星アキラは自由に生きたいっ   作:Magical forest

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明神阿良也は母親の愛情を喰う

 

「次は・・・ヒグマに殺されて、自分の死を喰ったら・・・どんな気持ちになるのかな?」

 

俺は、目前に迫りくる死を前に、自分にどういう変化が訪れるのかを確認した。

迫りくる巨大なヒグマの爪の挙動。 俺は特に避ける気が無くぼーと見ていると、自分の心理状態を考える理性に反して、体が爪の挙動を避けるように反射的に動いて、爪を躱した。

 

「すごい。 理性は生きるつもりが無くても、本能は体を守ろうとするんだ!!」

 

俺は理性と本能が相反する場面に遭遇して感動を覚えた。

 

しかし、ヒグマの巨大な爪を躱したのは良かったものの、倒れ込んだ俺はヒグマに見下ろされる形となった。 もう俺に逃げ場は無い。

 

再度、ヒグマは俺を見下ろすと俺に対して爪を振りかぶった。

 

感情を映さないヒグマの大きな真っ黒な目を見た俺は、観念して落ち着いた気分になった。

 

突然、今までの人生の思い出が溢れかえってきた。

 

両親に虐待された幼少期、巌さんとの出会いと劇団で舞台に立つ俺と、仲間の劇団員達、そしてアキラとの出会いと星家での奇妙な共同生活。 最後に思い浮かんだのは夜凪ママの笑顔だった。

 

「ははっ。本当に走馬灯って死ぬときに見えるんだ。 自分が死ぬときってこんな気持ちになるんだ!」

 

自分が死ぬ瞬間を体験できて、俺は役者として大きく成長できた気がする。 悔しい。 俺にもっと時間が残されていれば、みんなに成長した俺の演技を見せられるのに。

 

その時俺は、理不尽に迫りくる自分の死に対して、初めて反骨心を覚えた。

 

俺は熊を下から睨みつけた。 演技とか役作りとかそう言うものじゃない。 ただ生物が持つ生きたいと言う意志を巨大なヒグマにぶつけた。

 

ヒグマは爪を振り上げたまま、俺と睨み合った。 ヒグマが爪を振り下ろせばすぐに俺の人生は終わりを迎えるというのに、俺の殺生与奪の権利を握るこのヒグマは、俺にその巨大な爪を振り下ろす事を躊躇した。

 

 

睨み合う俺とヒグマ。

時が止まったと錯覚するぐらいの静寂があたりに充満する。

 

 

ぱーーーーんっ。

 

 

その静寂を破ったのは、猟師さんが撃った鉄砲の音であった。

 

猟師さんに背を向けて俺と睨み合っていたヒグマは、猟師さんに後ろから延髄を打ち抜かれて、爪を振りかぶったまま俺の横に倒れ込んだ。

 

今まさに俺の命を喰おうとしていたヒグマは、猟師さんから放たれた銃弾によって自分の命を散らしたのだ。

 

倒れ込むヒグマの目を見ながら、俺はこのヒグマにシンパシーを感じた。 

そう。 なめとこ山の熊達が小十郎に近親感を覚えるのと同じように。

 

こうしてヒグマとの闘いは終わった。 俺は幸運にもこのヒグマを先生として役を喰う事ができた。

 

でも俺の胸に宿ったのは、役を理解した役者としての充足感ではなくて、命をかけた戦いで死んでいったヒグマに対する哀悼だった。

 

 

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ヒグマをなんとか倒したものの、猟師さんは大きな怪我を負っており、一刻も早く病院に運ばなければ命が危なかった。

 

俺はリュックサックから、アキラが遭難した時のために渡してくれたイリジウムの衛星携帯電話と自分の座標を知ることができるGPSシステムを取り出して、アキラに連絡を入れた。

 

こんなの過剰装備だよって、もらった時に笑ったけれど、本当に役に立つとは思わなかった。

 

アキラは俺がヒグマに襲われた事に対して半狂乱だったが、即座にキャンプ場の人に話を付け、山岳救助隊に連絡してヘリを派遣してもらえた。 アキラは相変わらず、頼りになる親友だ。

 

ヘリに救助された猟師さんと俺、そして猟犬の一行は麓から少し離れた街にある総合病院に搬送された。

 

猟師さんは足と手に怪我を負っていたものの、命に別状は無かった。

 

ただ出血は多かったため、そのままだったら命が危なかったらしい。 駆けつけてきた猟師さんの奥さんから、俺はものすごく感謝された。

 

そして、病院の椅子に座っていると車で駆けつけてきたアキラや、アリサさん、千世子、夜凪家の人たちも到着した。

 

擦り傷だらけの俺を見た夜凪ママは、突然俺に抱き着くとしくしくと泣き始めた。

 

「ばかっ、阿良也君、何をしているのよっ。 心配したんだからっ。 でも無事で居てくれて本当に良かった。」

 

俺は、夜凪ママの涙が首筋に当たり、人の涙ってこんなに熱いものなんだって、初めて知った。

そして、無償で純粋に俺の事を心配してくれる人が居る事と、その体温に安堵と感動を覚えた。

 

泣いている夜凪ママを見ていると、俺の目からも意図していないのに涙が自然にこぼれた。

すごく温かい気持ちだった。 これが母親の愛というものなんだって、その時に俺は気が付いた。

 

子供の頃からずっと親に虐待され続けて、正しい感情を持てなかった俺にとって、今まで母親の愛情というのはファンタジーであり、現実に存在する物だとは思えなかった。

 

家族の愛情なんて物は、仲良く暮らすための方便で、実際には空想の産物だと思っていたのだが、泣きじゃくる夜凪ママの顔を見てそれが現実に存在する事を知った。

 

「すごく心が温かくなって、すごく安心する。 母親の愛情ってこんな風に感じるんだ。 すごく、すごく、すごく大発見だよ!」

 

俺は今日の体験で感じた様々な感情が爆発して、子供のように夜凪ママに抱き着きながら盛大にわんわんと泣いた。 

 

俺にとって母親の愛情を感じた事は、ヒグマとの体験と同じぐらい得難い大切な経験となった。

 

 

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