IF:くまに飛ばされたブルックの行き先がエレジアだった世界   作:館凪 悠

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10.Stand By Me

 三日三晩、エレジアの島を襲った嵐は通り過ぎ、久々の朝日が島を照らす。

 久々に窓から差し込んだ日差しは、とてもまぶしくって、そしてとても痛かった。

 起き上がって、鏡を見る。

 眠っているはずなのに、腫れてしまった瞼の下の隈がひどい。

 下ろした髪はぼさぼさで、肌にもハリが感じられない。

 どうも頬もこけてしまったようだ。

 ゴードンたちがドア前にご飯を置いてくれるから、少しでも心配させまいと、なんとか食べてはいるが、食欲はなく、半分以上残す日が続いているのだから仕方ない。

 瞼が重いせいで、目つきが悪くなっている。

 悪人らしくていいや、と投げやりに考えて、わたしは鏡から目を引き離して外に目を向けた。

 ……わたしは、いつまでこうしているつもりなんだろう。

 部屋に閉じこもったからといって、罪が消えるわけじゃない。

 むしろ、ゴードンやブルックにいらない気を回させてしまっているのだから、最悪だ。

 どうするのか、結論を出さなくちゃいけない。

 

『ウタさんがどうしたいかだけなんです』

 

 一年前のあの夜に、ブルックから言われた言葉を思い出す。

 ……わからない。

 もう、わたしがどうしたいかなんて、わからない。

 いつもだったら、落ち込んだ気分を晴らすために、歌を歌っていただろう。

 だけど……、もう、それもできない。

 

「…………ははっ」

 

 重くなった瞼の奥がじんと熱くなり、目尻から何かがこぼれ落ちた。

 涙はもう、枯れたはずなのに。

 わたしは近くにあった椅子に崩れるように腰かけると、顔に手を埋めて、息を吐き出した。

 吐いた息が、湿っぽく震える。

 わたしのアイデンティティだった“歌”。

 それが、血塗られたものであり、そして人を幸せにするどころか世界を滅ぼす力を持ったものを、どうして愛することができるだろうか。

 

「……もう、歌えないよ……」

 

 踵で床を叩いてから立ち上がり、部屋の窓を開いてエレジアの廃墟と、その向こうの海を見遣る。

 

「わたしの人生って、なんだったのかなァ……」

 

 幸せだった幼い日々も、多くの人と関わる機会があったわけではない。

 そして、それを奪うきっかけになったのは、わたしの呼び出した魔王。

 魔王は美しかったエレジアの国を滅ぼし、そして自分は悲劇のヒロインを気取って、その国の王様に面倒を見てもらう。

 大好きだった赤髪海賊団に対し、次第に募る疑念と恨み。

 恨んで、憎んで、最近になってようやく、その感情から意識を逸らせたと思ったのに。

 待っていたのは、そのすべての歩みを否定するような、忘れた罪の記憶。

 これ以上歌えないというのであれば……。

 

「…………うん。そうだよね」

 

 ずっとこのままではいられない。

 わたしがどうしたいのか。

 ただ一つわかることは、消えたいということだけ。

 でも、消えることはできない。

 ならば……。

─────

 

 

 

 嵐が過ぎ去った後だからか、空気が澄んでいるように感じる。青い空には雲一つ見当たらず、水平線が遠い。

 ……あるいはそれは、わたしが覚悟を決めたからかもしれない。

 背の低い草の葉に乗った雫が、わたしが歩く度に足へと絡みつく。

 食事も睡眠もまともに取れていないせいで、足下がおぼつかない。

 それでも、歩ければいい。

 ふらふらと歩いているのは草原。目指すのは、海と空の良く見える、わたしのお気に入りの崖際。

 何も知らなかった、自分を不幸だと思っていた幸せな自分が、何度も何度も足を運んだ道だ。何も考えなくたって、わたしの足は、勝手にその場所へ連れて行ってくれる。

 頭を空っぽにしている間に、わたしはその場所へたどり着く。

 青空の向こうから海を渡って吹き付ける風に、わたしの髪と白いシャツが揺れる。

 崖に当たって砕けた波しぶきが頬にかかるけど、ぬぐう気にもなれなかった。

 どこまでも蒼い空と、どこまでも青い海を見ながら、ぼんやりとウタは思い出す。

 そういえば、ブルックと初めて会った日も、その前にここに来ていたんだっけ。

 あの日も良く晴れた日で、夕焼けがキレイだったな……。

 わたしは気怠い左手を少し上げて、その手の甲を見遣る。

 血に汚れているというのに、わたしの肌はどこまでも白っぽく、大きな傷痕すらない。

 ……いつもであれば、ここに、ルフィが描いてくれた新時代のマークがあるのに。

 だけど、それも、もう──いらない。

 幼馴染のくれた思い出まで──、まだきれいだったころのわたしの思い出まで、汚すわけにはいかない。

 だから、それは部屋に置いて来た。

 きれいに畳んで、タンスの中へ。

 もう、誰からも見向きもされないように、その奥深くへ。

 わたしは、その場に膝をついて、右手に握ったナイフの鞘を外した。

 もうナイフを仕舞うつもりはないから、鞘は適当に捨てる。

 両手でナイフの柄を握り、その切っ先を自分の喉へと向けた。

 

「…………ごめんね、シャンクス、ゴードン……ブルック……」

 

 再び涙が溢れてくる。

 死にたいわけじゃない。

 だけど、この世から自分との痕跡を消すことができない以上、こうする以外、ない。

 歌も残らなくていい。

 命も残らなくていい。

 心も残らなくていい。

 逃げられなくて、消えられないなら、死ぬしかないでしょ?

 カタカタと、ナイフが震える。

 それはそうだ。

 だってわたしは、今まで一度だって、人をナイフで刺したことなんてないんだから。

 だから、死ねるかなんて自信もない。

 もしかしたら、死ぬ前にゴードンとかに見つかって、一命を取り留めてしまうかもしれない。

 それでも──。

 それでも、これだけは潰さなければならない。

 

『この記録が誰かの手に渡り、これ以上の犠牲を出さないための措置を講ずることを願う』

 

 あの音貝(トーンダイアル)に入っていた願い。

 もし死ぬのに失敗しても、世界を滅ぼしうるこの声だけは、潰しておかなければ。

 この先もし生き残っても、心変わりをしても、絶対に歌を歌えないように。

 この体を誰かが何かの力で悪用しようとも、決してその力を使えないように。

 自然と、呼吸が荒くなる。

 肩が震え、涙は止まらない。

 

「…………もう一度だけ、会いたかったなぁ」

 

 目を瞑れば、瞼の裏にありありと浮かぶのは、満面の笑みで笑う、小さな男の子。そして、快活に笑う、赤い髪の男。

 きっと、それがわたしの最後の言葉。

 一つ息を吸って、吐く。

 もう一度息を吸って、そして、わたしは両腕に力をこめた──。

──────

 

 

 

 

 ウタがナイフを自らの首に突き立てようと力を込めて、しかしそのナイフが彼女の喉を貫くことはなかった。

 パシッ

 乾いた音がして、彼女の手を、固い手が包み込む。

 節くれだった指先。

 人の肌では決してありえない、固い感触。

 

「……危ないですよ、お嬢さん」

「…………ブルック」

 

 掠れた声で自分の行動を止めた人物の名を呼んで、ウタは目を開いた。

 ぐっ、とウタが腕に力を籠めるが、ブルックの手はびくとも動かない。

 

「……離して」

「聞けません」

「…………離してよ」

「離しません」

「…………どうして」

 

 絞り出すように、震える声がブルックに尋ねる。

 

「……どうしてだよ、なんで離してくれないのよ……」

 

 ブルックは、静かではっきりとした声で断言する。

 

「仲間ですから」

 

 ビクリと、ウタが肩を震わせて、すぐに首を横に振った。

 

「ダメだよ。わたしは──危険すぎるから」

 

 だから、仲間なんて呼ばないでほしい。

 ブルックが小さく首を傾ける。

 

「それは、あの音貝を聞いたから?」

「……いいえ、全部思い出したから」

 

 吐き捨てるように、ウタが言う。

 

「“Tot Musica”ですか」

「…………知ってたんだ」

 

「微かな噂だけは、ほんの半世紀以上前から。詳しい話は、あの後ゴードンさんから聞きました」

 はは、と小さく笑ってから、ウタは再び首を横に振るう。

 

「だったらわかるでしょ? もういいんだ。……死なせてよ、ブルック」

 

 ウタは自嘲するように、あるいは苛立ったように、涙を流したままに半笑いで言う。

 こんな危険で罪深い女なんて見捨てなよ、仲間なんて呼ばないでよ、と、ウタは心の中で叫ぶ。

 

「私の目の黒いうちは、死なせません」

 

 いつものスカルジョーク。

 この期に及んで、とウタはブルックを睨みつけ、

 

「もう目もないくせに──!」

 

 と怒鳴りかけて、絶句する。

 目の前にある、生気のない頭蓋骨の眼窩が、じっとウタを見つめていた。

 表情を捉えづらいその白い顔は、真剣にウタを見つめていた。

 

「ええ、確かに私のこの眼窩は空っぽです。ですからずっと黒いまま。いいですかウタさん、これが死です」

 

 静かに諭すように、低い声がウタを撫でる。

 ひやりとした空気がブルックから漏れ出し、ウタは初めて、ブルックに──死を体験した人間に、恐怖を覚える。

 ブルックは、ウタがひるんだ隙を見計らい、彼女からナイフを取り上げた。

 ナイフを奪われたウタは、咄嗟にそれを取り返そうとブルックにつかみかかり、しかし体の弱っているウタは、そのまま地面へと倒れ込んでしまった。

 

「死なせてよ!!」

 

 ウタが体を起こして叫ぶ。

 

「もう嫌なんだよ!! 生きているのが!! もう耐えられない!! だからっ!!!」

 

 もう一度ブルックに跳びかかろうと立ち上がりかけたウタの鼻先に、ブルックの人差し指が立てられた。

 

「っ──!」

「死にたい、という気持ちはよくわかります。私も、五十年の間に何度そう思ったことか。あの時は、本当に淋しくて、怖くて……死にたかった。……だからこそ、あなたの願いは聞けません。そう言って納得してもらえるとも思いませんが」

「……当たり前だよ」

 

 ウタがブルックを睨みつけて言う。彼女もその程度の説得で折れるような覚悟で、死を選ぼうとしたわけではない。

 静かな声で、ブルックが続ける。

 

「ですから、これが最大の譲歩です。私はあなたを死なせたくなく、あなたは死にたい。意見が食い違って平行線なら、もう、こうするのが最良でしょう」

 

 ブルックが手首を返す。骨が掠れて、カシャリと小さく鳴った。

 真剣な面持ちのままに、真剣な声でブルックが言う。

 

「勝負、しましょうか」

 




いつもお読みいただきありがとうございます。評価、感想、お気に入り、ここ好き等も同様に。いつも励みにさせていただいております。

次回の更新はまた日が空くかもしれません。もう少々お待ちください。
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