IF:くまに飛ばされたブルックの行き先がエレジアだった世界   作:館凪 悠

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11.Melody of life

 ブルックの勝負という提案に、ウタの喉がえっ、と声を漏らした。

 勝負? この期に及んで?

 ウタのその心を見透かしたかのように、ブルックが口を開く。

 

「ケンカ、と言い換えてもいいかもしれませんけどね」

「……ケンカ」

 

 呟いて、ウタは思う。ケンカなんて、もう何年やっていないだろうか。……もしかしたら彼としたケンカが最後かもしれない。

 

「する必要があるの?」

 

 ウタからしたら、受ける理由がない。

 ええもちろん、とブルックは爽やかに言い放って、落ちた鞘を拾うとそれをナイフに被せた。

 

「せっかく意見の食い違った相手がいるんです。ケンカしなくてどうするんですか。……勝負に乗り気でないなら、一つ約束をしましょうか。もし私が負ければ、私はあなたの命の使い方に一切口出しをしないと約束しましょう」

 

 ブルックの口から出た“約束”という言葉に、ウタはピクリと反応した。

 ウタは、この一年の付き合いで、彼が無暗に“約束”をしない人だと知っていたから。

 ブルックは、本気だ。

 

「……勝負するって言っても、何を?」

 

 ウタの冷たい声に、ブルックがヨホホと笑う。

 

「公平にいきましょう。音楽家らしく、音楽で」

「……わたしはもう、歌わないよ」

 

 正確に言えば、歌えない。

 彼女はもう、自分の歌声が人を不幸にするものだと信じてしまっているから。

 

「別に音楽は歌だけではないでしょう」

 

 こともなさげに、ブルックは肩を竦めた。

 

「そうですね……ピアノを二台使って、即興二重奏(アドリブ・デュエット)でもしましょうか」

 

 即興演奏(アドリブ)という言葉に、ウタの脳裏に初めてのライブの日が蘇る。

 トナミの町での、小さなライブ。

 あの日の思い出がありありと蘇り、ウタは頭を振ってそれを振り払った。

 

「……いいよ、わかった」

 

 しばしの沈黙の末に、ウタは頷いた。

 ではお嬢さん、とブルックが地面に座り込むウタに手を差し伸べた。

────

 

 

 

 

 エレジアの悲劇から、唯一残った小ホール。

 そのステージの上には、二台のグランドピアノが向かい合わせで置かれていた。

 コツコツ、と足音を立てて、ブルックはステージへと上がる。

 その後ろを、ゆっくりと不安定な足取りで、ウタが上がる。

 小ホールとはいっても、壁はところどころ亀裂が入り、音響に関しては期待できない。

 最も、たとえこのホールが完璧な状態で残っていたとしても、聞く客がいなければ意味はないのだが。

 二台のピアノの前でブルックは立ち止まり、そしてその右側にウタが立った。

 

「さて、ウタさん、どちらのピアノを使いますか?」

 

 ブルックの問いに、ウタは黙って上手のピアノの方へと歩いていく。

 そんなウタを見送ってから、ブルックは下手側のピアノへと向かった。

 ピアノの屋根を開いてから椅子に座り、鍵盤蓋を上げる。

 キィ……

 小さく軋んで開いた蓋の下にある鍵盤に、傷みは見られない。

 よく、手入れされているらしい。

 おそらく、この島で最も音楽を愛する男の手によって。

 ガタンとウタが椅子を引き、古ぼけた椅子に腰を掛けた。

 ウタの細長い指先が、鍵盤を軽く撫ぜる。

 ほろんと優しい音が、古ぼけたホールに鳴った。

 

「ルールは?」

 

 ウタの声に、ブルックのピアノがポロロンと応える。

 

「そうですね……。即興曲ですので、そこはいつも通り自由に行きましょう。合わせられなくなり、弾けなくなった方が負け。いかがです?」

「わかった」

 

 ウタが頷いた。

 では、とブルックが言う。

 

「Cコードで始めましょうか。……ではウタさん、合わせますので、どうぞ」

 

 ぴたりと、二人が適当に鳴らしていたピアノの音が止まる。

 ウタは一度目を閉じてから天井を仰ぐ。

 ……自分の体の状態を考えると、長期戦は不利だろう。ウタはそう考える。

 ゆっくりと息を吐いてから、ウタはつり上がった眦のままに鍵盤を睨みつけた。

 やるなら、早期に決着を付けなければ。そのためには、この十年でウタが身に着けたすべてをブルックにぶつける必要がある。

 ウタが足をコツコツと鳴らす。

 三つ音が鳴ったところで、その拍子(テンポ)に合わせて、弱起(アウフタクト)で曲が始まる。

 速度はゆったり(Largo)と。緩やかな流れの中に、飛沫が飛び散るように十六分音符で指が跳ねる。

 曲調としては、優美に(Nobile)かつ(con)神秘的に(Misterioso)

 最初から他の誰も入る余地のない、独奏で完成されたイメージを以って、そのイメージを鍵盤に叩きつける。

 耳を傾けるように、斜め上に視線を送っていたブルックの指が、すいと鍵盤の上を踊る。

 ウタの激しく優雅な動きに流されないようにはっきりと、されど、ウタの演奏を邪魔しないようにゆったりと。

 その音は静かな伴奏となって、ウタの演奏を支えていく。

 ウタは頭の中から次々とあふれ出るフレーズを、指からピアノへと伝えながらも、最初の目論見が成功しなかったことへの動揺は見せない。

 

(まあ、ブルックだもんね)

 

 この一年間、一緒に音楽をやってきて、ブルックの音楽に対する造詣の深さを、ウタは身に染みてわかっていた。

 音域が、高く低くと移り変わる。

 時に忙しなく。

 時になだらかに。

 時に軽やかに。

 音域が広がり、狭まり、また広がっていく。

 ウタが同じ和音をリズミカルに弾くと、その隙間を縫ってブルックのピアノの音が顔を出し、主旋律と副旋律が入れ替わる。

 ブルックが音階を駆けあがると、その影からウタのピアノが飛び出して、主旋律と副旋律が入れ替わる。

 ほろんほろんとピアノからあふれ出た音たちが、蛇のように艶めかしく絡まり合って、音楽となり、音響もままならない小さなホールに響き渡る。

 惜しむらくは、二度と同じ演奏がなされることはないであろう、この二重奏を聴く観客が、ただの一人もいないこと。

 客席から、反応が返ってくることはない。

 いや、客がいても、この音楽に呑まれるだけで、何の反応もなかったかもしれない。

 音楽に通じるものが客に紛れ込んでいれば、溜め息くらいは吐いたかもしれない。

 それほどまでに、今まで積み重ねてきた音楽の全てを注ぎ込んだ渾身の演奏だった。

 ウタにとっては、出し惜しみも何もない。

 今、持てる全てを出し切って、ブルックを黙らせる。死にゆくつもりのウタにとって、出し惜しむものなど、何もない。

 この十一年間をかけて積み上げてきたものを総動員して、せめてその十一年が、自分という悪党を殺す最後の一手になるように。自分の人生が無駄ではなかったと思えるように。

 ウタは全霊をかけて音楽を紡いでいく。

 ──だというのに。

 五分。

 十分。

 二十分──。

 弾けども弾けども、ブルックが音楽に迷う様子は見られない。

 ウタはちらりとブルックの方を見遣る。

 その白面の表情が、感情が見えづらいその表情が、なんだか笑っているような気がして──。

 ウタはキレた。

 ブルックを振り切るように、不意に加速(Accel.)を仕掛け、怒りに任せて音を強く(Cresc.)していく。

 燃え盛る炎のような演奏(Feroce)

 自らの身すらも焼き尽くしそうなほど激しいその演奏は、この世に並みいる音楽家たちのほとんどが、合奏をしり込みするであろうエネルギーを持っていた。

 ウタは髪を振り乱し、魂をピアノに叩きつける。

 だというのに。

 ブルックのピアノは、その対旋律を務めるように、静かに穏やかに、ウタの旋律を支えていく。

 長く演奏をすれば、誰でも集中力が切れる。

 ──これは、音楽による勝負だ。

 ウタもそれはわかっている。

 しかし、それでも、一度心から溢れてしまった怒りは、音楽に乗せるだけでは抑えが利かなかった。

 

「……なんでそんなに楽しそうなんだよ」

 

 ピアノに指を走らせたまま、鳴りやまない音楽を断ち割って、ウタの口から怒りで震えた言葉が漏れる。

 演奏を続けたまま、ブルックは声を掛けられて驚いたように顔を上げた。

 

「ウタさんは楽しくないんですか?」

 

 激しさを増す音楽の上を、ブルックの低い静かな声が通る。

 

「っ──! 楽しくなんか、ないっ!!」

 

 歯ぎしりをして、ウタが怒鳴る。

 

「人の気も知らないで!! 勝負なんでしょ!? なんで楽しんでるんだよ!!」

 

 わたしは死にたくて、ブルックはそれを止めたい。

 そういった真剣勝負のはずだ。

 ウタからしたら、覚悟や自分の抱えた罪すらも侮辱されているようで、はらわたが煮えくり返りそうだった。

 ヨホホ、とブルックが笑う。

 

「いや、真剣勝負なのはわかっているんですけどもね、どうしても。……わたし、つい一年と少し前まで、ずっと独りぼっちでしたから。ですから、人とこうして音楽ができるのが楽しくて仕方がないんです。人とこうやってケンカできるのが、嬉しくて仕方ないんです」

「っ──」

「どちらも、他人がいて初めてできることですから。独りぼっちじゃ、虚しいだけです」

(それは……)

 

 同じだった。

 ブルックと出会うまでの十年間。ウタは、支えてくれるゴードンこそいたが、それでも自分の心に閉じこもっていた。

 ブルックと出会い、人との触れ合いの中で見出した楽しさと、生きる喜び。

 ウタは知っている。

 誰からも聴いてもらえない音楽は虚しく、誰にも語れない怒りは、憤りは悲しいだけ。

 そんなこと、今更ブルックに指摘されなくたって、ウタはこの一年の間に気が付いている。

 だからこそ、度し難い。

 認めるわけには、いかなかった。

 

「──だとしても!! こんな……こんな悪い奴が、生きている資格なんてない!!!」

 

 ウタが絶叫する。

 一度、意識してしまったら、見ないふりなんてできない。

 あれほどの罪を犯したというのに。

 あれほど覚悟を決めて、体も心もこの世界から消し去ろうとしたというのに。

 嬉しかったなんて。 

 楽しかったなんて。

 なんという度し難いほどに、認めたくないほどに悪い奴なんだろうと、ウタは自分への怒りを抑えられない。

 もう、歌なんて歌わないと誓ったのに。

 音楽なんてやる資格もないと思ったのに。

 この勝負だって、死出の旅の為だと割り切って受けたものなのに。

 最期の演奏だと決めてきたというのに。

 楽しかったのだ。

 嬉しかったのだ。

 自分の魂を乗せた全力の演奏に、誰かが応えてくれることが。

 あまつさえ、もっとこの時間が続けばいいのに、なんて。

 ああ、なんと罪深いことだろう。

 それから目を逸らすように、曲調を激しく猛り狂わせた。

 だけど……ウタはもう、限界だった。

 ダン!!

 ウタのピアノが、悲鳴を上げる。

 曲とはまったく関係のない、不協和音。

 ダン! ダン! ダン! ダン!

 どうしたらいいの?

 わたしは、この罪を背負いきれない。

 でも、だけど……。

 矛盾した、相反する感情に圧され、ウタの心が悲鳴を上げる。

 

「……つらい、つらいよ、苦しいよォ……」

 

 ウタの心からの呟きを慰めるように、ブルックのピアノが優しい音を奏でる。

 ──ああ、だめだ。

 ピアノを弾かないと。

 負けてしまう。

 今、負けてしまったら、きっともう──。

 ウタは震える指先を鍵盤に向ける。

 

「……あ」

 

 弾けなかった。

 ブルックの弾くピアノの旋律が、ウタが良く知っている曲だったから。

 幼い日に、心の支えにした歌。

 いつしか、人前では決して歌わなくなった歌。

 ゴードン以外は、知らないはずだ。

 楽譜だって、もう捨ててしまったのに。

 

「どうして……」

 

 潤んだ瞳を上げて、力なくウタが訊く。

 ブルックはそれには答えず、ヨホホと笑う。

 

「さあ、ウタさん、いかがですか?」

 

 そうウタを誘うブルックの指は、ウタを待つようにその曲の導入(イントロ)を繰り返す。

 もう、二度とこの喉には歌わせないと誓ったのに。

 自然と、ウタの口から音楽が漏れ出していた。

 

 

どうして……──────、──……───……♩

 

 

 曲名は、『世界のつづき』。

 囁くような震え声で、ウタの唇は音と言葉を紡いでいく。

 歌っていくうちに思い出す。

 外の世界で、ライブをした日々。

 人々の笑顔と、熱狂。

 

 

─────……? ─────……?

 ──────……、─────♩」

 

 

 止まった時間が動き出してから、初めて触れ合った人肌。

 絡め合った小指。

 

『またきっと、ここに歌いに来てね!』

 

 きっと大変な人生を歩んでいる小さな女の子が自分に向けてくれた、まぶしいほどのあの笑顔。

 ああ、わたしが信じなければならなかったのは、きっと──。

 

 

─────……、─────……

 ──────、──────……

 ──、──……───……♩」

 

 

 歌いきったウタの瞳からは、涙が零れ落ちていた。

 死を想っていた時に流した冷たい涙とは違う。

 温かい涙だった。

 ねえ、と震える声で、ウタが言う。

 

「わたし、まだ歌ってもいいのかな……、生きていても、いいのかなァ……」

 

 国を亡ぼすような大罪人だけど。歌を歌うだけで人を殺しかねない人間だけど。

 その問いに、ブルックはさて、と応える。

 

「人間、歌うのにも生きるのにも、資格なんて要りませんよ。……それから、あなたの罪に関して、私から言えることは何もありません」

 

 そうだよね、とウタはブルックの言葉に頷こうとする。

 ブルックはそれを遮って「ですが」と言った。

 

「この音楽会に来てくれたお客さんなら、答えを知っているかもしれませんね。 訊いてみてはいかがでしょうか」

 

 そう言ったブルックが、その手の平を観客席へと向ける。

 ウタはそちらに泣きはらした目を向けた。

 誰もいなかったはずの、崩れた観客席。

 いつしか、そこに立ち竦んでいたのは──。

 

「ゴー、ドン……」

 

 ウタが、その男の名前を呼ぶ。

 

「ウタ……」

 

 ゴードンが、かすれた声で彼女の名を呼んだ。

 

「ゴードン!!」

 

 ウタの立ち上がった勢いで、椅子が音を立てて倒れるが、彼女はそれを気にも留めない。

 ウタはゴードンの下へ駆け寄ると、許しを請うように跪いた。

 

「ごめんなさい! 本当にごめんなさい!! わたし、あなたの国を、たくさんの命を奪って、それなのに、それなのに──っ!!」

 

 言葉も見つけられず、ウタはゴードンにただひたすらに謝罪した。

 “元”エレジアの国王、ゴードン。

 ウタの罪を裁くことができるとしたら、彼しかいないだろう。

 なにしろ、彼は彼女の歌によって、自国を焼き払われ、自分以外の国民全てを殺されてしまったのだから。

 王という立場と、エレジアの生き残りという立場。恨みや憎しみを抱いてもおかしくはない。

 彼女の起こした罪がエレジアに向けてのものだというのならば、その二つの立場に立つゴードンこそが、彼女を断罪するにふさわしい。

 もちろん、彼に()()()()()があればの話だが。

 ゴードンは今にも壊れてしまいそうなウタを抱きしめる。

 大粒の涙を流しながら、言った。

 

「違うんだ、ウタ!! 悪いのは私なんだ!! だから謝らないでくれ!!」

 

 あの日国中にウタの音楽を流してしまったこと。

 “Tot Musica”の存在と伝承を知っていながら、なんの措置も講じていなかった事。

 ウタに罪の意識を抱かせないために、シャンクスの話に乗って、彼女の大好きだった彼を悪者に仕立て上げようとしたこと。

 そうしてしまったせいで、結果的にウタが彼らへの思いに葛藤し苦しんでしまったこと。

 “Tot Musica”を恐れ、ウタを外へと連れ出せないままに、しかしその楽譜をどうすることもできなかったこと。

 ただ自分を罰するために、ウタヘの指導や楽器の管理を除いて音楽を禁じ、それが結果としてウタの孤独へ繋がったこと。

 

「だからおまえは何も悪くない!!!」

「それはゴードンが悪いんじゃないよ!!」

 

 互いが互いを庇いあいながら、最後にはただ、抱き合って声を上げて泣き続けた。

 ヨホホ、と小さく笑いながら、ブルックがステージから降りる。

 

「ほら、どこにも悪者なんていなかったじゃないですか。だからもう、許してあげてもいいんじゃないですか?」

 

 ブルックはそう言うと、ポケットにしまったナイフを取り出して、ステージの床にコトンと置いた。

 

「ウタさん、この勝負は私の負けです。即興(アドリブ)の勝負に既存曲を持ち出した私のルール違反。ですから、このナイフはお返しします。……またあとで、また食堂でホットミルクでも飲みながら、次のライブについてお話ししましょうよ」

 

 待っていますから、と言ってブルックは小ホールを後にする。

 開いた扉から差し込む日の光に照らされながら、ウタとゴードンは泣き続ける。二人が泣き止んだのは、この十一年に溜まった涙を流しきってからだった。

 

 




お読みいただきありがとうございます。先日初めて誤字報告昨日に気が付きました。指摘して下すっていた方、ありがとうございました。あと感想などもいつもありがとうございます。

今更ですが、独自解釈も多分に含まれているのでご容赦ください。

以前から書きたかったシーンです。風のゆくえか世界のつづきか迷い、世界のつづきを選ばせていただきました。
今日(投稿日)はどうもFILMREDが放映されてからちょうど49日みたいですね。
なんとかこのシーンが間に合ってよかったです。

追記:楽曲使用に関して勘違いがございましたので修正いたしました(罫線対応)。肝心のシーンはよろしければその楽曲を聞きながらお読みくださいませ。
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