星アキラは自由に生きたいっ 作:Magical forest
「あら? ここはどこなの? とても景色が綺麗だわ。」
突如千世子が沈黙を破る。 心の中では30分ぐらい経ったような感覚だったが、実際には2分ぐらいだったかもしれない。
千世子の役は、
「ここはランカシャイヤ?、いや目的地のコネクテカット州?・・・いや、そうだ。」
「ああ、僕達は空へ来たのだ!」
キアラがセリフを言うのと同時に、やっぱり生きていると思えたのか安堵の声が観客から出る。だが、俺の震えはむしろキアラがセリフを吐いた後の方が大きくなった。
「私達は天へ行くのです。 ごらんなさい、あの印は天上の印です。もう怖い事はありません。 だって私達は神様に召されているのです。」
キアラは教え子の二人に状況を説明して、二人の子供達を元気づけようとした。
セリフを吐いて動いた後も、やはりキアラは死んでいた。 セリフを吐いて動いたからと言って生を感じさせることは無かった。
ただ、その死んだキアラを見て、気持ち悪いとか怖いといった忌避感は無い。 感触的には死んで天国に行った人間の魂と交信できたとか、死んだ祖父母の夢を見たと言った感触に近い。 観客たちもゾンビを見るような目ではなくて、映画の『黄泉がえり』で黄泉返って再会した死者のような印象だ。 死者が現実に居ると言う絶対にリアルではありえないシチュエーションだが、観客は星キアラが死んでいると言う事を感性として理解し、現実として受け入れていた。
しかし、現実では存在するはずがないのに、説得力がありすぎるそのリアルすぎる芝居に、観客の舞台への視線は未だに星キアラに向いている。 そして再び観客の緊張感が高まろうとしたその時、
「あははっ、私達、天国に向かっているのね。」
そんなシリアスな舞台に突然、明るい声が木霊する。百城千世子だ。観客席の緊張が緩み、安堵の声が響き渡る。彼女特有の小悪魔染みた魅力と輝きが、まさかこの場で癒しになるとは誰も思っていなかっただろう。
いきなり舞台に現れた星キアラのインパクトで最初は隠れていたが、そこから千世子の演技が前に出てくる。 いったん千世子を意識するとその存在感に驚く。 キアラが死者であるとすれば、百城千世子は生者の輝きを放っている。 星キアラと百城千世子は、生と死、光と影、ぱっと見で対照的な役回りに見える。
しかし、百城千世子の演じるかおるもすでに死んでいるのだ。 生の輝きなどある訳が無い。 これは死んだ彼女が無理に出す生への輝き、いや生への渇望の残滓。 死者が出すいびつな生の輝きに、作り物感やまがい物感が透けて見える。 それが一層の事、彼女が花盛りの時に、無念に死んだことを強調している。
景が利用したように、千世子も自分の美しいけれども人間らしく見えない部分を利用して、若いうちに無念で死んでしまった少女を演じていた。 しかし、こちらが本家である以上、美しさや、死者として見える歪さは、景よりも何倍も完成度が高い。
そして、千世子は死の概念をばらまくキアラを利用して、自らをキアラと対比させる事で、観客に
しかも、今までの百城千世子の芝居とは全く違う。 彼女は今までの通り、観客の視点から自分を客観視している事には変わりがないが、客観視しつつも、同時にかおるとして役に潜り込んでいる。
「こちらに座っても良いですか?」
「どうぞこちらにかけてください。」
しっかりとした教育をされているカムパネルラが、紳士的に
「ほらっ、
対して、七生が演じる弟のタダシだが、まだ死んでしまった事を理解しきれておらず戸惑っている。
「僕は、菊代お姉さんの所に行くんだよぅ。」
「お父さんや菊代お姉ちゃんはお仕事があってまだまだ忙しいの。 だけど後から来るんだから早く天国へ行って、ちゃんと待っていましょうね。」
「そうです。私達はもう何にも悲しい事は無いのです。 私達はこんなに良い所を旅してじきに神様の所へ行きます。そこなら本当に明るくて匂いが良くて、立派な人達でいっぱいですよ。 さあ、もうじき到着するのですから、元気を出して面白く歌って行きましょう。」
「そういえば、君、髪が濡れているね。どうしたの?」
「私達の乗っていた船が氷山にぶつかって沈んでしまったの。」
銀河鉄道に乗り込んできた3人の乗客。 家庭教師の青年と、その教え子の姉弟。 この3人の登場によってジョバンニは銀河鉄道の乗客たちが死者であることに気が付いて行く。
キアラの口から語られていく、氷山にぶつかって沈み行く船の状況。 救命ボートに群がる他の子供達を突き飛ばして、教え子の姉弟を救命ボートに乗せれば良かったのに、良心が邪魔をしてそれができなかった、教師としての独白。 大人としての義務を果たすことが出来ずに、大切な子供達を自分の死に巻き込んでしまった事への後悔。
仕方がない事とは言え、死ぬ前に残した心残りと懺悔が観客の心を打つ。
さらに驚いたのは、あの百城千世子が助演をしている事だった。 百城千世子という女優は、カメラ映りが良すぎて他の役者を喰うため、よほどのメンバーで固めない限り、主演はできても、助演はできない女優だと俺を含めてみんな考えていた。 そんな彼女が自ら進んで星キアラの助演をしている。 しかもその助演は的確で、場の流れをコーディネートして舞台にすばらしいアクセントと余韻を残している。
これは今までアキラがやっていた役割そのものだ。 考えてみれば、同じく演技を客観視する星アキラが助演の達人なんだから、アキラと共に客観視する演技を身に付けてきた千世子が助演をするのが下手な訳が無い。今までその能力が表に出なかったのは、周りの人間が彼女に積極的に助演のオファーを出さなかったからだ。そんな彼女の秘められた才能を巌裕次郎は引き出してみせた。
そしてアキラは逆に、その死と言う存在感を見せつけて、あえて舞台の流れを調節せずに、十全とその存在感を示している。
子供の頃から一緒に居る二人の演技の相性は抜群だ。 やもすれば独りよがりになりがちな、阿良也と景と言った主観的な俳優達をあざ笑うような舞台全体の支配力。 これが星アリサの育てた俳優達。 メソッド演技に頼る事が無い、客観視する役者の極致。
これを見ている映画監督たちの中には、彼女を助演として使ってみたいと考える監督が何人も出るだろう。 千世子も今回の舞台で役の幅を大きく広げている。
星アキラと百城千世子は、天才と感じる明神阿良也や夜凪景と比較しても、全く遜色がない。 確かに役に潜るという事にかけては、景や阿良也よりも数段劣る。 しかし、その客観視を元に観客を取り込み、魅了する力は景や阿良也よりも何倍も強い。
結果として、お互いに全く異なる考えで俳優としての演技を極めたこの四人の天才が今、一堂に会して、お互い影響し合いながら1つの舞台を形作るという、伝説の舞台が生まれる瞬間をこの目で目撃している事に気が付いて、深い感動を覚えた。
だがそんな感動も、星キアラが用意していた次なる爆弾の前に吹き飛ぶこととなる。
千世子「効いてる効いてる。効果はバツグンね。」
キアラ「よし。 次弾装填ですわ!」