吸血王女バラハンドル・マクシミリアンは今日も女に胸を差し出し戯れに杭を打たれる 作:てりのとりやき
絶対不死存在、バラハンドル・マクシミリアンはその日も怠惰に過ごしていた。
始祖吸血鬼の愛娘である彼女は齢27にして既に人生を達観していたのである。
なにせ彼女は、通常の吸血鬼ならば絶命する心臓への杭打ちも、水銀弾も、日光も神の加護が付与された十字架も通用しないのだ。
絶対不死存在としての生は、わずか27年で飽きさせるに足るほどの強さであった。
「あーあ、つまんないなあ」
その夜も自前の蝙蝠羽で空をゆっくり泳いでいた吸血鬼の少女は、眼下の平凡な村に目を向ける。
透視能力を持つバラハンドル・マクシミリアンは、人々の営みをつまらなさそうに見つめた。
「なんで人間ってあんなつまらない生活を毎日繰り返せるのかしら。へんな生き物」
どの家の中を透視しても、あるのは人間らしい団欒だ。この村にも、高貴な自分が興味を持てるほど面白い人間はいないらしい。
「……あら?」
その時、バラハンドル・マクシミリアンの目に珍しいものが映った。
村の外れ、山の麓。小さな家には若い女が一人だけ居る。女は、いくつか火を灯した燭台の中心――小さな十字架の前で祈りを捧げている。
バラハンドル・マクシミリアンの嗅覚は指向性をその女へと向けた。――血の匂いは三つ。一つは若い女のものだろう匂いと、もう一つは女と似ているが未熟な匂いだ。
そして、同族の血の臭いがする。
「妹を殺されたのね。吸血鬼に」
女の家の中を見渡せば、無数の武具が壁に立てかけてあった。首から提げる十字架のネックレス。聖水を塗り込むことで神の加護を得たいくつかの杭。聖骸布の繊維が織り込まれている黒の長衣。――どれも吸血鬼を狩る人間たちの武装だったが、使い古した様子もなくどの武装も新品同様の輝きを放っている。
「吸血鬼に妹を殺されて、それで狩人になって、復讐を誓う……?」
バラハンドル・マクシミリアンはもう一度若い女をしっかりと見つめた。背中の中程まである黒髪に、弱々しさを表すような細い体。きっと瞼を上げれば優しい顔立ちがあるに違いない。
復讐など出来そうにない、弱い女だと思った。
「面白そう」
声は自然と漏れていた。
吸血鬼バラハンドル・マクシミリアンの目が細くなる。それは獲物を見定めたケモノの眼差し。嬉々として蝙蝠羽を広げた少女は、村の外れへと降下し――。
こつ、こつ、と。
扉を叩く音が聴こえて、それまで無心に祈り続けていた女は顔を上げた。
叩かれたのは玄関扉。つい、首を傾げてしまう。
こんな夜遅くに一体誰だろう。村の者はめったにこの家には近寄らないはずだが。
不思議に思いながら玄関を開けると、そこには見目麗しい少女がいた。いや、見目麗しいなどという表現も突き抜けて美しく、まるで王女様のような貴位を感じて思わず女は声をかけていいのか躊躇ってしまう。
「ええ、と」
そうして困惑した女の様子に満足したのか、むふーっとちいさな小鼻をぴくぴくさせながら、美少女が自身の腰に両手を当てた。
「こんにちは人間。貴方達の儀礼に則って挨拶申し上げるわ。どう? えらいでしょ? わたし、人間のこと、すごく詳しいのよ!」
「ええと……?」
その、尊大な言葉遣い。得意げに薄い胸を張る少女をまじまじと見つめる。
腰まで届くほど長い、月光を受けて静かに燃える金髪。目鼻立ちからは戦士とも、貴族とも思える不思議な精緻さがあり。赤い瞳は紅玉のよう。身を包む衣服はどう見てもそこらの村や町で買える安物ではないワンピース。
意志の強そうな子供。そんな言葉が似合う美少女だった。
「迷子、ですか? こんな夜更けに危ないですよ。お家は近くですか?」
女はすぐにそんな考えに至った。
こんな子供が一人で灯りもない暗闇の中に居て、人の家の扉を叩く理由など迷子以外に思いつかないからだ。
だが、少女は露骨なほど馬鹿にし腐った表情で女を見上げた。
「あんたほんとうに狩人? 少しはわたしのこと、疑うべきよ?」
少女の放った一言。――“狩人”。それはこの時代において、山に入り獣を狩る山師を指すのではない。それは、現実を超越した存在を狩り殺す者達……!
「まさか……お前は……!」
女の声音に低い呻きが混じる。玄関脇に置かれた鉈へ咄嗟に手が伸びる。
が、それよりも数段少女の動きは速い。即座に女の足を払い、よろけた体を膝で圧し潰す動きにためらいはなかった。
一瞬で床に転び、重心を抑えられた女の目の前に、美しい少女が居た。
「――」
「ふふ。まだまだ新米ってところかしら。動きもとろいし、まるでなってないわね」
女と少女の体格差は歴然だったはずだ。二回りは大きい自分が力で負ける理由など一つしか思い浮かばない。
「吸血鬼……!」
「そうよ。吸血鬼よ、人間」
杭がいる。聖水も十字架も聖骸布の長衣も。それさえあれば、憎き吸血鬼を殺せるのに!
もはや目の前にいるのが少女だなんて事はどうでもよかった。思考の方向はただ一つ。“殺したい”。
「こんな村に何の用だ!? まだ飲み足りないのか!」
「んー。あなたの血は確かに美味しそうだけど」
考え込む目つきで、少女の空いた片手が首筋を撫でる。ゆっくりと、皮下の血管を探すような仕草に背筋が怖気だった。月明かりを逆光に輝く紅い瞳は、見上げるとこちらを家畜としか見ていない気さえした。
「……!」
女の心に尚も殺意が募る。許せないという気持ちが爆発しそうになる。あの時もそうだった。こうやって、吸血鬼が血を吸い尽くすのを見る事しか出来なかった。
後悔と殺意と怒りと憎悪が心を捻じ曲げていくのがわかって、それでも止められそうにない。
噛みしめすぎた奥歯が砕ける、その直前。
「――あんた、わたしを殺したい?」
唐突に、吸血鬼の少女が言った。
崩壊しかけていた心は一瞬で凪いだ。やはり先ほどと変わらない困惑しきった様子で、女は気づくと聞いていた。
「な、なにを」
「ふふ。殺したいんでしょう。そうよね、殺したいわね」
少女は弧を描いた唇をそっと撫でる。淫猥に。艶やかに。覗けた尖った八重歯に、ちろちろと蠢く鮮やかな赤の舌。
未成熟な女の子が出していい色香ではなかった。
人より強く、人より遥かに美しい。それは例え少女の姿をしていても、女ですら惹かれる笑顔で。
「妹を吸血鬼に殺されてるんだものね」
「――――」
言葉にあるのは、記憶の全てを掘り尽くしたような嘲りの響き。
脳のどこかが砕けた気がする。
そうして、女の心に“鬼”が生まれた。
殺した。殺した。何度も何度も何度も何度も杭を打った。血を浴びて、笑うことを悦んだ。目の前の吸血鬼が笑った。また殺した。肉から突き出た白くて細いあばら骨。心臓の驚くほどの小ささよ。――歓喜が全てを埋め尽くす。ああ、今私は、復讐を成している――。
妹を吸血鬼に殺されたのは、もう五年も前になるか。
突然村に現れた吸血鬼は、クローゼットに隠れていた女が見る中で、妹の血を吸い尽くした。ふっくらと血色の良い頬はあっという間にこけ落ち、柔らかい体は干からびて、姉として密かな自慢だった豊かな髪は柔らかさを失って枯草のようにパラパラと砕けた。
そうして死んだ妹を味わう吸血鬼の、あの顔が未だに女は忘れられない。あの、至上の贅沢を味わい尽くすような幸福な表情が。
そして何より絶望したのは、そんな妹を助けようとクローゼットから飛び出すこともできず、ただ一人息を殺して震えていた自分の弱さにだった。
――だから吸血鬼を殺したいと思った。だから狩人になった。だから、だから、だから……。
「……。」
瞼が上がる。喉奥がひりついていて、乾ききった不快感を訴えていた。
カーテンの隙間から室内に差し込む朝日が、静かに舞う誇りを雪のように輝かせる。女は自身の胸を片手で抑えて、ほうと息を吐いた。
何か……とてつもなく激しい夢を見た気がする。
「エルザ、おはよう」
習慣となった朝の挨拶を、もう死んだ妹にする。リビングの片隅にある祭壇は妹の墓代わりだ。とある理由から遺骨も何も残っていないが、そこに妹がいる気がしていた。
ベッドから出る。ぐいっと背伸びをして、「そういえば」と昨晩のことを思い出した。あまり覚えていないが、びっくりするぐらい綺麗な女の子に会ったような、ないような……。
「あの子は一体なんだったんだろう……」
「わたし? わたしは吸血王女バラハンドル・マクシミリアンさまよ! あんたは特別にミリアって呼んでいいわ!」
声は唐突。背後から。
振り向く――いつの間にか、腕を組んでふふんと鼻を鳴らす少女がいた。昨夜、唐突に現れた美少女だった。
「……っ」
鋭い頭痛がして、女は思わず額を抑えた。よろめく女は全てを思い出す。
“鬼”に支配されたまま、何度も何度も吸血鬼の少女を殺したことを。
何度心臓を破壊されても、少女は蘇ったことを。
「吸血鬼、なのね、あなた」
「そうよ。人間が忌み嫌う吸血鬼さまよ!」
あけすけに自身が怪物であると認めた少女は、むしろ吸血鬼であることを誇りに思っている様子だった。実に吸血鬼らしい態度に、女は拳を握りしめる。
「なら私は……あなたを、狩人の協会に突き出さないといけない……」
「できるのかしら。その前にあなたを殺せちゃうけど」
女は思わず下唇を噛んだ。はっきりと浮かんだ悔しさを吸血鬼の少女がせせら笑う。隙を見せたことに気づいて、女は表情を引き締めた。
「な、何が目的なの」
「わたし、すっごく強いの。見たでしょ? 何をされても死なないのよ。だから人生には飽き飽き!」
――そうだ。何度も杭を打ち込んだのに。少女の、薄らとした脂肪の膨らみを掴んで、杭を打ち込んで、愉快になりながら……。
「……っ」
自分が成したこと。何度も何度も楽しみながら繰り返した事に、目眩がした。あんな残虐な事を吸血鬼相手でも出来る自分がいるなんて信じられなかった。
それに――この少女は、よく見れば妹と同じくらいの年頃だろう。
(エルザと同じ年頃の女の子に、私は何て事を……!)
分かっている。吸血鬼相手に抱くべき罪の意識ではないと。それでも女は耐えきれなくて、ぎゅっと胸元の服を握りしめていた。
いやに響く動悸のうるささに目を瞑る女を、少女は法悦に蕩けた笑みで見つめている。
「だから殺させてあげる」
「――え?」
そして、唐突に女を誘った。
「あなたの憂さ晴らしに付き合ってあげる。だから痛めつけさせてあげる。いくらでもぶてばいい、蹴ればいい、刺せばいい焼けばいい犯せばいい」
女は、思い出す。
少女を蹴飛ばし、あっけなく転がった少女の手首を掴んでベッドに放り投げた事。鎚と杭を手に少女へ馬乗りになったこと。ワンピースの胸元を引き裂いて、杭を突き立てたこと。そして何度も鎚を振り下ろした事を……。
「だけど絶対に、わたしの目を隠してはいけないのよ」
血を、何度も浴びた。少女の高い体温が生む温い血潮が心地よかった。
あの時確かに、女は“鬼”そのものだった。
「わたし、あんたの怒り狂った顔に惚れちゃった」
手が震えて、足が笑って、息ができなくて、女は気づけば少女の目の前で膝をついていた。
跪くような格好の人間に、吸血鬼の王女はうっとりと頬を赤く染め上げた。
「きれいなお顔をしてるのに、あんなにどす黒い表情ができるなんてすごくステキよ……」
少女が女の顔を覗き込むため、膝を曲げる。赤い瞳が真っ直ぐにこちらを見下ろしている。あどけない美貌には、既に支配者としての目つきが備わっていた。
「ねえ、名前は? 人間だって名前を親からもらうでしょう? わたしは名乗ったのに、あんただけ名乗らないのは不公平よね」
ぺたぺたと顔を触る無遠慮さに、その高い体温と香る甘い花の匂いに、ふと女は妹を思い出した。
呼吸は、徐々にだが落ち着いていく……。
「……サーシャ。サーシャ・アルクス。24歳」
「サーシャ。わかったわ、サーシャね」
改めてよろしくお願いね、と少女――バラハンドル・マクシミリアン、つまりミリアはサーシャの頭を幼い手つきで撫でた。
「とりあえず、お腹減ったわ! ごはんを食べさせなさい!」
「……吸血鬼が、血以外を必要とするなんて聞いたことがない」
「あのね。わたしだって血ばかり吸うわけじゃないのよ。わたしはグルメなの!」
豊かに波打つ長い金髪を自慢げに払いつつ、少女は赤い瞳の眦を釣り上げる。
「あとあんた、わたしには敬語で接すること。いーい? わたしこれでも27歳なんだから! あんたより歳上なの! えらいの!」
言葉には年相応にませたい女の子のいじらしさがあった。
サーシャは考える。ミリアは、この家に住むつもりだ。許可していいのか――相手は吸血鬼だ。人間の敵と同棲するなんて絶対に認めてはいけない。
けれど。エルザに……サーシャの妹に似た年頃の少女を、どうしても拒めそうになかった。
自分は弱い人間なんだろうか。せっかく、狩人になったのに。
そうやって悩む女の全てを知り尽くしているかのように、吸血王女は笑っていた。