神のみぞ知る碁   作:カトタンバ

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FLAG.EX2 第二回北斗杯(後編)

 

──翌日──

 

 

 

「あの高永夏とかいう奴はまさにチート級の怪物だな」

 

 桂馬はいつも通りゲームをしつつも眉間に皺を寄せている。私も同じ気持ちだった。

 

「気に入らないけど、それは認めざるを得ないわね……」

 

 数ヵ月前、高永夏は十代にして"国手"というタイトルを獲得していた。

 国手とは元来、「国で一番の打ち手」という意味の込められた称号らしい。

 国手のタイトルを持っている=その国で最も強い棋士、などという安易な図式はもちろん成立しないが、それでも国内有数の打ち手であることは疑う余地も無い。

 その比類無き躍進ぶりと実力に裏打ちされた尊大無比な言動から、現在彼は自国にて"魔王"と畏怖されているという。

 

「フンッ…魔王だなんて実に大層な通り名じゃないか。仰々しい異名を自ら名乗る輩など大方ろくなものではない」

 

「いや別に本人が名乗ってるわけじゃないみたいだし、そもそもあんたに人のこと言えるの……?」

 

 高永夏は、昨日午後には中国チームの王世振を大将戦で一蹴した。終始露骨につまらなさそうな佇まいで打っていたが、そんな不遜極まりない姿すらも様になっていたのが何だか癪に障った。

 韓国チームの副将と三将も勝利し、彼らもまた中国を相手に3-0のストレート勝ちを決めたのだった。

 ……ちなみに桂馬は、中国と韓国の一戦には興味が無かったらしく午後になる前に帰ってしまっていた。

 

 

 

 日本VS韓国の幕が開けるまで残り数分程度。

 選手達は既に対局室に集合しており、カメラは着席前の選手達の様相を写し取っている。

 

 そこで高永夏は、進藤を前にするなり獣性を剥き出しにしたかのような獰猛な笑みを浮かべた。冷めた薄笑いを顔に貼り付けているような気取った男だと思っていたけれど、あんな表情も見せるのか。

 向こうは向こうで、かつて棋士として無名の存在でありながら自分を敗北寸前まで追い込んだこの歳下の少年に対して、強烈な対抗心があるのかもしれない。

 一方の進藤は落ち着き払った真剣な表情で相対している。その立ち姿は厳かな風格すら漂わせていた。

 両者は一言も発することなく静かに対局の開始時間を待っている。

 

 しかしながら、解説室の方は全く静黙とは言い難かった。

 

「嘘だろ!?ここで進藤をぶつけるなんて高永夏相手に去年と同じことを繰り返す気か?」

 

 観客が騒ぎ出す。

 

「昨日だけじゃなくて今日まで、あいつが塔矢アキラを差し置いて大将だと?冗談じゃないぞ!」

 

 進藤も今ではそれなりに名を上げているので中国戦で進藤が大将であることには納得していた人達でも、最大の強敵たる高永夏には流石に塔矢アキラを当てるはずだと思っていたに違いない。

 

「好き勝手言ってんじゃねえ!その若先生…じゃなくて塔矢アキラが実力を認めたからこそ進藤が大将やってんだろうが!」

 

 進藤を庇う人もいた。あの人は塔矢の碁会所で進藤と憎まれ口を叩き合っていた人だ。

 

「そうだぜ!ゴチャゴチャ言ってる奴は去年進藤が接戦を繰り広げたのを知らねえのかよ?」

 

 え…?あれって確か進藤がプロ試験を受けた時にやたらビビってたヒゲゴジラじゃないの?

 

「ハッ…どうせあんなのまぐれだったんだろうよ」

 

「何だと!?」

 

 今度はサングラスと顎髭が印象的な男性が吠える。

 

「河合さんだ!今年も来てたんだな……」

 

 伊角くんが呟く。

 

「知ってる人?」

 

 私が聞いてみると和谷が教えてくれた。

 

「進藤がプロ試験の本選でやっていけるように碁会所で鍛えさせてやってたことがあってさ。その時に知り合ったんだ」

 

 なるほど。進藤は妙に強面の人達から好かれてるなぁ……。

 すると今度は、私達の前の席から会話が聞こえてきた。

 

「私としては進藤二段も強いと思うんですがねぇ…」

 

「でも進藤選手の経歴をちょうど昨日見たテレビで知ったんですよ。どうやら彼は囲碁を始めたのが小学六年生の冬で、プロになったのが中学三年生の4月らしいんです」

 

「それがどうかしたんです?」

 

「つまり彼は今の所、プロ歴は2年ちょっと、囲碁歴すらたった4年半ってことですよ。これはちょっと経験不足が響くんじゃないかと」

 

 何も言い返せない……この年齢層の棋士において一年一年の積み重ねの差というのは非常に大きいのも事実だったから。

 確かに進藤は非常に優れた素質を持っている。ただ、この大役を担うにおいて経験不足な面があるのは否定出来なかった。実際、進藤の力には些か波がある。

 かつて飯島くんが「急に成長する奴はよく転ぶ」と言っていたことがあるのを私はふと思い出した。もっともあの頃の私達は、進藤がここまで成長するだなんて夢にも思っていなかったのだけど。

 

 別室の進藤には聞こえていないだろうとはいえ、それでも決して好ましくない空気が観客達の間に蔓延しつつあったそんな時……

 

 

〝やめて…争うのはやめて…〟

 

 

 場違いな可愛らしい声が会場内に響き渡った。

 その声は、桂馬が大音量で手元のゲームから流した物だった。

 言い争っていた人々は虚を突かれ、戸惑いを見せる。

 

「よっきゅんはこう言っているが、必ずしも争いが悪いことだとは思わない」

 

 桂馬は何食わぬ顔でゲームを操作しながら口を開く。

 

「だが、今この場でボク達モブキャラが争った所で何も生まれないのは確かだろう」

 

 そして顔を上げて宣言した。

 

「最終決戦においてモブに出来ることは唯一つ……主人公とラスボスの戦いを見守ることだけだ!」

 

 ……客席が沈黙に包まれる。まるで誰もが声の出し方を忘れてしまったかのような光景だった。

 皆おそらく完全に納得したわけではないのだろうが、ばつの悪そうな顔で大人しくしている。進藤を批判していた人も、言い返していた人も。

 「そもそもよっきゅんって誰?」と言いたげな顔の人もいる。

 和谷はニッコリしながら桂馬にサムズアップした。

 

「……魔王に打ち勝つ勇者になれよ、進藤」

 

 桂馬がそう小声で呟いた時、ちょうど対局が始まる時間となった。

 

「代表選手の皆様方は、指定の席に着かれるようお願い申し上げます」

 

 アナウンスの声がこちらにも聞こえてきた。優勝のかかった大一番の開幕を告げる合図だ。

 

 

 

 ニギリの結果、大将戦は進藤が白を持つことに決まった。従って副将の塔矢が黒、三将の社くんは白となる。

 

 黒を手にした高永夏の第一着に対して、進藤も間髪入れずに打ち返す。

 しかし、その後は二人とも一手一手に大変長い時間をかけている。どちらも持ち時間をフルに使うつもりのようだ。

 両者共に現在は、普段の性格に似つかわしくない慎重で繊細な碁を打っている。

 ……それがいわゆる嵐の前の静けさに過ぎないことは、彼らの熱い闘志に満ちた眼差しを見れば明らかではあったが。

 

 大将戦に長らく大きな動きが無いからか渡辺先生は、今の所は副将戦をメインに解説を語っている。

 ちなみに三将戦は長時間に渡り一進一退の攻防を展開中。

 

「一見互角の勝負を演じていたように見えた副将達ですが、塔矢五段の先程のこの二段バネが実は伏線となっていたわけであります。あくまで伏線の一つ……でしょうが」

 

 塔矢と対峙していた洪秀英は今、血の気の引いた顔付きで盤面を凝視している。

 

「いつの間にか10目以上、黒の塔矢がリードしてるみたいだね」

 

「まったくだ……普通はこれだけの差が一気に付く前に黒が何か鋭い手を打ったか、あるいは白が致命的なミスをしたかっていう明確な分かれ目がハッキリあるはずなのに」

 

「一体いつの間にこんな差が付いたんだって感じだよ。渡辺先生でさえ今一つ理解しきれてないみたいだぜ?」

 

「あっちの副将はもうすぐ投了しそうだな」

 

 越智、伊角くん、和谷、本田くんが順々に戦評を述べる。

 私も塔矢の白星はほぼ確定だと安堵していた。

 

 ……ところが、当の洪秀英はまだ諦めていない様子であった。

 しばらく長考した後、彼は鋭く白石を打ち下ろす。鬼気迫る形相で塔矢に食らい付く。

 塔矢は動じることなくコンピューターのように、正確に冷徹に応手を返す。それでも一歩一歩ほんの少しずつ差は縮まりつつある。

 負けることは無いだろうけど、ちょっと不安になってきたかも。

 

「社二段は終盤にきて若干厳しい状況に陥ろうとしております。でも勝機はまだ残されているはず!」

 

 三将の社くんと林日煥の対決は、ずっと均衡を保っていた。

 しかし現在、社くんの旗色が徐々に悪くなり始めている。このまま挽回出来なければやられてしまう。

 ……どうか希望を捨てないで欲しい。そんな私の願いが叶ったのか、社くんは崖っ縁に踏み止まるように反撃の一手を繰り出した。

 林日煥は眉をひそめる。これで勝負は分からなくなった。

 

 三将戦が佳境を迎える中、副将戦は勝敗が決したようだ。洪秀英が投了したのである。

 やはり必死に追い縋ろうとも、塔矢に途中付けられた差が大きかったのは致命的だったらしい。

 その上、逆転を狙った手のほとんども塔矢は的確に潰していた。

 洪秀英はぎゅっと目を閉じて唇を噛み締めている。

 

「社二段……雄々しく健闘しましたが、どうやらここまでのようです」

 

 一方の社くんは敗れてしまった……。

 テーブルの上に置かれた固い握り拳は、彼の胸が詰まるような想いを代弁していた。

 

 社くんは沈痛な表情で立ち上がる。林日煥もその後に続く。

 塔矢と洪秀英も既に席を立っている。

 モニターには映っていないが、皆がどこへ行ったのかなど火を見るより明らかである。

 

「両チームの命運は進藤二段と高永夏五段の手に委ねられました!」

 

 日本、韓国共に代表選手達は後ろから見守っているのだろう。

 ……彼らの行く末を左右する両大将の死闘を。

 

 

 

 進藤と高永夏はとてつもなく高度な駆け引きをしている。

 月並みな表現ではあるが、私にはそうとしか言えなかった。

 

 戦況を分析しようにも一挙一動があまりに精緻すぎる。

 幾ら頭を回転させようが知恵を振り絞ろうが、かなり後になってやっと二人の行動の意図を理解することがざらだった。

 今ここにいる私達の中で一番の実力者の伊角くんですら着いていけないのだから、私の理解の範疇を軽々と超す一局であるのも当然と言えば当然なのかもしれない。

 渡辺先生も「先程の小競り合い……何らかの狙いがあったのは確かですが」「進藤二段は何重の思惑を込めていたのやら…」などと困り顔で言葉を絞り出すだけで、もはや解説の体を為していない。

 さながら、黒と白で形作られた途方も無く広大な宇宙を目の当たりにしているかのようだった。

 

 それでも私はこの対決から全く目が離せない。瞬きをするのすら忘れて魅入ってしまっていた。

 戦術、戦略のレベルが高過ぎるだけだったら、こんなに取り憑かれたように見つめることは無かっただろう。

 何故かこの一局には不思議と魅力があるのだ。あたかも数多の人々を惹き付けて止まない芸術作品の如き魅力が。

 もちろん本人達は死に物狂いで打っているというのは分かる。汗が顔面を伝う様子はモニター越しでも確認出来た。

 ……それでも思う。私もいつかあんな碁を打てるようになりたいと。無限の可能性を前にして、嫉妬を通り越した憧憬の感情が心中を満たす。

 

「もはや何も分からない。でも綺麗だ………」

 

 桂馬が独り言ちる。彼はもうゲームを止めていた。

 固唾を飲んで手に汗握りながら、食い入るように眼前の奇跡を熟視している。

 今や観客の心は一つ。その気になれば触れられそうなほどの熱気が会場を支配する。

 

「今これだけは言えます!二人は幾度と無く半目を取り合っている!そして、この戦いはもう決着の時が近い!」

 

 私の目から見てもそれだけは間違いない。

 二頭の龍が互いの尾を食み合うようなこの血戦は、今まさに終焉に至ろうとしている。

 どちらが勝つのかなんてこの世の誰にも予想出来ないはずだ。

 

「……こ、これにて終局のようです!!」

 

 渡辺先生の声が震えている。

 気付けば、私も膝の上に置いた手が震えていた。

 

「これは……整地を待たなければ勝敗は分かりませんね」

 

 盤上の死石がアゲハマとなり、他の石はカチャッカチャッと綺麗な形になるよう寄せられてゆく。

 作業は淀み無く円滑に進められているのにも関わらず、やけに鈍々と行われているように感じた。

 

「一体どっちが勝ってるんだ!?」

 

「クソッ!まだ分からねえのかよ?」

 

 不安と期待の入り雑じった囁き声が聞こえてくる。

 

 もう地の数を計算するだけの段階に入っているようだ。

 どちらが勝っていてもおかしくない状況であるが故、結果を直視するのが怖くて私は恐る恐る二人の表情を伺う。

 

 

 

 何かを堪えるように悲痛な面持ちで歯を食い縛っている進藤。

 

 対する高永夏は穏やかな笑顔を浮かべている。普段見せる冷めた笑いとも、開戦前の獰猛な笑みとも違う満足げな顔。

 

 二人の表情の差から私は最悪の結末を察して目を伏せる。

 

 

 

 

 

 

「……これは白の半目勝ちです」

 

え……?

 

 私は反射的に顔を上げる。

 

 

 

「勝者は進藤ヒカル!よって優勝は日本チームです!!!!」

 

 

 

 数秒の静寂……。

 

 そして耳を劈くほどの歓声と万雷の拍手が鳴り響く。

 

「よし!進藤が勝った!!」

 

 あの越智すらも和谷、伊角くん、本田くんに混ざって狂喜乱舞している。

 更に桂馬まで目を輝かせて手を叩いている。

 ……私はというと泣いていた。言わずもがな嬉し泣きだ。良かった……本当に良かった!

 

 日本チームの面々、特に大将への惜しみない称賛は続く。

 韓国囲碁界始まって以来の天才を打ち破り、日本を優勝へと導いた存在。

 今この時を以て、進藤ヒカルという一人の棋士が伝説にその名を刻んだ。

 この少年はいずれ世界に名を轟かせることになる…そう誰もが確信した時だった。

 

 

 

 進藤の身に異変が起きる……。

 

 突如その体が前のめりに大きく揺れた。

 最初はただ一礼しているのかと思ったが、そうではなさそうだ。

 何故ならその目があまりにも虚ろだったから。しかも椅子の肘掛けを不自然なまでに力強く掴んでいる……必死にしがみつくかのように。

 

 更に次の瞬間、進藤の体は今度は左に傾き始めた。そのままゆっくり椅子ごと横転してしまう。

 横倒しになったことで、画面から進藤の姿が見えなくなったので様子はよく分からない。それでも彼が倒れたまま起き上がってきていないのは確かだった。

 誰の目から見ても明らかに異常な事態だ。

 

「……ヒカル!!!!」

 

 静まり返った部屋に女性の悲鳴が木霊する。女性は慌ただしく部屋を飛び出して行った。

 その人が進藤のお母さんだと知ったのは後のことだった……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「まったく君という奴は……!勝っても君にもしものことがあったら意味無いだろう!」

 

「だからゴメンってば、塔矢!こうやって元気になったんだから許してくれよ……」

 

 ここはとある病院の一室。

 進藤はあの後救急車で運ばれ、ここで入院することになった。

 倒れた際に頭部を打ったものの幸い軽傷で済み、検査によれば後遺症の罹患の可能性も極めて低いという。

 

 失神の原因が過集中による酸欠だったと判明したため、塔矢はこうして激怒しているというわけだ。

 まあ彼は、進藤が意識を取り戻すまで心ここにあらずと言わんばかりの青ざめた顔をしていたから、心配をかけた進藤に怒りたくなるのも無理はない。

 

 今この病室にいるのは私以外には塔矢、社くん、洪秀英、和谷、伊角くん、本田くん、越智、そして桂馬。

 桂馬は例によってゲームをしている。やっと安心してゲームが出来るというのは本人の弁。

 進藤のお母さんは既に面会を済ませており、私達はその後に立ち入らせてもらった。

 

「にしても進藤…最初前に倒れそうになってたよな?あのままテーブルに倒れた方がマシだったろうに何で踏み止まって横いったんだよ?」

 

 本田くんが皆の疑問を口にする。

 

「あのまま前にいったら碁盤の上に倒れちゃうじゃん?あの一局を壊したくない!って一瞬思っちゃってさ」

 

「うーん…気持ちは分かるけどよ……」

 

「もう整地も結果発表も終わって、どうせ後は片付けるだけだったのに馬鹿だねぇ君は」

 

 そうやって嫌みを言う越智も、進藤の安否を知るまではそわそわしていたと思うと可愛い。

 

「とりあえずは来年の北斗杯でもお前と一緒に戦えるの分かって一安心や」

 

「君は来年も選手になるつもりでいるのかい?予選で僕に負けないよう気を付けるといい」

 

 越智は今度は社くんに絡む。

 

「何や?そう言う自分はまずそこの姉ちゃんにリベンジせなあかんやろ」

 

「フッ…もちろん奈瀬にも来年こそは勝つさ」

 

「年齢的に来年私はもう出られないんだけどね」

 

「あっ……ま、まあ若獅子戦辺りでも当たる可能性があるからな。その時に雪辱を果たすよ!」

 

 ……クールに決めた所なのにごめんね、越智。

 

「ほな進藤が元気なんは分かったし、新幹線の時間近いから失礼するで」

 

 社くんは先に帰って行った。

 次に洪秀英がおずおずと口を開く。彼は流暢な日本語で言葉を紡いだ。

 

「進藤、ちょっと話がある」

 

「何だよ秀英?」

 

「永夏が言ってたよ、お前の力には感服したって。それと去年は本因坊秀策を侮辱するようなことをあの場で言って悪かったって」

 

「あの野郎!詫びるなら進藤に直接言いに来いってんだ!」

 

 和谷が憤慨する。

 詳しい裏事情は私達も倉田さんから聞いている。

 日本棋院記者の古瀬村さんのミスが発端で起きた通訳トラブルによって、本因坊秀策を馬鹿にしていると誤解されたのは確かに気の毒だ。

 でもその後、進藤を煽るために敢えてそれを訂正せず喧伝したのは酷いと思う。

 

「いや、いいんだ。それに本当なら先に謝らなきゃいけないのはオレなんだよ」

 

「進藤?」

 

「あいつがインタビューで秀策のことを貶したって誤解してた時に凄く睨んじゃってたんだ。永夏がオレのこと煽りたくなったのもそれが原因なのかも」

 

「でも、だからって……」

 

「それにオレとあいつが互いに顔を突き合わせてごめんなさいってするのも何かしっくり来ないだろ?これでいいのさ」

 

「ありがとう……進藤」

 

 洪秀英は進藤に深く感謝した後、次は塔矢に向き直る。

 

「それと塔矢、これは僕から伝えたいことなんだけど……」

 

「ん?何かな?」

 

「お前も進藤のライバルなんだってな?ならお前は僕にとってもライバルだ。次は勝ってやる!」

 

「ああ…受けて立とうじゃないか」

 

「秀英、オレともまた打とうぜ!」

 

「うん!じゃあな!」

 

 晴れ晴れとした顔で彼も出ていった。

 

 

 

「……また本因坊秀策か」

 

 ずっとゲームに興じていた桂馬がここで言葉を発した。

 

「お前に囲碁指南を受けてた頃から思ってたけど、あまりにも秀策にこだわり過ぎじゃあないか?」

 

 彼はいつになく真剣な表情で進藤を見つめている。

 

「お前にとって本因坊秀策は碁を打つ理由となる存在だと言っていたが、あれは一体どういうことなんだ?」

 

 軽々しい気持ちで聞いているわけでないのは確かだった。

 

「そうだな桂木……お前にもいつか話すかもしれない。塔矢の後になるだろうけど」

 

 桂馬は黙り込んでそれ以上追及しなかった。

 しかし、ここで勢い良く反応する者が一人……。

 

「僕の後に話す…だって!?そういえば、君の中にsaiがいると僕が言った時にも、いつか話すとか言ってたな?もしや本因坊秀策とsaiには何らかの関係があるのか!?」

 

「い、いや…それは……」

 

「おい進藤!お前が俺とsaiのやりとり知ってたのって、やっぱりお前とsaiに何か繋がりがあるからなんじゃないのか?」

 

 和谷まで食い付く。

 

「だー!!こっちは病人なんだから勘弁してくれぇ!!」

 

 進藤は耳を塞いで叫ぶ。

 

「……よく分からないけど、進藤って隠し事するのが絶望的に下手だよな」

 

 伊角くんが一歩引いた位置で苦笑しながら呟いた。

 私も心の底からそう思います……。

 

 こうして仲間と戯れる進藤を見ていると、私達の目の前であんな壮大な碁を打っただなんてとても信じられない。

 でも間違いなくあの一局は進藤が作り上げたのだ。

 あれほどの碁を目の当たりにしたら、北斗杯に出るチャンスを逃して自分がくよくよしていたのが小さなことのように思えてきてしまった。

 

「……今から打ちに行くわよ、桂馬!」

 

 打ちたい……とにかく今は碁が打ちたい!

 いつか北斗杯を遥かに超える大舞台でも私の碁を打ってやるんだから!

 

「うむ、今やってるゲームもちょうどクリアした所だしな。いいだろう」

 

「とりあえず最低でも十局は打つからね!」

 

「いや無茶を言うな!そんなの日付変わるわ!!!!」

 

 

 

 

 

 

***

 

 

 

 

 

 

「うわぁ!?また無限世界に戻されちまった!」

 

「もう七度目だな。ルートを推定せずに無数の選択肢を乱雑に選ぶからこうなるんだ」

 

「じゃあどうすりゃいいんだよ?」

 

「この場合はヒロインとサブヒロインの信頼関係だけではなく、二ノ宮の研究機関と天草の一族の政治的関係も含めて推測する必要がある」

 

 

 

 ここは進藤の家。更に言えば進藤の部屋である。

 

 北斗杯で優勝した祝いとしてオススメのギャルゲーを本体ごと買ってやったのだが、進藤は自力では全然進められないらしく、ボクがこうして見てやることになったというわけだ。

 ……とはいえ初心者にしてもあまりに酷すぎる。こいつは碁以外のことには頭が働かないのか?

 

「ダメだぁ……ぜんっぜん分からねえ!」

 

 まあ嘆きつつも投げ出さないのは褒めてやろう。

 気分転換に別の話題を振る。

 

「それはそうと明日美の奴どんどん強くなってないか?」

 

「ああ、奈瀬は最近また一皮剥けたような気がするんだよな」

 

 あの後ボクは明日美と何局か打ったが、こちらが置き石を一つ置いているにも関わらず歯が立たなかった。

 悔しいが今度打つ時には置き石を増やす必要があるかもしれない……。

 

「なあ進藤?」

 

「何?」

 

「囲碁には必ず勝者と敗者が存在するよな?置き碁や定先でも無い限り」

 

「そりゃまあ……碁は二人で打つものだからな。囲碁っていうのは負ける人もいるから成立するんだ」

 

「どっちかが幸せになれば、もう片方が不幸になるわけだ」

 

「……何が言いたいんだよ?」

 

「いや別に……。勝負の世界とは厳しいものだと思ってな」

 

 ボクはいきなりこんな話を進藤にして何を考えているんだかな。

 少しばかり香織に毒されているのかもしれない。

 

「でも負けた方が不幸に感じてるとは限らないぜ?」

 

 確かに高永夏は進藤に敗北してもどこか満足げに見えた。

 それに進藤と塔矢は互いに負けることがあったとしても、いやむしろ負けることがあるからこそ自身の実力と気力を高められている部分がある。

 

「勝った方も負けた方も気持ち良く前に…未来に進める碁がオレの理想さ。まあ、そうならなかった時もあるんだけど……」

 

 中国チームの大将として進藤と戦った王世振などはその一例だろうな。あの男は進藤に敗れて、しばらく惨めな思いを引きずることとなった。

 無論打ち負かしたことについて進藤には後悔など一切無いだろうし、勝負の世界に生きる者同士として全力をぶつけなければ逆に失礼なのは言うまでもない。

 それでも流石に王世振が敗北後ずっと苦悶を抱えているのを知った時には、進藤は何とも言えない顔をしていた。

 

「オレは別に相手をあんな風に絶望させたかったわけじゃない。もし叶うなら負けた側にももっと熱い気持ちでいて欲しかった。……考えが甘すぎるってお前なら言いそうだな」

 

「いや……甘いとはこれっぽっちも思わない………」

 

 進藤もまた現実(リアル)というクソゲーの中で理想のセカイを望みつつ、悩み傷付きながら生きる一人の人間。

 

 

「佐為は──遠い過去から来たあいつは、誰よりも囲碁を楽しんでたなぁ」

 

 

 進藤は独り言のように呟く。

 佐為とやらが誰なのかボクは知らない。知りたいとも思わない。

 今この場において重要なのはそんなことじゃないから。

 

「もう夜だからボクは帰るぞ?」

 

「おう、またな!」

 

 

 

 

 

 

 そういえばエルシィ…じゃなくて、えりとハクアは今の時間もまだ碁を打ったりして遊んでいるのだろうか?

 それとも一緒に(うち)の店を掃除していたりするのだろうか?

 たとえハクアがエルシィのことを忘れてしまったとしても、思い出なんてまた作ってしまえばいい。

 

 あいつらは本物の親友なんだから……。

 

 

 

 さて、帰りに一つゲームを買っていくとするか。

 




これにてアフターストーリーも完結です。
最後の最後までお付き合い下さいまして、本当にありがとうございました。

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