IF:くまに飛ばされたブルックの行き先がエレジアだった世界   作:館凪 悠

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18.幻

 広い宮殿のような、美しい光に包まれた空間にぽつりと一人残され、わたしは小さく息を吐いた。

 とりあえずは、と肩にかけたギターを外して、適当に空中へと放る。

 きらびやかな音とともに、そのギターは空中で小さな音符の群れとなって、そして消えていく。他の楽器たちも、同様に。

 本当に独りぼっちになってしまい、しかしわたしは焦ってはいなかった。

 

(──少しの間だったけど、少し名残惜しい……かな?)

 

 もちろん、それで足を止めるようなことはしないけれど。

 この世界の“麦わらの一味”にも、たくさん助けてもらった。

 お礼を言えなかったのだけは、少し心残りかもしれないが、しかし、ルフィならわたしがどう思っていたかくらい、わかってくれるだろう。

 それに、彼らはわたしがどういう存在なのかを知っている。戻らなければ、きっと目的を達成したのだと推察してくれるはずだ。

 ……もちろん、そうでない可能性もあるけれど、それを心配したところで、今のわたしにできることは、もう何もないだろう。

 わたしはベンチにゆっくりと腰掛ける。

 この世界に生きる人たちは、この世界で為すべきことがある。この世界で生きていく。

 なら、わたしはどうするか。

 決まってる。

 自分の世界で、自分の“夢”を追うだけだ。

 この旅に出てから何も変わらない。

 “新時代”を、迎えに行くだけ。

 だからもう、帰らないと。

 なんとなく、どうすればいいのかはわかっていた。

 ウタウタの世界からの脱出に必要だったのは、“Tot Musica”の存在だった。

 そして、先ほどはあの子が歌った“Tot Musica”を撃破することによって、あの子は現実世界へと戻ったのだ。

 そして今、ウタウタの実の力は、わたしの体に宿っている。

 では、わたしが今、『Tot Musica』を歌ったとしたらどうなるのだろうか?

 

「ᚷᚨᚺ ᛉᚨᚾ ᛏᚨᚲ────……♪」

 

その曲のことは、わたしが誰よりも知っている。

 なにしろ、編曲をするために、ゴードンとブルックと一緒に読み込んだし、それに何より、その原譜を歌ったことがあるのはわたしだけなのだから。

 だから、楽譜がなくたって空で歌える。

 音も、詩も、すべて覚えている。

 

 

「───── ─────……♪」

 

 

 ただ、目を閉じて口遊む。

 静かに、ゆったりと。

 もともとの曲調を知っている人が聞けば、むしろ同じ曲なのかを疑うだろう、そんな歌い方。

 まるで子守歌のように、しっとりと。

 

 

「───── ─────……♪」

 

 

 歌いながら、わたしは自分の口角が自然と上がるのがわかった。

 だってそうでしょう?

 仮に今、“魔王”がこの曲によって現れたとして、こんな歌い方で出てくる“魔王”が恐ろしいはずなんてない。

 小さな子供のような姿で、ヘタをすると寝衣でナイトキャップを被っている可能性だってある。

 もしそうだとしたら、きっとわたしは笑うことをこらえることができないだろう。

 

 

「───── ─────……♪」

 

 

 しかし、歌えども歌えども、“魔王”が現れる気配がない。

 それどころか、いつかこの曲を思い出した時に感じた、頭の中で曲が鳴り響くような、そんな感覚すらもない。

 それはきっと、わたしがこの曲をちゃんと自分のものにしたから。

 だからもう、わたしはこの曲は怖くはない。

 歌いながら、ふと思う。

 ──ねえ、あんたはもう寂しくない?

 

 

「───── ─────……♪」

 

 

 そういえば、この世界に来る前にも、そんなことを楽譜に問いかけたっけ。

 まだ二日と経っていないはずなのに、ずいぶん昔のことのようだ。

 

 

「───── ─────……♪」

 

 

 “魔王”の出てくる気配はない。

 ただ、わたしの体がすうっと軽くなる感覚がある。

 目を開こうか一瞬だけ迷って、やめた。

 今は、いい。

 流れに身を任せて、大丈夫なやつだ。

 でも、目を閉じているはずなのに、瞼の裏まで優しい光に包まれて。

 ふっと。

 わたしの意識は真白に蕩けていく──。

────

 

 

 

 トン。

 ふと、足の裏に当たる難い感触。

 いや、これは靴音か。

 どうやらわたしは立っているらしい。

 ゆっくりと目を開く。

 そこは、黒い空間だった。

 見覚えがある気がするのは、つい先ほどまでいた“Tot Musica”の内に似ているからだろう。

 少しだけ、左側が見づらいような気がする。

 いや、これは──これが、いつものわたしの視界のはずだ。

 今までが、少し見え過ぎていただけ。

 ……ああいう髪型も、たまにはいいかもしれないな。なんて、そんな呑気なことを思った。

 

「……それで、これで良かったの?」

 

 わたしは振り向かないで、問いかけてみる。聞きなれたわたしの声が、自分の口から聞こえた。

 しかし、返事はない。

 ただ、ひっくひっくと、喉のなるような音が聞こえる。

 ……まったく、最後まで手がかかるんだから。

 わたしは苦笑しながら振り返って、その鳴き声の主を見た。

 そこに立っていたのは、わたしが想像していたよりも、わたしより少し小柄な少女だった。

 いや、正確に言えば、少女の“影”とでも呼べばいいのだろうか。

 黒いワンピースを身に纏い、黒い長髪をもった、真っ白い少女。

 肌が白い、というわけではない。

 不定形に、不安定に。

 その体の輪郭が、ぼんやりと揺らいでいるのが見て取れる。

 しばらく待ってみたが、やはり泣き止まなかったから、わたしはもう一度同じ質問を投げてみた。

 静かに、優しい声で。

 これで良かった?

 やはり少女は泣いたままだったが、今度は小さく頷いた。

 

「そっか」

 

 よかった、と呟いた。

 そうしてから、わたしは彼女に優しく声をかける。

 

「じゃあ、出口を教えてもらっていい? みんなが帰ったみたいに──、あの子が帰ったみたいに、わたしもそろそろ帰らなくちゃ」

 

 目のあたりから零れ落ちる白い雫を片手でぬぐいながら、その黒い少女がおずおずと手を差し出してきた。

 

「……案内してくれるんだ?」

 

 小さく、少女が頷く。

 わたしは迷うことなく、左手で彼女の手を握った。

 ぼんやりとしていた輪郭が、わたしがしっかり握った瞬間に、しっかりとした人の手の形になる。

 しっとりとした、やや冷たい掌の感覚。

 その小さく細く、そしてやわらかい手だった。

 わたしの、マメやらなにやらによって固くなった手とは違う。

 ああそうか。

 少しだけ、わたしの胸が苦しくなった。

 こんな手の少女が──、そっか。

 弱い力が、わたしの手を引く。

 わたしは彼女が誘うままに、そちらへと歩き出した。

 暗闇の中を、二人で歩く。

 わたしのこつこつという固い足音が響く。

 黒い少女の、ひたひたという足音が響く。

 隣に並んで、真っ直ぐに。

 歩調を合わせて、ゆっくりと。

 泣き声はいつしかなくなっていた。

 ふと視線を感じて、わたしが少女の方を見てみると、彼女が何かを求めるように、じっとこちらを見上げていた。

 なんだろう。

 言葉はない。

 ……彼女は何を求めているのだろうか。

 少し考えるが、思い当たるものは一つだけしかなかった。

 わたしとこの子のつながりなんて、それしかないから。

 

「……何か歌ってほしいの?」

 

 こくり。

 小さく、頷いた。

 

「うーん、何でもいい?」

 

 こくり。

 もう一度、黒い少女が小さく頷く。

 そっか、と呟いて、わたしは少し上を向いて、何を歌うか考える。

 ──ああ、そうか。

 今、この場面。

 歌うとしたら、きっとこの曲がいいだろう。

 あの人たちに、お礼もお別れもできなかったのだ。

 帰るまでの道中に歌うのならば、この歌がいい。

 

 

「この風は────♪」

 

 

 『風のゆくえ』。

 この世界のルフィに、ブルックに、“麦わらの一味”に、直接届かないとしても。

 わたしが元の世界に帰り、この世界から消え去ったとしても。

 いつか大海原に吹く風に溶けたわたしの歌声が、いつか彼らの背中を押すことができれば、それはきっととても素敵なことだろうから。

 同時に、もう一人のわたしに。

 立ち止まっても、転んでも、倒れても、それでも新しい風は吹く。

 この世界に独りぼっちでなければ、いつかはきっと。

 それがいいものか悪いものかはわからないけれど。

 あいつが“夢の果て”を追い続けている間は、きっと大丈夫だから。

 

 

「───── ─────♪」

 

 

 歌に合わせて、ゆっくりと歩く。

 心なしか、握っている手が温かくなったような気がする。

 満足してくれているのだろうか。

 何を感じているのだろう?

 何を思っているのだろう?

 でも、その手を離さないということは、きっと受け入れてくれているのだろう。

 

 

「───── ─────♪」

 

 

 やがて、歌も終わるころ。

 ふと、目の前に誰かがいることに気が付いた。

 最初からいたのだろうか。

 それとも、不意に現れたのだろうか。

 白い服に、白い髪の毛、そして白いワンピースを着た、わたしとさほど背の変わらない少女が、そこに立っていた。

 

(────あ)

 

 ふいに、思い出す。

 確か、この世界で目を覚ます直前に、目の前を横切ったのは──。

 にこり。

 その白い少女が、優しく微笑んだ気がした。

 パチン。

 その少女が、指を鳴らす。

 すると、白い少女のそばに、大きな白い扉が現れた。

 トッ。

 と、黒い少女が、わたしから手を離して、白い少女のそばに小走りで駆けていく。

 ああ、そうか。

 彼女たちは姉妹だったか。

 今まで逢うことはなかったのだろうか。

 白い少女が、黒い少女を抱擁する。

 黒い少女が、白い少女の背に手を回す。

 しばらくして、二人は離れると、わたしの方を振り向いた。

 ありがとう。

 声なんて聞こえないけど、そんな言葉が聞こえた気がした。

 白い少女が静かに頭を下げて、続けて黒い少女も頭を下げる。

 わたしが手を振ってそれに応えると、がこん、と扉が軋みを上げた。

 ひとりでに、その白い扉が開く。

 その奥にある光は、とても、とてもまぶしく暖かくて。

 まるで、ひだまりを思い出す、そんな光だった。

 その光に向かって、わたしは一歩、歩き出す。

 

「あれ?」

 

 わたしだけじゃ、なかった。

 隣に、黒い少女と白い少女がいた。

 ……ああ、そうか。

 彼女たちを外の世界に引っ張り出したのは、わたしか。

 さあ、帰ろう。冒険の海へ。

 ふふ、と笑うと、隣で二人も笑った気がした。

 一緒に三人で、手をつないで歩き出す。

 光あふれる扉の向こうへ。

 まどろみに誘う、暖かな光に抱かれて、わたしはゆっくりと暖かな眠りに落ちていく──。

 




いつもお読みいただきありがとうございます。
もう独自解釈どころか独自設定ですね。
次話で最終です。
是非最後までお付き合いいただければ幸いです。
次は木曜日です。
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