IF:くまに飛ばされたブルックの行き先がエレジアだった世界 作:館凪 悠
かつ……かつ……。
薄暗い地下道に、複数の足音が響く。
外とは打って変わって、ひんやりとした空気が、頬を撫でる。
気温は確かに下がっているのだろうが、湿気は外と変わらないようで、やけにじっとりとした不快感が肌を刺す。
鼻を突くのは、カビの匂いだろうか。あるいは、埃の匂いだろうか。
決して心地よいとは言い難いその香りに、あるいはここは現実世界なのではないかという気さえしてしまう。
ここは、ウタによって作られた、ウタウタの世界。
そして、今“麦わらの一味”と
ランタンを持ったブルックの隣を、この城のことを良く知っているムジカが歩き、一味を目的地である蔵書室へと案内する。
かつかつと、複数の足音が、地下道を反響する。
歩きながら、ムジカはブルックへと声をかけた。
「ねえブルック、さっきはなんで止めたの?」
止めたというのは、先ほどコビーの問いに答えようとした時のことだ。
ブルックはいえね、と落ち着いた声で答える。
「私たちは、既にあなたがこの世界のウタさんとは別であることを知っていますが、彼らはそうではないので。──今は状況が状況です。少しでも時間を節約できるならと思いまして」
「ああ、そっか」
ムジカはなんとなく理解する。
今現在、この問題を起こしているのはウタであり、そしてムジカも“ウタ”である。
しかし“並行世界”の、という枕言葉が付くためにムジカは“ウタ”でありながら、ウタとは別人である。
そのことを理解してもらわなくては、話しが拗れる原因になるかもしれない。
ブルックはその辺りを危惧したのだろう。
確かに、今は一分でも一秒でも惜しい。
ムジカは、ウタが説得に応じるとは微塵も考えていなかった。
別の存在とはいえ、自分のことだ。
頑固なところがあることくらい、自分だって十分に分かっている。
だから、生半なことでは揺らがないだろう。
(────わたしも、そうだったから)
ムジカは自分が“Tot Musica”を呼び起こした元凶だと知ってから、自死を選ぼうとしたあの時のことを思い出す。
思い出に指をかけようと手を伸ばして、ムジカはふと疑問に思う。
「……あの子は、自分がエレジアを滅ぼす引き金を引いたことを知っているのかな」
ムジカの口から、小さな声がこぼれる。
かつかつと、一人の足音が鳴る。
いや、そもそも彼女が“Tot Musica”を呼んだとも限らないのだ。
状況的に考えて、その可能性が高いというだけで。
「ん?」
少しだけ考えに耽りながら歩いていたムジカが、ようやく違和感に気が付いた。
足を止めて、振り返る。
「ちょっとみんな、立ち止まってどうしたの? 時間があまりないって──」
「いやだってムジカ、それってどういうこと? ウタがこの国を滅ぼしたの?」
困惑したようにナミが言う。
あ、とムジカはしまったと声を上げた。
口に出したつもりのなかった疑問が、勝手に口をついて出てしまったようだ。
「えーっと──」
どう説明すればいいのだろう、とムジカは頬を掻いて視線を上げる。
「……とりあえず、歩きながら話しましょう。時間が惜しいのには変わらないわけだし」
ロビンの提案もあって、再び一味たちは蔵書室へ向かい長い地下道を歩き出す。
しばらくの間、誰が先頭を切って口を開けばいいのかが分からないまま、ただ足音だけが響く。
ややあってから、ようやくロビンが口を開いた。
「それでムジカ、どういうことなの? この島は“赤髪”に滅ぼされたと聞いているけれど」
「……そっか。そう言えば、船でそう教えてもらったんだったね。だけど──」
「その言い方からすると、真実は違うのかしら?」
「少なくとも、わたしの世界では」
ムジカは頷いてから語り始める。
十二年前の、エレジアの落日のことを。
島を離れる直前、もっと“ウタ”の音楽を聴きたいと開かれた音楽会。
そこに紛れ込んだ、封印されていたはずの『Tot Musica』という古の楽譜。
その楽譜は、ウタウタの実の能力者が歌うことで、制御不能の“魔王”が顕現するという代物だった。
誘われるように歌ってしまった“ウタ”によって、“
そこからは、あっという間だった。
ほんの十分足らずのうちに、暴れまわった“魔王”は、“赤髪海賊団”決死の抵抗も空しく、エレジアという国を滅ぼした。
音楽の国の王と、“赤髪”の娘、そして“赤髪海賊団”を除いた全ての命が、その一瞬で失われた。
「──予測ができなかった事態とはいえ、事実が広まれば、世界は“ウタ”が国を滅ぼした極悪人だって思うでしょ。だから、シャンクスは“ウタ”を庇うために、“ウタ”をエレジアの国王のもとに置いて、空っぽの宝箱を持ってあたかも『自分たちが財宝目当てに国を滅ぼした』という物語をでっち上げた」
これがあの日のエレジアの真実だよ、とムジカが言うと、それを聞いていた一味は絶句した。
ムジカはそんな彼らに気を遣うでもなく、「だけど」と続けた。
「ほんの一年前まで、わたしも自分が何をしたのか覚えてなかったんだ。シャンクスに置いて行かれた理由もわからなくってさ。一時期は庇ってくれてた家族を恨んだりしてたっけ」
悪いことをしたな、と言うように、ムジカはうつむき加減で言った。
「……ムジカは、どうしてそれを思い出せたの?」
「あの日に何が起こったのかを録音した
「…………あなたは、平気なの?」
ロビンの声に、「ん?」とムジカが小さく首を傾げる。
「平気じゃなかったら話せてないって。……そりゃあさすがに、自分の行動が原因で国が滅んだって知った時には、それこそ死ぬ程思い悩んだけどさ。だけど──うん。ブルックとか、ゴードンとか、それから外でやったライブとそこで出会った人たちとかのおかげでさ、なんとか今日も生きてる」
「えっ、私のおかげですか? ……じゃあムジカさん、よろしければパンツ──」
「“並行世界”の、ね」
「ですよねェ……」
「ふふ」
向こうの世界とあまり変わらないブルックの調子に、ムジカは思わず笑みを浮かべる。
本当に、その“人”との縁がなければ、自分はきっと生きることを辞めていただろう。
ムジカはそう考えてから、綻んでいた口許を、きゅっと口を締める。
(──だからこそ、元の世界に帰らなくちゃ)
まずは、この世界のウタを止めて、そして、自分の世界へと帰る術を探す。
ムジカは真面目な顔をして、もう一度、今の自分の目標を見つめ直した。
「……しかし、ここが“並行世界”である以上、彼女の過去とあなたの過去が同じであるとは限らないのでは?」
そうだね、とムジカは頷いてから、「だけど」と続けた。
「さっき、ライブ会場でルフィとあの子が、フーシャ村での出来事を話してたでしょ? あれ、わたしの過去とそっくりそのままなんだよね」
ここからは推測なんだけど、とムジカは前置きを入れて語り出す。
「少なくとも、あの子がこの国をライブ会場に選んでいる以上、彼女もエレジアで“赤髪海賊団”と別れていると考えていいと思う。エレジアが滅びている以上は、“Tot Musica”を呼んでしまったのも、ほぼ確定事項だろうし、あの子の護衛に、“赤髪海賊団”の誰かがいる様子もない。……そう考えると、少なくともその時までは、わたしとあの子の過去は重なっていると考えていいと思う」
なるほど、と得心がいったようにブルックが頷いた。
でもよ、と声を上げたのはウソップだった。
「そこまで同じなら、プリンセス・ウタがなんでこんなことをしているのかって、ムジカならわかるんじゃねェのか?」
「……わかれば良かったんだけど。だけど、何もわからない。キノコのせいで精神状態が普通じゃないとはいっても、この計画はもともと立てていたんでしょ? わたしなら、絶対にこんな計画は立てない」
こんな世界に閉じ込めたところで、真の意味で“みんなが幸せになる”なんてありえないことを、ムジカはとっくの昔に知っている。
このウタウタの世界にいることを嫌がった幼馴染と、“新時代”を誓い合ったんだから。
──それに、全ての人の心を背負うには、“ウタ”の背中はあまりにも小さすぎる。
それは二年前、ブルックに出会う前から薄々感じていたこと。
「…………だから、きっと“何か”があったんだと思う」
自分の知らない、“何か”が。
彼女の思考の、価値観の歯車を狂わせる“何か”があったのだろう。
ムジカはほぼ確信していた。その“何か”によって、あのウタは歪められてしまったのだと。そうでなければ、彼女の行動に説明が付かない。
ふと何か気になったように、フランキーが頬を掻いてから首を傾げた。
「なあムジカ、そういえばさっき言ってた魔王とやらは、“Tot Musica”って言うんだろ? お前のその偽名と何か関係があるのか?」
その質問に、ムジカは翠の目をきょとんと丸くした。
「え? わたしの名前が“ウタ”だから、それにちなんで音楽関連の言葉を使っただけだよ? “Musica”ってそのまま音楽って意味だ──し?」
ふと、ムジカは足を止めた。
どん、と後ろを歩いていたチョッパーがムジカの足に激突する。
ぶつかった鼻を両手で押さえたチョッパーが、不満げに顔を上げた。
「いきなり立ち止まるなよ! ……って、どうしたんだ?」
そんなチョッパーが、ムジカの表情を見て首を傾げる。
一方のムジカは、チョッパーにぶつかられたことも気付かないまま、思案気に眉に皺を寄せ、ぼそりと呟く。
「…………そうか、“Tot Musica”か」
「その“Tot Musica”がどうかしたの?」
ナミの言葉に、ムジカがハッと我に返った。
ごめんごめん、と謝って再び歩き出す。
「確証が持てるわけじゃないから、きちんと調べないといけないけど……“Tot Musica”って、この世界と現実世界の双方に影響を与えられる存在なんだよね。だから、それをうまく使えば、この世界から出られるかもしれないって思って」
そのムジカの言葉に、一味の皆が驚いたように声を上げる。
「おいおい、そいつァ本当か!?」
「だから調べてみないとわかんないってば。それに、うまく使うっていっても、結局その力を使えるのはあの子なんだし、そもそもこの世界に『Tot Musica』の楽譜があるかもわからないし」
「でも、それを中心に調べる価値はありそうね」
ロビンの言葉に、ムジカと一味が頷いた。
そして長い通路を抜け、階段を降り、再び通路を歩いた先に、大きな扉が──。
「……扉か、これ?」
ゾロが腰の刀に手をかけ、忌々しそうに呟く。
確かに、扉と言われれば扉に見えなくはないが、しかしそこにあるのは一枚の石壁。
取手などは見当たらず、どこからどう見ても行き止まりである。
「扉だよ。この先に蔵書室があるんだ。いろいろと古い文献があるから、厳重に封じられているだけ」
ムジカの説明に、ゾロがにやりと笑う。
「つまりは、これをぶった斬れば──」
「いいわけないでしょ」
ムジカが呆れたように言う。
「ここから先は、火と大きな物音は厳禁。……だからケンカとかもしないでね」
ゾロとサンジを交互に見ながら、ムジカが言う。
あ? とゾロが不満そうに声を上げ、サンジは小さく肩を竦めた。
「もし大きな物音を出すと?」
「聞いた話なんだけど、蔵書室内にある石像が動き出して、侵入者を排除しようとするみたい」
「じゃあそいつも斬ればいいじゃねェか」
ゾロの発言に、ムジカは苦虫を嚙み潰したような顔をして「違う」と言った。
「そりゃみんなが石像程度に負けるとは思わないけどさ、ここに来た目的は調べものだから。結構大きな石像だし、ヘタをすると蔵書室ごと崩れちゃう可能性がある」
「……なるほど、そりゃいただけねェな」
ゾロはやや不満気な顔をしてそう言うが、納得はしたようで腰の刀から手を離した。
ふむ、と思案気に声を上げたのはジンベエだった。
「しかし、そうするとこの扉はどう開くんじゃ? 見たところ仕掛けがあるようにも思えんが」
「こうするんだよ」
そう言って、ムジカは一歩前に出て、石壁に手を当てる。
ひんやりとした石の感触に向かって、ムジカは唇を開く。
「ᚨᛈᚱᛁᚱᛖ」
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