崩壊した世界を立て直すためには、何が必要なのか?
生物が生きていける環境を失った星はどうすればいいのか?
そういった、まるで途方もない議題を真剣に考えようというネルフJPNの会議は、吹き荒ぶハリケーンから避難した人々が、少ない食糧を分け合いながら夕餉の支度に取り掛かろうとする時間に始まった。
かつて『地球』という名前であったこの星は、宇宙に漂う青い宝石とまで呼ばれた瑞々しい姿を失い、その大きさを半分ほどまでに縮めていた。文字通り『枯れ果てた星』となったのだ。
そこに至るまでの詳細は、ここでは割愛しよう。様々な戦いがあり、地球から多くの大地と、多くの海水と、そして、全ての鳥が失われた。それらはかつて『月』と呼ばれていた衛星を箱舟として、宇宙の遥か彼方、太陽の裏側まで旅立ってしまった。残されたのは、まるで搾りカスのような『地球だったモノ』だけである。
『地球だったモノ』に残された人々は、まず、未曾有の天災が去った事に喜びを抱き、次に、絶望した。この地球の搾りカスは体積の半分と月という衛星を失い、環境がガラリと変わってしまっていたからだ。月が失われたという事はつまり、月の引力も失われたという事である。月の引力が失われれば、地球の地軸が不安定になり気候の変動も激しくなる。かつて発生したセカンドインパクトという大災害の際、地球の地軸が傾き全世界の気候が変わったという前例があるが、地軸の安定性が損なわれる事は無かった。それが失われた今、その環境変化の激しさはセカンドインパクトの比ではない。また、地球の体積が小さくなったという事は、地球の自転速度が以前とは比べ物にならない程に速くなったという事でもある。1日24時間をかけて一周していた地球の自転間隔は徐々に短くなり、今では約18時間で一周という速度まで早まっていた。
気候の変動と自転速度の上昇がもたらす影響は計り知れず、日光の照射があらゆる地域で滅裂となり、至る所でハリケーンと高波が発生していた。当然、そんな気候では作物も育たず、動物も極端な環境変化に耐えきれず、地球に残された命は刻一刻と、確かに失われていった。
『このままでは遠からず、この星は死の星に変わる』
早々に決断を下した先進国の首脳陣の動きは早かった。世界中に向けて無人偵察機を飛ばし、人類が比較的生存可能な地域の探索に乗り出した。また、地球の外から現状を確認するため、それこそ山ほどの数の人工衛星が打ち上げられ、少しでもデータを手に入れようと躍起になった。
だが。
気候変動の激しくなったこの星におけるデータの入手は困難を極めた。まるで別の惑星とでも言えるような環境のなか、必要とされるのはまさに月面探索や火星観測に用いられるような機体であったが、それらを飛ばすための前提として、安定した地球の気候が何よりも不可欠だった。無人偵察機も人口衛星も、打ち上げたその場から次々と墜落していった。ハリケーンの吹き荒ぶ中、空を飛べる機体は存在しない。少なくとも、既存の機体では。
人類存続の危機を幾度となく目の当たりにし、綱渡りのようにそれらを乗り越えてきた各国の首脳陣も、これには頭を抱えた。偵察機や人口衛星の墜落自体は想定内であったが、そのうちの一機だけでも飛び立てれば、という希望的観測があった。そして、やはりそれは希望的観測でしかなかった。
次に首脳陣が考えた事は『他の惑星への移住』。つまり、この星を捨て、宇宙の海に繰り出す事であった。この案には極少数ではあるが、現状を正しく認識できていない一部のSFマニアが面白いほどに食いついた。ただ実際の問題として、人類がそれほどまでに追い詰められている、という現実が目の前にあるために、加速度的にその思想は広まっていった。
だが、またしても人類の前に2つの大きな壁が立ちはだかる。つまり『どこへ』という問題と、『どうやって』という問題だ。当てのない宇宙の旅路に臨むには地球の資源は枯渇しきっている。船に乗せるための備蓄は十分ではない。旅立つにしても、せめて大まかな目的地と距離を絞る必要があった。また、先の事情から無人偵察機ですら飛び立つ事が困難な状況であることは分かりきっており、そういった無数の条件をクリアできるのかが全人類にとっての最大の焦点となった。幸いなことに、熱狂的なSFファンの盛り上がりを皮切りに、宇宙航空技術は加速的な進歩を見せてはいた。
しかし、少なくとも地球外への脱出は叶いそうだ、という段階まで来たところで、またしても厄介な問題が浮かび上がる。即ち『誰が乗るか?』という問題である。目に見えて命が失われていっている現実に直面していた人類は、まさしくノアの方舟と呼ぶべき宇宙船へと殺到した。古代より選民思想を目の当たりにし、実際に被害を受けていた人たちを筆頭に、船への搭乗券の奪い合いに走ったのである。標的になったのは各国の首脳陣。その官邸、または宮殿に民衆は襲い掛かった。『切り捨てられるくらいなら』。民衆にそういった心情が生まれても不思議ではない。世界はまさしく『世界の終わり』に向かって、自らの手でその糸を手繰り寄せようとしていた。
そういった世界情勢を横目にしつつも、人々からの信頼ある有力者や、人々が生き残るためのリーダーシップをとってきた人間たちは、より良い方法はないかと模索する。抜本的な解決には、問題の根っこがどこにあるかを見極めなければならない。途方もなく、また途轍もない事ではあるが、彼らが導き出した答えは『地球を元の環境に近いところまで戻す』というモノだった。即ち、星の地軸を戻し、安定させ、自転速度を以前に近い状況にまで減速させる。およそ人の身で叶う事のない計画、いや夢物語と言って差し支えないだろう。
「バカなのかしら?」
ネルフJPNの総司令、葛城ミサトは開口一番、その夢物語を切って捨てた。しかし、その切れ端を拾い集める者もいる。
「あら?こういった成功率が絶望的に低い作戦立案は貴女の専売特許だと思ってたけど?」
「あのね、リツコ。私は軍事作戦立案が専門なの。使徒やアルマロスを相手取るならまだしも地球環境の復元〜?そんなの、環境省にでも問合せなさいよ」
「だが、やらねば人は滅ぶ。ユイの残した世界だ。このまま滅ぼしたくはない」
ミサトの投げやりな態度に対し、旧ネルフ司令、現ネルフJPN副司令代理の碇ゲンドウはしっかりと釘を刺した。その釘が私情まみれであることを除けば、会議を前に進めるための適切な発言だったといえるだろう。
(な〜んかすっごいやり辛いのよねぇ・・・)
ミサトは心の中で溜息を吐く。かつての上司であり、人類補完計画の首謀者の一人であった男が、今は自分の下に付いている。下に付いたから大人しくなるかといえば、そうでもない。かつての上司としての振る舞いはそのままだ。しかも厄介な事に、今のこの男は自分の行動理念、即ち自身の妻である碇ユイへの想いを微塵も隠そうとしない。かつてのアルマロスとの戦いの際に帰還したゲンドウは、その際に最愛の妻との再会を果たしており、色々な意味で吹っ切れていたのだ。
(アンタの男でしょ?なんとかしなさいよ!)
横目でリツコに訴えるミサトであったが、彼女の親友は「そんな視線、慣れたものだ」と軽くあしらい、だんまりを決め込んだ。ゲンドウと共に帰還したリツコは、その後ネルフの科学者の一員として復帰しつつ、ゲンドウの身の回りの世話を焼いている。内縁の妻、というのだろうか。ミサトにしてみれば「自分を捨てた男によくそこまでできるな」と呆れを通り越して感心してしまう。
今度こそミサトは、傍目を気にせずに盛大に溜息を吐いた。
「ですが碇司令。その目的を達成するための手段は、既に各国で着手していると認識しておりますが・・・」
「葛城司令」
「はい?」
「私はもはや司令ではない。副司令代理だ。私に敬語を使うのはやめたまえ。他の者に示しがつかん」
(だったらまずアンタが態度を改めなさいよ!)
ミサトの額に青筋が浮かんだ。それを察知したリツコが「ここらが潮時か」と助け舟を出す。
「葛城司令?その手段はあくまで地球外への脱出であって、星の環境改善には全く貢献できておりませんわ。しかも、大きな成果を生むどころか、残り少ない人類に大混乱をもたらしています。全く違うアプローチの作戦が必要かと」
「わぁかってるわよ、そんな事!だから、そのアプローチをどうすればいいかって話でしょ!?それを話し合う場なんだから、私に振るんじゃなくて皆もなんか案を出しなさいよ!」
「ふむ、それもそうね・・・」
リツコがチラッと自身の後輩に視線をやる。視線を受けた後輩、伊吹マヤはかけていたメガネの縁を軽く持ち上げた。
「葛城司令。この案件については、まず、ネルフJPNに白羽の矢が立った事に注目すべきです」
「勿体ぶった言い方はやめてよ、マヤ。『ネルフにしか出来ない事をやれ』って事でしょ?」
「そこまで解ってるなら、あとはわかりますよね?」
「エヴァを使え、でしょ?」
「はい。葛城司令の専門ですよね?」
ムキィィーッと叫びたくなるのを、ミサトは必死で堪えた。リツコが帰還するまで、技術部門におけるリーダーとして活躍したのがマヤであったが、その間、彼女は自身の憧れでもあった赤木リツコの模倣をしていた。それはマヤ自身が初めて担うリーダーとしての重圧に耐えるために纏った心の鎧であったが、いつのまにかその鎧は変形し、リツコの実像とは微妙に異なった、ある意味「嫌味ったらしい」性格へとマヤを変貌させていた。ミサトはその辺りの背景を察していたため、リツコが帰還すればマヤが元の彼女の性格に戻るだろうと期待していたが、「リツコが帰ってくるまでの代理をやりきる」という役割を果たした事で自信を得たマヤにその性格が定着してしまったのは、ミサトにとっての大きな誤算の一つだろう。
そんな親友の苦悩を察したリツコが、彼女なりに再度ミサトに助け舟を出す。
「ちなみにエヴァによるゴリ押しは不可能と、MAGIは回答しているわ」
「んなもん、MAGIに聞かなくてもわかるでしょーよ!」
「先輩。サードインパクトの力を内包した最終号機であれば或いは、とMAGIの概算で出ていましたが・・・」
「現在の最終号機にそれだけの出力は期待できない、とも回答が出ているわね?ならそれ以外の方法を模索した方が懸命だと思うけど」
「ねぇ。そもそもサードインパクト並の出力とか出されたら、今度こそこの星はぶっ壊れると思うんだけど・・・」
「でしょうね」
「でしょうねって、アンタね・・・・・・」
科学者同士の会話にゲンナリしたミサトが視線をゲンドウに戻す。この男は先ほどからサングラスを無駄に光らせるだけで、何も発言しようとしない。司令であるならばともかく、今のゲンドウはミサトの部下だ。会議への積極的な発言を求めるのは間違った事ではないだろう。
「碇副司令代理。何か意見はあるかしら?」
「ない」
血管がブチ切れそうな回答だ。
「ない、では済まされないわね。そもそもでいえば、エヴァンゲリオンはあなた達が主体で運用していたものでしょう?」
「・・・確かに私は人類補完計画の為にエヴァンゲリオンの開発とネルフの創設、運用に携わっていたが、それはゼーレの持っていた『死海文書』に則っての行動だ。補完計画が挫かれ、死海文書もゼーレの技術も失われた以上、そこから先の事については知らん」
「つまり、何も思い浮かばない、と?」
「そうだ」
「本当に使えない男ね!!」
ミサトの堪忍袋の尾が切れた。
自分から部下として扱えと言ったのだ。これくらい言っても問題ないだろう。
(なんでこんな時に限ってリョウジも冬月先生もいないのよ!)
加持リョウジは「ゼーレに乗っ取られていた自分が会議に参加するのはよろしくない」等とよく分からない言い訳で欠席を申し出たし、冬月に至っては「自分の役目は終わった。今度こそ隠遁させてもらうよ」と、アルマロス騒動の終結と共に行方をくらましていた。2人ともネルフJPNの総力をもってすれば簡単に補足はできると思うが、今は何より時間がない。この問題を放置すれば、確実に地球は死の星へと化す。そのタイムリミットも不明だ。一年以上は保つかもしれないし、もしかしたら明日にでも人類は滅亡するかもしれない。あの2人の欠員は大きいが、その捜索に貴重な人手を出すことをミサトは避けたかった。今では少し後悔しているが。
有能な、本来の副司令代理である鈴原トウジは現在入院治癒中だ。アルマロスの配下であるトーヴァートに変化させられていたトウジは、自己の体力回復と経過観察に思った以上の時間を要するようだ。
ふぅーっと気持ちを切り替える為、ミサトは大きく息を吐き出す。そして、改めて参加者の面々を見渡した。
「ねぇ。地軸が安定しなかったり地球の自転が早まっているのは、そもそもなんでなの?」
「そうね。自転が早まった話ならば純粋に地球が小さくなったから。回転しているボールを思い浮かべて。その表面に人がいるとしましょう。ボールを小さくした状態で今までと同じ速度で回転した場合、表面にいる人の体感速度はどうなるかしら?」
「回転速度は同じでも、表面の移動速度は極端に速くなる?うまく言えないけど、AからBの場所に移動する時間が短くなっているって事かしら」
「それで大体合ってるわ」
「ふぅん。じゃあ地軸が安定しないのは?」
「こっちは月の消失が大きく影響してるわね。地球の自転速度もそうだけど、地軸の安定にも、前提として衛星である月の引力が大きく関与していたわ。要は地球の動きを制限するリミッターみたいなもの、という事ね。でもその月が無くなったから・・・」
「地球の環境は激変した、か・・・・・・」
そこまで整理したミサトが、一つの予測を立てる。
「仮によ?エヴァ最終号機がサードインパクト並の出力でもって無理矢理地球の地軸を元に戻したとして、それで地軸は安定するの?」
「無理でしょうね。安定は一時的なものであって、すぐにまたズレが発生するわ。その度に修正が必要になるでしょうね。ただ、サードインパクト並の出力をそれだけ出し続ける方法は皆無だけど」
「やっぱそうよねぇ〜・・・。月っていうリミッター?ストッパー?どっちでもいいけど、その引力がないとまったく意味がないって事でしょ?」
「理論上、ではね」
「うーん・・・・・・・・・」
ミサトは天を仰いだ。馬鹿馬鹿しくてやってられなくなったのだ。人類の危機を見過ごすわけにはいかないが、エヴァを使って地軸と自転速度を安定させる。そんな方法は無いとMAGIが既に回答してる。認めたくはないが、完全に詰み、というやつではないのか?
「残り少ない人生を、せめて華やかに彩りましょう!ってのはダメ?」
「それは許さん」
「代替案を出せない無能は黙っていて」
ミサトの一蹴を受けて、ゲンドウが黙り込む。ミサト個人がゲンドウに恨みがあるかといえば微妙なところだが、肝心の案も出さずに否定だけはしてくる参加者など、邪魔で鬱陶しいだけだ。できればご退場願いたい。
「はぁ。面倒くさい。もういっそ、私たちで月でも作っちゃうなんてどうよ?」
ミサトの冗談である。パッと頭に浮かんだ愚痴を、そのまま言葉に乗せて吐き出しただけだ。だが、それを聞いた他の参加者は一様にハッと顔を上げた。
「・・・・・・え?え?な、何?」
期待の視線がミサトに集まっている。
「え。マジで言ってる?・・・冗談でしょ?」
残念ながら、皆の表情は真剣そのものだ。
「・・・・・・」
一瞬だけミサトは思案すると、
「まっ!やるだけならタダか!!」
もはや投げやりであった。
────────────
『で、こぉ〜〜〜んな素敵な旅行を計画してくれたってワケ?嬉しすぎて涙が溢れてくるわね』
口を尖らせて惣流・アスカ・ラングレーが、いや、エヴァンゲリオン弐号機と融合したアスカエヴァ統合体が、目一杯の皮肉を込めて涙を拭き取るフリをする。
『ミサトさん達の言い分もわからなくはないけどさ、いくらなんでも無茶苦茶だよ。ほとんど僕らに丸投げじゃないか』
アスカの言葉に、エヴァンゲリオン最終号機内の碇シンジも珍しく同調した。
2人は今、星の海を泳いでいる。地球から遠く離れた大地のある惑星、金星を目指して。
時間は少し遡る。
「2人ともぉ〜。悪いんだけど、ちょ〜っち金星までお使い行ってきてくんない?」
そう困ったように笑いながら、彼らの元同居人兼保護者、現上司である女性は「ちょっとコンビニ行ってきて」と同じくらいの軽い口調で、彼らに無理難題をふっかけてきた。
「行けるわけないでしょ!?ミサト!アンタ、頭沸いてんじゃないの!?」
アスカが噛み付くのも無理はない。金星は、太陽系における最も地球に近い惑星だ。とは言え、その距離は星同士が1番近づいたとしても約4000万km。最も離れた場所であれば約2億6000万kmだ。光年で表せば最短距離で2.5光年分、つまり、光の速さで進んだとしても2年と半年かかるという事である。
「一応聞きますけど、何しに行くんです?」
シンジが頭の痛みを必死に抑えながら渋々と訊ねる。
「ん〜とねぇ、ちょっとだけでいいから金星の大地を切り取ってきてほしいの♪」
テヘッと笑ってペロッと舌を出す。とうに三十路を迎えた、責任ある立場の女性がやっていい仕草ではない。少なくともシンジの中ではそうだった。シンジの胸中に、軽い殺意が湧く。
「ちょっとって、具体的にはどのくらいなんですか?」
「リツコ!お願い!!」
「体積にしてざっと27億4883万358立方km。重さで言うと、367×(10の20乗)Kgね」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
空いた口が塞がらない。または、思考がトぶ。そういった言葉の意味を、シンジとアスカは初めて実感した。ついでに「天文学的数字」という言葉の意味も。
「どうやら納得してくれたようね」
「「するわけないでしょ!!!!」」
マジギレである。特にシンジに至っては、ミサトに対してここまで声を荒げたのは初めてと言っても過言ではない程に。
ミサト自身も頭では理解している。というより、彼女も冗談を口にしたつもりが、いつの間にか本気で実行すべき作戦として取り上げられた側の人間なので、2人の言い分は痛いほどにわかるつもりだ。たった今告げられた数字をリツコとマヤの口から聞いたときは思考がショートしたものだ。
(それでもやるしかない、のよねぇ)
ミサトはシンジとアスカに、司令官として向き直った。ミサトの雰囲気が変わり、2人はこの話が本気である事を悟った。
「本気、なのね・・・?」
「そうよ。2人も知っての通り、この星は近いうちに死の星になる。環境の激変に、残された地球上の生物は対応しきれない。だから・・・」
ミサトがすぅっと息を吸い込む。
「『地球の環境を元に戻すため、我々ネルフJPNの手で、新たな月を作り出す』。これが、今回の作戦よ」
はっきりと作戦を言い渡したミサトの横で、補佐役として付いてきたリツコがタバコを咥えて火をつける。
「最初は耳を疑ったわ。ミサトの突拍子の無さは知っていたつもりだったけど、まさか月を作り出すなんて、ね」
リツコはふぅーっとタバコの煙を吐き出した。
「いつもの私なら『有り得ないわね』と切り捨てるところだけど、ちょっと考えれば、この作戦が最善であることは否定できなかった。だったら、その冗談を本当にするための技術的支援をするのが私の役目だから、ね」
「リツコさん。そうは言いますけど、具体的にどうすればいいんですか?」
「まず、既存の航空機全般がこのハリケーンの中、安全に飛び立つことは不可能という事はわかるわね?一応、地球外への脱出を目的とした船は建造されてはいるけど、問題なのが速度。この船はとにかく地球の外に出られれば後はどうとでもなるという設計思想のため、航行速度を後回しにしている。生物絶滅までのタイムリミットは正確には分からないけれど短いわ。金星まで行って帰ってくるだけで、光の速さで約5年。最低でもこの5年という年月を達成できるような機体である事が、この作戦の第一のポイントね」
「はん!それが私たちのエヴァンゲリオンってワケ?」
シンジの質問に対するリツコの回答に、アスカは不満を隠そうとはしない。
「エヴァでないと宇宙に行けないっていうのはわかるわ。でもね、どの道エヴァに光の速さで移動し続けるスペックなんてないわよ?」
「それは十分承知の上よ。でも今地球上で最も速く動ける機体はエヴァしかない。選択肢が無い以上、望みをかけるならエヴァしかないのよ」
アスカの不満にはミサトが応えた。
「だとしても、5年以上の時間がかかるんですよね?なら、他の作戦に切り替えたほうがいいんじゃないですか?例えば、地球の周辺に浮かんでる隕石とかをかき集めたほうが早いんじゃ・・・」
「それは作戦立案後に私も出した意見だったけど、即却下されたわぁ。そんなんじゃ全然足りないんですって」
「そ、そうなんですか」
シンジはガックリと肩を落とす。その横で、アスカは大きく育った胸の前で腕を組んだ。
「月を作るとしたらエヴァじゃないと無理、ってのはわかるわよ。でも肝心の金星までの距離の問題が解決できてないじゃない。あと、大きさもよ。仮に金星に辿り着いたとしても、そんな大きさ、エヴァで運ぶなんて無理に決まってんでしょ」
「アスカのその質問には、我らが葛城司令から妙案を賜っているわ」
「妙案?」
アスカとシンジの疑いの視線は、ネルフJPN司令のミサトへと注がれる。
「いい?この作戦の肝はね・・・・・・・・・」
『ルクレティウスの槍、かぁ』
舞台は再び星の海。シンジがミサトの『妙案』を、不安げに口に出した。
『あらあら。マイベイビーは自信がないみたいね。ママが慰めてあげようか?』
『やめてよ、その呼び方・・・・・・』
いま、この場にいるシンジは、厳密に言えば今までのシンジではないのかもしれない。なにしろ、シンジはアルマロスとの一連の騒動の中で二度、命を失っている。それも体ごと消滅して、だ。では、なぜこの場にシンジが居るのかといえば、それは『アスカがシンジを出産した』からだ。
2度目のシンジの死亡時、アスカには、正確に言えばアスカエヴァ統合体には、地球上の生物全ての情報を宿した『方舟』と呼ばれる情報集合体の一部が宿っていたのだ。そして、その情報の中に、シンジの生命情報も残っていた。シンジが身体ごと消滅した瞬間、アスカエヴァ統合体の中で、シンジの魂と肉体、さらにはエヴァンゲリオン最終号機の情報までもが瞬時に再構築され、アスカ統合体の腹部に現れた光の輪を通り抜けて、この世に再誕したのだ。
結果として、このアスカ統合体の出産のおかげで一連のアルマロス騒動は終結に導けたのだが、それ以来、アスカは事あるごとにシンジを「マイベイビー」と呼び、からかうようになっていたのだった。
『・・・・・・でも、確かに不安、かな。あの時は必死すぎてどうやって槍を創り出したのかなんて覚えてないし、あの時と同じものができるかもわからないからね』
ルクレティウスの槍とは、アルマロスとの戦いの中でシンジが生み出した槍の事で、「認識の槍」とも呼称される。エヴァンゲリオン最終号機に内包されていたサードインパクトのパワーを槍の形に留め、地球を覆っていたロンギヌスの槍が作り出した「ロンギヌスレンズ」を崩壊させ、アルマロスの創り出していた別次元の空間構造「世界樹の根」を、シンジの認識できる形で顕現させたのだ。
「それを今度は、シンジ君の意志でもう一度創り出すのよ」
ミサトは2人の出発前に、自信満々にこう説明した。
曰く、「世界樹の根」は星と星を繋ぐ回廊のようなもの。その回廊は地球と月だけでなく、地球とは太陽を挟んで反対にあった「エデン」と呼ばれる星を繋げていたのだ。そして、その回廊を通れば、例え太陽の裏側であろうと瞬時に移動する事が可能となる。もしこの回廊に似たものをシンジが創り出すことができれば、地球と金星の行き来も5年と言わずに一瞬で移動できるだろう。
「正確に言えば、回廊を創り出すのではなく、シンジ君が金星との距離を『瞬時に移動できる距離と認識する』事が大事なのよ」
ミサトの説明に、リツコが補足を加える。
認識の槍であるルクレティウスの槍の真の能力は、使いこなせればあらゆる物や事象を『シンジの認識できる形に落とし込める』というのが、リツコの立てた仮説だ。膨大な距離だろうと巨大な物体だろうと、シンジが認識する事で、シンジが取り扱う事のできる形に留められるというのだ。
この仮説が正しければ、確かにシンジが槍を使う事で、金星との距離を極限にまで縮める事も可能かもしれない。
だが、本当にそんな事が可能なのだろうか?
もしも、リツコの仮説が間違っていたら?
そもそも、槍を創り出せなかったら?
その結果と責任は、地球上の全ての命の喪失という形でシンジを押し潰すだろう。
『シンジ』
思考の渦に飲み込まれかけていたシンジに、アスカが優しく声をかけた。アスカエヴァ統合体が微笑みを浮かべている。
『アンタ、本当にいつまで経っても弱いのね』
『え?』
そんな事、言われなくてもシンジ自身が1番よくわかっている。それに、事あるごとにアスカもシンジに指摘している事だ。
だが、なぜこのタイミングでそんな事を言うのか?しかも、そんな優しい微笑みを浮かべて。
『ねぇ、見てみなさいよバカシンジ!』
アスカエヴァ統合体が、星の海をくるっと飛ぶ。ツインテール状になびく後ろ髪。それはアレゴリック型の光の翼であり、まるで妖精の羽のよう。光る粒子がキラキラと星の海に舞う。
『もう地球もだいぶ小さくなったわね』
『アスカ・・・・・・?』
『この星の海にアタシ達2人きり。これってすごくロマンチックじゃない?多分、宇宙でデートしたのはアタシ達が初めてよ』
『で、デートって・・・』
思わずシンジの頬が熱くなる。プラグの中でよかった。もし今の顔をアスカに見られていたら・・・。
しかし、アスカエヴァ統合体の口がニンマリと上がる。まるで「そんなのお見通しよ」とでも言いたげに。
『バカシンジ。アンタはなんでもかんでも背負いすぎなのよ。アンタはいまや、地球上で最も強い生物になった。そのアンタがどうにもできないことなら、他の誰にもできないってことよ。アンタが責任感じる必要なんかないわ』
『そんな・・・、簡単には割り切れないよ・・・』
シンジがプラグ内で俯く。
『僕にしかできない事なら、やっぱり僕ができなきゃって思うんだ。だから、もし上手くいかなかったらって思うと・・・』
『逃げちゃえばいいじゃない?』
『え?』
『見なさいよ、周りを。ホラ!』
アスカが両手を広げる。
『地球なんて目じゃ無い。もっと、も〜〜〜っと広大な世界が広がってるじゃない。ここまで来れるのはアンタくらいよ。誰も追いかけてなんて来れないわ』
アスカが最終号機にふわりと近づき、その胸に優しく手を置いた。
『いつか言ってたみたいに、逃げちゃダメだなんて思う必要無いのよ、本当は。アンタは、地球上の誰よりもがんばったんだから』
『アスカ・・・』
最終号機の手が少しだけ上がる。
『まあ、アタシのベイビーはこういう事言うと、ムキになっちゃうんだけどね』
『そ、そんな事!』
『そして、だいたいヘマをする』
クスッとアスカが笑う。空気のないこの場所でも、その音はシンジの耳に心地良く響いた。
『ヘマしたっていいじゃない。その時は、アタシが全力でアンタを指差して笑ってやるわ』
『それってひどくない!?』
『ただし───』
アスカエヴァ統合体の手が、最終号機の顎を乱暴に掴んだ。
『アタシからは、逃げられると思わないことね』
アスカエヴァ統合体の口が、獰猛な獣のような笑みを形作る。
『例え、この宇宙がアンタの願いを叶えた平穏な場所になったとしても、アタシだけは唯一思い通りにならないリアルとしてアンタの側に居続けてあげるわ』
『・・・・・・・・・』
呆気に取られていたシンジであったが、ややあって、彼もクスッと笑う。
『それは、怖いね』
『ふふっ』
最終号機が、シンジが、アスカをゆっくりと抱き寄せた。
『ありがとう。アスカ』
『・・・・・・それだけ?』
『うん。今は』
最終号機がゆっくりと宙に右手をかざした。その掌に光が集まり、眩く発光した後、その手には一本の槍が握られていた。
『できたじゃない』
『そうだね』
シンジがアスカを抱き寄せたまま、その槍を高く掲げた。途端、その槍は再び眩い光を放つ。瞬きのあと、2人の頭上には、まるで天の川のように光り輝く『回廊』が現れていた。
『いつか・・・・・・』
『ん?』
『いや、近いうちに、また2人っきりの時間を作るよ。そうしたらさ、またここに来ようよ。2人で』
『ほほーん?』
アスカが満足気に笑みを浮かべる。
『その時までに、何を言えばいいか、わかってるわよね?』
『うん。わかってる』
『なら、よろしい。楽しみにしてるわ。
『もう、その呼び方はやめてよ』
『・・・・・・・・・アンタ、もう少し外国語を勉強しなさい』
『・・・?』
そんな会話の余韻を味わいながら、2人はゆっくりと、光の『回廊』へと飛んでいった。
数ヶ月後。
地球だった星の地軸は安定し、自転も減速した。世界は、セカンドインパクトが起きる前の気候を取り戻していた。
その星の横に、前よりも随分と小さくなった月が、まるで寄り添うようにその星を見守っていた。
つづく