絵の具を一滴、ぽたりと水面に落とす。
軽い水飛沫をあげて波紋が生まれ、絵の具はゆっくりと水中に広がっていく。
絵の具の色は様々だ。どんな色でも、水の中で少しずつ広がっていく光景は、ある種の幻想性を持っているように思う。
一滴、だけならば。
一色、だけならば。
ぽたり、ぽたり、と。
最初は少しずつ。
徐々にぼたり、ぼたり、と。
時間が経てば経つほど絵の具の量は増えて、水は色に染まっていく。
そして、色の種類が増えれば。
結果として、水の色はドス黒くなっていくだろう。
人の良い感情も、あるいは悪い感情も、混ざりあっていけば結局辿り着く先は黒。
清濁合わせ飲む、という言葉がある。だけど実際は、この世界には濁った水しかないのだろう。
清められた水。
「清める」という事はつまり、その他大勢を不要と捉えて選り分けて、切り捨てるという事だ。
清められた水は、誰の口に向かうのか。
きっと、それを求めた者の口へ。
恐らく、とても、とても美味しそうに飲み干されるだろう。
その周りに、どれだけの色=人々の意志の死骸が転がっていようと。
きっとそれは、極上の味に違いない。
──────
西暦2020年12月3日。
この日は、対ネルフJPN連合が総攻撃を開始した日として、歴史に刻まれる事となった。
「ネルフLUNAへの移転進捗状況は!?」
「予定の65%程度です!間に合っていません!」
ゲンドウの焦りと怒りを孕んだ声が発令所を舞う。
「対空兵器のありったけを出して!全て撃ち尽くすつもりで!」
「ダメです!防ぎきれません!」
「いいからやって!でなきゃココが更地になるわ!!」
総司令であるミサトの焦りが、総員に伝わる。
「全弾発射!・・・・・・ダメです!7割が飛来します!!」
「全員、衝撃に備えてッッ!!」
ドドドドドドドドドドドドドドドドッッ!!
轟音と共に、ネルフJPNが大きく揺れた。
「くぅ・・・・・・・・・っ!被害状況確認ッッ!」
鳴り止まない砲火の雨の中、ミサトが声を張り上げて指示を飛ばす。メインモニターに映し出されたネルフJPNの各設備情報が、次々と赤に変わっていく。
ミサトが次の指示を飛ばした。
「発令所を含めた中央ブロックの移動を開始!最後方まで退くわよ!」
かつての戦自との戦いにおける反省を活かしたネルフJPNの機能であったが、それが発揮される事は無かった。
「自走レールの破損確認!移動できませんッ!」
「ちぃッ!!」
ミサトは大きく舌打ちをした。
「敵の戦力状況は!?展開はどうなっている!?」
ゲンドウがオペレーター達に向けて確認する。
「ネルフLUNAより送られてきました!モニターに表示します!」
青葉シゲルの報告と共に、メインモニターにネルフJPN周辺の勢力図が映し出された。青い丸がネルフJPN。そして、それを中心として綺麗な円を描くように、赤い丸、つまり敵が、ネルフJPNをぐるりと取り囲んでいた。円の外側は全て赤い丸で埋め尽くされており、メインモニターの3分の2を赤く染め上げている。
「まるで、
「この場合はレッドサークル、じゃないですか?」
オペレーターの日向マコトが冗談のように揶揄した言葉に、ミサトも同意せざるを得ない。
いつの間にか砲火の雨は止んだ。第一波を凌ぎ切ったのだ。ミサトや日向たちのいる発令所ミドルデッキと、ゲンドウのいるトップデッキは一旦の落ち着きを見せる余裕が生まれた。ミサトはモニターを睨みつけながら小さく息を吐いた。
「被害状況、なんて確認してる場合じゃないわね。碇副司令代理。今の進捗状況でネルフLUNAの稼働維持はどれくらいいけそう?」
「宇宙での生活に必要な備品や食糧、それに各設備維持に必要な予備部品の搬入が遅れている。最低限の備蓄は先んじてLUNAに搬入してあるが、それだけでは持ったとしても3ヶ月が限界だろう」
「流石に3ヶ月はキツいわ。搬入急いで!青葉くん、総理はなんて言ってる?」
「『誠に遺憾の意』って報道で繰り返し言ってるだけですね」
「余裕あるわね。この辺りの国民は避難させてあるから、あとはどうぞご自由にってこと?」
「仕方ありませんよ。流石にこの大軍を見てまでやり合おうなんて考えませんって」
「それもそうね・・・・・・」
ミサトがメインモニターの敵の数を見ながら親指を噛む。戦力差は歴然。エヴァで応戦したところで、焼け石に水とまでは言わないが、ネルフJPNの防衛は叶わない。
ならば、取れる戦略は撤退戦一択。だが撤退しようにも撤退先の備蓄が足りないのであれば、結局は兵糧攻めをされて『詰み』だ。せめて半年分。その間に、ネルフLUNA内の食糧生成プラントを最大稼働まで持っていけるように最終調整を行えれば、宇宙空間での生活にも余裕が生まれるはずだ。
(半年分、最低でも食糧だけは運び終えないと・・・・・・)
ミサトは通信をネルフLUNAに繋いだ。
「マヤ?食糧プラントの稼働率は?」
ザザッという雑音が一瞬流れ、相手から反応が返ってくる。
『現段階で55%。残りはまだ整備中ですが、4、5ヶ月は見てもらわないと・・・』
「オッケー、把握したわ。そっちは快適?」
『葛城総司令。今はそんな事聞いてる場合じゃ・・・』
「大真面目な質問よ。私たちはこれから本格的に撤退戦に入るけど、撤退先の状況確認はしとかないとね」
『・・・・・・そういう意味であれば、快適、とは言い難いですね。日本人はグルメすぎます』
「わかった。また何かあれば繋ぐわ・・・・・・。アスカとミライちゃんはどう?」
『アスカが出撃させろ!とさっきから怒鳴り散らかしてます』
「絶対にダメよ。アスカを出撃させないで。生まれたばっかの子供残して死なすわけにはいかないわ」
『了解』
マヤとミサトはそう言って通信を切った。
『ミサトさん!』
現在の状況における最大の功労者の声が、発令所に響く。ミサト達と違い、現場に出ている彼の声に余裕は無い。
『まだですか!?これ以上はトロワやシスが・・・・・・!』
◇
『もぉムリぃ〜〜〜!!なんでこんなに多いのぉ!?』
小さなレイNo.シスが、プラグ内で悲鳴をあげる。シスの搭乗しているF型零号機アレゴリカが光の翼を広げて戦場の空を舞う。襲いくる無数の弾丸の雨を回避しながら、右手に備え付けた『天使の背骨』によって次々と反撃していく。しかし、どれだけ攻撃を繰り返しても、敵の数が減る事はない。
ヘタでもクソでも、何処を撃ったって敵には当たるような状況だ。しかし、敵の数は減っているはずなのに、全くその実感をシスは持てないでいた。戦場にて敵軍を目視しながら戦っているシスにとって、目の前の人型兵器の群れはまるでイナゴの大群のように感じられた。
地上から射撃してくるのは人型AE(オルタナティブ・エヴァンゲリオン)の群れ。空中には航空兵装へと変形したAEの群れに加え、VTOL機や高速戦闘機などがひしめきあっている。地上からの支援攻撃に合わせて、航空速度に差のある空の群れが、それを利用して波状攻撃を仕掛けてくる。敵との圧倒的な戦力差の前に、シスはただ飛び回って逃げることしかできない。
『うわぁぁあーーーーん!!』
泣きべそをかきながら、無茶苦茶に撃ちまくるシス。その半ばヤケクソのような動きが仇となった。バランスを崩したF型零号機に砲火が殺到する。
『うわぁッ!?』
シスの展開したATフィールドが、辛くも攻撃を防いだ。だが空中でその衝撃を受け止めたF型零号機が、勢いを殺しきれず後方に大きく吹き飛ばされる。
『うっ、くぅぅうう!』
なんとか姿勢を立て直そうとするシスの目に映る、追撃の嵐。絶望に包まれそうになったシスを救ったのは、レイNo.トロワの駆る0・0エヴァの放ったガンマ線レーザー砲であった。
『シス!平気?』
『トロワ!!』
シスが地上に視線を下ろす。そこには両肩パイロンにフィールド侵食型の二振りの刀『袈裟羅』と『婆娑羅』を装着し、ガンマ線レーザー砲とライフル、戦略N2弾をレール着装した0・0エヴァ/トロワ機が立っていた。
トロワはシスの援護をした後、地上の敵に向かってレーザー砲を放った。それに巻き込まれたAEの幾つかが爆炎をあげる。シス同様にトロワにも集中砲火を浴びせる連合軍であったが、トロワの堅固なATフィールドがそれら全てを防いでいた。
『まだ。碇くんの仕事が終わるまで、邪魔はさせない・・・!』
0・0エヴァがN2弾を発射する。それを、直撃しては堪らないと、連合軍が総出で銃弾を浴びせていく。N2弾は空中で爆散し、辺り一帯を轟音と爆炎が包み込んだ。
『トロワぁ!!』
爆炎に飲み込まれたトロワ機を見たシスが悲鳴を上げた。
『大丈夫。フィールドで防御している』
爆煙で姿は見えないものの、通信から聞こえてきたトロワの声にシスは安堵した。安堵したシスは、再び空中の敵軍を睨みつける。
『もぉ!弱っちいのにナマイキ!』
叫ぶや否や、シスは『天使の背骨』を敵軍の一箇所に乱射した。動きの遅いAE飛行形態の何機かが直撃を受けて爆散する。それに巻き込まれる形で、周囲の機体も連鎖して爆発した。敵の陣形に大きな穴が開いた。
『よおし!このまま・・・・・・』
『ダメよシス!突っ込んだらダメ!』
勢いよく敵陣に突撃するつもりだったシスを、ミサトが静止した。その判断は正しかった。敵陣に開いた穴はすぐさま他の機体によって埋め尽くされたからだ。無闇に突っ込んでいれば、今頃敵に囲まれて袋叩きにあっていただろう。
『だいじょーぶだったよ葛城そーしれい!こっちのエヴァの方が強いもん!』
『それだけじゃ数には勝てないわ!アナタのATフィールドはトロワみたいに強固じゃないのよ!?敵軍に圧迫されて身動きが取れなくなったら終わりだわ!!』
『うぐぐ・・・、そんな事ないのに』
『シス。まじめにやって』
ミサトとトロワから同時にバッシングを食らったシスは不貞腐れた。
『もう!ワタシだって真面目にやってるもん!シンジはどうしたの!?ま〜だ〜!?』
そういってシスは後方を振り返る。そこには残存している自走兵器で必死に応戦しているネルフJPNと、そこから天高く伸びる『光の回廊』を展開しているエヴァンゲリオン最終号機の姿があった。
◇
「シスの言う通りだ。早く終わらせないと、みんなが・・・・・・!」
『焦るなシンジ!お前の役目は「回廊の保持」だ。搬入が完了するまで、耐えろ』
「でも父さん!」
父の説得は理解できる。だが現場でトロワとシスの戦いを直視しているシンジには、ただ『光の回廊』を出し続けるだけの今の状況は耐え難い。最終号機も加われば、あの2人を助けられるのに・・・・・・。
『シンジ、これは戦闘ではない!戦争だ!どんなに個の戦力が高かろうと、お前1人ではどうこうできるものではない。お前が「回廊」を閉じて戦線に加わった瞬間、ネルフJPN内の人間は全員死ぬぞ!』
「わかってる・・・わかってるよ、そんなこと!でも・・・・・・」
『耐えろ。シンジ。今は耐えるしかない』
「・・・・・・くっそお!」
遠くから俯瞰して眺めているだけの現状があまりに辛い。焦燥感で体が震えそうなシンジに追い打ちをかけるように、戦場に動きがあった。
連合軍の地上部隊が、ライフルを乱射しながら0・0エヴァ/トロワ機に向かって押し寄せてくる。トロワもライフルで応戦するが、焼石に水といった状態だ。
「トロワ!逃げろ!!」
『ダメ。ここでは引けない』
トロワはライフルを放り捨て、肩の二刀に手をかける。
「やめろ、トロワぁ!!」
袈裟羅と婆娑羅を抜き放ち、0・0エヴァは押し寄せるAEの大波に突っ込んでいく。
『フィールド、全開・・・・・・!』
その大波を、トロワはATフィールドを展開することで押し止める。
『はあああああああああああああ!!』
フィールドの上から右手の袈裟羅を振り下ろす。トロワのATフィールドが刀身に纏わりつき弾けたかと思うと、無数に散らばったATフィールドの破片が、トロワの目の前の敵達をズタズタに引き裂いていく。トロワはその勢いを利用し、そのまま敵陣の中に消えていった。
ギャリンッ!ギャリンッ!と、両手の刀で敵を切り裂く音だけがシンジの耳に届く。
「トロワッ!!」
シンジの叫びに応えるように、0・0エヴァが敵陣から飛び出した。目立った外傷は無く、両手の刀はAE内部に満たされていたLCLに濡れている。
勢いそのまま、トロワは刀を振り続ける。AEの大群が、まるで紙切れのように次々と切断されていくのがシンジには見えた。重厚なAEの群れの突進をATフィールドで一時的に防ぎ、そのATフィールドを自ら砕くことで散弾銃のようにATフィールドの破片をばら撒き、勢いを完全に殺したところでエヴァ本体が斬りかかる。トロワの取った戦術は単純ではあるが、多対一という状況では最善に近いものがあった。
その様子を見て、シンジも安堵の息を漏らした。
だが、
『トロワ!海上より高エネルギー反応!飛んで!!』
急遽入ったミサトの指示が、シンジの安堵を奪った。0・0エヴァが指示に従いジャンプした瞬間、何か巨大なモノが戦場を超高速で駆け抜けていった。
『きゃああああああああ!?』
それは連合軍にとって敵であるトロワだけでなく、味方のはずのAEすらも巻き込んで、戦場に大きな焼け跡を残した。
『トロワ!無事!?』
『え、ええ・・・・・・。なんとか・・・・・・』
吹き飛ばされた先で立ちあがろうとする0・0エヴァであったが、右脚に負った損傷のため、上手く立てないでいた。
『第二波、来ます!』
『トロワ!ATフィールドを!』
発令所からの指示に、即座にフィールドを展開したトロワだったが、
ゴキィィンッッ!!
何か重たい金属同士がぶつかるような轟音と共に、0・0エヴァはさらに吹き飛ばされていた。
「トロワッッ!」
『トロワ!?』
シンジとミサトが同時に叫んだ。
『艦砲射撃です!太平洋上から!おそらくUSAです!』
日向の報告が通信を流れたが、シンジの脳には届かない。シンジは咄嗟に『光の回廊』を消して、戦場に飛び出そうとしていた。
『シンジ!!!!』
辛うじて残っていた理性が、ゲンドウの叱責に反応した。ギリギリのところでシンジが踏みとどまり、奥歯が砕けるかと思うほどに強く噛み締める。シンジの目の前で、0・0エヴァが地面に叩きつけられた。
「くっそぉ・・・・・・」
0・0エヴァが立ちあがろうと踠いている。助けに向かえない自分が恨めしい。シスが上空から援護するが、敵軍はジリジリとトロワに近付いてきている。
「トロワのATフィールドの上からエヴァを吹き飛ばせられるなんて、一体どんな兵器を・・・・・・」
「知りたいなら教えてやろうか?シンジ」
突然、シンジの真横で声がした。
「誰だ!?」
『最終号機周辺に、敵性反応検知!!』
『うそ!?いつのまに!?どうやって!』
最終号機がルクレティウスの槍を構え、声のした方を振り返る。空間にバチバチと稲妻が走り、隠れていた機体が姿を現した。
「まさか、エヴァ・・・・・・?いや、それよりこの声は・・・・・・!」
「久しぶりだな。碇」
「ケンスケ!?」
エヴァンゲリオンと同等の巨躯。
同じような見た目。
それに搭乗した相田ケンスケが、シンジに銃口を突き付けていた。
つづく