シン星紀エヴァンゲリオンー神も泣くかもしれない   作:サルオ

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x.彼方の待ち人-2

 

 つまらない、ということは幸せなことである。全ての使徒を殲滅し、人類の脅威を取り払ったNERVにおいて、ただ漫然と過ぎていく日々は、NERVの面々にとって刺激のない、つまらない毎日であった。

 刺激、つまりは命のやり取り。それも一対一の殺し合いではなく、使徒と人類、即ち、種族と種族を賭けた生存競争。自分達が負ければ、自分達の背後にいる全ての人々がこの世から葬り去られる。その責任は重く、しかし命を賭すに足るものであった。

 それが突如として無くなった。平和になった、という事だ。全く悪いことではない。NERVの面々は全人類への脅威の排除という大役を見事にこなしてみせたのだ。それを「つまらない」と一言で片付けるのは流石にどうか、と思われるだろう。

 平和である事がなにより。当然そうに決まっている。だがその平和に浸るという行為自体が、NERVという最前線で戦ってきた者達からすれば、やはり「物足りない」と感じるのも仕方のない事なのだ。

 

 だからこそ、なのかもしれない。世界中のNERV支部において、自分達の意思で、または国家の意思で、新たなる刺激を求めようという動きが生まれたのは。

 

 使徒という脅威が去った今、人類にとっての脅威は同じ人類。そして、エヴァンゲリオンという人類最強の兵器が実在している現実。それを握り、運用をいち早く進めた国こそが世界の覇権を握る。ゲームが終われば次のゲームに。それが人類の性というものだ。

 幸いなことに、エヴァの素体となる使徒の肉体は腐るほどある。大半は決戦地であった日本にあるものの、その大半の使徒の素体を研究するにはNERV本部の研究グループだけではとても手が足らず、世界各国の支部に研究用として素体が回されたのは当然の流れだった。そしてその量は、エヴァを量産するには十分すぎるものであった。

 使徒の素体を培養し、増やし、人の形にこねくりまわし、装甲を纏わせる。言うほど簡単ではないが、NERVにはそのノウハウが既に確立されている。時間はかかるが、確実に巨人の軍団を生み出す事ができる。急ぎはするが決して慌てず、各国のNERV支部と首脳陣は、その時を今か今かと首を長くしていた。

 

 それと並行して進められていたモノがある。それはエヴァの装備する兵装の開発である。巨人を生み出す事はできたとしても、その巨人の武器が棍棒では話にならないだろう。それでも対人類であれば十分に脅威であるが、巨人同士の戦争であればやはり見劣りが過ぎる。

 であるからこそ、生み出されるのだ。巨人が持つに相応しい、世界を焼くことのできる武器が。

 

 

 

 

 その兵装は、皮肉な事に惣流・アスカ・ラングレーの祖国であるドイツにて生み出された。エヴァンゲリオンとして製造した素体に埋め込まれた脊髄。そうする事で、あえて脊髄に「自分はエヴァだ」と学習させた上で、それを丸々と身体から無理やりに引き抜き、そのまま兵器へと転じた倫理観度外視の代物。生きたまま脊髄を抜かれ肉体を捨てさせられたエヴァンゲリオンの思念、いや、怨念の籠った兵器。

 沈下型領界侵攻銃(フィールドシンカー)『死神の背骨』。後にそう呼ばれる超遠距離型殲滅兵器であった。

 

「ようやく、日の目を見れそうですね。博士」

 

 ネルフドイツ第三支部、その研究棟にて、若きスタッフが『死神の脊髄』開発の主任に明るく声をかける。

 

「慌てるな、まだ試作段階だ。この時点で予想外のアクシデントでも起こしてみろ。予算どころか我々のクビはコレだぞ?」

 

 そろそろ初老に入ろうかという年配の主任が、苦笑しながら自分の首を指で掻き切るジェスチャーをする。そのジョークを受けて、研究室内に笑いが広がった。

 研究棟の一室にある兵装開発部門。その精鋭たるメンバーが集められていたのは、『死神の背骨』の開発作業にあたっているゲージに併設された、特級のメンバーのみが入室できる特別室だ。開発途中、といってもほとんど完成品に近い『死神の背骨』があるゲージを見渡せる大きな窓を見ながら、主任は顎に手を当てて、自らの作品に満足そうに頷いていた。

 自分の生涯において、これほどの芸術品は二度と作れないだろう。自身の心血だけでなく、集ったスタッフ全員の魂が込められた作品だ。悪い冗談でしかないが、エヴァンゲリオンの怨念も意図してこの兵器に刻み込んである。その恨みの念は、必ずや母国に敵対するあらゆる勢力に裁きの炎をもたらすだろう。そう確信できるほどの出来だった。

 

 それ程の出来ゆえに、制作者自身がこの兵器の会心の出来を確信できるが故に、この兵器の未来も自然と定められてしまったのだ。

 

「主任ッ!」

 

 スタッフの1人が唐突に声を上げた。と同時に室内に、いや、施設全体に響き渡る警報。

 

「なんだ、これは!?」

「侵入者です!ゲート14からの通信が途絶えました!」

「なんだと!?どこのバカだ、この施設に殴り込みをかけたのは!」

「通信、次々に途絶していきます!・・・・・・バカな、早すぎる!敵の侵攻、止まりません!まるで、最初からこの施設を知り尽くしているような・・・」

「ふざけるな!NERV本部に通達!ドイツ第三支部への応援を要請しろ!」

「了解!・・・・・・ッ!?そ、そんな・・・!?」

「今度はなんだッ!!」

 

 矢継ぎ早の応酬。まるで要領を得ないスタッフの驚愕に、主任は怒りを込めて問い詰めた。

 

「NERV本部、要請を拒絶!な、なんで!?」

「なんだとぉ!?」

 

 スタッフ全員が驚きの声を上げる中、それを見計らったように、研究室の大きな窓にプロジェクターから映像が映し出された。それは、所謂シンボルであった。革袋からこぼれた銀貨30枚のシンボル。

 即ち、ユダ(裏切り)のシンボルであった。

 

「そ、そんな・・・・・・バカなァ!」

 

 主任は映し出されたシンボルに対し、思わず悲鳴を上げた。新約聖書における最大の裏切り。主を売ったとされる金額。それはつまりNERV、ひいてはその上位機関であるSEELEへの反逆を意味する。

 だが主任には心当たりがなかった。一瞬『死神の背骨』の製造が頭をよぎったが、そもそもコレはSEELEからの異例とも取れる直接的な要請によって着手したモノだ。例えこの兵器が世界のパワーバランスを崩すほどの効力を発揮したとしても、裏切りの烙印をSEELEから押される筋合いはない。しかし、『死神の背骨』以外に裏切りの烙印を押されるような要素も見当たらない。主任の思考は混乱に掻き乱されていた。

 

『NERVドイツ第三支部に告ぐ』

 

 モニターの画像と共に、落ち着いた、老人のものと思われる声が施設内を満たした。大半のスタッフはその声に聞き覚えが無かったが、『死神の背骨』の制作者であった主任だけは、その声に聞き覚えがあった。

 

「・・・・・・キール・ローレンツ議長?」

 

『我らに対し、人類に対し、大変な過ちを犯した愚か者共に告ぐ。なんという物を産み出したのか。一体なんの野心を持って、良き羊飼いたる我らに牙を剥いたのだ?』

 

「・・・・・・?な、何を、言って」

 

『NERV本部に預けているエヴァンゲリオン02。その所有権はドイツ第三支部にあり、それを日本のNERV本部へと徴収されている事態に諸君らが異を唱えたい気持ちは察するに余りある。しかしながら、世界に混沌を齎す兵器の製造を、我らは許可した覚えはない』

 

「・・・・・・!?」

 

『エヴァ02専用に、と諸君らが秘密裏に開発していた兵装。我らの目を欺き、とうとう完成させるに至ったその悪魔の兵器を、我らSEELEは認めない』

 

「な、なにを・・・・・・何を言ってるんだ!コレは元々貴様らが・・・ッ!」

 

『NERVドイツ第三支部で製造されたエヴァ02。その専用装備を製造し、NERV本部を内部から破壊しようとする貴様らの智略策謀。我らの目を欺いたという点に於いては、賞賛に値する。しかし、詰めが甘かったな。最後の最後で、天は我らに味方した』

 

 主任の目が見開かれる。あまりにも荒唐無稽。馬鹿馬鹿しいと吐いて捨てるような筋書きを、モニターの向こうのSEELEはこの世の真実として語っている。虚偽に塗り固められた物語を、世に出回る真実として広めようとしている。

 その行動が指し示す行き先は一つ。それは、真実を知る者の抹消。この世における弁解者の抹殺。

 

「ふざけるなぁ!!貴様らが、貴様らが望んだことであろうがっ!それを掌を返して私たちを貶めようなどと・・・・・・ッ!!」

 

『セカンドチルドレンは聡明であった。彼女こそが我らにとっての天啓。貴様らの企てを我らに告げし神の御使い・・・』

 

「!?」

 

 セカンドチルドレン。それ即ち、惣流・アスカ・ラングレー。エヴァのパイロットとして選ばれし第二の少女にして、エヴァ02唯一の適格者。

 だが、その名前がこの場で出た事に、主任をはじめ、この場にいる全スタッフの目が点になった。なぜなら惣流・アスカ・ラングレーの存在など、『死神の背骨』開発において微塵も考慮していなかった要素であったからだ。無論、兵器の製造の情報など、惣流・アスカ・ラングレーに流した覚えもない。

 スタッフそれぞれが頭の中に疑問符を浮かべる中で、主任だけが、その名前を出された意図を正確に理解した。

 

 つまり──、

 

『セカンドチルドレンの貢献に、感謝を』

 

 恨むなら、惣流・アスカ・ラングレーを。

 

 主任の目が怒りに見開かれ、食いしばった唇から血が流れる。

 

「この、外道どもがッッ!!」

 

 主任が怨嗟の声を叫んだ瞬間であった。主任の胸を、無数の銃弾が撃ち貫いた。

 

「か・・・・・・は・・・ッ!?」

 

 主任が最期の力を振り絞り背後を振り返る。その目に飛び込んでくる、武装した集団。研究室の扉を蹴破ると同時に乱射したと思われるサブマシンガンの無数の火花。その火花の向かう先、先ほどまでジョークを飛ばして笑い合っていた同僚から撒き散らされる脳漿、肉片、血飛沫。赤いとも黒いとも言える何かが部屋中の床と壁面を汚していた。

 

 叫び声を上げるつもりであった喉から漏れるのはか細い呼吸音。すでに肺を貫かれたのだろう。ゴポッという音と共に喉をせり上がってくるのは苦い血の味。食道が焼かれる痛みと口の中に溢れる鉄の味。そして体中から力が抜けていく感覚が、コレでもかと言うほどに自身の死を突きつけていた。

 

 主任の目がモニターを、いや、その向こうに存在していた兵器を見遣る。自分の生涯の最高傑作。スタッフの心血を注いだ希望の光。それが自身の物か、他人の物かはもう分からないが、吹き出した血によって塗り潰されていく。

 

(ああ・・・・・・畜生・・・・・・)

 

 主任の目に血涙が浮かぶ。

 

(お前の晴れ姿、一度でも、見れたなら・・・)

 

 そんな主任の最期の願いも、背後から撃たれた銃弾によって霧散する。銃弾が頭蓋を破り、眼球を破裂させ、見ていた景色も散り散りとなった。もっとも、主任の意識がそこまで保つことはなかったが。

 

 あっという間の出来事であった。こうして、この世界におけるNERVドイツ第三支部は文字通り瞬く間に壊滅した。この世界における兵装の最高傑作といえる『死神の背骨』を残し、しかし、この世界における最大の汚名を被せられて。そしてその汚名が行き着く先は、この粛正を命じたNERVの上位機関であるSEELEではなく、まだ幼年期を卒業したばかりの少女、惣流・アスカ・ラングレー。全くの事実無根を被せられた哀れな少女に向かったのである。

 その真実を知る者はいない。その潔白を唱える者はいない。少なくとも、全ての使徒が絶え、神による最初の『人類保管計画』が始動したこの世界において、それを知るのは世界を裏から操るSEELEのみであった。

 

 しかし、事態はSEELEの思惑の更に上を行く。なぜなら、SEELEも所詮は人の身であれば。リリスの生み出した使徒(リリン)であれば。その思惑が神を越える事はなく、その想いが神の願いを越える事はない。

 故に、世界は狂気に堕ちる。誰も予想だにできない結末を。神が最初に提示した結末を。それが望ましいか否か、神にすら分からずに。

 

 

──────

 

 

「アタシが何したってーのよ・・・・・・」

 

 第三新東京市、NERV本部。人狼の脅威に晒されながらも今日まで生き延びてきた砦の上で、惣流・アスカ・ラングレーは篝火として使われている松明の火を見つめていた。夜風に火の粉が巻き上げられ、夜空に消えていく。その光景に何故か無性に苛立ちを覚えたアスカは、消え入りそうな声で自身の内情を口にした。

 エヴァ02のパイロット。その立場がある故にNERV本部でのポジションは変わらないものの、ドイツNERVの一件以来、アスカはあらゆる場面で裏切り者のレッテルを突きつけられていた。ドイツNERVに対しての裏切り。『死神の背骨』製造の秘密をNERV本部に隠していた裏切り。果てはNERV本部を内部から破壊しようとした疑い。

 アスカ自身にはもちろんそんな意思は微塵もないし事実無根のでっちあげなのだが、SEELEによって操られている国連が世界中にばら撒いた真実。それが齎した遺恨はアスカが想像していた以上に重いものとなった。NERV本部の一般職員は勿論のこと、本来であればチルドレン達の味方であるはずの葛城ミサトやNERV首脳陣までもが、アスカに懐疑的な視線を向けていたのだ。

 もちろん、碇ゲンドウと冬月コウゾウは事の真実を知っている。だが、彼らがここでアスカを庇って何になる?彼らがアスカを庇って得られる利は何もない。故に庇い立てする意味もない。様々な政治的思想の槍玉に上げるだけ上げて、後は放置すればよいだけ。

 同年代の他のチルドレン達も、事が事なだけにいたずらに庇い立てする事もできない。碇シンジにしても彼女に寄せる好意から彼女の潔白を信じてやりたいが、その想いをアスカ本人に伝えられるほどには、二人の間には絆が育まれていなかったのだ。

 そこに輪をかけて事態をややこしくしているのが、全人類の突然の人狼化。全世界を巻き込んだこの大事件は、アスカへの悪感情を和らげる結果には繋がったが、かと言って身の潔白を証明する事もできず、アスカへの対応はあやふやな物となった。

 結果としてアスカは四六時中、生き残った味方であるはずの人類から、まるで刑事の張り込みに合う指名手配犯のような苦い思いを味わっていた。

 

《庇ってあげればよかったんだ。少なくとも、僕は味方だよって、ハッキリと、アスカの目を見て言えていたら。何度突き放されても、僕はアスカを信じてるって言えばよかったんだ・・・》

 

 その「強さ」がなかった、とアルマロスが力無く呟く。その様子を、シンジは痛ましく思いながらも黙って見ているしかできなかった。

 

 この世界に来てから目の当たりにする、悪夢のような光景。人が人のまま獣のように地を駆け、人を襲う。襲われた人は食い殺されるか、もしくは、まるでゾンビ映画のように自身も人狼となるだけ。感染するのだ。この症状は。

 シンジとアルマロスはこの世界に来訪したイレギュラーだ。故に、この世界に干渉する事はできない。手の届く距離で人が襲われても、それを助けることができない。シンジが何度試そうと、その事実は揺るがなかった。

 二人がこの世界に来て何度目の夜を迎えただろうか。この世界の人間にとって夜は安らぎを得るものではなく、朝日と共に目覚められる事を心から願う恐怖を味わうだけのものであった。

 そんな夜に、アスカは決まって砦を抜け出すと、この篝火の前にやってきていた。そして力無く呟くのだ。「アタシの何が悪いのか」と。

 

《君の「強さ」が羨ましい・・・・・・》

 

『僕、の・・・・・・?』

 

《うん。君は、君だったらきっと彼女を救えたはずだ。そういう魂を持っている事を、僕は知ってる・・・・・・》

 

『・・・・・・僕だって、そんなに強いわけじゃないよ』

 

 そもそもシンジ自身も、アスカと恋仲になるにはかなりの時間を要した。もしシンジがアルマロスと同じ立場であったとしても、彼女を救えるかは、微妙なところだ。

 シンジは所在無く、視線を砦の上のアスカに移した。

 

『アレ?』

 

 そのシンジの視線の先、アスカがNERV本部の城壁の上から身を乗り出して、ゲートの下を覗きこんでいた。

 

『アスカ、何してるんだろう』

 

《・・・・・・・・・・・・》

 

 アルマロスへの問いかけであったが、アルマロスはそれに応えない。むしろ恥いるかのように身を縮こませた。

 眼下のアスカは何かを必死に確認しようとしているようだった。その視線の先はゲートの外側に向いている。その視線の先には、この世界の『シンジ』、つまり、過去のアルマロスが立っていた。

 

《この世界の人狼化はね、『フォルトゥナ』の発した怪電波が月面に反射して、世界中にばら撒かれて起きたらしいんだ。それを受けた人間は精神を変化させ、人狼に堕ちる。NERV本部や一部の施設ではその電波を解析して、抗干渉装置を作り出して対処してるんだよ。だからNERV本部の敷地内にいれば、少なくとも電波による人狼化は防げる》

 

『え!?けど、あそこに立っている『君』は・・・・・・』

 

《そう。敷地内を出ている。一応、人狼化を防ぐための簡易抗干渉装置はあるけど、それすら付けていない。あそこにいる『碇シンジ』は、人狼化してもおかしくない状況にある》

 

『そ、そんな!?』

 

「バカシンジッ!!何やってるのよ!?早くゲートに戻んなさいッ!!」

 

 城壁の上からアスカが『シンジ』に呼びかける。しかし呼びかけられた本人はアスカに一瞥する事もなく、悠々と夜の闇に向かって歩いていく。その速度は徐々に上がっていき、しまいには人の限界に近いスピードで走り去ってしまった。

 

「〜〜〜あんの、バカッ!!」

 

 アスカは急いで砦内に戻っていく。ややあって、ゲートからヘッドホンのような抗干渉装置を付けたアスカが飛び出した。『シンジ』の後を追うようだ。

 

《行こう。僕がどうなってきているのか、見せてあげるよ》

 

 アルマロスが力無く、シンジに笑いかけた。

 

 

 

 

 瓦礫となった都市を、アスカは駆け抜けた。相当なスピードで走ってきたはずだが、『シンジ』の姿が見当たらない。内心焦りを覚えたアスカは、さらにスピードを上げた。

 大声で呼びかける事はできない。ここは人狼の巣だ。声をあげれば人狼が獲物目掛けて疾走してくるだろう。ただでさえ人狼との遭遇をアスカは恐れているのに、そんな危険は犯せなかった。

 どれだけ探しても見つからない。時間の経過と共に、『シンジ』が人狼化するリスクも高まる。この時点では自分の『シンジ』に対する感情を整理できていないアスカであったが、全人類の希望であるエヴァンゲリオンのパイロットをみすみす人狼化させてしまったとなれば、自分への悪評はさらに酷い物となる。それに、アスカ自身のパイロットとしての誇りもある。

 それを簡単に投げ出すような真似をした『シンジ』を、アスカは思い切りぶん殴りたかった。

 だが、探索を続けるにつれて、アスカの胸中には後悔と恐怖が渦を巻き始めていた。いつ人狼に襲われるかわからない状況の中、あてもなく瓦礫の都市を彷徨い歩く。心許ない月明かりに必死に縋りながら、しかしエヴァパイロットとしての誇りだけを頼りに『シンジ』を探し続けた。

 夜の廃墟に、人狼の遠吠えが響いた。とっさに持ってきた拳銃に手をかけたが、こんな物が人狼の群れに通用するはずがない。アスカの歯がカチカチと音を立て始める。

 その時だった。廃墟と化したビルの影から、突如として一匹の影が飛び出してきた。

 

「ッッ!」

 

 咄嗟に出そうになった悲鳴を抑えて、銃を構えたアスカ。そこに居たのは一人の子供。否、四つ足で大地を駆る人狼の子供だった。

 子供が悪ふざけで真似る獣の仕草。目の前の人狼の動きはまさしくそれだった。その全身からは人としての理性が失われていて、あまりの恐怖にアスカは咄嗟に銃の引き金に指をかけた。

 しかし、アスカは踏みとどまる。こちらを振り返った子人狼の瞳に、知性の輝きを見たからだ。そして、その子人狼はシンジの服を着ていた。

 

「まさか、シンジ・・・・・・」

 

 違う。別人だ。その子人狼にシンジの面影はない。だが、なぜシンジの服を子人狼が着ているのか。考えのまとまらない頭を軽く振ったアスカが見た物は、まるで「付いてこい」と語りかけるように瞳で訴えてくる、子人狼の姿だった。

 アスカは一瞬だけ迷い、しかし、その子人狼に付いていくことにした。子人狼は軽く頷くと、廃墟となったビルの一つに入っていった。

 その子人狼を追いかけて、アスカもビルの中に入る。狭い通路や崩れかけの階段を通った先、アスカはとうとうビルの屋上へと到達した。

 

 その異様な光景に、アスカは息が止まるかと思った。

 

 溢れる月光の下、屋上を埋め尽くすほどの人狼が伏している。人狼達の視線の先に、服を脱いだ『シンジ』が背を向けて立っていた。それはまるで、人狼達を従えているようにも見えた。

 『シンジ』が彼方を指差すと、人狼の群れが一斉に吠えた。振り返る『シンジ』が人狼達に優しく微笑む。

 その情景に、アスカは恐怖よりもある種の感動を覚えていた。異様とも取れる事態であったが、月光の元に集う少年と人狼の群れは、ある種の絵画的美しさを放っていた。

 呆気に取られているアスカに、『シンジ』が視線を向ける。『シンジ』は人狼に対するよりもなお優しい笑みをアスカに向けていた。まるでアスカが来てくれた事を喜んでいるように。

 『シンジ』がアスカを手招く。そのあまりの優しさに、アスカの瞳から涙が溢れた。世界中から敵視されていたアスカにとって、他人からの優しさは久しいものであったから。

 しかし、アスカはその場で『シンジ』に背を向けた。その手を取ってしまえば、自分の中の誇りが崩れ去ってしまう気がしたから。

 屋上を朧げな足取りで去るアスカ。それを至極残念そうに見送る『シンジ』の横に、『シンジ』の服を着た子人狼がすり寄る。『シンジ』はその子人狼の頭をひと撫ですると服を受け取り、それを身に纏った。

 

 月明かりが照らす中、埃をはらんだ風の匂いと、人狼達の遠吠えだけが、廃墟の街を満たしていた。

 

 

 

 

 

つづく

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