IF:くまに飛ばされたブルックの行き先がエレジアだった世界 作:館凪 悠
「君は……行かないのか?」
ウタの計画を止めるために手を組んだ、海軍と海賊の集団に置いて行かれたゴードンは、同じく残された
ムジカは鼻から溜め息を吐いてから、答えた。
「あいつらとは違って、今のわたしは森を駆け抜ける体力がないからね。……それに、ゴードンを置いていけないでしょ」
車いすなんて何したの? とムジカが小さく首を傾げて尋ねる。
その問いに、ゴードンは自嘲するような薄ら笑いを浮かべて、顔をうつむけた。
「……なに、自業自得だ。さっき転んでしまって、腰を打ってしまったんだ」
その言い訳に、ムジカは呆れたように首を振った。
ゴードンは、嘘を吐くときやはぐらかそうとするときに、目線を下へと逃がす癖がある。
“ゴードン”を、もう一人の父親だと言える程度には知っているムジカには、そんなごまかしがきくはずもなかった。
「…………まあ、あんたがそう言うなら、それでいいけどさ」
だから、ムジカは敢えて何も聞かなかった。
ゴードンが何かを言いたがらないことなんて、今に始まったことじゃない。
それにきっと、別に何も言いたくないわけではないのだろう。ただ、本気で“自分が悪い”と思っているだけで。そして、その説明をしても、きっとわかってはもらえないと諦めているだけで。
ゴードンなりの優しさであり、弱さであり、業だ。
「で、わたしはみんなからは遅れるだろうけど、あの子の計画を止めに行くつもり。ゴードンはどうするの?」
「……止めに行くさ。このままではあの子が、あまりにも──不憫だ」
かすれた震え声が、彼の口から洩れる。
これも、きっと本心。
──あの日。ブルックが、わたしがこの世から消えるのを止めてくれたあの日。
ゴードンと十余年抱えたものを、心を裸にしてぶつけ合ったムジカだから、わかる。
まったくこの人は、とムジカは苦笑を漏らして、その車いすの後ろに回った。
(自分だってつらかったくせにさ)
そんなことを、おくびにも出さないんだから。
ムジカが車いすを押す。
すまない、ありがとう、と呟くようにゴードンが言う。
ふん、と鼻で笑ったムジカが、当たり前でしょ、と答える。
「せっかく着くまでに時間がかかるんだからさ、教えてよ。あの子のことを」
「……え?」
「ウタの人生をさ。……なんであの子が、こうなってしまったのかを」
ムジカの言葉に、ゴードンは言葉を失ったように薄く口を開き、木の葉に覆われた空を見上げた。
沈黙に、ムジカの足音と、車いすの車輪がきしむ音だけが、やけに大きく聞こえた。
……もう少し、押さなければ駄目だろうか。
彼女のことを知らずとも、彼女と戦うことはできるだろう。
だが、止めることはできるのだろうか?
たとえ現実世界に戻ったとして、その後は?
どう転ぶかはわからない。
だからこそ、ムジカは今、知れることは知っておきたかった。
それが突破口になるかもしれないから。
ムジカが重ねて口を開こうとして──
「……君、名前は?」
いつの間にか視線を下に落としていたゴードンが、先に尋ねてきた。
「ムジカだよ」
「そうか、ムジカ君か。……良い、名前だ」
ぽつりと呟いてから、ゴードンは肩を震わせて肺の息を吐き切った。
「あの子の話をしよう。……もっとも、私が知っているのは、このエレジアに来てからの彼女のことだけなのだが」
そしてゴードンは語りだす。
“赤髪海賊団”とともにやって来た、天使の歌声を持つ女の子の物語を。
是非この国に残ってほしいと声をかけ、しかし彼女は家族といることを選んだということを。
そして最後に開かれた音楽会で紛れ込んでいた、楽譜の話を。
現れた“Tot Musica”と、それと戦った“赤髪海賊団”の話を。
救われなかった国民の話を。
エレジアへ置いて行かれた、少女の話を。
そして、少女を置いて行った、海賊の話を。
ムジカは時々相槌を打ちながらも、黙ってそれを聞いていた。
そこまでの話は、知っている。
ムジカの辿ってきた軌跡と、寸分と違っていなかったから。
だから──。
「それで、その後──、この十二年で何があったの?」
話がひと段落して、一度口を噤んでしまったゴードンに、ムジカが促すように声をかける。
ゴードンは、その問いに小さく笑った。
唇の端だけを歪めた、今にも泣きだしそうな、眉間にしわの酔った笑みだった。
「……私は、あの子に何もしてやれなかった。──音楽を教えこそしたが……、外へ出る機会を作れなかった。彼女はずっと、悲しい目をしたままだった」
とつとつと、感情を失ったような声で、ゴードンが続ける。
「──私が身勝手な恐怖に苛まれ、手をこまねいているうちに、ウタは拾ったんだ。外の世界へと歌声を届けられる、特殊な電伝虫を」
そこから、彼女の世界が一気に開いたとゴードンは語る。
配信によって、彼女の歌声が瞬く間に世界中へと広がり、同時に彼女の瞳も光を取り戻したと。
そしてやがて、彼女はこの世界の負の側面を知ることになる。
大海賊時代。
海賊に虐げられた者たちの声を聞くうちに作り上げられる、“海賊嫌い”の称号。
そして戴く“救世主”の冠。
それを語るゴードンは、苦悶の表情を浮かべていた。
ゴードンが、そして“赤髪海賊団”が彼女に望んだのは、世界一の歌手になること。決して、民から求められた“救世主”の姿ではない。
「……ねえ、ちょっと待ってよ。他に──他に、何かあったんでしょ?」
困惑したように、ムジカは言う。
変わらないのだ。
今ゴードンが語った、エレジアでのウタの歴史と、ムジカの歩いてきた人生の軌跡が。
何もかもが、同じだ。
たった一つ、出会った人間の違いを除けば。
「……何か、と言うと?」
困ったように、ゴードンが言う。
ほら、とムジカが声を大きくした。
「誰かこの島にやって来たとかさ! 電伝虫を拾った以外に、何かあるでしょ!? あの子が変わるきっかけになるような何かが!」
「す、すまないが、わからない。……少なくとも、この島には、補給船以外の誰かが来たことはなかったはずだ。それに、彼女が明らかに変わったのは、電伝虫を拾ってからで──」
まさか。
ゴードンの言葉を聞いているうちに、ムジカはようやくその可能性に思い至った。
「……ねえゴードン、そういえばあの子は、“Tot Musica”がエレジアを滅ぼしたことを、知っているの?」
震える声で、尋ねる。
そのムジカの言葉に、車椅子が軋む。
驚いて、身動ぎしたらしい。息を呑む音が聞こえる。
それはそうだろう。
何故なら、それは本来、“赤髪海賊団”の人間か、ゴードンしか知らないことなのだから。
やがて、ゴードンは静かに首を横に振った。
「知らないはずだ。あの時の記録なんて残ってはいないし──、私も、ウタに話したことはない」
「────そっ、か」
ムジカは、ほぼ確信に近い感情を以って、そして唇をかんだ。
ゴードンが真相を言っていようがいまいが、関係ないのだ。おそらく、多分、きっと、この世界にも、あの日の記録を残した何かが落ちているだろうことは、想像に難くない。
なんで、気が付かなかったのだろう。
この世界のウタは、何かがあった“ウタ”ではない。
「何も、なかったんだ……」
ゴードンにも聞こえないような小さな声で、ムジカが呟く。
誰にも、出会えなかったのだろう。
ムジカはブルックと出会って救われた。一度、足を踏み外しそうになったけれど、彼が手を差し伸べてくれたから、再び“夢”へと向かって歩くことができている。
……ではもし、支えてくれる他人がいない“ウタ”が『あの時の記録を残した何か』によって、エレジア崩壊の真実を知ってしまったら?
ムジカは、きっと耐えられないと思った。
自分は独りじゃ耐えられなかったから、この世界のウタも耐えられないだろうと思ったのだ。
絶対にその時、ウタを支えた存在がいるはずだと。
しかし、それがいなかった。
誰も、彼女を支えてはくれなかった。
ムジカは黙って車いすの背中を見つめながら、思考を回す。
(…………もし、わたしがあの時、そんな状況だったとしたら──)
耐えられるかではなく、どうしたら立ち直れるかを考えると、自然とパズルのピースははまっていった。
「──“救世主”」
耐えるために必要なのは、きっと役割だったのだろう。
特に、自分を見つけてくれて、そして自分に“歌姫”という役割をくれた彼らの求めるそれは、ウタが耐えるための強い味方になったはずだ。
自分を“救世主”という糸で雁字搦めに縛り付け、無理やりにでも立ち上がる。
命を懸けて、こんな短絡的で感情的な計画を実行したのにも、ムジカはようやく得心がいった。
(……すでに、壊れてたんだ)
あの日、自死を選ぼうとしたムジカと同じように。
きっとその行動の違いは、誰かと出会って、成長できたかどうか。
それなら、とムジカは思う。
(それなら、知っている)
今、ウタが何を考えているのか。
心の奥底に、何を抱えているのか。
きっとウタ自身も気づいていない、彼女の心の奥底に沈んだ、小さな感情の種のことを、ムジカだけが知っている。
「……止めなくちゃ」
決意したように、呟く。
「誰かがそばにいてあげなくちゃ」
十年間、“ウタ”のそばにゴードンがいてくれたように。
二年間、ムジカのそばにブルックがいてくれたように。
十二年間、“ウタ”の心にルフィがいてくれたように。
エレジアの真実を知り、独りで暗闇の奈落へと落ちてしまった彼女のそばに、心に、誰かがいてあげないと。
(──まったく、とんだお節介だよね)
ムジカは苦笑する。
自分だったら、拒絶する。
少なくとも、ムジカみたいなヤツが隣に来るようだったら、能力に訴えてでも拒絶する。
ウタからしたら、ムジカは全くの他人だ。その他人が、自分の心の奥底を見透かして、誰にも知られたくない秘密を暴くのだ。
ムジカでなくとも、そんな人が隣にいるのは嫌だろう。
そこまで考えて、ふとムジカは思い出す。
『もう一人の自分と巡り会ってしまうと、どちらかが死ぬとか不幸になるとか……』
ブルックの言葉は、もしかしたらそういうことなのかもしれない。
同じ“ウタ”であっても、世界が違えば通ってきた道が違う。どこまで似通っていたとしても、まったく同じ道を、同じタイミングで、同じ歩幅で通るなんてできるはずもない。
そんな中で、自分にできて相手にできないことは腹立たしく思うだろう。
相手にできて、自分にはできないことは妬ましく思うだろう。
同じ自分なのに、と。
それと同時に、やはり同じ“ウタ”なのだから、相手の隠したいことを察してしまうわけだ。
なるほど、そう考えると、“もう一人の自分”と出会うことは、お互いにとっていい影響をもたらさないのだろう。
だが──。
(──それでも、止めに行かない理由にはならない)
同じ“ウタ”だから──ではない。
自分とほとんど同じ過去を持った、他人だから。
いうなれば、双子のような存在だからこそ、彼女を止めなくてはならない。
彼女のことを、同じ“ウタ”であれど自分とは別の存在だと受け入れてしまえば、嫉妬も妬みも、怒りも苛立ちも、だいぶマシになる。
そう、ムジカが許せるはずがないのだ。
歌うことが大好きな女の子が自由に歌えないで苦しんでいる姿を、見て見ぬふりをすることを。
なぜならムジカがつかみ取りたい“新時代”は、誰もが自由に音楽と触れ合えるような、そんなくだらないほどに平和な時代なのだから。
「……君にとって、ウタはどんな存在なんだ?」
ムジカの真剣な声色や呟きから、ただのファンや友達の友達という距離間ではないと思ったのだろう。
ゴードンがそんな質問を投げかけてくる。
少しだけ迷ってから、ムジカが言った。
「妹みたいなヤツ、かな」
その答えに、車いすが震える。
どうやらまた、ゴードンが驚いて身を揺すったらしい。
「君は、ウタと会ったことがあるのか?」
一瞬だけ考えて、ムジカは「ないよ」と答えた。
ウタに出会ったのは、このライブが始まってから。それまでは、ムジカにとってウタは自分だったのだから、それを会うとは言わないだろう。
「…………??」
怪訝そうなゴードンの唸り声に、ムジカは小さく笑った。
「ま、ルフィってわたしにとって、友達でライバルで、仲間で同志で幼馴染でだからさ。その友達のあの子も、似たように可愛がってる、ってことで」
適当にそれらしい言い訳を付ける。
別に彼女の力になりたいことが嘘でないのであれば、これくらいの小さな嘘は許されるだろう。
ムジカは「だから」と続けた。
「なんとか、毒が回り切っちゃう前に、あの子を説得しないとね」
「そう……だな」
ゴードンは一度最初に頷いて言葉を切り、そして決意を固めたように再度頷いた。
車いすを押しながら、ムジカは頷き返す。
その時、遠くから音が聞こえてきた。
歌が聞こえてきた。
音楽が、聞こえてきた。
ゴードンの喉が、ひきつったような音を立てる。
ムジカも、驚いたように目を見開いた。
まさか、使うとは思っていなかった。
だってこの世界においては、それを使わない方がウタの優位が保てるのだから。
「ᚷᚨᚺ ᛉᚨᚾ ᛏᚨᚲ── ─────!!!」
歌というよりは、もはや絶叫。
“ウタ”の記憶にある中で、最高の楽曲であり、忌むべき記憶の音楽だ。
ゴードンにとって、自らの罪の象徴の音楽だ。
そして、ムジカはエレジアの落日以来、一度も歌ったことのない音楽だ。
その曲の名は、『Tot Musica』。
「駄目だ、ウタ……!!」
ゴードンが、食いしばった歯から、苦しそうに声を漏らす。
急ごう、と声をかけようとして口を開いたムジカの喉が、
「えっ、えっ!?」
と情けない声を上げた。
一瞬体を包み込んだ、音符の群れ。
次の瞬間には、ムジカの着ていたライブ用の衣装が、まったくの別物に変わっていた。
袖がフリル状に広がったワイシャツに、黒を基調としたコート。足のラインが分かりやすい黒のパンツに、黒の革靴。
普段はあまり着ないような、格式ある音楽会で身に纏うような、そんな出で立ち。
やけに似合うその格好に、ムジカは目を丸くする。
そして、服装を強制的に変えられる以外に何かあるかと身構えるが、しかし何も起こりそうになかった。
ああ、急がなくては。
あの子が誰かを傷つける前に。
あの子が、自分を傷つける前に。
いつもお読みいただきありがとうございます。
今回はムジカがウタを理解する回でした。
次回更新は火曜日を予定しております。よろしくお願いします。