その場所はまさにマグマの噴火した火山の火口、そのものに等しかった。限界まで熱し溶かされた鋼がNERV本部地下の工房を流れていく様は、まさしく溶岩流そのものであった。
無理やり引き抜かれた名もなきエヴァンゲリオンの脊髄を覆うように、溶けた鋼が紅く光る蜂蜜のように流される。やがて大気が溶けた鋼の熱を奪い、その形がある程度固定されると、エヴァンゲリオンの脊髄と鋼は巨大なアームによって持ち上げられ、その隣にある巨大な金床に静かに置かれた。
未だ鋼に宿る炎が消えないうちに、10にも及ぶ巨大なハンマーが鋼を叩いて鍛える。鋼が固まりきらぬ内に折り返され、再びハンマーが鉄を叩く。
鍛錬、である。
巨大な炉の駆動音、鋼を打つハンマーの轟音、そして熱した鋼を水に入れた際に発生する、じゅううう・・・という水蒸気の音。それらが混在した工房内は、耳栓がなければ鼓膜が破れて使い物にならなくなってもおかしくはない轟音で満たされていた。
刀だ。巨大な刀が打たれていた。
それは人の身では決して振るうことの叶わない太刀。巨人が巨人を殺すという、たった一つの役割を与えられた武器であった。
「発案しておいてなんだけど、割と狂気的な光景ね」
「ほぉんと。この刀一本で、プログナイフ何本分になるのかしら?」
「プログナイフとこの刀では密度が違うわ。鉄を熱して、叩いて、折りたたんで、叩いて、そして水に入れて固めて、また熱して・・・・・・それを何度も何度も繰り返すのだもの。製造コストという点では、プログナイフの数十本分は賄えるでしょうね」
「どっしぇ〜・・・・・・なんか頭痛くなってきたわ」
鍛錬の様子を安全な見学室から眺めるのは赤木リツコと葛城ミサト。
そして、先ほどから一言も喋らずにただじっと刀の鍛錬に見入っている、『碇シンジ』であった。
『シンジ』の顔に表情は無い。まるで能面のようなその顔に反し、その瞳は炎を反射してギラギラと輝いている。『シンジ』自身の瞳の奥に光はなく、その様はまるで黒く磨かれた玉石が炎に照らされているようでもあった。
狂気。凶気。そういったドス黒い感情によって心の中を完全に塗り潰した『シンジ』。その目はただひたすらに、刀が打たれている様子に注がれていた。
刀の芯となる、エヴァの脊髄。それが持つ怨念。それに感化されたかのように、ただただ、『シンジ』は刀の完成を待っていた。
振るいたい。早く。この怨念の塊を。全てを呪う鉄塊を。巨人を殺すためだけに生み出された兇刃を。とにかく早く、思うがままに振るいたかった。
「リツコさん・・・」
「・・・なにかしら?シンジ君」
「これ、いつになったら出来上がるんですか?」
『シンジ』の抑揚のない声に僅かな狂気を見ながら、リツコは淡々と聞かれた事に答えた。
「二週間ちょうだい。刀の形に整えるだけで一週間。その後の研磨に一週間は欲しいと、現場が言っているのよ」
「・・・そんなに待てませんよ」
「シンジ君」
ミサトが腕を組んだまま、しかし『シンジ』とは向き合わずに声を掛けた。
「あなたの気持ちは痛いほどわかるわ。でも、我慢して。数百を超えるエヴァ"ビースト"。そしてその向こうでふんぞり返っている『フォルトゥナ』を確実に倒すためには、ナマクラ刀では意味がないわ。この刀、『ムメイマサムネ』をしっかりとした刀として鍛えあげた上で、リツコがこの刀に妖刀としての魂を注がなくてはならないの。わかるでしょ?」
「妖刀だなんて、そんなオカルティックな言葉は使わないで欲しいわね。敵対するエヴァ"ビースト"のコアに込められた魂のサルベージ。それに伴うATフィールドの吸収。その二つの機能を持たせるだけよ?」
「その言葉だけで充分オカルティックよ」
ミサトとリツコの冗談混じりの会話に、しかし話をしている当人達の顔に笑顔はない。なぜならこの刀は文字通りの最終兵器。NERVが打倒『フォルトゥナ』のため、残りの資材全てを投入した最後の武器なのだから。
数百にも及んだ数々の使徒を屠ってきたNERV本部。それが生み出せる最後の武器。それは裏返せば、それだけ人類が追い詰められていることの証左であった。
『シンジ』が手錠のついた両手を握りしめる。人狼化の予兆が見える『シンジ』は、その両手両足に錠をかけられていた。手に力を込めた瞬間、錠の鎖がじゃらっと小さく音を立てる。
だが、『シンジ』の顔は変わらない。
「・・・・・・・・・わかりました」
『シンジ』は静かに答えた。能面のような無表情。その胸のうちに、アスカと綾波を無惨に殺したビースト共。そして『フォルトゥナ』への憎悪を滾らせて。
『シンジ』は目の前で鍛えられていく刀に向けて、呪詛の如き想いを向けていた。
殺せ。
全て殺せ。
その熱で、全て焼き尽くせ。
魂というものがあるのなら、二度と輪廻転生する事なきよう、壊して、燃やして、喰らい尽くせ。
早く、早く、早く、早く。
脊髄を抜かれた名もなきエヴァの怨念。それに被せるように。自分の憎しみを練り込むように。怨念が形となって、自分の憎しみを存分に撒き散らせるように。
『シンジ』はただただ、妖刀の完成を静かに見守っていた。
──────
刀を振るう。
ゆっくりと。しかし、確実に目の前の空を断ち切る。
刃を返す。ゆっくりと、筋肉の動きを確かめるように。
違和感があった。今のはダメだ。断ち切れなかった。
ではやり直すか?初めから?
否、そんな必要はない。そもそも、戦場において『やり直し』はない。
ミスはミス。例え致命的なミスであったとしても、生きていればなんとでもなる。死ななければどうとでもなる。
だから、ミスに気を取られない。次の一撃をもっと良いものに。それだけを意識して、刀を振るう。
『碇シンジ』は刀を振るう。その巨大な太刀を、エヴァ01の肉体を使って。
『ムメイマサムネ』が完成してから、約一週間。『シンジ』はエヴァ01に乗り、ひたすらに刀を振り続けている。NERV本部の城壁を超えた先の廃墟にて。夜も眠らずひたすらに刀を振り続けている。
その様子を見守り続けるNERV本部の面々。明らかなオーバーワークだ。この一週間、文字通り寝る間も惜しんで、エヴァに乗り続けているのだから。
しかし、ミサトやリツコ、その他のスタッフの声は『シンジ』には届かない。いや、鬼気迫るその表情に、声をかけることができないでいた。
アンビリカブルケーブルを繋いだエヴァンゲリオンが、一度も稼働停止する事なく、廃墟の街で刀を振り続ける。
「碇・・・・・・」
NERV副司令の冬月が、碇ゲンドウに声をかけた。
「流石に止めるべきでは・・・・・・?」
「ダメだ」
声を掛けられたゲンドウは自身の机に座ったまま、机の上で手を組み、その口元を覆い隠しながら拒否した。
「今の『シンジ』の気を逸らすのは許さん。ヤツは今、研ぎ澄ましているのだ」
ゲンドウの言葉の通り、エヴァ01の動きは一週間前と比べて明らかに洗練されていた。寝る間も惜しみ、狂気とも取れる鍛練を続ける中で、エヴァ01の動きはまるで舞踏のように滑らかに、力強くなっていった。
だが、恐らく『シンジ』は感じている事だろう。「まだ足りない」と。
その息子の狂ったような衝動に、父、ゲンドウの口に笑みが広がった。それはまるで、失った妻、碇ユイをひたすらに追い続けるゲンドウ自身の様であったからだ。
いや、もしかしたらすでに息子の狂気は、自分のソレを超えているかもしれない。
ゲンドウは『シンジ』がこの世に生を受けてから初めて、息子の成長を心から喜んだ。
「冬月」
「なんだ?」
「
ゲンドウの言葉に冬月の視線が手元のコンソールに向かう。
「観測できる範囲であれば、98.2%といったところか」
「それで良い。人類最後のエヴァンゲリオン。人類に残された最後の希望。全てのヒトの意識を束ねる存在として、『シンジ』は完成された」
そう言うとゲンドウは手元の端末を操作し、エヴァ01の映し出された映像を拡大した。エヴァを遠巻きにして、人狼の群れが巨人の儀式とも取れる動きをひたすらに見つめていた。
まるで『王』の振る舞いに畏怖を覚え、魅入られたかのように。
「人狼も含めて・・・・・・」
ゲンドウの笑みが深くなる。
「全てのヒトの意思が、彼方の巨人に注がれている。一つに束ねる時が来た。『シンジ』は確実に『王』となる」
ゲンドウが立ち上がる。
「人類補完計画の最後の裁定者。もうすぐ我々の願いが叶う」
ゲンドウは隣にいる冬月だけに聞こえるように呟くと、その場にいるスタッフ全員に向けて最後の指令を出した。
「3時間後だ。アンビリカブルケーブルの電力供給をストップ。稼働停止したエヴァを回収後、ダデス渓谷への搬送の準備を開始。NERVにとって最後の作戦を開始する」
その指令に、発令所に詰めていた全てのスタッフの顔が緊張に引き締まった。
最後の作戦。エヴァンゲリオンによる『フォルトゥナ』の打倒。
それに向けて動き出したNERVの面々の中に於いて、葛城ミサトだけが、発令所のモニターに小さく映る『シンジ』の顔を凝視していた。
頬がこけて、まるで死人のようでありながらも、その目に宿る確かな殺意がギラギラと光る、修羅となった『碇シンジ』を、ただじっと見つめていた。
──────
『・・・・・・・・・・・・なぁ』
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
『なぁ、頼むよ。何か喋ってくれ。こっちが耐えられねぇよ』
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
エヴァンゲリオンの輸送機が、アフリカ大陸の遥か上空を、エヴァ01を載せて飛んでいる。雲一つない青空に、輸送機が引いた飛行機雲だけが白い線として残る。
『・・・・・・なぁ。お前も、あのかわい子ちゃんと同じ、チルドレン、なんだよな?』
「・・・・・・・・・かわい子ちゃん?」
『お!?やぁっと反応してくれたかよ!助かったぜ!日本を経ってからここまでずうっと口をきいてくれなかったからな!こちとら眠気とずぅっと戦ってたんだよ!これが辛くて辛くて・・・』
「だから?」
『んあ?だから、って言われると、なんとも返し辛ぇが・・・』
「・・・・・・あなたが、アスカを運んだ人、ですか?」
エヴァ01のパイロット、『碇シンジ』は、自分の声の抑揚をなるべく抑えるように疑問を口にした。
『おぉっと!ソイツを聞いてくるか。言っとくがな、俺は仕事をきっちりこなしただけだぜ?NERVドイツの裏切り者を、言われた通りにここまで運んできたってだけだ。・・・・・・そんな事を聞いてくるってことは、もしかしてアンちゃん、あのかわい子ちゃんのコレか?』
『シンジ』と操縦者の間に、映像を通したやり取りはない。だが、『シンジ』は通信の向こうで、この輸送機の操縦者が嫌らしい手付きでアスカと自分の関係を示しているであろう事を想像した。
『シンジ』の心がわずかに、しかし確かに揺れる。
『お?その反応、初々しいねぇ!!もしかして、寝てねぇのか!?』
「・・・・・・・・・・・・」
『あらら、そりゃあお気の毒だったな。こんな世の中だ。後悔してもしきれねえことも多々ある。無理やりにでも抱いときゃ良かったなぁボーズ!』
殺意が湧く。『シンジ』の手に僅かながら力が込められる。あと何か一押し、この操縦者が何か不遜な事を宣えば、きっと『シンジ』は我を忘れていただろう。
そのシンジの気を逸らすように、NERV本部から通信が入った。
『『シンジ』君、聞こえる?』
「・・・・・・ミサトさん」
『もうすぐダデス渓谷上空よ・・・・・・覚悟はいい?』
「いまさら、でしょ?ミサトさん」
『・・・・・・そう、ね。そうかもしれないわ』
ミサトの返答の後に流れた沈黙。通信の向こうで、ミサトが何かを振り切ったように声を上げた。
『『シンジ』君!これが全人類にとって最後のチャンスよ!『フォルトゥナ』を殺せる、最後のチャンス!そして、アスカとレイの魂を呼び戻す、最後のチャンス!荷が重すぎるかもしれない・・・・・・でも!全人類の希望!あなたに預けるわッ!!』
「・・・・・・わかりました」
『シンジ』はあくまで淡々と、その声に応えた。あくまで、淡々と。その胸の憎しみの炎を外には出さず、あくまでも淡々と。
『よっしゃあ!ボーズ!そろそろ目標地点に到着だ!あと10数えたら、ボーズを切り離すぜ!?準備はいいか!?』
「・・・・・・ええ」
『シンジ』はあくまでも淡々と返す。
『おっしゃ!カウントダウン!10!』
「・・・・・・ねぇ?運転手さん?」
『9!おう、なんだ!?』
「あなたがアスカをここまで運んだんだよね?」
『8!おう!そうだぜ!?』
「・・・・・・アスカに、なんて言って送り出したの?」
『7!んあ?別に、名誉挽回のチャンスって言ってやったぜ!?』
がははは!と通信の向こうの男が答える。
「・・・・・・そう、なんだ」
『6!おう!ボーズの良い人の敵討ちだな!存分に暴れてやんな!!』
『シンジ』の瞳に憎悪の炎が宿る。
『5!心の準備はいいかぁ!?ボーズ!!』
「ああ・・・・・・」
『シンジ』の胸の中に燃えたぎる、憎悪の焔。
『4!!さぁ、いくぜぇッ!!』
「あのさ」
『シンジ』はあくまでも静かに。その言葉は、ごく自然に、当たり前のように『シンジ』の口から漏れた。まるで吐息のように。
『3!!なんだ!?なんか聞きたいことあるのか!?』
「うん。あのさ・・・・・・」
『シンジ』の意思が、エヴァンゲリオンの腕に力を込める。
『2!おうさ!』
「死ねよ、お前」
エヴァの腕が振るわれると同時、エヴァ01を輸送していた機体が真っ二つに切り裂かれた。
輸送機が切り裂かれた瞬間、爆炎がアフリカ大陸の上空に上がった。
その汚い花火から爆煙の尾を引きながら落ちてくるのはエヴァンゲリオン01。
腰に『ムメイマサムネ』を携えた、最後のエヴァンゲリオン。
紫色の鬼神の姿だった。
鬼神が青空を切り裂くように、大地に落下する。簡易パラシュートと、ロケット噴射による逆推進も無く、エヴァ01は大地に向かって重力に従い落下していく。
それを『シンジ』は、空中にATフィールドを展開する事で中和した。
空中に展開されたATフィールドを踏み砕きながら、エヴァ01は何枚も何枚も、ATフィールドを空中に展開していく。それらを突き破りながら、徐々に減速していくエヴァ01。
空中に張られた全てのATフィールドを踏み砕き、エヴァ01は大地に降り立った。
「アスカも、綾波も、ここで・・・・・・」
死んだ、という言葉は口にしない。『シンジ』はこの荒野の向こうにいる『フォルトゥナ』。それを殺し、二人の魂を取り戻すことしか考えていない。
故に──、
「邪魔だなぁ・・・」
目の前に立ちはだかる、エヴァンゲリオン"ビースト"の数百体にも及ぶ群れ。
それを、蛆虫でも見るかのように、無感動に見つめていた。
『シンジ』が腰に携えた刀、『ムメイマサムネ』に手を掛ける。すうっと静かに、鞘から刀を抜き放つ。
『シンジ君。聞こえる?』
通信から赤木リツコの声が聞こえる。勿論、聞こえてはいる。だが、返事をするのも億劫だ。『シンジ』はこの瞬間を、この妖刀を振るう瞬間をこそ、心から待ち望んでいたのだから。
『貴方の持つ『ムメイマサムネ』は、エヴァのコアを攻撃する事で、相手の魂を強制的にサルベージ、ATフィールドを吸収するわ。つまり、貴方が敵エヴァを斬り殺せば斬り殺すほど、武器としての性能が上がっていくの。お分かり?』
うるさいな。そんな事、どうでもいいんだ。
『シンジ君!ちゃんと聞きなさい!あなたの命に関わることなのよ!?』
ミサトさんが喧しく騒ぐ。だが『シンジ』にとってはどうでもいいのだ。
いま、ようやく、自分の思う通りに憎しみを振るえる時が来た・・・・・・!
その喜びに、全身が震える。
『シンジ』は笑う。狂気に侵されて、笑う。
「アスカ・・・・・・綾波・・・・・・」
『シンジ』の、エヴァの手が、手にした刀を構えた。
「絶対ニ!!取リ戻スッ!!」
『シンジ』の咆哮とエヴァ自身の咆哮。
それが後に『人体の谷』と呼ばれるこの土地に、高らかに響きわたった。
ただただ、虐殺の宴を始めるために。
つづく