星アキラは自由に生きたいっ 作:Magical forest
僕はダイビングプールの中に潜ってふよふよとプールの中で浮いていた。水と同じ比重になるように重りを巻いているので、クラゲのようにプールに漂っていられる。 思考をまとめるにはすごく良い環境だ。
プールの中特有の落ち着いた水の音に身をゆだねて、今回の役についてゆっくりと考える。
感情の匂いか・・・。 感情の色でもいいね。 ある意味、共感覚的な表現だね。たとえば、色聴みたいに音を聴くと、色が見えるという人は居る。 でも感情が匂うというのは、共感覚ではなくてただの比喩的な表現だろうね。 物理的に匂っているのであれば、その辺さらに駆使すればテレパシーとして相手が考えている事がわかるはずだ。 もしも阿良也と巌のじっちゃんが物理的に感情の匂いを検知出来たらどうしよう? アルミホイルを頭に巻いておくと、阿良也でも匂わなくなるのかな?
・・・思考盗聴、アルミホイル、トップバリュ・・・。 うっ頭が・・・。
考えを戻そう。 巌のじっちゃんは臭い役者しか使わない人間であることは有名だ。 子を抱く母親からは花のような匂いが、今にも死のうとしている人からは腐った匂いがするらしい。 らしいというのは、僕自身がそんな匂いを感じた事が全く無いからだ。 経験から来る第六感の一種だろうね。
暗幕の中に景ちゃんと千世子ちゃんを入れて、巌のじっちゃんと阿良也にどっちが景ちゃんですか?っていう実験とかをやってみたい。 匂いで当てられたらすごすぎる。 第六感の科学的な証明になるだろう。 視覚情報などから、経験と自分の価値観を匂いという表現に落とし込んでいる訳だから、たぶん当たんないだろうけど。
どちらにしても、そんな役者を見る目がある巌裕次郎に、舞台の出演者として選ばれるというのは、一流の舞台役者として認められたという一種のステータスでもある。
巌裕次郎の役者を見る目というのは、それだけみんなに認められているという事だ。でも、そこに必要なのは匂う役者。 感情までなり切る深い役者。 僕は無臭というか、たぶん匂いは感じないほど薄いんだろうけど、今回の場合、巌のじっちゃんが考えを改めて、無臭である僕の良さを認めて今回の舞台にキャスティングしたという線はまず無いだろう。
巌のじっちゃんが持ち出して来た舞台仕掛けを見ると、僕自身が役になり切って匂わせないとダメなんだろうね。 うーん。 役になり切って役と同じ感情を共有するか・・・。
僕は溺れる体験をしたみんなの事を考えてみた。
人はだれしも、プールの中で息が苦しくなった体験はあるはずだ。でも、そのまま意識を失うまで窒息して死の淵を漂うなんて経験をする人は0.01%に満たないだろう。
大多数の共感を得る演技するのであれば、プールの中で息が苦しくなったまでの演技で良いはずだ。 ほとんどの役者が浅い部分しか感情を掘り下げなくてもやっていけるというのは、それなりに理由がある。
リアルに溺れた芝居は、実際に溺れた体験のある0.01%の観客にはリアルだと感じるかもしれないけど、その演技を見た溺れた体験の無い99.99%の観客は『何で
ちなみに、本当に溺れるって言うのはこういう感じなので、溺れる体験をしたいって言う、一緒に来たメンバーにはクレーンの命綱を付けた訳だね。 溺れて苦しいからって、ちゃんとした知識が無いと自力では浮き上がれないからね。溺れた状態で苦しくなったら自分の力で水面に上がって来れるなんて考えるのは甘い考えだよね。 命綱を付けた所で、意識を失った人間は重いので、人の手で引っ張り上げられるかも分からないので、クレーンも必須だったし。
演技の話に戻すと、結局、お店の経営と同じく、本物の味よりも、まがい物の調味料グデグデの刺激の強いパンチの効いた味の方がウケる事が世の中にはままあるのだ。これを見て、本物の味を出しても売れないお店の店主が憤るのはもちろんだと思うし、リアルさを追求した役者を横目に、全然リアルな演技をしない僕のような人間がもてはやされているのを見て、役者によっては、本物の味を出す店主と同じような感情を僕に覚える人も居るだろう。一部の評論家の人に僕のウケが悪いのはそう言う理由だね。
そんな僕も、自殺未遂で前世を思い出す前は同じような考えに囚われていた。 自分はどうあがいても本物にはなれないという絶望感だね。 でも復活して前世を思い出して、自分がこの役者という仕事に向き合った時に僕はこう思った。『役者は所詮は役を演じている人間なのであって、別に役本人じゃない。つまり役を演じるまがい物だ。まがい物が本物を語るなんて片腹痛いだろ。』
本当に酷い言い草だ。 いくらでも反論はあるだろう。 真面目に役者を目指す人にとっては、僕は悪鬼羅刹のように見えるかもしれない。 でも少なくとも僕はこの考えで『本物の役者コンプレックス』に向き合って来た。
お気楽に生きたいをコンセプトに生きている僕からすると、『死』を始めとした感情に向き合うような、人間的でシリアスなテーマは非常に嫌なテーマでもある。 楽に俺TUEEEEEして、みんなから尊敬されて、承認欲求を満たしつつ、人生をEASYに生きる事の何がいけないんだ? 大多数の人間が喜ぶなら、そんなに深く役を演じるメリットなんてほとんど無いでしょ?
別に、強敵を相手に真正面から向き合う必要は無いじゃないか。 バグ技を駆使して楽に倒してもいいじゃない。
でも、そんな僕が今回の件で、役に向き合う必要が出てきてしまった。 いつも通りの浅い演技で巌のじっちゃんがOKを出す事は無いだろうし、巌のじっちゃんは僕が乗り越えられると考えられる程度のハードルを用意してきたはずだ。 少なくとも乗り越えられるか、乗り越えられないか、ギリギリの線を見極めて僕に配役してきたはずだ。
最悪は、舞台をバックレればいい訳だけど、それは最後の手段として、僕が自殺未遂を起こす前に渇望した感情は、蓋をした今でも僕の心の奥に燻り続けている。
今回の舞台は良い機会なのかもしれない。 おそらくハードルを乗り越える鍵は星アキラではなくて、星キアラを指定して来た事だろう。キアラというよりも、前世の私がどう向き合うのか。 巌のじっちゃんには、僕とキアラの関係がお見通しらしい。 まぁ、最終的にはどちらも僕ではあるけどね。
舞台での僕の役は、氷山にぶつかった船に乗っていた青年だ。脱出するときに最後には、水に押し流されて船と共に沈んで最後を迎える。
ちょうど、今の僕が居るのと同じような、水の中の環境で息絶えたのだろう。
ねぇ、青年? 君は死ぬときに何を思ったの? 生への渇望? 子供の心配? 今世の心残り? それとも全力で生きた事への満足感? 何を考えて死んで行ったのか私に教えてくれないかな?
僕は思考を前世の私に切り替えて、水の中に消えゆく青年の心を感じ取ってみるのであった。