IF:くまに飛ばされたブルックの行き先がエレジアだった世界 作:館凪 悠
天候はあいにくの曇り。
霧の立ち込める薄暗いこの島は、名をエレジアと言った。
音楽の島、エレジア──。
そう名を馳せたのも、今は昔。
エレジアのライブ会場の一角で、一人の小柄な女性がその少し緑がかった黒い長髪を撫でつけた。
一見幼い印象を与える童顔に、少しだけ垂れ気味の翠の瞳。
普段のように、左目を隠すほど前髪が長くないせいで、視界がやけにいいように感じる。
ウタだった。
その翠の瞳を巡らして周囲を見渡してから、ウタは湿っぽい空気を肺いっぱいに入れてみる。
時間的にはそれほど離れていないはずなのに、何故か心のうちに湧き上がる懐かしさに、ウタは一瞬首を傾げて、すぐにその理由に思い当った。
(……復興が、されてないんだ)
エレジアに来るまでの間、ウタは一味と様々な話をして、そしてここが“並行世界”であると何度も再認識させられた。
それと同じか、それ以上に、今の自分の置かれている状況を強く感じてしまう。
暗い霧の島に立ち込めるこの煤けた香りは、あまりにも嗅ぎ飽きた廃墟の香り。
彼女の世界のエレジアの復興が進んでからは、久しく嗅ぐことのなかった、止まった時間の香り。
ふと、彼女は思う。
この世界のわたしは、どのような過去を歩んできたのだろう、と。
ロビンやブルックに聞いた話によれば、この世界でもエレジアは“赤髪海賊団”に滅ぼされた、ということになっているらしい。
ということは、この国の惨状は、やはり“ウタ”と“Tot Musica”が関わっているのだろうか。
──いや、そうとは決めつけられない。
あくまでここは“並行世界”。過去が重なっているかどうかは、彼女にはわからない。
(……そもそも、ルフィの話によると、エレジアにいる“ウタ”と、フーシャ村でルフィと出会った“ウタ”は別人みたいだし)
この世界がどこから分岐したIFなのか。それを知ることが、もしかしたら元の世界へと繋がるのかもしれない。
なんてことを思いながら、ウタは自分の内を見つめていた意識を、外へと向け直す。
すると、ライブを目前にした周囲のざわざわとした喧騒が、耳に飛び込んできた。
「ついに生ライブだな!」
「会場広すぎ! 私たちの席どこ!?」
「今日に限ってこんな天気とか、最悪……!」
「こんな天気でも、ウタの生歌が聴けるなら、今日は最高の一日だ……!!」
ライブへの期待に湧く群衆の声の数々。
そんな声を聞いたウタの口角が、小さく上がった。
──この世界の“ウタ”のこともエレジアのことも良く知らないが、これだけの人を呼んでライブをしようというのだ。きっと“ウタ”の時間は動き出しているのだろうし、この煤けた香りも、これから払拭されていくのだろう。
「すげェ人だかりだな。
“麦わらの一味”の“船大工”、フランキーの言葉に、“ムジカ”と呼ばれた女──ウタが応える。
「凄いのはわたしじゃなくて、こっちのウタでしょ。わたしたちだって、そりゃデカい規模のライブはやったけど、ファーストライブはストリートだったし、ブルックと組んでのライブが多かったしね」
「なるほど、こっちの方がムジカよりもスーパード派手なわけだ!」
ガハハとフランキーが大口を開けて笑う。
ウタ──ムジカは「まあね」と肩を竦めた。
ムジカというのは、ブルックやルフィの意見に則って、ウタが自らに付けた偽名だった。
呼びやすく呼ばれて返事をしやすい名前というものがなかなか思い浮かばず、あるいは思い浮かんでも一味の面々に却下され、最終的に半ばヤケクソで出した“ムジカ”が通ったというだけのこと。
しかし、とムジカは思う。
あの“Tot Musica”と重なる名前、と言えば不吉さを醸し出すかもしれないが、しかし元来“ムジカ”という言葉は、“音楽”や“女性性”を意味するらしいので、あながち名前としてはおかしくはないのではなかろうか。
──だってそもそも、わたしの名前が“ウタ”なんだし。
「それにしてもよムジカ、よくこんないい席が空いてるってわかったな!」
「こんないい席でウタのライブが見れるなんて、おれ……おれェー!!」
興奮冷めやらずに、ライブ用に仕立てた衣装を着てはしゃぐウソップとチョッパーに、ムジカはあははと小さく笑って、頬を掻いた。
「席の案内を見たら、このボックス席だけ誰も使ってないみたいだったからさ。せっかくステージ正面のいい席なのに、誰も使わないなんてもったいないでしょ?」
そう言いながら、ムジカはしかしと考える。
こんないい席のチケットを売らないなんて、普通は考えられない。
(……何か意図があったとしたら、申し訳ないことしちゃったかな)
いや、と頭の中に浮かんだ小さな罪悪感を、ムジカはすぐに否定する。
もぎりのスタッフに声をかけて、わざわざ確認してもらって許可を得たのだから、今ここにいることは問題ないはずだ。
ヨホホホ、という笑い声が聞こえて、ムジカたちは振り返る。
霧の中から、食材の買い出しに出ていたブルックとロビンが現れた。
「ムジカさんには少し悪いですが、この幸運には感謝しないといけませんね。何せ、本人の生ライブを聴きながら、本人の解説を聴けるんですから」
楽しそうに言うブルックに、ロビンも笑顔で「贅沢よね」と頷く。
そんな二人に、ムジカは小さく唇を尖らせた。
「そもそも“並行世界”なんだから、全く違う曲を書いてる可能性だってあるでしょ。それに、“ソウルキング”同伴のライブっていう時点で、かなり贅沢だと思うよ、わたし」
「ヨホホ! お褒めにあずかり恐悦至極!! いやー褒められるっていいですねェ。魂がこうふわーッと出てきそうな──」
「出さなくていいからね?」
ヨミヨミの実の力で幽体離脱をしてふざけようとする骸骨を、ムジカは制止する。
そのムジカのツッコミに満悦したようにブルックがヨホホと笑うと、バチン! と音を立てて、濃霧を照らしていた照明が消える。
「来た来たきたァ!!」
「なあルフィ! ライブが始まるぞ!!」
ウタの大ファンであるウソップとチョッパーが、興奮気味に声を上げる。
「ん?」
音楽より食い気と言わんばかりに、ひたすら肉を焼いて食べ始めていたルフィが振り返った。
バチン!
再び音が鳴り、野外ステージの中央に照明の光が集まる。
そこに、いた。
ムジカにも見覚えのある、紅白のパーカーを身に纏った少女が。
そして、ライブが開幕する。
「新時代はこの──♪」
彼女の口から、美しい音楽がこぼれ落ちる。
その曲は、ムジカも良く知っている曲だった。
“ウタ”の代表曲。
ムジカは、呆然と口を開けて立ち尽くしてしまっていた。
くらりと、一瞬だけムジカの視界が揺れる。
この世界のウタが、ムジカ同様の曲を作っていたから──ではない。
たとえIFの世界だとしても、元が同じ“ウタ”である以上、似たような──それこそ同じ曲があってもおかしくはない。あるいは、その曲ができて以降分岐した世界線の可能性だってある。
そんなことは、ムジカも十分に理解していた。
いや、理解していなかったとしても、それはやはり些事に過ぎないのだろう。
ぞくり、と。
ムジカの背中を、冷たいモノが駆けあがる。
「──── ────……♪」
伴奏も少ない『新時代』の
その曇りないハイトーンが、広いライブ会場の隅々まで響き渡り、そして観客の心を鷲掴みにする。
ドンッ トットット!
ドンッ トットット!
ドンッ トットット、トットドドト!
ハイトーンが切れたと同時に、掴んだ心臓をシェイクするようなバスドラムの音が空気を、心臓を叩く。
シンセサイザーが、ギターがそのドラムの音に合流し、厚みのある音楽を形成していく。
「あっ」
誰かが、声を上げる。
夢のような出来事だった。
奇跡のような出来事だった。
世界が、変わった。
あれほどまでに曇っていた空は、いまや雲一つない青空。会場を包んでいた霧すらも、あるいはライブの演出であったかのように一切の痕跡も見えない。
あたかも彼女の歌声が、この世の天候すらも操れるかのような、そんな錯覚をも真実であると思わせるような出来事。
(───正気!!?)
それを見たムジカが、呆然と目を見開く。
この会場にいるどれだけの人間が、その事実に気が付いているだろうか。
これは、悪魔の実の能力だ。
ここはウタウタの実の能力による、ウタウタの世界。
演出も音響も自由自在なウタウタの世界は、確かにライブ向きではあるだろう。
だがそれはあくまで、燃費の悪さを抜きにすればという話。
燃費に目を向けてしまえば、途端にこの能力はライブ向きではない能力となる。いくら体を鍛えたとしても、万全な状態で十分も維持できればいい方だろう。
故に、ムジカにはわからない。
──ステージで歌う“ウタ”は、何を考えている?
そんなことを考えているムジカのことを後目に、ウソップとチョッパー、サンジはペンライトを振ったりウェーブをしたりとライブを全身で楽しんでいる。
周囲の観客席でも、観客たちがうちわやペンライトなどのグッズを振りながら、歓声を口々に上げてライブを盛り上げていた。
「──── ────
──── ────
──── ────♪」
ダンスを踊りながら、ウタが歌を紡ぎあげていく。
皆がライブを楽しむ中、ムジカだけが、ライブを楽しめていなかった。
その、能力を使うことに対する疑問だけではない。
腕を、背中を駆け巡る鳥肌。
ムジカは、ウタの歌唱力と演出に圧倒されていた。
──いや、歌唱力、と言うのは少し違うか。
歌唱力という点においては、ムジカだって準備と練習をすれば、彼女に寄せて歌うことは可能だろう。技術力や表現力は、負けるつもりはない。
それでも──。
(──敵わない)
ムジカの頭が、心が、体が、本能が。
同じ“ウタ”であるというのに、ここにいるウタには敵わないと白旗を揚げる。
歌に乗せているモノが違うのだ。
鬼気迫る、とでも言うのだろうか。
あるいは、真に迫る、とでも言うのだろうか。
なるほど、とムジカは船でブルックに聞いた言葉を思い出す。
『いえいえ、私なんて彼女と比べるのもおこがましい。……と、あなたも“ウタ”さんであるのにこう言うのも奇妙な話ですが、彼女の歌は別次元です』
まさしく、次元が違う。
どこがどう違うのか、なんてことはわからない。
ただ、同じ“ウタ”であるからこそ、彼女と自分との隔たりを強く、強く感じてしまう。
彼女の歌は、その心臓を鷲掴みにして、決して離してはくれない。
そんな、ある種“魔性”とも呼べるほどのその歌い方に、ムジカは嫉妬を覚えた。
(──まさか、自分に嫉妬する日が来るなんて思いもしなかったな)
ムジカが唇を噛みしめるその間にも、曲は進行していく。
「さあ行くよ────♪」
サビに入る直前に、ウタが身に纏っていたパーカーを上空へと投げ捨てる。
「おおー!?」
何気なしにそちらを見ていたルフィが、口に咥えていた肉を飲み込んで身を乗り出した。
「スゲー!!」
「ウタちゃーん!!」
ルフィに続いて、チョッパーとサンジが声を上げる。
フードの下から出てきたのは、ムジカにも見覚えのある姿だった。
赤と白のツートンカラーの髪の下で、アメジストの瞳が楽しそうに輝く。
「──── ────♪」
曲のサビを盛り上げるように、ウタがさらに気持ちを込めて、朗々と歌声を響かせる。
まるで、“新時代”はわたしが作るのだ、と言わんばかりのその歌詞を紡いでいく。
それに応えるように、観客もはしゃぎ、笑い、あるいは歓声を上げてライブの熱気を盛り上げていく。
ウタはさらに、そんな観客たちの熱気に応えるように、ウタウタの実の能力を使って“みんなが楽しめるであろうもの”を創り出し、それを音符に乗せて客席へと届けていく。
まるで、魔法だった。
その絡繰りを知るムジカを除いて、誰もがそう思ってもおかしくはない。それほどまでに常軌を逸した素晴らしいステージだった。
そしてウタが、「新時代だ!」と宣言するように歌い上げ、ライブ開始の一曲目『新時代』が終わる。
冷めやらぬ熱気のままに観客たちが歓声を上げ、重なり合ったその声でライブ会場がビリビリと揺れた。
そんな観客たちを見渡して、彼女が口を開く。
「みんなやっと会えたね!! ウタだよ!!!」
片手を大きく伸ばしたウタが、声を張り上げる。
歌唱中とは違った溌溂としたその声に、観客たちは今日一番の声援で応えた。チョッパーやウソップ、サンジもそれに倣って手を挙げて大声を上げている。
「ムジカ、あなた今ちょっと不思議な気分なんじゃない?」
背後からムジカに声をかけたのはナミだった。
若干放心してしまっていたムジカは、そのナミの声に少しだけ驚いたように振り返る。
「えっ、不思議?」
「ほら、だってあなただって“プリンセス・ウタ”なんでしょ?」
ああ、とムジカは目線をウタの方へと向けて頬を掻いた。
「確かに。ちょっと変な気分」
言われてみれば、確かにどこかこそばゆいような居心地の悪さがある。
何しろ、今ステージの上に立っているのは、正しく“ウタ”なのだから。
ムジカがステージへのウタの顔へと視線を向けると、彼女の瞳が一瞬だけ揺れるのが見えた。
(…………?)
ムジカが眉間に皺を寄せる。
──今の瞳の揺れは何だろう。まるで、何かを憂いているような……?
ごめん、とウタは観客に片手を突き出して、目頭を押さえた。
「ちょっと感動しちゃった……」
少しだけ声を震わせて言うウタに、観客は拍手と歓声で応えた。
ムジカは、そんなウタを見て、少しだけ昔のことを思い出す。
初めて行ったファーストライブ。
路上で、ブルックとゴードンと一緒にセッションして、人を集めたあの日のことを。
あれだけの小規模ライブでも、“ウタ”の世界観が変わるほどの経験だったのだ。
ファーストライブとは得てしてそういうものなのだろう、とムジカは思う。
そのファーストライブをこの規模でやってしまうんだから、その衝撃は計り知れないのだろう。
もちろん、ムジカは今ステージに立つウタの過去は知らない。
それでも同じ“ウタ”としてムジカは、先ほどの瞳の揺れの理由は、きっとそれなのだろうと思った。
憂いと見えたのは、きっと今の自分が、自分の置かれた状況を憂いているからなんじゃないかと。
そう、思った。
お読みいただきありがとうございます。
感想やここすき、お気に入りなどもありがとうございます。
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