結論として、進藤がたまたま持ってきていたマグネット碁盤で対局することとなった。
「置き石は4つか5つでいいですか?」
「いや、ハンデはいらん。まずは互先で打たせてくれ」
ボクが黒番(先手)で打つことになった。
「あっ、桂木さん!待って、待って!!」
進藤が慌ててボクを静止した。
「どうした、進藤プロ?」
「対局する時にはまずは『お願いします』って言わないと!」
そんなことか。
ゲームでは大抵テキストでさらっと流されていることだから忘れていた。
碁会所で打った客達にも指摘されていたことだった気がする。
少々手間に感じなくも無いが、ボクとてギャルゲー攻略における作法を軽んずる輩に好感は持てないからな。それと同じようなものだろう。
「分かったよ。お願いします」
「…お願いします」
しかし、変わった奴だな。
依頼者のボクに対する敬語を時折うっかり忘れてしまいつつも、碁打ちとしての儀礼には強くこだわるとは……。
まあ嫌いではないけどな。
それにボクが初心者丸出しの手つきで碁石を置くのを見るこいつの眼差しは何だ?
ボクが碁会所で対局した連中は、こちらの親指と人差し指で摘まむような持ち方に苦笑したり鼻で笑ったりしていた。まあどいつもこいつも中押し勝ちしてやったがな。
だが、こいつは碁会所の客達のいずれとも違う。断言は出来ないが、どこか懐かしんでいるような……そんな目に感じる。
単に自分が初心者だった頃のことを思い出しているだけと解釈するのが無難か。でもボクには、ただそれだけの単純なことではないように思えてならなかった……。
「やはり負けてしまったな、やれやれ」
対局終了。6目半差での敗北であった。
無論ボクが負けること自体は最初から分かり切っていたが、ここまで手玉に取られるとは夢にも思っていなかった。
おそらく進藤は本気になればこの更に何倍もの差を付けてボクに勝つことも出来ただろう。
ところが、敢えてそれをせずボクに歩調を合わせつつ、様々な局面でボクがどのように打ち返してくるのか確認するかのように盤面を操作していた。
常にボクより一段だけ高い所に立って、力量を正確に見極めるべく目を凝らしていたというわけか……。
うむ。店内はちゃんと冷房は効いているが、一応蒸し暑い季節なので何か飲み物を持ってきてやろう。ここに来てすぐに何か出してやるべきだったな。
そうしてボクが立ち上がろうとすると今度は………
「えーっと…投了する時には『ありません』か『負けました』って言って欲しいんだ。一々うるさくて本当にごめん…」
「……すまない。負けました」
「ありがとうございました」
なるほど。勝者も敗者も礼を尽くすというわけだな。
「じゃあ何か飲みたい物はあるか?今回はオマケということで飲み物一つ
「ホントに?あ、いやホントにですか?」
「進藤プロ…今また敬語が取れてたぞ?」
「あ、すいません!」
何とも落ち着きの無い奴だな。碁を打っている時の怜悧な面持ちはどこへやら……。
「この際だから言っておくが、別にボクに敬語なんか使わなくてもいい。名前も呼び捨てで構わん」
「ありがと!じゃあ桂木って呼ばせてもらっていいか?」
「ああ、いいぞ進藤。それで飲みたい物があったら、そこのメニューから選んでくれ」
ついでにボクもこいつを一々「進藤"プロ"」と呼ぶことは止めにしよう。
何だか無用な距離感を生む呼び方に思えてくる。
「ならこのアイスコーヒーお願い!」
「了解」
ちなみにエルシィは、ボク達の対局が開始されて早々は興味深そうに見つめていたが、すぐに飽きて他のテーブルでうたた寝している。
まあ囲碁が分からなければ、ただ黒石と白石をあちこちに並べ合ってるようにしか見えないだろうし無理からぬことか。
しかしまあ、他人にこいつを妹だと紹介することにほぼ抵抗を感じなくなってきている自分が怖い……。
そんなエルシィを尻目にボクは、店の奥の厨房で料理の仕込みをしている母さんに代わってコーヒーを淹れた。
「ありがとう。……にしても桂木ってアマチュアにしては凄まじい強さだな。置き石を4つか5つっていうのは流石に舐めすぎてたぜ」
「フッ…伊達に碁が絡むギャルゲー作品全てをCPUのレベルMAXでコンプリートしてはいないさ」
中には碁の部分の難易度が理不尽に高すぎるあまり発売後すぐに修正パッチが配布されるような作品まであったが、そういった類いのパッチが配布される前にクリアしてしまうのがボクなのだ。
「正直お前はこのまま外来でプロ試験を受けたとしてもよっぽどのことが無ければ合格するレベルだ。全勝合格いけるかまでは分からないけど」
「……流石にまさかそこまでとは思わなかった」
これは計画を少々早めることを視野に入れるべきかもしれない。探りを入れておきたいことも一つあるしな。
「師匠無しでここまで強くなっちゃうなんて桂木はホント天才だよ」
「お前も師匠はいなかったと聞いたが?」
「オレはまあ……色々あるからさ」
何だ?歯切れ悪いな。
「そうか。じゃあさっきの一局の検討にさっさと入るか」
ボクは再び進藤の正面に座った。
「白の両ガカリに近い攻めに対する黒の動き。オレも見たことないけど上手い応手だったよ」
「桂木はここでケイマで攻めてきた。定石通りの手もちゃんと打てるんだね」
「将棋だけでなく囲碁にもケイマというのがあるんだな」
碁を打つことは出来ても囲碁用語はさっぱりだ。
「うん。ちなみに桂木の下の名前は将棋の桂馬から来てたりするのか?」
「いや将棋とは関係無くて、ゲーマーをもじったものだと若木先生がご自身のブログでおっしゃっていた」
「誰だよ、それ……てか、このコーヒー美味いじゃん!」
「コーヒーの淹れ方は母さんに叩き込まれているからな」
それにしても最初は別に大して期待もしていなかったが、碁を打った後の検討というのも案外面白いものだな。
ギャルゲーで様々なルートを攻略する上での解法についての考察と近いものを感じる。
そして無事に検討も終了。そろそろさっきのゲームの続きがしたい。
「ふう……。今日は一局しか打ってないが、初回だしこれで終わりにさせてくれないか?」
「ああ、分かった。それでお前に並べておいて欲しい棋譜を今日持ってきてるんだ」
「棋譜?」
進藤はバッグから何枚かの紙の束を取り出した。どうやら棋譜をコピーした物らしい。
「本因坊秀策って知ってるか?」
「いや、知らないな」
「……そうか。江戸時代の御城碁で無敗だった人なんだ。一言で言っちまえば最強の棋士さ」
「そこまでなのか。その秀策の棋譜を学べばいいんだな?」
「そういうこと。言っとくけど、次に打ってる最中にそれとなく碁の中でテストしかけるからサボっても分かるぞ?」
「チッ…」
どうやらボクのゲームの時間がまた削られてしまうようだ。
ただ今は一つ気がかりなことがあった。
「なあ進藤、お前は秀策に何か思い入れでもあるのか?」
「え……?何で?」
「別に。何となくそんな気がしただけだ」
ボクが本因坊秀策を知らないと言った時、こいつが僅かに悲しげな目をしたのを見逃さなかった。
「なんというか秀策は……オレが碁を打つ理由なんだ」
意味はよく分からなかったが、安易に踏み込むのは止めておくか。
進藤が何かを背負っていることが何となく伝わったから。大事な何かを真剣に背負っていることが……。
さて、それよりボクはボクで攻略のためにそろそろ一つ布石を打つことにしよう。
桂馬の初期の実力としては、アキラの特訓を受ける前の院生時代の越智くらいを想定しています。
将棋回で桂馬は、奨励会の人間(おそらく低段位ですが)に勝利した将棋部部長をあっさり破る七香に対してすら、彼女が数日特訓して桂馬の弱点を見付けるまでは容易く勝ち続けていたほどでしたので、
桂馬が囲碁でも強さ的に似たような立ち位置であるとしたら、かつての越智くらいかなと適当に予想しました。