星アキラは自由に生きたいっ 作:Magical forest
私は、台本が無いと連絡を受けて目の前が真っ暗になった。
とはいえ、この本の原作者は私だ。この仕事を受けた後にどういう感じの舞台になるのか、大体のイメージはついていた。
舞台の台本などは書いたことがないが、序盤だけでも台本があった事は助かった。 序盤の書き方、フォーマット、要点に合わせて、わりかし中盤ぐらいまでは、スムーズに筆を進めることができた。
しかし、中盤の盛り上がるシーンを書いた後に私の筆に迷いが生じた。
そこからはまるでスランプであるかのように筆が進まない。
内容が優等生すぎるのだ。
まるで私の本を読んだ人間が読書感想文として、この台本にセリフを落とし込んでいるかのような錯覚を覚えた。
私はこの本の作者だ。 ある意味誰よりも作者の心境を理解している。
仮に国語の問題で羅刹女が出て、この時の作者の心情を答えろという問題の模範解答が「女性が社会から受ける差別や苦しみを強い怒りの炎として表現して読者の心に不条理な状況に置かれた女性の怒りを訴えている。」であったとする。
対して私の回答は、「あの男の消えない怒りで夜も寝られず、自分の人生に絶望しつつも、灰になりたいのに自分の命の炎が全く消えない事にまた絶望して、半ばノイローゼになりながら書いたら、なぜか評価された文章。」と回答できるほどに、どんな人間よりも原作に詳しい訳である。
しかし、作った作者自身が悪夢にうなされながら、現実逃避と復讐と怒りと妬みと嫉みと衝動と後悔と懺悔と苦しんだ末に、自分の心情が全て焼け落ちて、焼け野原に残った芸術性らしき結晶が私の体を動かして書かせた文章など、実際の所、もはや別人が書いた文章とそう変わりが無い。
そもそも私はこの小説に大した思い入れも無い。この小説が売れて、生活費が沢山入って来た結果、また人生の時間が伸びて、自分の中の怒りの炎に焼かれる時間が増えた事に絶望したぐらいだ。
唯一誇れることがあるとしたら、この小説は読者の事なんて全く考えていない事だろう。
小説の作者には2つのタイプが存在する。 一つは外野なんて気にせずに自分の書きたい小説を書くタイプ。
このタイプで成功するのは本当にごく一部で、生計を立てられなかった大量の小説家の屍の上に、極わずかに存在するタイプだ。
才能と時代と運の全てが揃わないと、このタイプの小説家やその小説家が書いた小説は存命中に成功しない。
もう一つのタイプは、読者の事を想像して、読者を楽しませようとしたり、自分の好きな事をかみ砕いて、面白さを分析して読者に伝えようとするコミュニケーション手段として小説を書くタイプ。
こちらは狙って小説を書くので、とても良く当たる。村上春樹なんかもこのタイプだ。面白い上に、文章が独りよがりにならず、万人受けする。
ただ、村上春樹はただのミーハーな小説家ではなくて、比喩の独特さや、主人公の内的世界の深掘りや、空気感と独自の文体などは、純文学的な要素を持っていて、大衆文学と純文学を高い次元で両立している天才だからこそ、彼は世界で成功している。
別にもう一つのタイプが悪い訳では無い。ただ、私と同じ前者のタイプの小説家が成功する事が非常に稀というだけだ。
どんなに才能があっても、いや才能があるからこそ、小説を発表した時には時代が追いついていない。
例えば、保険局員をしながら小説を書いていたが、ほとんど評価されずに、未発表の作品の多くを「死後に焼却してくれ」と友人に頼んでいた フランツ・カフカであったり、出した小説が全て失敗作扱いによる生活苦で、執筆をやめて公務員になった『白鯨』のヘルマン・メルヴィルなど、どんなに才能がある小説家でも、時代と読者のニーズに恵まれなければ、生きているうちに評価されないものだ。
今を評価される事にアンテナを張り巡らせるコミュニケーションタイプの小説家に対して、自分だけが基準で、自分の書きたい物を書く小説家は、時代と運と才能の全てに恵まれなければ、成功する事は無い。
私は評価されるために小説を書く気が無かった。彫刻や画家として生きていき、彫刻が売れなくなったら、北海道の山の中で野垂れ死ぬだけだった。
しかし、山の中の生活は夜の間はやる事が無い。何もしなければ夜の間は、あの男に対する怒りの炎に延々と心が焙られる事になる。
そんな時にふとあの男が小説家である事を思い出した。私は夜の間の怒りをぶつける対象をあの男が一番大切にしている小説にぶつけて、その小説を怒りで凌辱する事で快感を得る事にした。
私は小説を書きながら、小説そのものを怒りで犯した。次第に私の怒りの炎は小説に乗り移って、延々と燃え続ける怒りで小説を焼き尽くすようになった。
私が自分の小説を文芸雑誌に投稿したのはただの気まぐれだった。
たまたま私の絵を取り扱う画商が、描いている絵が完成するまでの待ち時間に私の駄文を見つけて、知り合いの文芸雑誌の編集局長に連絡して掲載する事になったのだ。
私は最初は断ろうかと思ったのだけど、その雑誌は憎いあの男が寄稿する雑誌とは有名なライバル関係にある雑誌だった。
おそらく、あの男もこの雑誌を読んで、昔捨てた女の小説を見るに違いない。そしてその女が自分が愛する小説をレイプしている所を見たらどう思うのか。私に暗い感情がよぎって、雑誌掲載をOKした。
そして、気が付いたら雑誌社から勝手に芥川賞にエントリーされていて、芥川賞を受賞してしまった。
芥川賞の受賞の連絡を受けた時には、最初は断ろうかと思ったけど、当時の選考委員である星アリサが特に推薦したという話を受けて、何が何でも私に受賞させる必要がでてきたみたいで、結局泣き落としに近い事をされて受賞を受けてしまった。
芥川賞の選考員は基本的に小説家が担当するものだが、星アリサが当時の芥川賞の選考委員に居た理由は、小説家が小説家を選考するのはどうなんだという批判と、もう少し賞が世間の注目を集めたいという希望が両立した結果だった。
その上で、元大物女優で芸能界に影響力が強く、立派な経営者で文化人としても一流の星アリサに選考員をお願いするのは自然な流れだった。
その星アリサが私の小説を気に入った。
星アリサ曰く、私の小説は、社会における女性の理不尽な扱いとカタルシスが凝縮されているそうだ。そして、人口の半分は女性で、これから女性が大挙して社会進出する時代が来る。だからこの小説は受賞すれば絶対に売れると言ったらしい。
この言葉に、他の選考委員は「ここは直木賞の選考会場じゃない」と苦言を呈したようだけど、そもそも私の小説は別に、大衆の事を考えて書いている訳では無いので、私の小説の文学性は認めねばならず、また、特別参加した星アリサの意見も尊重する必要があって、この回で2本受賞作があった芥川賞のうちの一本が私の小説となった。
このエピソードを聞いた時に、私は「文学性って何?」と呆れかえった物だ。
あと、こんな私の駄文を気に入ってくれた星アリサだが、芥川賞の受賞パーティーで声をかけられて、二言三言話をして、私の文を癒しだと褒めていたが、あの女も相当頭がイカレている。
それから幾年か経った後、また星アリサと再会して、こんな仕事をやるとは思わなかった。
そして、未だに燃え尽きない私は駄文を発表し続けて、三作目は『羅刹女』となり、この小説が周り回って、今まさに私を苦しめている訳だ。
私はなぜこんな事を思い出しているのだろうか? 仕事に詰まると本当に余計な事を考えるから困る。
羅刹女は私の分身、そして、あの夜凪景が演じる役。私自身が夜凪景にどうなって欲しいのか全く分からなかった。 だから台本は中盤ぐらいまで執筆した時点で筆がピタリと止まってしまった。
ワカラナイ。ワタシハ_”ドウナリタイ”_ノダロウカ。
ヨナギケイヲ_”ドウシタイ”_ノダロウカ。
こんな時でも私の心を覆うのは怒りの炎ばかり。 身を焦がしても、心を燃やし尽くしても永遠に消えない怒りの呪われた炎。
コウナッタラ、モウ、イッソノコト・・・。
私がストレスで炎に飲み込まれそうになった時に、突然ヴァイオリンの音と共に良く響く歌声が聞こえて来た。
Raindrops on roses and whiskers on kittens
バラの花びらに落ちる雨の粒や子猫のひげがふるえる瞬間
Bright copper kettles and warm woolen mittens
磨かれた銅のケトルのあたたかな色と、編みたての毛糸のミトンのやさしいぬくもり
Brown paper packages tied up with strings
ひもで結ばれた、茶色い紙包み
These are a few of my favorite things
それがささやかな、わたしの好きなもの
何だ? 何が始まったんだ!?
この声は夜凪景だよな!?誰かのヴァイオリンの伴奏に合わせて、夜凪景が歌っている。
Cream-colored ponies and crisp apple strudels
クリーム色の小さなポニーたちと、焼きたての林檎菓子の香り
Doorbells and sleigh bells and schnitzel with noodles
玄関のベルが鳴る音、そりについた鈴の音、スパゲッティと一緒に出てくるカツレツのあたたかさ
Wild geese that fly with the moon on their wings
月明かりを背に受けて翼で空を切ってゆく野生の雁たち
These are a few of my favorite things
それがささやかな、わたしの好きなもの
何が起きたんだ!? 意味が分からなすぎる!?
これって、My Favorite Thingsだよな!?
突然、私が居る部屋がサウンド・オブ・ミュージックの舞台になったみたいだ。
Girls in white dresses with blue satin sashes
青いサテンの帯を結んだ白いドレスの女の子たち
Snowflakes that stay on my nose and eyelashes
まつげや鼻先にそっと残る雪のひとひら
Silver white winters that melt into springs
やがて銀色の冬が静かに春へと溶けてゆく瞬間
These are a few of my favorite things
みんなささやかな、わたしの好きなもの
しかし、夜凪景は歌が上手いな、ヴァイオリンの伴奏にすごく合っている。
でも、なんの脈略も無く、夜凪景が歌いかけてきて、意味が分からなくて怖い。
私はかなり恐怖を感じた。
When the dog bites
犬に噛まれたときも
When the bee stings
蜂に刺されたときも
When I’m feeling sad
どうしようもなく悲しくなったときも
I simply remember my favorite things
わたしは、ただ好きなものたちのことを思い出すの
And then I don’t feel so bad
そうするとね――少しだけ、心が軽くなるんだ
歌はサビに入って、まるでオペラ歌手のように夜凪景の歌が伸びる。 まるで、台本に詰まった私に優しく語りかけて来るようだ。
そうだ! これは、台本に詰まった私のために、夜凪景が歌をプレゼントしてくれているんだ! そうに違いない!
きっと私を励ますために歌っているんだ!!
あまりにも意味不明な状況のため、私の精神は、夜凪景が優しい女の子という希望的観測に縋った。
そして、曲が終わった。
私が固唾を飲んで次の展開を待っていると、ドンっと、まるで爆弾でも爆発するように私の部屋のドアが大きな音を立てて開いた。
そして、ドアの向こうには真顔で無表情の夜凪景が居た。
しばらく見つめ合う夜凪景と私。私は少し怯えて震えていたかもしれない。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・。」
しばらくの沈黙の後、夜凪景がおもむろに口を開いた。
「そうだ。京都行こう。」
「はぁ?」
そのまま真顔の夜凪景に腕を掴まれると、そのまま拉致されて、新幹線に乗り込み、気が付いたら京都駅に立っていた。
部屋を出る時には、ヴァイオリンを持った星アキラがニヤニヤしながらこっちを見ているのが見えた。
私は、人生の中で最高に意味不明な状況に混乱して震えていた。