にでも理解できない異常な光景。
イノケンティウスが崩壊したのは理解できる。何故なら、それを構築していたルーンの全てをオルトヴィーンのケイナズで消し飛ばしたのだから。だが、ただの少年である上条が炎の十字架を消したことが理解不能なのだ。
魔術なら全てを見抜く瞳でも、目の前の少年の異常を看破できなかった。つまり魔法や魔術の類ではないということ。
あまりの異常性にステイル=マグヌスも呆然と立ち尽くす。
「な、何をした!? イノケンティウスは確かに崩壊していたが、ただの人間に消せるものじゃない。まさか超能力! くっそ、炎よ!」
イレギュラーの登場であっても、摩訶不思議な事態が起きても彼は迅速に魔法を構築する。この判断力こそ先ほど、相殺され視界も塞がれ直、イノケンティウスを召喚した手腕だ。悩みもせず最適を振りかざす力でここまで生き残ってきたと言っても言いだろう。
しかし、それだけ生きてはいけないのも事実だ。
「フォルネウス!」
僅かな隙を突いて、巨大なギンザメがステイルに食い掛かる。
彼が反撃をするより早く、ギンザメは噛み砕く手前で止まった。そして捉えた獲物を自慢するように高々とステイルを持ち上げる。
それを指示した人物は、そっとコンクリートの床に舞い降りた。
「全く。感心できませんわよイツキ。手を抜くなんて貴方らしくない」
ため息とともに、一人の魔女が漆黒のドレスを翻し振り向く。その顔には優雅な微笑を湛えていたがいつきには、死の宣告をする悪魔にも見えた。
「えっと、アディリシアさん?」
「もっと感心できないのは、
どこからともなく現れたアディリシアに困惑する上条。それを一瞥するだけで、彼を無視し、捉えたステイルを下から睨み付ける。
「そして、〈必要悪の教会〉ならご存知でしょう? 〈ゲーティア〉の首領である私、アディリシア・レン・メイザースが〈アストラル〉の大株主である事は。その〈アストラル〉に手を出して私がただ見ているとでも?」
煮えたぎる怒りを氷結させた声音に誰もがその場で身をこわばらせる。
「僕の知ったことじゃないね。そもそも僕らの事情に首を突っ込んできたのはそちらが先だろ」
「あら、面白いことを仰いますのね。そもそも私たちが依頼された学園都市の魔術的事件や、侵入してきた魔法使いの排除。それに引っ掛かる行動をしたのは、貴方でしょう? どちらが首を突っ込んで来たのかご理解していただけました?」
優美な立ち振る舞い中に見え隠れする怒りにいつきとオルトヴィーンはゆっくり後退りし、上条だけが間抜けな顔でその一連のやり取りを見ていた。
そして首をかしげながらいつきに尋ねる。
「なぁ、アディリシアさんは誰と話してるんだ?」
「えっと、君には見えないの?」
「アディリシアさんが何かに向かって話してるのなら見えてるけど」
思わずいつきは苦笑いをしてしまった。
魔術師や魔法使いでもない限り、霊的な生命体は見えない。その霊的存在に触れた時点で触れた人物の目視は不可能になる。上条にはステイルが急に消えてアディリシアが現れたように見えたのだろう。
魔術を知らない彼に話した所でどこまで信じられるか分からない。それに魔術などという歪みを教えてしまっても良いものなのだろうか。
「アディ! 早よこの子を屋敷に連れて治療せんと!!」
思考の隙間に割り込む穂波の叫び声に、いつきも顔を跳ね上げる。見れば、通路の奥に純白のシスターが血染めで倒れていた。
無残で大きな背中の切り傷を思い出し、いつきは駆け出す。穂波の後ろから覗き込み、後悔した。
「うっ……」
吐き出すことをギリギリで堪え、一歩下がる。全く血の気のない少女の顔色、投げ出すようにして力の入らない四肢は、痛々しかった。
「いっちゃん。震えても誰も文句言わんよ。泣いても誰も責めん」
「うん。でも、目を背けちゃいけないんだ。早く連れて行ってあげよう」
「インデックス!? な、どうしたんだ!」
事情が分からず右往左往していた上条当麻は、今朝であったばかりの少女の、その元気な姿とは掛け離れた今の姿にすぐさま駆け寄ろうとして、
「お待ちなさい」
アディリシアに止められた。
通路を塞ぎ、立ちはだかる彼女を押しのける事をせず、手前で上条は止まった。
「なんだよ。通してくれ! 知り合いがあんな怪我してんだぞ!?」
「そうですわね。ですが、ここからは貴方が係っていい問題ではありません。見たところ魔術や魔法に関係のある者ではないのでしょう」
静かに押しとめる彼女に上条は苛立った声で答えた。
「それがなんだよ。魔術だとか魔法だとか、俺が心配してんのはインデックスだ! そのアイツに駆け寄っちゃいけねえのかよ!」
「確かに、彼女自身がただの一般人であれば止めはしません。ですが彼女は魔術に組する者。科学の者と関わりができ、それが魔術サイドと科学サイドの間に溝ができる可能性がありますわ。そして戦争になって貴方は責任を取れますの? 戦争に発展すれば、ただ関係を切る程度で溝は埋まったりしません。本来であれば生まれるはずのない憎しみを作ることにもなります。全ての可能性を考慮して、貴方は彼女の元に行かれますか?」
そう言ってアディリシアは、そっと道の端に移動する。
ありとあらゆる可能性の一欠けら。それを示されただけで上条の歩みを、足を踏み出すことに戸惑ってしまった。実際、アディリシアの言ったことを半分も理解していない。だが、戦争だとか魔術サイドと言う漠然とした単語が、上条に漠然と形のはっきりしない恐怖を植え付ける。
「でも、それでも俺は……」
石から水を絞り出すように、無理やり恐怖を押しのけ、上条は震える声で宣言した。誰よりもまっすぐな声で。
「インデックスの味方であり続けるって決めたんだ! 絶対に地獄の底に連れて行かないって!」
全てを振り切る勢いで上条は、インデックスの元に駆け寄った。
話を聞いていた穂波は、一瞬アディリシアに死線を向けた程度で、何も言わず黙々とインデックスの応急措置を続行させる。
「フォルネウス、それを放しなさい」
フォルネウスは逆らうことなく、今まで噛み砕く一歩手前で留めていたステイルを放す。それはゆっくりとしたものではなく、それなりの高さからステイルを落とした。
「げほっ! なんだい。聞かれた所で僕が口を割るとでも?」
「ご心配なく。我がソロモン王の悪魔には、強制的に口を割らせる魔神くらい居ますわ。いざとなれば死体と話ができますので」
美と言う概念の頂点に君臨するソロモンの末裔は、微笑を崩さず言い放つ。多様性に特化し、万能とも言うべき魔神を駆使する〈ゲーティア〉の首領だ。恐らくステイルが事実を話さなくとも、きっと彼女たちはステイルの知るところまで知るだろう。
だからと言ってステイルは、自ら口を割る事をしない。敵に捕まって拷問されるのは、予測済みだ。
「言わないのでしたら、構いません。少々窮屈な思いをするでしょうが、我が屋敷で寛いでくださいな。客人用のもて成しは出来ませんが」
「それなら、彼女は客人扱いになるのかい? 君たち教会側から見れば彼女も厄介ごとの種だろう」
隙間をつくようにしてステイルは、アディリシアを責め立てる。ここでインデックスを厚くもて成せば、学園都市とも円滑な関係が築けない恐れがあるのだ。なにせインデックスは学園都市に不法侵入をした魔術サイドの人間。上層部が歓迎するはずがない。
だが、アディリシアは見事にステイルの期待を裏切ってみせた。
「残念ですが、彼女とはかなり前から友人ですの。〈ゲーティア〉が公開しなかった魔術書を提供する時に本家にいらして。もう七、八年前ですけど」
「な!? だからと言って共にいた時間も短いうえに、七年ほども前のことだ! そんな理由で学園都市が彼女を長期滞在させるはずがない。直ぐに外に放り出されるのがオチさ!」
「そうなっても、外にある私の〈ゲーティア〉の支社が彼女を保護するでしょうね? 理由を語らず無差別に攻撃してきた貴方は、きっと取調べ等で長期滞在が決定事項ですが」
綺麗な花には毒がある。それを思わせる彼女の言葉と行動に、ステイルは打ちひしがれそうになる。彼が思う通りインデックスは、不法侵入であるがそれは偶然の産物であるからちょっと調べたら外に出される。彼は故意的な侵入だ。調べ尽くし、洗いざらい吐くまで学園都市に幽閉されるであろう。
インデックスの保護は無駄と言う牽制が、自分にこうして帰ってくるとは夢にも思わなかった。
「早く出たいのであれば、目的と仲間の人数を早く言う事ですわね。私の友人をあんな風にして、怒っているのは、同じなのですから。フォルネウス、また捕まえておきなさい」
ステイルを放した後、いつでも噛みつけるように近くを漂っていたフォルネウスは、人間の反射速度を超えてステイルに食らいつく。死なない程度に噛みつくが、ステイルは骨が軋むのを感じた。
「それでは、歓迎しますわ。我が屋敷へ」
「くっそ! こんな所で!」
しかし、それ以上の悔恨の言葉をアディリシア・レン・メイザースは許さなかった。
次の瞬間には、ステイルの視界は暗転する。如何に魔術師であろうとも、ソロモン王の魔神には敵わなかった様だ。
夏の太陽が沈んだ頃、学園都市の豪邸に二台の黒塗りの車が正門を潜り、大きな玄関の前で車の扉が慌ただしく開く。
切羽詰まった雰囲気が一気に屋敷全体に広がった。その中でも、〈ゲーティア〉の徒弟たちは厳重に運ばれてくるステイルの存在に緊張の糸が張り詰める。
複数人の魔法使いがソロモンの護符魔術でステイルを更に拘束し、運んで行く。
それと入れ違いになるように、黒白の麗人が屋敷から出てきて、アディリシアに必要最小限の言葉で状況を伝えた。
「アディリシア様。既に準備は整っています」
「有り難うダフネ。これで、何の気兼ねもなく魔術の行使が可能ですわ。ホナミ、貴女のケルト魔術に必要な物は既に出してあります。インデックスをよろしくお願いします」
「それはええけど、アディは何を」
ダフネを伴いながら屋敷の奥へ行こうとするアディリシアを穂波の声が呼び止めた。しかし振り返ることなくアディリシアは淡々と答える。
「今からあの〈必要悪の教会〉の魔術師を拷問します。と言ってもボーティスを使うので直ぐに終わるでしょうけど」
それだけ言うと止める暇なくアディリシアは屋敷の奥へ行ってしまった。少しだけ追いかけたい衝動に駆られた穂波だが、親友から頼まれた少女の事を思い、別の方に足を向ける。
〈ゲーティア〉の雇うメイドが既にインデックスを運んでくれた一室だ。
いつきは、結局ついて来てしまった上条を伴い、別の個室に入る。その手前でいつきが穂波にそっと呼び掛けた。
「頑張ってね。その、応援してるから」
「任しとき。社長は上条君のことよろしゅうね。もしかしたら、一番重要な仕事なんやから」
魔法の魔の字も知らない一般人に、魔術とは何たるかを教えなければならない。本来なら、教えずに記憶を一部改編して日常に戻すことがベストなのだが、何故かしら魔術の類が一切効かない上条に、〈アストラル〉のメンバーが折れて事情を話す事を決定したのだ。
その事で、いつきの隣でオルトヴィーンは、小さくため息をついた。
「これからの学園都市生活が思いやられるぞ」
その言葉は、静かに三人の胸の内にへばり付く。頭の端で感じていた騒乱の予感。たった一言で不安を浮き彫りにしてしまった。
「それを含めて、明日詳しく話そう。折角の夏休みなんだし」
「そやね。それじゃもう行くわ」
それだけを言って穂波は、準備された部屋へ入る。その真ん中で一人の少女が寝かされていた。
背中に切り傷がある為にうつ伏せにされた少女を見て穂波は、表情を歪めた。痕が一生残るであろう、その背中。小さな少女が背負うには、あまりにも不釣合いなものだ。
「取り敢えず、早よ傷を塞がんと」
気を取り直すように独り言を呟く穂波に、透明で感情を返さない声が出迎えた。
「それでしたら、早急にお願いします」
「え……?」
用意してくれたパナケアなどを取ろうとした穂波は、唖然とした。
何故ならば、発せられた声が傷を負った少女だからだ。何故ならば少女は既に上半身を起こしていたからだ。
少女は、傷に顔を顰めることもなければ、泣き叫ぶこともない。ただ動きが少しばかりぎこちない程度。だが致命傷を負ったならば、そもそも動くことさへ出来ないはずである。それ以上に、少女の発する雰囲気の不気味さに穂波は自然と後退した。
「アンタ、何者や?」
「イギリス清教第零聖堂区〈
まるで教本を朗読するように、言葉に詰まることもなく、ただ淡々と話す彼女に穂波は肩透かしを食らった。
「そして生命維持が困難になっているので、早急に治療をお願いします」
「え、うん。分かった」
催促されるまま、穂波は治療を開始する。しかし、その間彼女の頭の中で何かが引っ掛っていた。
それは、彼女が言った『Index-Librorum-prohibitorum』という言葉だ。穂波の記憶の奥で微かに潮騒のように騒めきながら警告を鳴らす。確かそれは、危険なモノだと。
「それでは、お教え願いましょうか。インデックスの役割について」
「ふん」
いきなり確信に触れるアディリシアの問いに炎の魔術師、ステイル=マグヌスも閉口する。なにも言う事はないと体で体言し、そのままそっぽを向く。
「貴方が話そうが話すまいが、私には何の問題がない事について理解はしているでしょう?」
脅す訳ではないがアディリシアは、その手に真鍮の壺取る。ソロモンの魔神を召喚する際に使う道具だ。
「私は幼少の頃、あの子と出会い友になりましたわ。ある時を境に手紙を送っても何の連絡も取れなくなりましたけど。そうですわね。丁度、こんな暑い夏の時期で」
「だから、何だと言うんだ? そんな事僕には関係のない事だ」
「えぇそうでしょう。お父様には、送っても意味がないと言われ、詮索もするなと何度も言われましたわ。気になって調べてもなんの手掛かりも無く、諦めましたけど。今になって、思い出したことがあるのです」
オペラの舞台のように美しい声が空間に響く。だがそこは、観客もいなければ華々しい舞台でもない。そこは、ただ薄暗い物置よりも一回り広い地下空間。窓もなく、ねっとりとした呪力の籠った空気が支配した場所だった。
「インデックスの正式名所とでも言うのでしょうか、『Index-Librorum-prohibitorum』と言うのは。魔道図書館。一体貴方たちは、あの小さな子に何を押し付けたと言うのですか!?」
それは、彼女が少女と過ごした短い間に、インデックスという少女が口にした言葉。
当時のアディリシアでは、何の理解も出来なかった言葉と意味。
しかし、今になってその言葉の意味と、重要性を彼女は理解していた。血脈思想で血の積み重ねで魔法使いとしての器が決まる世界であっても、協会の中で屈指の歴史を司る〈ゲーティア〉の首領だ。例え敵対関係に発展する事が多い〈必要悪の教会〉の情報なら、ある程度は得ている。
その中にとある記述があったのだ。
「完全記憶能力を持つ人間に、危険な魔道書を記憶させた人型の図書館製造。言いなさい! インデックスに何をしたのです!!」
怒りに震えた声に、ついにステイルも口を開く。
「そこまで、知っているならもう分かっているだろう? 僕ら〈必要悪の教会〉があの子にしてきたことが、彼女が辿ってきた苦痛の日々が!! それが想像も出来ないモノだとお前は、既に分かっているんだろう!?」
自嘲的に、感情的にステイルは吐き出した。
その目には、後悔と苦痛を堪えるものが見え隠れする。そして、やり場のない怒りが大きく渦巻いていた。
答えを言わない、若しくは言いたくないのだろう。ただただ辛そうに唇を噛み締めるステイルにアディリシアは希望が打ち砕かれた。
いや、元々魔術師や魔法使いに良心的な行為を希望する事が間違いなのだ。彼ら彼女らは、魔術と言う狭い世界に拘り、それ以外になんの興味も示さない。
魔術や魔法の探究のためなら、家族、友人、恋人。それらを生贄や対価として差し出す輩も少なくない。
だからこそ、アディリシアは認めたく無かった。
「来たれボーティス。六十の軍団を支配する叡智ある伯爵」
この度は久しぶりの投稿となりました。
なぜ、インデックスとアディリシアを友人設定にしたのかと言うと
原作でインデックスさんの魔道書知識の中にまさかのレメゲント、ソロモンの小さな鍵の知識があったからです。レンタルマギカの設定というか、秘蔵の魔術書をそんな簡単に見るだなんて。
普通なら本当に無理ですね。なのでこんな設定になりました。