IF:くまに飛ばされたブルックの行き先がエレジアだった世界 作:館凪 悠
──白く長い髪の毛が、わたしの目の前を横切ったような気がした──。
クゥ……クゥ……
海鳥の声が、耳をくすぐる。
海は荒れていないのだろう。波の音はゆったりと等間隔で、そして船の揺れも小さい。
わたしは机からゆっくりと身を起こしてから、思い切り腕を天井に向けて突きあげた。
ふァあああ……
大きな欠伸を漏らし、少し冷えてしまった指先で右目を擦る。
どうやら少し仮眠を取るつもりで、爆睡してしまっていたらしい。
海鳥が鳴いているということは、少なくとももう日が昇っている時間帯ということ。
こんな椅子に座って何時間も寝ていたのであれば、きっと体もバキバキに傷んでいるに違いない──なんて思っていたが、不思議なことにそれは杞憂だったようだ。
体の痛みはなく──どころか、“ビッグマム海賊団”との戦いによる痛みも疲労も感じられない。
やっぱり睡眠こそ最大の良薬だ、なんて無茶苦茶な暴論を頭の中で唱えながら、わたしはシャワーを浴びるために、欠伸をしながら寝ぼけ眼で“配信部屋”を後にする。
パッと輝いた太陽に、わたしは思わず目を瞬く。
太陽の角度からして、朝早い時間ではない。もう十二時間近くも眠っていたのか。
やけに視界が良好な気がするのは、“新世界”の気候によるものだろうか。
「あ、チョッパー」
目の前を歩いていく、二足歩行の小さなトナカイ“船医”チョッパーに、わたしはおはようと声をかける。
なんだか、いつもよりも声の出方がおかしい。しっかりケアをしないで寝てしまったのはやはりまずかっただろうか。
だってほら、チョッパーだって凄い驚いたような顔をして──。
「ゾローっ!!!」
不意にチョッパーが“戦闘員”の名を呼んだ。
──待って。なんでゾロの名前が出てくるの? 今、ゾロはフランキーたちと先行してワノ国にいるはず……、……もしかしてわたし、数日とかの単位で寝てしまってたの?
それならチョッパーの驚きようにも頷ける。
いや待て、それならなんでずっと“配信部屋”にわたしは放置されていたのだろう?
寝ぼけた頭の思考回路は重鈍で、上手いこと今の状況を認識できない。
シャワーの前に、先に冷たいミルクでも飲んで行こうか。
もう一度だけ、「ふあ……」と欠伸をして──。
「おい、テメェ、誰だ?」
「うえっ!?」
目の前に、怖い顔をしたゾロがいた。
いや、怖いのは顔だけではない。
眼光は鋭く、纏っているのは明らかに“殺気”。筋トレをしていたのか、汗の零れる上半身の筋肉には力が籠っており、その手には刀が握られている。
そう、刀だ。
あろうことかその直刃は、わたしの首に押し当てられていた。
「ななな──」
いきなりのことに、驚きより恐怖より、混乱が先に来る。
なんでゾロが、わたしに刀を向けるの!?
「……もう一度聞く」
明らかに敵に向けるような低い声。
「お前は、誰だ?」
──なんで?
「わ、わたしだよ! ウタだよゾロ!!」
見間違えるはずないでしょ!! だってこんな髪色の女、わたし以外で見たことないでしょ!?
「……はァ?」
だが、返って来た反応は、わたしの予想とは違う物。
わたしがウタだと認識されていない……?
何が起こっているのかわからず、わたしはその歪んだゾロの顔を見つめることしかできない。
「……おい、チョッパー。おれたちは今、どこに向かってる?」
「────エレジアの、“ウタ”のライブだぞ……?」
自信なさそうに、チョッパーが言う。
…………待って? どこの、誰のライブだって??
ウタって言ったの? どのウタ? エレジアへの移民に、私と同じ名前の子なんていたっけ……?
「その特徴は?」
「歌がスゲー上手くて、それから──」
そう言ったチョッパーの目が、歩いて来た“狙撃手”を捕える。
「ウソップ! こっち来てくれよ!」
「なんだァお前ら、そんなに騒いで……って、ソイツ誰だ?」
「侵入者だ」
「ち──」
ゾロの言葉に「違う」と反論しようとすると、首元で刀が小さく音を立てた。
「黙ってろ」
「────」
そう凄まれてしまっては、何も言えない。
ゾロは敵とみなした相手には、女だろうが容赦はしない。斬る時は斬る男なのを、わたしは知っている。
わたしがどうしようと焦っているうちに、チョッパーがウソップに尋ねる。
「なあウソップ、ウタってどんな髪色だったっけ?」
ああ? いきなり何を訊くのか、というような表情をしてから、ウソップは応えた。
「お前そりゃ、プリンセス・ウタの髪色は赤と白のツートンだ! 常識だろ?」
「ほら!!」
得意げに言うその彼の言葉に、わたしは声を上げる。
あ? と言うゾロを後目に、わたしはおろした後ろ髪を左右に分けて手に持って、ずいと見せつけるように突き出す。
「わたしの髪色! 赤と……」
そこから先は、言葉が出なかった。
え、なんて間抜けな音が、わたしの喉から落ちる。
「だからお前、さっきから何言ってんだ? イカれてんのか?」
半ば呆れたような口調で、ゾロが言う。
────こればかりは、ゾロが正しいのかもしれない。
だって、わたしの握る髪の毛の色は──。
右は、黒。
左も、黒。
「……おいチョッパー、この女、誰だ?」
「おれも知らねェ。気付いたら甲板に立っていて……」
「それでゾロを呼んだのか」
状況を把握するウソップとは裏腹に、わたしには状況が全く理解できない。
ふと覗き込んだゾロの瞳に、女の姿が映っているのが見えた。
黒い後ろ髪を両手に持つ、十代にも見える童顔の知らない女の姿。
その“知らない女”が──、わたし?
────意味わかんない。
「は、はは……」
もう、笑うしかない。
何かとんでもない事態に巻き込まれてしまっている予感に、わたしは膝から崩れ落ちてしまった。
────
「だーかーらー! わたしがウタなんだって! エレジアでライブなんて知らないよ!!なんで仲間の言うこと信じてくれないかなァ!!」
「いや、そもそもプリンセス・ウタと仲間になった覚えはねェし……」
「ウソップのアホ! 長鼻! 器用! 狙撃王!!」
「……それで悪口言ってるつもりなのか?」
得体のしれない女認定されてしまったウタは、縄で腕を縛られたまま、サニー号の片隅で尋問を受けていた。
──尋問とは名ばかりで、ほとんどウタが一方的に“麦わらの一味”を説得しようと躍起になっているだけではあるが。
チョッパーとウソップは困ったように、ゾロは不信感を抱いているように、そして合流したロビンは、興味深そうに話を聞いていた。
「だいたいよ、さっきも言った通り、プリンセス・ウタは紅白の髪なんだよ! お前みたいな黒髪じゃねェ!」
「それはわたしにもわかんないんだって!! 起きたらこうなってたんだからさァ!!」
眉尻を下げて、困ったような顔でウタが言う。
実際にウタは困っていたし、混乱していた。
自分の身に何が起こっているのかがわからない。
それに、ここにいるチョッパー以外の一味の仲間は、ホールケーキアイランドへは行っていなかったはずだ。
しかも、仲間から『ウタは仲間になっていない』なんて言われる始末。
──一つだけ心当たりがあるとすれば、先日ドレスローザで見た凶悪な能力だ。
人の見た目を変え、その人物に関する記憶を人々から抹消する、悪魔の実の能力。
ただ、余計に解せないのは、このサニー号自体だった。
あるはずのものが、ないのだ。
なくなっているのは、フランキーに増設してもらった“配信部屋”。
──絶対におかしい!
とウタは思う。
(わたし、“配信部屋”から出て来たはずなんだけど……)
今も首を巡らせれば、“配信部屋”があったはずの場所がただの甲板になっているのが見える。
いないはずの一味がここにいること然り、あるはずの物がなくなっていること然り、ウタにはどうにも、“悪魔の実”の限界を超えているような気がしてならないのだ。
(……じゃあ、これは現実ではなくて夢?)
そう考えたウタは、すぐにそれはないだろうと判断する。
夢にしては、手首に食い込む縄の感覚が顕著だ。
そんなウタの混乱などは知らずに、ウソップが腕を組んで言った。
「よし! そこまで自分をプリンセス・ウタだと言い張るならおれが試してやる!」
「?」
「何をするんだ?」
ウタが首を傾げるのと同時に、同じように首を傾げたチョッパーが訊く。
ウソップは得意げに鼻の下を指で擦った。
「今からプリンセス・ウタに関するクイズを出してやる! 本人なら、造作もなく答えられるはずだ!」
「……クイズ?」
ウタの疑問に、ウソップは「ああそうだ!」とだけ答えると、すぐさま問題を出してきた。
「第一問! プリンセス・ウタの大好物といえば!!?」
本人に本人のクイズを出すなんてバカげている、と思いながらも、ウタは問題に答えていく。
「……パンケーキ。ホイップましましのヤツ。次点でチキンも好きだよ。あとパエリア」
それを聞いたウソップが、「チキンのことまで知っているとは……」とおののく。
──いや、だって自分のことだし。
すぐに気を取り直したように、ウソップが矢継ぎ早に次の問題を繰り出してきた。
「第二問ン! プリンセス・ウタの血液型は!?」
「XF」
「くっ! 第三もーん!! 身長は!?」
「一六九センチ。伸びたり縮んだりしてなければ」
「……星座は!?」
「天びん座」
「最大ヒット曲!」
「『新時代』でしょ?」
「朝起きてすることは!?」
「……ストレッチ?」
それからも様々な問題が飛び出すが、黒髪になり見た目が変わってもウタはウタである。答えられないはずもない。
出題のことごとくを撃沈されてウソップはついに頭を抱え始めた。
「……アホらし」
ゾロの呆れた声に続き、ロビンが、
「まったくね」
と平たい調子で言う。
ゾロの言葉で既にダメージを喰らっていたウソップは、ロビンの追撃についに床に手を突いてがっくりと項垂れた。
そんなウソップを見て、ロビンが小さく肩を竦めた。
「だってウソップ、あなたのしているそれは、本人じゃなくてファンでもわかる内容でしょう? あなたがわかってるんだから」
「うっ」
ウソップも途中からそれは自覚していたのだろう。痛い顔をして、心臓の辺りを右手で掴む。
そんなウソップを後目にロビンはウタに向き直った。
「私としてはあなたが“ウタ”かどうかより、“麦わらの一味”を自称していることが問題だと思うの。ねえ、あなたはどこで“麦わらの一味”に入ったの?」
“自称麦わらの一味”という烙印を押されて、ウタは一瞬心が奈落に落ちそうになってしまうが、すぐにその奈落の蓋を閉じた。
大丈夫だ、ロビンの声色は、まだ敵に向ける冷たいモノじゃない。
「シャボンディ諸島で。ブルックとのライブ後に合流したんだ」
「……じゃあ、シャボンディ諸島を出て向かった島は?」
思案するように顎に手を当てて、ロビンが尋ねる。
ウタは嘘を吐くこともないので、記憶にあるままを素直に話す。
「魚人島でしょ? ホーディの計画に巻き込まれてさ。というかロビン、一緒にお魚タクシーで海の森まで“
少し驚いたようにロビンの目が開かれる。
「──そこに書かれていたのは?」
真剣なロビンの声。
えーっと、とウタは視線を上に向けて、記憶を手繰る。
「たしか、ジョイボー……イ? が誰かに謝罪している文って言ってなかったっけ?」
「……じゃあ、次に向かった島は?」
「パンクハザード」
ウタの返答を聞いて、ロビンの眉が平坦になった。
ロビンは質問を辞め、しばらく考え込むように目線を下げた。
「…………ロビン?」
「……普通に考えたら有り得ない──けど、それしか考えられない」
「な、何が?」
ロビンが顎から手を離して、ウタの目を見つめた。
まず一つ、とロビンが言う。
「確かに私たちはパンクハザードへも行っているわ。でも、その前に、ドック島、セカン島、ピリオ島へ行っているの」
「えっ」
知らない島の名前を言われて、ウタはドキっと心臓が跳ねる。
──それじゃあまるで……まるで、わたしが嘘を吐いているみたいな……。
「でも、そこで矛盾が生じるの。あなたが嘘を吐いているなら何故、魚人島の“歴史の本文”の内容とそこであった出来事を知っているの? あの文字は、普通の人には読めないはずよ」
「だって同行してたし……」
自信なく言うウタに、ロビンはそうねと頷いた。
「私には、あなたが嘘を吐いているようには見えないわ。けれど、私たちも嘘は吐いていない。──一つだけ、この状況を説明できる事象があるわ」
他の一味の方を向いて、ロビンが言う。
「“
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