吸血王女バラハンドル・マクシミリアンは今日も女に胸を差し出し戯れに杭を打たれる   作:てりのとりやき

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12本目はたまらない味

 

 

 吸血鬼の少女と暮らし出してから12日目。その夜。

 

「ねえ……」

 

 黒髪の若い女、サーシャは眼下の少女にそっと尋ねた。

「んッ……な、なあに?」

 

 痛みで目尻をぴくぴくと震わせながらも上品に微笑む少女――ミリアには、その美しさだけで目を潰されそうになる。窓から差し込む月光で燃えるような金髪。今は薄らと涙で濡れた紅い瞳。真っ白な肌に、お人形のような細い手足。完璧な造形美をした少女が、ベッドに仰向けになっていた――サーシャに馬乗りにされていた。

 そして何より、その胸に突き刺さった太い杭が、サーシャの脳髄奥深くまで揺れるほどに激しく映った。

 

「痛いのが、好きなんですか……?」

「そんなこと、ないわ、よ……」

 

 12日前に、少女は自身が心臓を杭で打たれても死なない吸血鬼だと自ら明かした。そんな少女をサーシャはもう何度も毎夜ごとに殺している。

 12回目の秘め事(・・・)ともなるとサーシャにも慣れが生まれる。心を“鬼”に支配されながらも落ち着いて、じっくりと、ミリアの胸に突き刺した杭を槌で叩いていく事すら出来た。

 心臓に杭が触れる距離を把握しつつあったサーシャは、そうやって少女をゆっくりと殺すつもりだった。

 

「痛いのは、キライ。でも……苦しむあなたの顔はダイスキ」

 

 自分の心臓の目の前に、先端が尖った杭が打ち込まれているのに、ミリアは笑う。尖った八重歯と蠱惑的に揺れる赤い舌がまっすぐに見下ろせた。

 

「ふふ。つらいわね、妹と同じ年頃の少女を痛めつけるのは……」

「……っ」

 

 サーシャの妹は吸血鬼に殺されている。だからサーシャは狩人になった。そして今日も復讐心から吸血鬼を殺すのだ。

 

「でも、やめられないっ、でしょお……?」

 

 蝋燭もランプも灯らない深夜。それでも月明かりが少女の表情を凄絶に染め上げた。――悦楽の色に。

 槌を握りしめたままの女へと両手を伸ばし、柔らかく小さな手で頬を撫でる仕草。まるで情婦が男を誘うような滑らかな指の動きを、12歳程度にしか見えない少女はどこで覚えたのだろうか。

 

「憎い、恨んでいる、殺したい……そんな言葉がすぐ浮かぶくらい、ひどいお顔……」

 

 紅潮した頬が示す興奮。痛み以外の理由で潤む瞳。はぁ――と吐かれた熱い息。

 真っ直ぐに吸血鬼の少女が見つめてくる。

 サーシャは自分が今、どんな顔をしているのか想像もできない。

 

「サーシャは……わたしを殺して、すっきりしてるのよね? 体の中にたまったものを吐き出すのに病みつきなのよ。わたしを殺して、気持ちよくなりたいのね、このヘンタイ」

「そんなこと……ないです……」

「あんたは今、復讐を遂げてるのよ。――そして妹と似た見た目のわたしを殺すことに苦しんでる」

 

 それは本当のことだ。

 サーシャは復讐に囚われながら尚、妹に近い年頃の少女を殺し続ける所業の闇に苦しんでいる。

 

「でも私はッ」

「ふふ。サーシャ。あんたにぴったりの言葉がひとつあるわ」

 

 ぴとり、と。女の急いた唇を人差し指で抑えたミリアは、そのまま艶やかに囁いた。

 

「情けない女ね」

「……!」

 

 吸血鬼に殺されてもいいと許可されて行う復讐は、確かに情けないものだろう。誰かを殺すことの悩みも、復讐の成し方も、ああ、間違いなく情けない。

 それでも――それでも手が止められないのだ。

 この激情を弱いからと抑え込めるほどサーシャの心に生まれた“鬼”は甘くない。

 

「あぁぁぁああぁぁあああ!」

 

 吠えた。獣のように。吸血鬼があざ笑う前で人間を辞めた。

 破壊する。

 破壊する。

 破壊する。

 破壊する。

 少女の胸に杭を打つ感覚が心地よくて。

 何度も潰せる吸血鬼の心臓がありがたくて。

 自然と、サーシャの口元には笑みが浮かんでいた。

 

「ああ……いい笑顔ね、サーシャ」

 

 そんな女を、恍惚の表情でミリアは見つめている――。

 事後のことだ。

 狭いベッドの隅に寝転ぶサーシャは、先程から自身の黒髪を弄り続ける少女に声をあげた。

 

「あの」

「なあに?」

「人の髪、勝手に触るのやめてもらえませんか」

「嫌よ」

 

 小さな同居人はさっきからセミロングの黒髪を三つ編みにしたり変な結び方を試したり、まるでお人形遊びみたいに使っている。

 鼻歌交じりにサーシャの苦言もあっさり退けた吸血鬼の王女様に、女はつい呻いた。

 

「……機嫌いいですね」

「だってサーシャが言葉攻めがダイスキだってわかったんだもの。気になる人のステキなところをまた一つわかったのよ? すごくいやらしいことよね、これって!」

 

 “気になる人”。

 それがサーシャへのミリアが寄せる率直な感想なのだろう。サーシャ自身吸血鬼の少女へどんな想いを抱いているのか整理できてない分、なんだかもやもやした。

 

「なあに? わたしに詰られるとぞくぞくしちゃうの? サーシャがそんなにいやらしいなんて知らなかったわ、わたし」

 

 12日間ともに暮らして分かったことだが、どうも吸血鬼というのは人間と価値観がズレているらしい。

 

「いっぱいいじめてあげる。いっぱい苦しんでいいのよ。そしたらどんな風にわたしを殺すのかしら!」

 

 うきうきと語りながら、ミリアは黒髪の奥に隠れた背中を撫でてくる。淫靡な手つきに背中は丸まってしまった。

 

「わたし、今とっても満たされてるのよ」

 

 声は甘い。

 こんなに気に入られるようなことをサーシャはした覚えがないのに。

 

「サーシャの酷いお顔をたっぷり眺められて、すごく幸せ。光栄に思いなさい? わたしが人間を気にいるなんて、滅多にないんだから」

 

 それからもミリアはサーシャの黒髪を鼻歌交じりに手で梳いたり、いじったりし続けた。まるで子守唄みたいな柔らかい声音に、寝てたまるものかと目元に力を込め続けるサーシャだったが、人間の生理機能には抗えなかった。

 やがてうとうとと瞼が下がりだしたサーシャは、ふと気付く。そういえば、妹が死んでから誰かと寝ることなんてなかったなぁ――。

 

 

 

 目を覚ます。サーシャは目覚めたばかりであまり働かない脳を鞭うち、体を起こした。

 隣では吸血鬼の少女が窓から入る朝日も気にせず、すやすやと可愛らしい寝顔を晒している。本当に、日差しすら平気なのだ、この常識破りの吸血鬼は。

 

「おはよう、エルザ……」

 隣で眠る少女ではなく、死んだ妹に声を掛ける。これだけはどれだけ生活が変化しても、変わらない習慣だ。サーシャは目をこすりながらベットから抜け出た。

 朝食を準備しよう。一応、二人分……。

 もそもそと竃に火を点け、先日村で鹿の毛皮と交換した山羊の乳を煮ていく。麦を入れて茶葉の余りと蜂蜜を溶かし込めば、家の中にほんのりと甘くて華やかな香りが広がった。麦粥の完成だ。

 木製の器をふたつ用意してからミリアを起こすかどうか少し悩んだ。

 いくら日光が平気な吸血鬼といえど朝は弱いのか、ミリアはこれまで早朝に目覚めたことがない。なんとなく二人分の麦粥を作ってしまったが、無駄かもしれない。

 

「まあいいや。そのうち起きますよね」

 

 今日は今日でやる事もある。狩人としては新米のサーシャだが、その生計は山で捕まえた獣や山菜で立てられている。朝食を食べたら、昨日仕掛けた罠を見に行こうか。

 そう決めて、好みの味付けをした麦粥をゆっくり食べ終えた頃のことだった。

 がん、がん、と玄関扉を叩く音。サーシャは僅かに肩を揺らす。12日前ミリアが訪れた時もそうだが、この家の玄関扉を叩く者はほとんどいない。サーシャが村の外れで暮らすのにはそれなりの理由がある。

 

「まさか、村の人にミリアのことがばれたとか……」

 

 吸血鬼と暮らす人間なんて聞いたことがないから、どんな事をされるか想像もできない。よくて追放、最悪は死――。

 

「……だ、誰だろう」

 

 悪い予感に青ざめながら、意を決して扉を開くと。そこには。

 

「よお」

「えっ……」

 

 灰色がところどころに混じった黒髪。古ぼけたマントの下に着込む聖骸布の黒衣と、ベルトに差し込まれた何本もの杭。首からさげられた大量の十字架――何より男の優しい眼差しをサーシャは覚えている。

 若い女の顔にぱっと笑顔が咲いた。

 

「キャラさん!」

「元気そうだね、サーシャ」

 

 キャラビスケ・ケスダット。

 それは大陸全土に轟く“始祖殺し”の異名を持った、最強の狩人である。同時に、サーシャに吸血鬼殺しの術を教えた師匠でもあった。

 

「キャラさんも元気そうでよかったです。わ、わー。どうしよう、どうしようかな。何も歓迎の準備とかできてない……」

「そういうのはいらないよ。息苦しいだけだ」

「と、とりあえず上がってください」

「ああ。失礼するよ」

「お疲れですよね。自家製のミードがありますよ。今回のやつは結構会心の出来なんです」

「そういうのはいいって言ってるのに」

 

 キャラビスケが頬にえくぼを作って苦笑する。サーシャは得意げな顔になった。

 

「お師匠さまを歓迎しないのは弟子の沽券に関わるんですよ」

「相変わらずだね、サーシャは」

 

 そう言う師匠こそ。

 キャラは何も変わっていない。別れたのは2年前になるか。一年間共に暮らした最強の狩人は、あの頃と変わらない見た目で、表情で、一回り歳下の自分を優しく見つめてくれる。

 コップに瓶詰めの蜂蜜酒を注ぎながら、椅子に座るキャラに訊いた。

 

「でもどうしたんですか? 大陸の端まで行くって話でしたけど……」

「その帰りなんだ。王様に呼ばれていてね。道の途中にサーシャの家があるのを思い出して、元気にしてるか気になった」

 

 キャラは最強の狩人として名高い有名な男だ。各地に出没する吸血鬼の噂を聞きつけては現地に赴き、無数の吸血鬼を狩り続けている。サーシャが尊敬してやまない生き方をしているのだ。

「あれから、変わりないかい」

「はい!」

「いい返事だ」

 

 愛娘を見守る父親のような眼差しで、キャラビスケが柔和に笑んだ。物心つく頃には妹と二人きりで暮らしていたサーシャは父親というものを知らないが、深い愛情を確かに感じられる。胸にこみあげる懐かしさと嬉しさに、若い女は吸血鬼の少女のことなどすっかり忘れていた。

 

「サーシャぁ。なんなの、朝から騒がしいわね……」

 

 ――ひぇ、とサーシャの口から情けない悲鳴が漏れた。ん? とこちらを見やるキャラに気づき慌てて口を手で隠す。

 やばいと思った時には遅い。

 お人形のように可憐な金髪少女が、寝室から現れた。

 

「その子は?」

「あ、えと、その、そのう……」

 

 キャラビスケの来訪に浮かれてすっかりミリアのことを忘れていたサーシャは、しどろもどろになって必死に頭を回転させる。

 どうしよう。どうしよう……。狩人であるキャラビスケに、吸血鬼の少女だなんて紹介できるはずがない。そうやって慌てふためく女を赤い瞳でちらと見上げた少女は、ふんと鼻を鳴らすと両腕を組んで男をねめつけた。

 

「わたし、ミリアよ」

「利発そうな子だ。サーシャと暮らしているのかな?」

「違うわ。わたしが、サーシャと暮らしてあげているの」

「なるほどね」

 

 最強の狩人はゆっくりとあごを撫でる。理知的な瞳が少女を見つめていた。ミリアも対抗するように品の良い眉を立ててキャラを見上げる。サーシャは気が気でない。人より鋭い八重歯で勘付かれないかとちらちらミリアの口元を見てしまう。

 

「俺はキャラビスケ・ケスダット。狩人だ。キャラでいいよ、ミリア」

「……ふーん。レディを扱い慣れてる感じがするわねあんた。でもわたし、結構オトナなのよ! えらいのよ!」

 

 いつぞやのサーシャへの挨拶と同じように、ミリアは自分を立派な大人であると自称する。つんと上向く鼻のせいでませたがりな少女にしか見えないが、自身の師匠への態度にサーシャはおろおろした。

 

「み、ミリア! キャラさんになんて失礼な……」

「いいんだ。元気でいいことだよ」

 

 キャラビスケは笑っているが、サーシャは一刻も早くミリアにこの場を離れてほしかった。「ちょっと……」と師匠に頭を下げてからミリアに顔をずずいっと近づける。なによ、とどこか不機嫌そうな少女にぼそぼそ言った。

 

「あ、あのですね。ちょっと二人で大事な話があるんです。だからその……」

「ふーん。サーシャは、わたしより大事なものがあるんだ?」

 

 なかなか鋭い一言だった。

 じっとりした半眼に、うう、と呻くことしか出来ない。こういう押しに弱いのも『情けない』と呼ばれる理由なんだろうか。

 

「なーに? わたしには聞かせられない話ってわけ? ふんっ。仕方ないわね、わたしは出来るオンナだからちょっと庭で遊んでてあげる!」

 

 言うや否や、あっという間にミリアは家を飛び出してしまう。聡い子だった。見た目は12歳程度の少女にしか見えないが、実年齢が27歳というのは本当なのかもしれない。

 とにかく当面の危機が去ってくれたことにサーシャはほっと胸をなでおろした。直後、

 

「――あの子、吸血鬼だね」

 

 サーシャは心臓が止まった気がした。女が何かを言うより先に、キャラビスケは笑みと共に言葉を並べていく。

 

「サーシャがあの子の口の――正確に言えば八重歯ばかり見るからね。勘のいい者ならすぐ気づく。その癖、直した方がいい」

「……お、怒ったり、とか……しないんですね」

「何か理由があるんだろう? でなきゃ人間が吸血鬼と共に暮らせるはずがないからね」

 

 歴戦の狩人だけあって、キャラビスケは冷静だ。サーシャとミリアが同棲する理由まで把握はしていないだろうが、『ひょっとしたら』という悪寒すらする。キャラビスケの笑みは曖昧で、闇に等しい気さえした。

 

「そして途方もなく強い。恐らく……始祖級か」

「わかるんですか……?」

「そりゃあね。あの肌にまとわりつく粘ついた感触は、忘れようとしても忘れられない」

 

 齢32にして始祖級――始祖吸血鬼第一柱“播種船”アレクサンドリア・ニーミ、始祖吸血鬼第三柱“久世なる血”コーギー・アイスブランド、始祖吸血鬼第五柱“栄華栄達”ミニチュア・ペストペスト、以上三体の始祖級をたった一人で殺した伝説の男は、黒衣に覆われた腕を撫でた。ミリアは知っている。男の全身は、聖書の文言が大量に彫られているということを。

 sicut et nos dimittimus debitoribus nostris――“悪より救いいだしたまえ”。

 キャラビスケの右腕前腕部にはそう彫られている。

 そこを撫でるのが、師匠の癖のひとつだった。

 

「彼ら吸血鬼の中でも、始祖級は天災みたいなものだよ。人は嵐が過ぎるのを祈る事しかできない。そういう理不尽が嫌で、立ち向かう人がいるってだけさ。馬鹿みたいだろ。嵐に勝てるはずがないのにね」

 

 培養した聖人の骨髄を移植し、聖書の文言を隙間なく全身に彫り尽くし、神と相まみえるための瞑想だけに幼少の10年を費やし、死したばかりの聖人から内臓と骨を大量に移植して――そうして最強にまで上り詰めた“行き過ぎた”男は、吸血鬼を殺すためだけの人生に疑問を覚えたように小さく漏らした。

 

「長年、吸血鬼殺しを生業にしていると思う事があるんだ。彼らは……ただ、生きるために僕らの血が必要なだけの、同じ生き物なんじゃないかって」

「……初めて聞きました。師匠の、そんな言葉」

 

 キャラビスケという男は吸血鬼を憎んでいるわけではないのだと、彼と過ごした一年で何となく察していた。彼は機械的に吸血鬼を殺す。サーシャには、男の心の奥底にある深淵までは察せない。

 サーシャのように、家族を殺された復讐から狩人になったわけでもないのだ。キャラビスケに家族と呼べる存在はいないのだから。

 キャラビスケ・ケスダット。それは人類史において吸血鬼を根絶するためだけに生み出された、人造の存在である。

 

「どういう理由であの子と共に暮らしているのか詮索はしないよ。けれど、とても危険な行為だということは理解した方がいい」

 

 そんなことは分かっていた。ミリアは人の価値観に捉われることのない、吸血鬼の王女だ。いずれこの村の誰かに少女が吸血鬼だとバレてしまう。その時、サーシャの人生は大きな変化を強いられることになるはずだ。――そこまで理解できても、サーシャはミリアとの生活を変えられそうになかった。

 

「サーシャ。君は俺のようにはなれない」

「それは私が師匠みたいに強くないから、ですか?」

「ああ。そうだよ」

 

 あっさりとキャラビスケは弟子が弱いことを認めてしまった。思わず、歯噛みしてしまう。

 

「君は弱いひとだからね。俺のようになる必要がないんだ。強者には強者にしか出来ない事が当然ある。けれど、弱者にしか出来ない事はもっとある」

 

 サーシャは、本当にただの人間だ。この世にごまんといる無数の生命、そのひとつでしかない。キャラビスケのように、生まれからして異常な人工聖人ではない。そんな女が狩人になったところで、吸血鬼一体の相手もままならないことなんて、キャラビスケ本人ですら分かっていたはずだ。

 それでも……村を襲い、サーシャの妹を殺した吸血鬼を瞬殺してみせたキャラビスケは、一年間もの間サーシャと共に居てくれた。彼女に狩人の術を教えてくれたのだ。

 

「もしかしたら、君とあの子が、俺達の因果を断つのかもしれない」

 

 キャラビスケ・ケスダットが今日この家を訪れたことに意味があると、そうとすらサーシャには思えた。何か符丁があるのではないか、と。

 灰色の混じった黒髪を掻いて、男は椅子から立ち上がる。コップに注がれた蜂蜜種をぐいっと一気に飲み干すと、

 

「そろそろ行くよ。久々に会えてよかった」

「そんな。せっかくなんですし泊まっていけばいいのに……」

「あの子がきっと落ち着かないだろ?」

 

 サーシャの提案をキャラビスケは丁寧に潰す。もっともらしい言い訳は、キャラビスケ本人が拒絶の言い訳を述べているようにしか聞こえない。彼は『吸血鬼』を“殺す”ことしか出来ない人間だ。

 

「……実を言うとね」

「?」

「この後、少しばかり大きな仕事が控えてるんだ。その前に弟子の笑顔を見ておきたかったってのが本当の理由」

「まさか、始祖級を……」

「王様はそのつもりらしい。やれやれ、災害に立ち向かおうってんだ、実際にやる者としてはたまったものじゃないね」

 

 無茶な仕事を請けてしまった職人のように、キャラビスケはぼやいて見せる。だけど嫌そうには見えなかった。男は在り方を決めているのだと確信した。

 

「キャラさんは、それでも吸血鬼を狩るんですね」

「ああ。俺は、そういう生き方しかできない強い人間だから」

 

 ――生の選択を一つしか出来ない生き方は、不幸なのだろうか。

 キャラビスケ・ケスダットは歩むべき道を一つしか選べない。それでいいのだと最強の男は自身を肯定している。為せるだけの実力があるからだ。サーシャにはその全てがない。だから、ミリアを毎夜殺すことをミリアに許してもらっている。

 

「キャラさん。神のご加護を」

「ああ。神のご加護を」

 男は最後に、サーシャの頭をそっと撫でた。娘をあやす父親のように。

 ――そうして、数か月後のことだ。

 最強の男キャラビスケ・ケスダットが殺されたという噂をサーシャは聞いた。

 大陸をかち割るほどの戦闘痕が残る戦場で、全身に134本の杭を打ち込まれた吸血鬼の死体と、2084本の杭によってひき肉と化した吸血鬼らしき死体と、十字架に張りつけにされたキャラビスケが、双方眠るように死んでいたという。

 恐らくキャラビスケは、始祖級二体と同時に戦って、相打ちになったのだろう。もしくは……三体目がいたか。サーシャはそう考える。

 たとえ人類最強と謳われようと、最後には吸血鬼に殺される。

 では一体……毎日のように吸血鬼の少女を殺している自分は何なのだろうか。

 

「サーシャ?」

 

 夜。何度も何度も殺し続けた少女は、全裸のまま、杭を突き刺し終えた女をゆっくりと抱きしめる。

 

「どうしたの。つらいの? 悲しいの?」

 

 ミリアの言葉にはすべてを許す甘さがあった。サーシャがどれだけ弱い女でも受け入れてくれる余裕を感じた。ベッドに寝そべる少女を見降ろしながら、最後に見た師匠の笑顔を思い出す。声は自然と震えた。

 

「キャラさん……この前訪れた男性は、私に吸血鬼殺しの方法を教えてくれたんです」

「……」

 

 ミリアは何も言わない。自然、サーシャは馬乗りになったまま未成熟な肢体に体を寄せる。薄らとした乳房に顔を伏せれば、敏感な部分を刺激されて「ぁん」とミリアの呼吸に艶が混じった。後頭部を抱く幼い手に力がこもる。

 

「彼は人々のために狩人として死んだのに、私はこんなことばかりしてて……」

 

 何日も前、ミリアに言われたことを思い出す。

 “情けない”と言われたのだ。――まったくその通りだとサーシャは自嘲した。

 サーシャ・アルクスは心も体もあまりに弱い。

「情けない、ですよね。私にも、出来る事があったはずなのに」

 

 そうだ。例えばキャラビスケに付いていって、手伝いをするとか。何かできたはずなのだ。だというのにサーシャはその日から、同じようにミリアを殺し続けるしか出来なかった。

 死体となったエルザ……妹と同じように、キャラビスケの旅路を祈る他を知らなかった。

 それら全てサーシャ・アルクスの弱さが招いた“道”そのものだ。

 

「そう……つらいのね」

 

 ミリアは、吸血鬼の王女は、若い人間の女の脆い部部分をはっきりと言葉にした。そう――つらいのだろう。自分は。

 

「いいのよ。わたしはとっても優しいから、いっぱい甘えなさい」

 

 サーシャの頭をミリアが掻き抱く。幼女の、小さなてのひらだった。それでも女には、キャラビスケとはまた別種の救いに感じられた。

 だから、皮膚ごしに感じる幼女の胸骨に、顔を押し付ける。抱きつく。

 そうやって弱い心のまま甘えだす女を、吸血鬼の少女は嬉し気に笑って受け入れた。

 

「ふふ。可愛い。そんなにわたしの胸をきゅっとさせて、サーシャは本当にいやらしい女ね」

 

 髪を梳き。頬を撫でて。耳を摘まみ。つむじを何度も啄み。

 愛おしげに何度も恍惚の吐息をしたミリアは、唐突にサーシャの顔を両手で上げさせて、提案した。

 

「ね、……もう一回しましょ?」

 

 ――少女の挑戦的な眼差しは、もう一度自分を杭で撃ち殺せと言っている。

 サーシャは自身の黒髪を強く振るい、拒絶した。

 

「も、もう今日はしたくないんです。こんな、キャラさんが死んだのに……」

「わたしがシテって言ってるのに、サーシャは言うこと聞けない悪い女なの?」

 

 ミリアの言い方は、はっきり言って卑猥だった。12歳にしか見えない少女が口に出していい言葉じゃなかった。

 蕩けた赤い瞳が見つめてくる。

 全裸の少女が、やわらかい両の太ももで抱きついてくる。決して逃がそうとしない。

 

「いっぱい、いーっぱい、わたしをめちゃくちゃにしてね。何度も何度も激しくして、打ち付けて、わたしにサーシャのお顔をたくさん見せなさい」

 

 脳が、揺れた。

 甘い吐息に心が痺れた。

 

「ああ――」

 

 官能の響きに喜悦を漏らしたのは、ミリアとサーシャのどちらなのだろう。

 ミリアはベッドに転がる杭を掴む。そして、槌を手に持った彼女は――ミリアへと腕を振り上げて、

 

 

 

 

 

 その日、サーシャは五回ミリアを殺した。

 

 

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