初めに、神は天と地とを創られた。
地は形なく、空しく、闇が淵の面にあり、神の霊が水の面を覆っていた。
『光あれ』
すると、光があった。
光の中にあり、そして形を成したのは、かつて人によって屠られた、海を進む大魚であり第6の使徒、ガギエルであった。
『ふ、ふふふ、ふはははははははははは!』
神とは成れず、神に従わず、その行いに悔いを持たない者は目の前に生まれ出でたモノを見て、『良し』とされた。
『最初に海を渡った者を尊敬する。暗闇の荒野どころではない、無限とも思える死の海原に、自らの命を心許ない木の板に乗せ、有るかもわからない何処かを目指した者を尊敬する。馬鹿としか言いようがない、狂人の如き所業。しかし、それを為した者こそが
海原を目の前にして立つ巨人は、夜の闇よりも尚深い闇に満ちた海原を見つめ、そこに浮かぶ、彼にとっての『木の板』の背中を撫でた。
『俺は高尚な人間じゃない。だが、最初に海を渡った者が高尚だっただろうか?そんな事は、かの人物の1%も理解してない馬鹿共が後から付けた、ただの評価でしかない。その評価になんの意味がある?全くの的外れであったはずだ。彼を真に理解するのなら、凡人の理解を得たいとすることすら、彼の人物は思い至らなかったはずだ。彼は人に理解されたかったんじゃない。自分の正しさを、心の中の熱情の理由を証明したかっただけなんだから・・・』
言の葉を紡ぐ男、相田ケンスケと、彼が駆るオルタナティブ・エヴァンゲリオン『シェムハザ』は、海に浮かぶ使徒ガギエルの背にその足を掛ける。
『お前を見たのは、アスカと初めて会ったときだったなぁ・・・』
まるで恋人との逢瀬を懐かしむような口調で、相田ケンスケは感慨深く、愛おしむように言葉を紡いだ。
『もはや俺と『エグリゴリ』が日本を堕とすのは時間の問題。七日間という期限はただの区切りだ。やろうと思えば朝を迎えるまでに日本の拠点全てを火の海に変えることもできる』
だが、とケンスケは続けた。
『それで終わるほど、俺は小さい存在じゃない。
シェムハザの三つの瞳がギラリと光る。巨大なガギエルの背に立ったシェムハザは、その踵を3回鳴らした。己の主人を完全に理解していたガギエルは、それに合わせてゆっくりと夜の大海原に乗り出した。
──────
「冬月先生・・・」
日本の惨状を目の当たりにして、心中が乱れに乱れていたネルフLUNAの面々に、突如としてコンタクトを取ってきた者。それは旧ネルフの副司令であり、その後のネルフJPN、アルマロス騒乱の際にも副司令代理補佐として活躍した人物、冬月コウゾウその人であった。
もっとも、当の本人はアルマロス騒乱の終結と共に「隠遁する」と言って行方をくらましていたのだが・・・。
『久しぶりだな。葛城総司令。息災かね?』
「え?えぇ、まぁ・・・」
なんとも心強い人物からの突然のコンタクトに、ミサトは曖昧な答えを返す。彼のコンタクトは音声のみで、メインモニターに彼の映像が映し出される事はない。
だからこそミサトは、この強力な味方の登場に、最大限の警戒を払っていた。
人は本当に追い込まれたとき、何をするだろうか。
簡単だ。藁をも掴むのだ。
そこに警戒や疑心などは一切持たない、いや、持てないだろう。自分の生命が危険に晒されるとき、その危険から逃れるためならなんでもするのがヒト、いや、生物だ。手を伸ばしたソレが、たとえ自分を更なる危険に引き摺り込むものだったとしても、その事にまるで気付けず、迂闊に手を伸ばす。
これはいわゆる詐欺師の常套手段なのだ。
そして、今ネルフLUNAのいる火中が世界中を巻き込んだ戦争であるならば、その危険性は詐欺師の比ではない。仮の話でしかないが、冬月を脅し、ネルフLUNAを更なる絶望へと引き摺り込もうとする輩は大勢いる。もしかしたら今この瞬間も、冬月の後ろには銃を構えた敵がいるかもしれない。
葛城ミサトが総司令として巨大な組織を率いた年数は10年にも満たない。が、その間に、碇ゲンドウやまさしく冬月コウゾウの手助けを受けながら、こういった罠を何度も回避してきた。その経験が、目の前に垂らされた糸に安易に縋ってはならないと警告を発している。
(なぜ、いま、このタイミングで・・・?)
ミサトの頭に幾つもの疑念が湧き上がってくる。その一つ一つに自分なりの答えを出そうと思考をフル回転させた瞬間、
「冬月。何を考えている」
冬月とは旧知の間柄である碇ゲンドウ副司令代理が、いつもの厳しい口調で冬月を問いただした。
『ふ、碇か。相変わらずだな、お前は』
「余計な能書きは不要だ。要件を早く言え。私の性格はお前もよく知ってるだろう?」
『無論。だが今のお前は司令ではないからな。私が話をしたいのはネルフLUNAのトップ、なのだが』
「組織のトップに突然の来訪者がアポ無しに会えると思うのか?質問に答えろ、冬月。なぜお前は姿を見せない?」
『ふむ。昔なじみに電話をかける程度の感覚だったのでな。映像を送るだのと難しい事は考えておらんかったよ』
「冬月。お前は昔なじみに電話をかけているつもりでも、我々からすれば、お前が何者かに脅されて電話をかけてきている可能性もありうる事態だ。お前の映像を送らないのであれば、この通信は今すぐに遮断する」
『・・・やれやれ。口調はだいぶ丸くなってきたが、頭の固さは相変わらずか。仕方ない。出直すとしよう』
「ま、待ってください!冬月副司令代理補佐!!」
旧知の二人のやり取りに混ざることができなかったミサトが、今にも終わってしまいそうな会話に「待った」をかけた。
『くく。碇。トップの方から私と話したいようだが、問題はないな?』
「葛城総司令。何を考えている?」
ゲンドウがミサトに詰め寄る。それはミサトの師として、今の言動には問題があると諌めるための怒気を孕んだものであったが、ミサトはそれに怯むことなく毅然とゲンドウと向き合った。
「碇副司令代理。これが罠である可能性が否めないのは事実よ。でも私は、あえて冬月副司令代理補佐の真意を問いただします」
「本気か?このタイミング、我々につけ込むには絶好の機会だ。掴んだ藁が毒草だったらどうするのだ?」
「んなもん、後から考えるわ。今は時間と、何よりも情報が欲しい。冬月先生の話を聞いてから判断しても遅くないわよ」
「組織のための発言とは思えん」
「そうね。でも駒を一つでも前に進めるためには、こういった決断も必要よ。碇副司令代理が私に教えてくれた事だけど?」
「・・・」
「仮に毒草だの釣り針などがあったとして、問題ある?そんなもの、叩き潰して終わりよ。そのくらいの気概で臨まなきゃ、事態は一向に解決しないわ」
新旧ネルフ司令の睨み合い。それを制するため、ミサトは一歩だけ前に踏み出した。途端、ゲンドウの眉が上がる。それは彼女が絶対に譲らないと決めた時に取る仕草であった。
瞬間、そこに割って入ったのは冬月の実に愉快そうな笑い声であった。
『ふっはっはっはっ!碇。お前も相当苦労していそうだな。良い気味だ』
「なに。コレはコレで面白味がある。彼女が作戦課長であった頃とはまた別の、面白みがな」
『そこまで成長しているのなら大したものだ。お前は誰かに教えを請うよりも、後進の育成で磨かれるタイプだったか』
「お前の教育者としての意見など望んでいない。・・・・・・葛城総司令。任せた」
「任されたわ」
会話の主導権がゲンドウからミサトへ。成り行きを緊張の面持ちで見守っていたネルフLUNA面々も、ひとまずは安堵の息を漏らす。
しかし、未だ会話は一歩も進んでいない。冬月の背後に隠れた危険性はわからないが、まずは一歩踏み出す。それが総司令としてのミサトが出した結論だった。
「お待たせしました。冬月先生・・・・・・先生でいいわよね?」
『勿論だ。今の私には大層な肩書きなどないからな』
「結構。では改めて冬月先生。貴方はなんの目的で私達にコンタクトしてきたの?」
『それを話そうとすると、私が隠遁を決意したところから話し始めなくては・・・』
「そういうのは結構。話を長くして主導権握るのが
『ふふ、だいぶ碇に似てきたな。無論、良い意味でだが』
「しごかれましたので」
ミサト相手に主導権を握ろうとする。その行為自体が、ミサトの中では冬月の評価を下げるマイナス点だ。ミサトは苦々しい思いを紛らわすため、腕を組んで足を鳴らした。
『その癖、変わっていないな。イライラした時の君の悪い癖だ』
「タバコは吸ってませんけど?」
『いやいや、使徒戦のときに腕を組んでメインモニターを睨んでいた事があっただろう?そのことを言ってるんだよ』
「そう。
『!』
「加持くん!!」
「ほい来た!」
ミサトとの阿吽の呼吸で動いた加持は、素早く携帯端末を操作する。操作したのはネルフLUNAの至る所にある監視カメラ。そのうちの一つが、件の人物を捉えた。
「冬月先生、見〜つけたってな」
加持が
その両目を見開いた冬月が苦々しく語る。
『・・・いくらなんでも早すぎるんじゃないかね?』
「そうでもありませんよ?ところどころ不自然な会話がありましたし」
メインモニターの冬月を「簡単なことだよワトソン君」とでも言うように、ミサトが獣の如き笑みで見つめた。
「最初におかしいなって思ったのは、冬月先生が『電話でもかけるつもりで』って言ったところから。顔も見せてない音声でのやり取りに、わざわざ『電話』なんて単語使う?」
『使うだろう?電話と通信は違うのだから』
「そうね。まぁ、この時点では私もただの違和感程度しか感じてないわ。ただ、妙に電話ってところを強調してるなぁ〜ってくらい。確信に至ったのは、私が碇副司令代理に詰め寄った瞬間。あのタイミングで、冬月先生はいきなり笑い始めたわよね?いくらなんでもタイミングが良すぎるなぁ〜って思ってたのよ」
ミサトが獣の笑みを解き、得意満面に自分の髪を指でくるくると巻く。
「その時からね。もしかしたら冬月先生は私達の声を聞いてるだけじゃない。見てるんじゃないか、って思ったのは。極め付けは私の仕草に対して、その様子を正確に指摘してきたこと。私が腕を組んだことなんて、音声だけの通信だけでは絶対わからないでしょ?」
『・・・・・・』
「ネルフLUNAの通信網はMAGIによって守られている。セキュリティレベルは世界最高峰よ?そんなセキュリティを破って、私達が憔悴しきってるタイミングで、都合よくハッキングして私達にコンタクトを取る?無理に決まってんでしょ、常識的に考えて」
『・・・・・・・・・』
「そこまで考えが及べば、あとは簡単。ネルフLUNAの通信は、ネルフLUNAの中でならなんの制限もない。この施設に身を置くこと自体が、すでに私達の信頼を得ている証拠だからね。あとは外部からの通信だと思い込ませる細工と、こちらの様子を伺うためのカメラをハッキングしてやればOK。冬月先生に権限を与えたのが誰なのかはわからないけど、冬月先生がネルフLUNAの中にいて、私達に連絡を取ったと結論付けるのは、的外れではなかったわよね?」
沈黙。冬月はただメインモニターの向こう側で沈黙を守っていた。まるで一切の情報をミサトに与えてはいけない、とでもいうように。
だがその態度が、ミサトの推理が的中しているという何よりの証拠。
「さ〜ぁ、冬月先生!観念してお縄に付きなさい!」
『いや、私が最初に「早すぎる」と話しかけたのは加持君になんだが・・・』
「へ?」
「いやいや、勘弁してくださいよ冬月先生」
呆気に取られるミサトをよそに、加持はごく自然にあっけらかんと冬月の言を認めた。
「いくらなんでもボロを出すのが早すぎます。流石に庇いきれません。だったらもう、葛城に推理ショーをおっ始めてもらったほうが良いかなって思うのは自然じゃないですか?」
『いやしかし、いきなり映し出す事はないだろう?もっと、こう、少しは見つけるのに苦労する演技とかしたらどうかね?』
「いやぁ、ここは葛城に同意なんですが、流石に時間の無駄かと思いましてね」
『む・・・』
「加ぁ持ぃいいいいい!!」
画面越しに和気藹々と会話を楽しむ二人に剛を煮やしたミサトが、手近なところにいる
「アンタが入れたのねぇ!?冬月先生がLUNAにいるならいるって最初に言いなさいよ!私に報告もあげず遊んでんじゃないわよッ!」
「悪い悪い。だが冬月先生の事は言えなかったんだ。つい最近まで、冬月先生には飛び回ってもらってたんでね」
「はぁっ!?どう言うことよ!」
『なに、簡単なことだよ葛城総司令』
画面の向こうで冬月が、腕を組んで顎をさすりながら、目を細めてニヤニヤと笑っている。まるで先程までのミサトの
『今の私は防諜部特別顧問。つまり、加持リョウジ君の使いっ走りというわけだ』
◇
スタッフに連れられて、着流し姿の冬月が作戦司令室に入室してくる。痩身の彼に着流しはよく似合っていた。長い総髪も相まって、まるでどこかの任侠映画に出てくる用心棒のようだ。
その冬月は部屋に入ってくると、懐かしい面々を見回し、その顔に実に優しい笑みを浮かべた。
「久しぶりだな。みんな元気にしていたかね?」
その表情は生徒との再会を懐かしむ教師のよう。しかしその瞳に映る光景は、いささか騒がしいと言わざるを得ない。なぜなら葛城総司令と碇副司令代理によって、内通者である加持がゲシゲシと足蹴にされていたのだから。
「お久しぶりです。冬月先生」
最初に声をかけたのはシンジだった。冬月は眩しいものでもみるように目を細める。
「ああ、久しぶりだなシンジ君。しかし、君もとうとう一児の父親か。時が経つのは早いものだな」
「僕たちの結婚は早かったから。といっても式も挙げてないんです。冬月先生にお知らせするのが遅くなってしまったんですけど・・・」
「なに、気にする事はない。君とセカンドチルドレン、アスカの事は知っていたよ。ちょくちょく加持君が近況報告してくれていたのでね」
「それよ、それ。冬月先生、一体どう言うことよ?隠遁したってのは嘘だったの?」
加持を蹴り続けていたミサトとゲンドウが振り返り、冬月を問い詰める。対する冬月はどこ吹く風だ。
「その通りだよ、葛城総司令。隠遁は隠遁だが、一応、世界情勢などは気にしていたからな。ちょうど手の足りない防諜部からスカウトを受けたというわけだ」
「加持君から、か。ならば冬月、お前はなぜ私や葛城総司令に連絡を寄越さなかった?お前の存在自体は、我々の責務として知っておかなくてはならない」
「あ、それは俺が頼んどいたんです。組織のトップにも秘密にしておいた方が、冬月先生が動きやすいだろうって思って」
ゲンドウの冬月への質問を、これまたあっけらかんと答えた加持は、またしてもミサトとゲンドウによって足蹴にされた。
「もうコイツ、降格した方がいいんじゃないですか?碇副司令代理」
「私としてもその意見には大いに共感できるが、残念ながらこの男は優秀だ。おいそれと代わりを用意できるものでもない」
「そろそろ話を進めたいのだが、良いかね?」
加持の処遇を決めあぐねている二人に向かって、若干蚊帳の外に置かれていた冬月が声をかける。それを合図に、ミサトの意識も切り替わった。
「そうね。メインメンバーは集まってきているし、このまま会議を始めましょ。シンジくん達は一旦家に戻ってもらって・・・」
「いや、ここからの話はシンジ君たちにも聞いてもらった方がいいだろう。済まないが残ってもらえるかね?」
「え、あ、はい。わかりました・・・」
ミサトの指示に従い退室しようとしていたパイロット達が立ち止まる。シンジ、アスカ、トロワ、シス。そしてミライを抱いたままのカトルが、作戦司令室の一角に集まった。
「済まないね」
「別に気にしてないわよ。これからの作戦なら、アタシ達がいた方が早くまとまるんでしょ?」
冬月の謝罪をアスカがぶっきらぼうに受け取る。それを聞いた冬月は嬉しそうに頷いた。
(この娘も変わった。母親になったからか、以前にも増して態度に余裕が伺えるな・・・)
冬月を踏まえたネルフLUNAメンバーが勢揃い。最初に口火を切ったのは、やはり冬月であった。
「会議を始めるにあたって、まず私が今まで何をしていたかを話しておこう。つまらないと思うが、やはりここから話さなくてはな」
冬月が面々を見渡す。
「私はネルフLUNA建造前、もっと言えばアルマロスの騒ぎが収まった後、君達が新生の月を作る前にネルフJPNを離れた。その後、私は加持君からスカウトを受けたわけだが、その際に一つの望みを叶えてもらう事にした」
「望み・・・?」
冬月の説明に、トロワが不思議そうに首を傾げる。その顔を見ながら、冬月は苦笑しつつ頷いた。
「ファーストチルドレン、いや、綾波レイ・トロワ。その通り。望みだ。簡単なものだよ。世界旅行をさせてくれとお願いしたのだ」
「世界、旅行・・・」
「私はネルフの前身であるゲヒルン創設から今に至るまで、仕事で世界中を飛び回った事はあったが、ゆっくりと観光した経験が無くてな。一度じっくり一つ一つの国々を見てみたいと思っていた。旧ネルフの解体時には京都から動けなかったからな。まぁ、加持君は二つ返事で了承してくれた、と言うわけだ」
「実際、冬月先生には世界中の様子を見てきて欲しかったですしね。防諜部として世界情勢の情報収集は欠かしてはいなかったが、民衆の生活や態度なんかも意外と重要だ。それをじっくり見てきてもらえるのは、俺としても助かってたところだ」
冬月の語った望みの内容を、加持が補足する。要するに、この時点で二人の利害は合致した、ということだ。
「そうやって観光を楽しみつつ、加持君と連絡を取り合っていたわけだが、私はそうしているうちにある事に気付いた」
「ある事?」
ミサトが眉をしかめる。その顔を見遣り、冬月は頷いた。
「アルマロスの起こした騒乱。それを鎮めたネルフJPNに対し、世界各国は基本的には支持をする構えだった。しかし各国の一般人たちの話を聞いてみると、少し食い違っている事が多かったのだよ。大衆は月まで作ったネルフJPNに感謝はしていたが、どうやらお上の意向はそうでも無いらしい。いつネルフJPNが全世界に向けて戦線を布告するか。そう
「プロパガンダ、みたいなものかしら?」
「そうだ」
リツコの指摘にも、冬月は頷いた。
「政府や国家の思惑というのは、国ごとにその形態こそ違えど、民衆への影響力というのは決して無視できない。防諜部でもそういった情報を集めていたようだが、私はそれをより身近に、リアルに感じ取る事ができた。『恐らく近いうちに、世界はネルフJPNに牙を剥く』と・・・」
「そしてそれは、実際に起こった・・・」
技術顧問のマヤが唸る。
「かなり緻密で、慎重に準備を進めていたのだろう。オルタナティブ・エヴァンゲリオンの情報なども、名前こそ伏せられていたが、新兵器という単語はそこかしこで聞いた。各国の悪感情も次第に表面化してきていたな」
しかし、と冬月は続ける。
「相田ケンスケ、それとあのオルタナティブ・エヴァンゲリオンは別だ。アレは恐らく各国の思惑とは関係ない、別の理屈で動いているように思える」
その言葉に、皆が頷く。先ほどの映像から見るに、ケンスケの取った行動は世界のどの国にとっても利益をもたらすものではなかったはずだ。唯一ネルフユーロだけがケンスケを所属させているが、ユーロがケンスケの手綱を握れているとはとても思えない。
「もしかしたら・・・」
ミサトの疑念。
「相田ケンスケ自身のことは置いとくとすると、ユーロはケンスケが好き勝手暴れても気にしてない、とか・・・」
「それは私も考えたよ、葛城総司令。そして、それは正しいと私は確信している」
冬月が再び、全員を見回す。
「つい先ほど、ユーロに潜伏している私の右腕から連絡があった。ネルフユーロ内でクーデターが起きたそうだ」
「!!」
「このクーデターでネルフユーロの司令が死亡している。今のユーロの司令は、もともと実権を握っていたネルフユーロの副司令、ジル・ド・レェだ」
「まさか、内輪揉め!?」
「恐らくな。相田ケンスケの暴挙は勿論ユーロも知っていたと思うが、ユーロ内部はそれどころでは無かった。これは恐らくジルのクーデターを世界の目から逸らすための作戦だったのだろう」
「そんな、そんなくだらない事で・・・!」
「日本を落とした。それだけの戦力が相田ケンスケにはあり、世界は日本に釘付けになった、と言うわけだ」
痛々しい沈黙が流れる。あまりにも馬鹿げた、人の業。それだけのことで、一体どれだけの命が失われただろうか。
そんな中で沈黙を破ったのは、やはり葛城ミサト総司令であった。
「ヤツの、ジルの目的は?まさか司令としての立場が欲しかったとかそれだけの理由じゃないわよね?」
「もちろんだよ、葛城総司令」
冬月は首肯すると、コンソールの端末をいじり始める。メインモニターにセカンドインパクト以前の世界地図が映し出された。それも、第二次世界大戦前の国家の勢力図が色で仕分けられた状態の地図だ。
「ヤツの目的は、恐らくコレだよ」
「世界地図?いったい、これの何が・・・」
「そういうことか。くだらん」
冬月の意図を掴めきれなかったシンジと違い、ゲンドウは冬月の意図を正確に読み取った。冬月が生徒を指名するように、ゲンドウに続きを促す。
「かつてイギリス、フランス、ドイツといったヨーロッパ一帯は、世界の強国として君臨していた。18世紀の産業革命に始まり、第二次世界大戦が終わるまでには、近代鉄鋼業はヨーロッパがそのほとんどを占めていた」
ゲンドウの言葉と共に、画面上のヨーロッパの地図がひとまとめに色分けされ、そこから世界各国に対して矢印が伸びる。ヨーロッパの世界進出の勢いの良さを、その矢印は正確に示していた。
「だが、大戦の終わり、そしてセカンドインパクトによる地軸のズレが、彼らを世界の王座の椅子から引き摺り下ろした」
ゲンドウの言葉と共に、ヨーロッパの勢力図が徐々に萎んでいく。
「特に影響が大きかったのが地軸の変動だった。これによりヨーロッパ一帯は極寒の地となり、彼らの多くは動きを制限された。それでも、かつての栄光を取り戻したいと思う者達が少なからずいる。ネルフの上層部、ゼーレにも少なからずその思想はあったようだな」
「だがその思想は、再び芽吹き始めた。君たちネルフLUNAが作った月によって。地軸を安定させ、気候を元に戻した時に・・・・・・」
冬月が端末を操作し、画面の映像が消える。
「ジル・ド・レェがこの思想を元に、ヨーロッパを再び世界の強国に確立させたがっている事はほぼ確定だろう。今回の対ネルフLUNA連合も、発起人はネルフUSAだっただろうが、世界の覇権争いに先んじて駒、つまり相田ケンスケを進めたのはネルフユーロであったというわけだ」
再び訪れる沈黙であったが、彼らの表情は悲痛なものではなかった。特に現在のネルフLUNA首脳陣は、皆一様に口を手で覆い、今得た情報の精査と、これから取るべき選択肢を
チルドレン達は、その中でも特にシンジは、焦った表情でその成り行きを見守っていた。しかし5分、10分と経とうとも、彼らが思考の海から帰ってくることは無い。
とうとうシンジは声を荒げた。
「いい加減にしてくださいよ!こんな話し合いに時間を取られてる場合ですか!?早く地球に、日本に戻って、みんなを助けないと・・・・・・」
「あら。バカシンジもようやくその気になったのね」
「あんな映像を、あんなケンスケを見せられて平気でいられるわけないよ!アスカの怒りももっともだ、今なら戦える!ケンスケを止めなきゃ、日本は・・・」
「その一手だけはあり得ないのだよ、シンジ君」
激昂しかけていたシンジに冷や水を被せたのは冬月だった。シンジの焦りと怒りの瞳が冬月を射抜くが、冬月はそれをより強固な決意の眼差しで弾き飛ばした。
その眼差しを見たシンジの勢いが止まる。シンジが止まったのを確認すると、冬月は諭すように、シンジに語りかけた。
「今、我々が考えているのは、だ。この混沌とした世界情勢の中で、どうすれば我々は生き残れるのか。どんな形でなら生き残れるのか。その中で一番良い選択肢は何か、ということなんだよ」
「・・・え」
「状況を整理しよう。一旦集まってくれるかね?」
冬月がこの場にいる主要メンバーを集める。エヴァのパイロット達も指示に従った。ただ、シンジの怒声にびっくりして泣き出したミライを抱いたカトルは、迷惑にならないように司令室を後にしたが。
「さて、世界の情勢についてだが、これは大きく分けて4つ、いや、5つに分かれていると私は思っている」
冬月の言葉に、ネルフLUNA首脳陣は頷く。だが、チルドレン達には今の状況がハッキリと分からない。それを分かっているからこそ、冬月は彼らに向けて説明を続けた。
「5つのうちの一つはここ。我々、ネルフLUNAだ。ネルフLUNAは国際的なテロリストとして報道されていて、本日の戦闘映像も世界各国へと配信されている。武力の高さから、世界で最も危険視されている組織だが、対ネルフ連合軍艦隊を破った現状では、おいそれと手を出せない存在となった」
冬月が右手の指を一本立てる。
「続いて、先ほど発生した新勢力『エグリゴリ』。これを勢力として数えるのは現段階では微妙なところではあるが、相田ケンスケの駆るエヴァンゲリオン・シェムハザとそれが呼び出すエンジェルキャリアー、使徒どもは明確な脅威だ。日本を蹂躙し、七日で火の海にすると言っていたが、決して大袈裟ではないだろう。相田ケンスケの目的は不明だが、今や世界中が彼の動きに注視していると言わざるを得ない」
冬月が2本目の指を立てる。
「次にネルフユーロ。ここは内部でクーデターが発生して混乱を極めているが、これは直ぐに収まるだろう。ジル・ド・レェは強硬な男だと聞いている。不穏分子は片っ端から切り捨てて、自分の動きやすいように組織を変えている真っ最中だろうな。何よりも厄介なのは、彼らの残存兵力が我々の敵対している組織の中で一番精強ということだろう。エヴァンゲリオンであるウルトビーズに
3本目の指を立てたところで、冬月はふぅと一息ついた。そのあとを引き継ぐように、代わって加持が続きを話し始める。
「良いニュースかどうかはわからないが、四つ目の勢力であるネルフUSAは、今回の相田、およびネルフユーロの裏切りに対してかなり頭にキテるらしいぞ。先程、ネルフUSAのマキシマス大佐が取材に応じてるのを見たが、USAが俺たちを潰すために費やした兵力はなんと全兵力の7割弱!ハッキリ言って、ここまで消耗してしまえばUSAは脱落するしかないだろうな。だが、マキシマス大佐はユーロの裏切りを、地球規模の危機で味方を裏切った史上最悪の極悪人の集まりと罵っている。現在ヤツらは、日本に残っていた兵力を呼び戻して部隊を再編成、その後に日本のシェムハザを討つために力を温存していると発表した」
加持が懐からタバコを取り出して火を付ける。
「最後の勢力であるところのネルフASIAだが、俺はココが一番不気味だな。俺たちとの戦闘で一番犠牲を出したのは、数だけでいうならASIAだ。だがヤツらは人口の多さと、質を度外視した劣悪なAEの大量生産に物を言わせて、総戦力でいえば世界で一番突出している。にも関わらず、代表の王紅花はなんの声明も出さず、軍にも目立った動きは無い。海を跨いですぐそこにある日本で、ネルフユーロの手先が暴れ回っているにもかかわらず、だ」
加持は煙を肺いっぱいに吸い込むと、ふぅーーっと強く吐き出した。
「以上が、今地球上における五大勢力ってところか。冬月先生、合ってます?」
「ああ、百点満点だ」
「そりゃどーも」
「んで?それがなんで『日本を助けない』っつー話になるわけ?」
大人からの授業が終われば、次は生徒からの質問タイムだ。それに真っ先に手を挙げたのはアスカであった。
「アタシ達にとってかなり有利な状況じゃない。加持さんの言う通りASIAは確かに不気味だけども、アタシ達が恐れられるほどの戦闘能力を持っていることを全世界は知ったワケよね?だったら勢いこのままに、あのボケを殺しに行くのは悪くないとおもうけど?」
「そう簡単にはいかないのよ、アスカ」
質問に答えたのは総司令であるミサト。
「確かに私達は死人を出さず、ほぼ完勝と言っていいほどの戦果を上げた。でも、決して無傷じゃない。トロワの0・0エヴァ改は修理が長引く状況だし、そもそもネルフLUNAは専守防衛の設備よ。実際に打って出るとしたら、出せるのはエヴァンゲリオン最終号機、シスのアレゴリカ、そしてアナタだけ。つまり三機のエヴァしかないのよ」
「そんだけ居ればヨユーじゃない。何がダメなのよ?」
「いい?他の勢力が私たちに手を出せないのはね、『ネルフLUNAという堅固な拠点をエヴァという最強兵器が守ってるから』なのよ。たった三機しかないエヴァが全て日本に行ってみなさい。ここにはあっという間に他の勢力が襲いかかってくるわ。それこそユーロかASIAあたりがね」
「う・・・、それは確かにそう、だけど・・・」
「でも!」
尻すぼみになってしまったアスカの背を押すように、シンジが再び声を荒げた。
「ネルフUSA!そこはケンスケを倒そうとして軍隊を編成し直してるんですよね!?だったら僕たちと手を組む絶好の機会じゃないですか!そうだよ、今のうちに、僕たちで同盟を組んじゃえば・・・」
「シンちゃん・・・・・・」
はぁ、とミサトは頭を押さえて大きなため息を吐いた。それが癇に障ったシンジはまた声を出そうとしたが、それはリツコの上げた手によって遮られた。
「シンジ君。貴方、今日、自分の仲間を殺した人間と隣で一緒に戦える?」
「っ!そ、それは・・・」
「無理よ、絶対。私達は戦争に勝って、死人も出ていないから心に余裕がいくらか残っているけれど、敵はそうはいかないわ。相田ケンスケと同じくらい、きっとUSAは私達を憎く思ってるはず・・・」
「で、でも・・・」
「仮によ?仮にUSAと手を組めたとしましょう。でも忘れてないかしら?USAは全兵力の7割を失っているのよ?そんな戦力で、USAは『エグリゴリ』に、使徒やエンジェルキャリアーに勝てると思う?相手はATフィールドを持っているのよ?それこそ私達を苦しめたリアム・アンダーソン級の兵士がダースで出張って来ない限り、勝ち目はゼロでしかないわ」
「でも、そこに僕たちが加われば!」
「勝てる、かもしれないわね。『エグリゴリ』には。でもねシンジ君。隣で静かにしてるASIAまで相手にできる?その後に備えているだろうユーロは?そこまで戦い続けて、勝てると思う?」
「そ・・・・・・」
淡々とリツコに問いただされ続け、シンジの声は遂に勢いを失った。それを見たリツコも加持に倣い、タバコを取り出して火をつけた。
「冬月先生が世界情勢を話したのはね、どこか一局面だけ見てエヴァを動かしたら、私達は絶対に生き残る事はできないってことを、貴方達に理解してほしかったからなの。そうですよね?冬月副司令代理補佐?」
「冬月先生で構わないんだがな・・・」
そう言いながらも、冬月は首を縦に振る。それを見たシンジは、いや、シンジだけでなくエヴァのパイロットの全員の顔に『諦めなくてはならないのか?』という感情が刻まれていた。
「ちょーーっち、待ってちょうだい」
そこに割って入ったのは、彼らの保護者であり、いつだって彼らのことを第一に考える頼れる司令官、ミサトだった。
「ウチの子達をあんまりイジメないでよ、みんな。私は『簡単にはいかない』って言っただけで、無理なんて一言も言ってないわよ?」
「ミサトさん・・・!」
「ほう・・・・・・」
冬月は、この現ネルフの最高司令官の発言に興味深けに耳を傾ける。その他の面々も、ほとんどが冬月と同じ心境だったためか、ミサトの次の言葉を待っている。
「日本を救う。そのための手立てがあると言うのだな?葛城総司令」
「へ?いや、そんなもんないわよ?」
ゲンドウの問いに、ミサトは虚を突かれたような返答を寄越した。ゲンドウの額に青筋が浮かぶ。
「でも、やってみなきゃわかんない事ってあるじゃない・・・?」
ミサトの獣の様な笑みが、この場にいる全員を見渡す。
「希望はあるわ。いつだってね」
その自信に満ちた表情に、チルドレン達の顔にも希望が宿っていく。この司令官ならやりかねない。いや、むしろやる。いつだって馬鹿げた作戦で、自分たちを導いてきたミサトだからこそ、この局面においてもやらかしてくれるという、信頼の籠った顔だった。
ミサトがふっ、と息を吐き出す。
「いい?この作戦は・・・・・・」
そう言いかけたミサトを遮り──、
「碇クンッ!!」
作戦司令室に飛び込んで来たのは、ミライを抱いたカトルと──、
「ミライッッ!!」
その腕の中でぐったりとしてみじろぎ一つしない、まだ生後三ヶ月に満たない、青白い顔をした赤ん坊の姿であった。
つづく