タキオンが元トレーナーのために孤島の学園で謎を解く 作:首狩兎計画
リンリンと、どこからか鈴の音が聞こえてくる。
本当にどこかで鳴っているのか、それとも季節のせいでなんとなく聞こえた気になっている幻聴なのか。
どちらにせよ、トレーナーはその涼やかな音に耳を澄ませて、思う。
——クリスマスだ、と。
時は十二月二十四日。
世間はクリスマスイブに湧いている。
けれど、トレーナーは静かに、暖房器具で暖められた部屋のソファに座っていた。
クリスマスよりもクリスマスイブに重きを置いているのは、日本人のお国柄だろうか。
そんな風に余所事を考えることで、トレーナーはいつも通りの表情を貫いていた。
トレーナーの対面に座るのは、担当ウマ娘であるアグネスタキオン。
普段は溌剌とした様子の彼女が、今日はなにやらぐったりと疲れ切ったようにソファに身を任せている。
タキオンの様子がおかしい、とわかっているからこそ、トレーナーはあえて、普段通りを演出しようとしているのだ。
それでも、声をかけることは躊躇われて。
トレーナーは、ただただ、タキオンを見守ることしかできない。
もっとベテランのトレーナーであれば、こんなにも様子の違う彼女になにか気の利いた言葉をかけられるのだろうか?
思い悩んでも、未熟な自身の立場は変えようもない。
ほんの、数日だった。
ほんの数日の間、タキオンは同じチームメンバーである、エアシャカール、テイエムオペラオーとともに、ある孤島に訪れていた。
複雑な思いがありながらも、どこか期待した様子で旅立つのを見送ったのは、数日前のこと。
まさか短期間で、彼女がこんなにも疲れ切るとは……弱り切るとは、思ってもみなかった。
——大丈夫か、なんて。
聞くわけにはいかなかった。
常とは違う様子のタキオンを、疲れさせるような質問など。
どうみても大丈夫ではない彼女が、カラ元気で大丈夫だと言ってしまうようなことがあれば。
大丈夫であるために無理をしなければならない、なんて思ってしまったら。
きっと彼女は大丈夫であるフリなんて、簡単にできてしまうのだろう。
追い詰めることにもなりかねない言葉を万が一にも吐きださないように、トレーナーはグッと唇を引き結んだ。
察しのいいタキオンのこと。
きっと、気が付いていることだろう。
トレーナーが唇を引き結んだ理由にも、何も聞いてこない理由にも。
珍しく、頼りなさげな視線がトレーナーを一瞥して、そして雪のように溶けてしまいそうな、儚い微笑みがその顔に浮かんだ。
ぞくり、とトレーナーは寒さではないナニかに背が粟立つのを感じた。
そんな顔は見たくない、と思ったのだ。
普段はなんだかんだ振り回されるし、モルモットだなんて呼ばれるし。
そして、その呼称に見合うほどに実験にも付き合わされているし。
トレーナーとタキオンは、決して対等な関係ではないように思われているけれど、それでも築き上げてきた、絆がある。
——らしくない。
不意に、トレーナーの口を突くように言葉が出てきた。
相対するタキオンは、驚いたように目を見開いた。
気を遣って見守るだけだと思っていたトレーナーが声を発したことになのか、それとも言葉の内容になのかはわからないけれど。
長く時間を過ごしてきたトレーナーには、わかった。
タキオンの常とは違う、自信を感じられない微笑みの原因は、彼女の抱える不安だと。
なにが不安なのかは、さすがにわからないけれど。
タキオンは息を吐いた。
細く、長い息だ。
溜息と呼ぶには軽すぎるけれど、ただの呼吸と処理するのは重すぎる。
肺の中が空になったのではないだろうか、と思うほどおもいきり息を吐いたあと、彼女はゆったりと目線をトレーナーへと向けた。
先ほどまでのらしくない彼女は消え去って、トレーナーに向けられた目には、いつものタチの悪い実験に付き合わせようとする時の狂気が見え隠れしている。
かちん、とスイッチが切り替わるような音が聞こえた気がして、自然、トレーナーの背筋もまっすぐに伸びる。
タキオンはなにか、真剣な話をしようとしているのだ。
その空気感を読み取って緊張したトレーナーに気付いたように、タキオンはクスリと笑う。
「君がそんなに怯える必要はないよ。話を聞いたあと、君が私をどう思うかは知らないけれど」
どういうことか、と聞こうとした。
口を開いたトレーナーを遮るように、タキオンは「結論から言えば」と強引に話を進めてしまう。
「私は、この事件にかかわるべきではなかったのだよ」
ほんの僅かに、タキオンの唇が歪む。
まるで笑みを象ったようなその表情が、けれどトレーナーにはどうにも、自嘲の笑みに見えて仕方がない。
「私だって、まだ昇華しきれてはいない。後悔も、憤りも、喪失感も……罪悪感だって。色んな感情をまだ、ここに抱えている状態で話している」
とん、とタキオンの手が触れたのは、彼女の胸元だ。
タキオンは、どこかゆったりとした所作でポットにお湯を注いで、紅茶の用意をはじめた。
話し出すためには勇気がいるのだろうと察したトレーナーは、口を閉ざしたまま静かにタキオンの準備が整うのを待った。
待つことしばし。
タキオンとトレーナーの前に、湯気の立ち上るティーカップが置かれた。
暖かな室内で、それでもモクモクと立ち上る湯気に、そのティーカップを満たす紅茶の温度が察せられる。
早く帰ってほしい相手にはぬるいお茶を。
長く話したい相手には熱々のお茶を。
——なんて話が頭をよぎる。
凝り性の彼女のことだ、なんの意味もなく熱々のお茶を淹れたわけではないだろう。
「君に、私の話を聞く覚悟があるかい?」
トレーナーは、クスリと笑った。
やはり、熱々の紅茶は、覚悟を試すためのものだったようだ。
どのような内容であれ、自分の大切な担当ウマ娘の、アグネスタキオンの話だ。
聞かないという選択肢は、トレーナーの中には存在していなかった。
トレーナーは、無言のまま、差し出されていたティーカップに手を伸ばした。
受け取ることこそが、彼女の問いかけへの返答だ。
一瞬、指先同士が軽く触れ合う。
カップ越しの紅茶とは違う、優しく穏やかな温もりが指に残った。
すぐに飲めない温度ながら、せっかく手渡されたそれをそのままテーブルに戻すことは躊躇われて、トレーナーは飲み口にそっと唇を寄せた。
お世辞にも飲んだとは言えない、舐めたと言っても語弊がありそうな程度だけ口を付けて、そのままティーカップをテーブルに置いたトレーナーを確認して、タキオンはひとつ、頷いた。
その顔に浮かぶのは、いつも通りの笑顔。
どこか狂気的な、彼女らしい笑みを浮かべて、彼女はいつものセリフで切り出した。
「さぁ、実験をはじめようか」
外では、雪が降りはじめたようだ。
ホワイトクリスマス、なんてロマンティックな状況の中、タキオンの口からはロマンティックとは程遠い、彼女の物語が語られる。