《・・・・・・・・・・・・・・・・・・》
『あ、アルマロス・・・・・・』
人体の谷の上空。この世界に存在しないはずの二人の影。一人は碇シンジ。そして、もう一人はこの世界の記憶の持ち主、アルマロスとなった『碇シンジ』であった。
そのアルマロスは、眼下の光景を遮るように顔を両手で覆っている。その手の隙間から、微かではあるが嗚咽が漏れ出ていた。
《知らない・・・僕は、この光景を知らないッ!》
覆っていた手を伝って、涙が地面へとこぼれ落ちる。
《聞いてはいた!父さんから、綾波の最期を聞いてはいた!でも、こんな光景、僕は見ていない・・・ッ!綾波が、こ、こんな・・・こんな悲しい最期を迎えたなんて、僕は知らなかった・・・・・・ッ!!》
アルマロスの慟哭が、人体の谷に響き渡る。それに対し、シンジは何も言えなかった。今、自分たちの目の前で起きた惨劇を受け止めるので精一杯だった。
この世界の綾波レイは、シンジの知るトロワ達とは違う。それは頭ではわかっている。わかっているのだ。
だが、だからといって、果たして今の光景を他人事だと割り切れるだろうか。
そんなの、無理な話だ。
そして、目の前のアルマロスはその当事者だ。その悲しみを計り知ることはできない。どれだけアルマロスの心に寄り添ったところで、結局はシンジは『失っていない者』で、アルマロスは『失った者』なのだ。その溝を埋めることは決してできない。
シンジはただ、アルマロスの気持ちが落ち着くのを待つしかなかった。
やがて──、
《・・・・・・・・・・・・ねえ、僕》
『・・・・・・なんだい?』
《・・・僕は、この世界では、これほどの憎しみを抱いてはいなかったと思う。正直、ね。でも今、確信したよ。僕は結果として『ダメだった』。だけど、この後の僕が起こした行動には何の後悔もない。改めて、それを実感できたよ・・・・・・》
アルマロスが覆っていた両手を顔から退ける。その下から現れたのは、憎悪と憤怒に塗り潰された、鬼のような形相の『碇シンジ』であった。
《エヴァはみんな、みんな、死ねばいい・・・!》
その言葉が表すのは、この世界の終局。数百を超えるエヴァンゲリオンが人類補完計画の完遂を求めて争った世界。
その世界の唯一の勝者。
アルマロスの、怨念に等しき想いであった。
◇
「嘘だ・・・・・・」
NERV本部の独房に隔離された『シンジ』は、自身の父である碇ゲンドウからその事実を聞かされていた。
「嘘ではない。レイは、『フォルトゥナ』に敗れて死んだ。セカンドチルドレンと同じ、末路を辿った・・・」
「嘘だ!!なんでだよ!父さんがいて、なんで綾波が死ぬんだよ!あんなに父さんは綾波を大事にしてたじゃないか!なのに、なんで!」
牢獄の格子から手を伸ばし、『シンジ』はゲンドウの襟を掴んで締め上げる。
「なんで!綾波を見殺しにしたんだよッ!!」
「・・・ッ!私がッ!!」
それに対し、父も怒りに任せて子の襟に手を伸ばして締め上げる。
「私が!それを望んだと思うか!シンジ!」
「・・・・・・と、父さん?」
「私が、レイを望んで死地に運んだと思うか!?できるだけの備えはした!大弓アズマテラスを与え、遠距離からの攻撃による比較的安全な作戦で、レイの勝利を望んだ!そうなると願っていた!私が!レイの!死を願ったと本気で思っているのか!?」
初めて見る父の、心からの怒り。そして後悔。それを目の当たりにした『シンジ』は気圧されて、黙り込んでしまう。
そこに畳み掛けるように、ゲンドウは怒りを撒き散らした。
「お前を同行させる作戦も挙がってはいた!だが、お前は人狼と化している!それでは『フォルトゥナ』と対峙した際、人狼化が進んでレイを危険に晒す可能性があった!お前が正常であったなら、迷わずにお前を同行させていた!だが、お前とレイ、その両方を取ろうと私は愚かにも判断したのだ!お前の無事と、レイの無事を願ったのだ!!その結果がコレなのだ!!!」
はぁ、はぁ、とゲンドウが肩で息をする。その瞳に、キラリと光るものが浮かんでいる。目の前の光景は、『シンジ』にとって信じられないものであった。
ゲンドウは続ける。
「どうすればよかったのだ・・・?シンジ、教えてくれ。私は何を選べばよかった?お前か?レイか?その両方を望むのは、間違っていたのか・・・・・・?」
とうとう、ゲンドウの目尻から涙が溢れ落ちた。ずるりとシンジの胸元から、ゲンドウの手が落ちる。
「と、父さん・・・・・・」
「頼む・・・・・・助けてくれ、シンジ。もうお前しかいないのだ・・・・・・」
目の前で、父はとうとう膝をついた。あらゆる手段を講じ、その全てを成功させてきた父が、息子の前で跪いたのだ。
その光景を前に、『シンジ』の胸に迫り上がってくるものがあった。
あの父が。誰にも縋らず、ましてや息子に対して一定の距離を取り続けていた父が。今、目の前で自分に救いを求めている。
その光景に、『シンジ』は溢れる涙を抑える事ができなかった。
「・・・・・・・・・・・・父さん」
「・・・・・・・・・・・・」
「僕に、できる事があるの・・・・・・?」
「・・・・・・わからん。だが、お前の人狼化は、もしかしたら他の者のソレとは違うのかもしれん」
「どういう事?」
ゲンドウは跪いたまま、右手で顔を覆い、目尻の涙を拭う。
「『フォルトゥナ』の言っていた、人類補完計画の要。全ての人類の意思を集め、人狼を従える者。それはもしかしたら、お前なのかもしれない・・・・・・」
「それは・・・・・・?」
「お前に見せた、セカンドチルドレンの見た光景。あれは、お前が人狼を率いているようにも見てとれた。お前がもし、人狼を率いて、『フォルトゥナ』の前に立つならば、『フォルトゥナ』はお前を補完計画の要として認めるかもしれない」
「・・・・・・それは」
「これは賭けだ。もしかしたら、お前は『フォルトゥナ』に感化され、人狼化が進むかもしれない。だがもしも、お前が人狼化せずに『フォルトゥナ』の前に立つ事ができたのなら──」
ゲンドウの瞳が、『シンジ』をまっすぐに捉える。
「お前が、『フォルトゥナ』を殺せる。人類全てを、真の幸福へと導けるかもしれない」
その瞳は、『シンジ』が見たことのないほどに澄んでおり、心の底からシンジに縋る瞳であった。
「シンジ、全てのエヴァを殺せ。ダデス渓谷に集まった全てのエヴァを。お前が唯一無二のエヴァとなるのだ。その上で、もし『フォルトゥナ』を殺す事ができたのなら・・・・・・」
ゲンドウの手が、『シンジ』の手に重なる。
「レイも、セカンドチルドレンも、取り戻せるかもしれない」
「!!」
『シンジ』の目が驚きで見開かれる。
「『フォルトゥナ』は、セカンドチルドレンの声で喋っている。仮定の話になってしまうが、奴はセカンドとレイの魂を取り込んだ可能性が高い。お前が『フォルトゥナ』を殺し、もしも二人の魂をサルベージする事ができれば──」
そこまで聞いた『シンジ』の心臓が、ドクンと大きく脈打った。『シンジ』は無意識のうちに、父の手を強く握る。
「父さん」
「・・・・・・」
「可能性が、あるんだね?」
「・・・・・・ああ。か細い希望かもしれんが」
その言葉を聞き、『シンジ』の目に宿ったのは、『フォルトゥナ』やエヴァビーストに対する強い憎しみ。
そして、強い希望だった。
「父さん。僕をここから出して」
「シンジ・・・・・・」
「僕が、全てに決着を付ける。全てのエヴァを殺してやる・・・!その上で、アスカも、綾波も、僕が取り戻すッ!!」
その言葉に、ゲンドウは一瞬呆けたように目を見開いた後、強く頷いた。
この世界における、最後のトリガーが今、引かれた。各々の思い描く、幸福の形が今、実現しようとしている。
しかし、それが形を成すことは決してない。
なぜならこの世界は、既に【失敗した世界】なのだから。
つづく