星アキラは自由に生きたいっ 作:Magical forest
-------------柊雪視点-------------
三か月後、私はシカゴの自分の家の庭でタンポポコーヒーを飲みながら、近所の人からもらったタイプライターで映画の脚本を書いていた。
色々あったけれども、結局私はこのシカゴを映画の舞台とする事にした。 だからシカゴが舞台になるように脚本を修正している。
あれから、ノースウェストン大学で自然人類学の教授の元で数日間アルバイトをしてお金を稼いだのだけど、あのアルバイトは学生向けの短期バイトで、本来は学費に困る学生のためのアルバイトであって、学校外の人間が受けられるアルバイトでは無かったのだけど、お金と食べるものに困っている私のために教授が特別にアルバイトをさせてくれたのだった。
結果、私が真面目に取り組んだせいか、アルバイトは3日で終わってしまった。 3日分のアルバイト代が出て小麦粉や油などを買う余裕は出来たけれども、継続的に生活して行くにはまだ全然足りない。またアルバイトを探さないと・・・。
と絶望していると、教授が同じ大学内にあるメディス・ジャーナリズム学院の教授に話を付けてくれて、なんとカメラマンの仕事を紹介してもらえる事になった。
そちらの面接で、メディス・ジャーナリズム学院の学部長と教授の方が居て、
「Ms.Yuki、君は今まででどのような仕事をしてきたのかね?」
とキャリアを聞かれたので、墨字さんの助手を務めて撮影したいくつかのドキュメンタリー映画を上げた。そうすると、教授は立ち上がって、
「あのベルリン映画祭のパノラマ部門で監督賞を撮った映画か! 君はあの戦場で撮影していたのかい?」
「はい。」
「もしかして、あの流れ弾から庇って身代わりになった女性も君が撮影していたのかね?」
その教授の言葉に私は心の奥底に封印していた、あの光景がフラッシュバックした。 私は言葉を詰まらせて、自然に涙が流れる。
「はい。 あの時は、墨字さんが彼女の手当てをして、私が撮影していました。 彼女が私達を庇ってくれたのに、私は何もできずに彼女が死んで行くのをカメラで撮影する事しか出来ませんでした。 私は人間としては命をかけて庇ってくれた彼女の手当てをしなければいけなかったのに、心の奥底ではもう彼女が助からない事が分かっていて、彼女の死にざまを言われるままに、ただカメラで撮る事しか出来ませんでした。 私は人の命よりも映像を優先しましたが、それが正しかったのかは今でもわかりません。」
人生でも1位、2位を数えるような最低な体験を思い出す。あの時の自分はどんな選択を取ったら良かったのか全く分からなかった。 今でも分からない。
「彼女は死ぬ瞬間の私を撮ってと言いました。 ベルリン映画祭のパノラマ部門で監督賞を取って、世界中の人々に彼女の最後の死にざまを見せた事で、映画に彼女がこの世界に生きてきた価値を残す事ができたのか、それとも私は目の前で命の恩人が死ぬのを冷酷に撮影し続けた悪人なのか。私は自分が分かりません。」
あの2か月の撮影は、高校の卒業旅行にしてはすごくヘビーな体験だった。あれをそのまま映画にした墨字さんが今でも信じられない。墨字さんの映画はすごく人の心を動かしたけれども、あの悲惨な状況をドキュメンタリーとして他人に体験させるのは、私は違うと思う。
私はあの体験の後から、戦場に放り込まれた時でも生きて行けるようにサバイバル術に興味を持つようになった。 正直、あの撮影がトラウマになって、心の傷を負った訳では無かった。逆に繊細なはずの自分の心がトラウマを負わなかった事にショックを受けた。 戦場では沢山の人が死んで、死体も沢山撮影した。 一方的に戦争の被害を受けた悲惨な子供も撮影した。 でも私は冷酷に場面をカメラに収めて、カメラマンやアシスタントとしての仕事を全うした。
私は、自分の心が思っていたよりもはるかに強靭で冷酷である事に気が付いた。 目の前に現実で起こっている悲劇をより悲劇として見せるために、カメラアングルを調整したり、悲劇を際立たせるために、光の入射角を調整してわざと陰影を付けさせて、死にゆく人の像を際立たせたりもした。 全く感情を見せずに、目の前の悲劇を冷徹に撮影を続ける私を見て墨字さんは戸惑っていた。
そう。カメラを構えた私は、沢山の人が実際に死ぬと言う悲劇的な現実を客観視して、感情を切り離して撮影を続けたのだ。 結果、私の撮影した映像は全くブレていなかった。 動揺せずに悲劇を悲劇のまま、美しくドラスティックな映像として写し込んだのだ。 私が感情無く撮影した映像は、ひたすら悲惨で、ひたすら不幸で、そして極限状態に陥った人間はどうしょうもなく醜くて、どうしょうもなく美しかった。
カメラから覗き込んだ映像が現実の物とは思えなかったなんて言い訳はしない。誰よりも私はこれが現実である事を理解していた。
結果、墨字さんの映画はベルリン映画祭のパノラマ部門で監督賞の栄冠に輝いて、エンディングには私も副監督兼、カメラマン兼アシスタントとしてクレジットされた。 ベルリン映画祭の時には、私も現地に行くのに誘われたけれども、墨字さんが1本のドキュメンタリー映画として出した時に、沢山の人が不幸になった現実を食い物にしているようで、私はベルリンには行かなかった。
あの体験以来、私は自分の映画という物を模索し続けた。でも、あの体験から自分と言う物がさっぱり分からなくなった。 そして、撮りたい映画もさっぱり分からなかった。ただ、墨字さんみたいに現実をそのまま映し出して、それを自分の作品とはしたくは無かった。 もちろん墨字さんが悪いという訳では無い。 沢山の人に世界で起きている悲惨な現実を見てもらうのは必要な事だと思う。あれほど心を動かす映画も滅多に無いだろう。 ただ、自分の作品としては嫌なだけ。
カメラを通して自分をいくら客観視した所で、主観的に自分が撮りたい映画なんて出て来る訳が無かった。 おそらく、アキラ君と千世子ちゃんはそんな私の性質を見抜いていた。 もしかしたら、二人にとって私はお仲間なのかもしれない。 そして、アキラ君は私がどうしてそうなったのかもちゃんと見抜いていた。 だから、アキラ君は少女だった頃の私を思い出させた事で、私の起源(Origin)を引っ張り出してきて、私に撮りたい映画を見つけさせた。
そして、そんな経験をした私の映画は絶対にフィクションであるべきだと考えている。 現実は夢が無さ過ぎる。 現実にもっと夢を与えたい。 現実はもっと夢で溢れているべきだ。
同時に、数々の経験から、おそらく自分にはドキュメンタリーを撮る才能がある事に気が付いていた。 なら、この強みを捨てるのはもったいない。 結果、フィクションドキュメンタリー(モキュメンタリー)形式の映画を撮影するつもりで、ドキュメンタリーの経験があるスタッフをアキラ君に頼ったら、ごらんの有様だよ!!! 何で私が無一文でアメリカで生活しているのよ!
そんな話を教授達とした。 流石はジャーナリスト育てる教授達。 インタビューがすごく上手かった。 ついつい話さなくても良い事まで話してしまった。 正直、教授達には呆れられてアルバイトの話もダメになると思った。でも教授たちの反応は違った。
「Ms.Yuki、君は素晴らしいジャーナリスト、いや監督を目指しているのだったね。 素晴らしい監督になる事だろう。 是非私達の活動を手伝って欲しい。 そしてできるなら、私達に君の映画を手伝わせてほしい。」
そう言って、教授達は私に握手を求めてきた。 それから、ノースウェストン大学のメディス・ジャーナリズム学院所属のカメラマンとして、学生や教授たちの撮影を手伝うようになった。 そして、私の仕事ぶりがすぐに評判を呼ぶようになり、シカゴの新聞記者や地元TV局のTVスタッフとも知り合いになった。
そのうち、阿佐ヶ谷芸術大学の授業をすっぽかしてアルバイトをしている事がバレて、教授達の御厚意によって、なし崩し的にいくつかの試験を受けて、私はなんとアメリカの名門私大であるノースウェストン大学に留学した事になってしまった。 留年するつもりだったから、大学の単位をこっちで取れるのは正直助かる。
高額な留学費用なんだけれども、大学の電話を借りて、留学の相談を国際電話でアキラ君にしたら、翌日には大学に留学費用が丸々と一括で振り込まれていたそうだ。あと、スターズの方で日本側とアメリカ側の手続きも全部やってくれた。
教授達にも連絡が行ったらしく、突然のAkira Hoshiの登場に驚いていた。 アキラ君ってやっぱりこっちでも超有名人なんだ。というか、留学費用をポンと出せるのであれば、最初の食費ぐらいちゃんと用意しておいてほしかった。 留学費を出してもらった身から言えたものでは無いんだけど、そうすればゴープロの前で虫をバクバク食べる私の映像なんて映す必要が無かったのに・・・。 (なお、虫食部分は最高の撮れ高部分になった模様。)
近所の人は引っ越した数日後に、私の元に尋ねて来た。 私がポストに入れたグリーディングカードを見て、訪ねて来たらしい。 穏やかで育ちの良さそうなおばあさんだった。
私は素直に引っ越して来たばかりで、おもてなしする事ができない旨を伝えると、おばあさんは自分の家に私を招いてくれた。 近所に建っている立派な家だった。
そこで、お茶をご馳走になりながらおばあさんと話して、この家がこの地域の有力者の生家である事を知った。 ただ、その有力者の両親が亡くなってからは放置されていたそうだけれども、なぜ私にその所有権が移転されているのか、全く分からない。 いずれはこの有力者の人が私にコンタクトして来ることがあるかもしれない。
そんな感じで、このおばあさんから近所付き合いが始まり、私がノースウェストン大学に留学した事が分かると、地域のコミュニティも私を受け入れてくれた。 やっぱり地域の誉れとなる大学の力は偉大らしい。 実際の所、私も近所に住んでいるのが、無職無一文のプー太郎と貧乏暮らしをしている東大生だったら、絶対に後者の方が安心する。
そして、そんな地域で私はいくつかの簡単なアルバイトをもらえた。 飼い犬の散歩であったり、家の掃除の手伝いであったり、模様替えや家具の設置であったり。 実際に顔を合わせてコミュニケーションを取る事で、私は地域に溶け込んで行った。
今、打っているタイプライターも近所の人の屋根裏掃除のお手伝いの時に出て来て、捨てるというのでもらった物だ。スマフォやPC禁止の私にとって、とても重宝している。
大学のレポート提出にもこのタイプライターを利用していた。 このタイプライターにプリントした写真を張り付けてレポートを作成している。 PowerPointやWordなどのITソフト全盛の世の中で、逆にタイプライターのレポートがめずらしいらしく、意外な事にこのタイプライターのレポートは好評だった。
また、街の裏側を知るために、ボランティア活動も積極的に参加していた。 ちゃんと街の悪い部分も理解しないと、街を舞台にした映画は撮る事ができない。
今日は、この後にシカゴに居るホームレスの生活についてのインタビューや撮影のアルバイトだ。私は脚本を書く作業を一旦中止すると、身支度を整えて大学の備品であるンニーのハンディカムレコーダーを持って、レポーター役である学生達や大学のスタッフと一緒にシカゴの街へ繰り出す。
ホームレスの人を見つけては、生活やなぜホームレスになったのか、社会への不満などのインタビューの繰り返し。 インタビューを受けてもらったお礼としてちゃんと差し入れをする事を忘れない。 私は未来のジャーナリストの卵達と共にインタビューを続けて行く。
そのうち、アジア人のホームレスに出会った。 アジア人のホームレスはこの辺では珍しい。 でも、このホームレスって誰かに似ているような・・・。いや、そんな訳は無い。彼がこんな所に居る訳が無い。
彼はインタビューを終えると、カメラを撮っている私を見つけて話しかけてきた。
「雪、お前こんな所で何をやっているの?」
「やっぱり阿良也君なの!? それはこっちのセリフよ。 何でこんな所でホームレスをやっているのよ!?」
「うん? 役作りだけど。 雪の映画のための。」
「ええええっっ―――――――っ。」
私は突然の阿良也君の登場に驚愕した。
「突如現れたAraya Myojin。役作りとは一体どう言う事でしょうか!?」