青い星の表面に、幾つもの光の十字架が立ち上っていく。
全ての人の魂が、獣のソレへと堕とされていく。
数多の十字架が一つに集められる事はない。この世界の最後の裁定者が、この世界を失敗と断じたが故に。
世界の果てに、最愛の人と再び出会える事はなく、全ての魂が陵辱されて、不要とされた塵へと形を変えていく。
立ち上った数多の十字架は色が霞んでいき、その身を腐らせながら大地に落ちていく。
かつて人という魂が満ちていたその青い星に向けて、『碇シンジ』は、いや、後の世界で『アルマロス』と呼ばれる堕天使は、月面に突き刺さっていた二叉の赤い槍を引き抜くと、その石突で大地を叩く。
────ド───ン・・・!
遥か月で、黒い巨人がロンギヌスを打ち鳴らす。
────ド───ン・・・!
それは警鐘であり、終末の宣告だった。
────ド───ン・・・!
全ての堕ちた魂に、世界の終わりを告げていく。
その音を耳にした獣のうち、翼を持つ者だけが空に飛び上がった。新たなる世界へと開いた道を、翼持つが故に渡れることを確信して。
アルマロスが7回、ロンギヌスの警鐘を打ち鳴らした。
《大洪水から再び・・・舞台は再生される──計画が成しえるまで、何度も、何度でも・・・・・・》
アルマロスの呟きとともに、ロンギヌスの捩れた二叉の穂先。その螺旋がゆっくりと解かれていく。
解けた螺旋は一本の輝く直線に。
それを手にしたアルマロスは、黒い巨人は槍を大きく振りかぶり、その全身を強靭な弓のようにしならせ、思い切り投げた。
《世界は環の中、原罪を解くその時まで外と繋がること・・・・・・ならない・・・・・・。退け、汝。成すべき事を成さざる者・・・疾く舞台より去れ。世界は・・・新たなる舞台の構築に歩み入る》
アルマロスは投げられた光の槍の行方を眺める。槍の向けられた先、青き星、地球へ。
《ここから始まる、繰り返される世界・・・原罪の時環から・・・次こそ世界が解き放たれん事を》
その瞳に、微かに涙を浮かべて。精一杯の祈りを、その言葉に込めながら。
槍は加速する。そして、その身を長く長く伸ばしていく。槍は七色の光の粒子を撒き散らし、宇宙にあり得ざるオーロラの如き輝きが広がった。
その光は地球へと降り注ぎ、その光に照らされた命を塩の柱へと変えていく。
槍は地球に激突すると思われた寸前、高度二万kmの近さまで到達した時点で、その軌道を大きく変えた。
地球の自転と十字を描くように、縦に回転していくロンギヌスの槍。それはどこまでも、どこまでも加速を続けながら伸び続け、やがて、一本の輪となった。
ロンギヌスの槍が、星を締め付けていく。その大地を、海を、搾り取っていく。絞り出された大地は月へ。アルマロスはその大地を、赤子を受け止めるように迎え入れると、月の中へと優しく取り込んでいく。
命を不要とした大地。その舞台であった物を、まるで後片付けをするように、月の内に仕舞い込んでいく。
締め上げられた地球、『テラ』から数々の悲鳴が宇宙に響き渡る。その嘆きは、しかし宇宙の中の小さな小さな雑音でしかなく、その音を聞き取れる者は、アルマロスを除いて他に居なかった。
鳥を除いた全ての命の怨嗟の声。それを一身に受けながら、アルマロスは星を削り、絞り、奪っていく。
そして、長い長い時をかけて、ロンギヌスの槍は星の生存に必要な全てを絞り尽くした。絞り尽くされた星は、文字通りの『枯れ果てた星』となった。
いや、もはやそれは天体とはとても呼べるような形をしていなかった。それは食べ尽くされて残った、『リンゴの芯』のようであった。
ここから、全ては始まった。幾星霜、何万回と繰り返される新世紀。
その『福音』を求める悠久の、救いなき旅が始まったのだ。
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真っ白く光る空間に、白いベンチが置かれている。背もたれはなく、そこに二人の人物が、互いに背を向けて座っていた。
一人は、中学生の姿をした『碇シンジ』、つまりアルマロス。
もう一人は、アルマロスに背を向けて座っているのはもう一人の、この物語における19歳の碇シンジ。彼は、溢れ出る涙を抑えることができず、顔を覆って、嗚咽を漏らしていた。
《・・・・・・君が悲しむことなんて、ないんだよ》
「・・・ッ、でも・・・でもッ!!」
《君が泣くことで、過去が戻ってくるなら好きなだけ泣けばいいさ。そんな事はないってわかってるくせに・・・・・・嫌味かい?それ》
「違う!違う、違うよ・・・・・・でも、こんなの、あんまりだ・・・・・・。どうすれば、僕はどうしたら・・・・・・ッ」
シンジに、涙を止める事はできない。これが身勝手な涙だとはわかっている。わかりきっている。シンジはこの過去の世界にとっては異物であり他人でしかない。アルマロスの過去を観ただけの、ただの観察者だ。
でも、だからといって、この悲しい世界の終わりに何も思わずになんていられない。悲しみを覚えずにはいられなかった。
《・・・これで、少しはわかってくれたかな。僕の事・・・・・・》
アルマロスはシンジに背を向けたまま、独り言のように語りかけた。それにシンジも振り返ることはなく、ただただ、頷くしかなかった。
《僕は、怖かったんだ。人が、他人が、アスカが、綾波が。人と触れ合う事が、僕は苦手だったから。それをただ「怖い」と思ってしまっていた。触れれば暖かいはずだった人との繋がりを、恐れて、遠ざけたんだ》
アルマロスが、何もない白く光る空を見上げる。
《触れればよかったんだ。この手で。例え怖くても・・・・・・。もしかしたらこの手は、誰かを傷付けたかもしれない。誰かの手が、僕を傷付けたかもしれない。でも本当は、誰かと手を繋ぐ事もできたかもしれないのに・・・・・・》
「アルマロス・・・・・・僕、は・・・・・・」
《だから、君が羨ましい》
アルマロスの口から、ふうと息が漏れる。
《君は恐れなかった。いや、本当は、怖かったんだろうとは思う。でも君は、手を伸ばせた。怖くても他人と手を繋げた。僕は綾波やアスカと手を繋ぐことができなかった。でも、君にはそれができたんだ》
アルマロスの顔には、笑顔が広がっていた。それは微かな、小さな微笑み。
《そして君は、人類補完計画を挫き、僕の前に立ち、その身を滅ぼしても諦める事なく僕と戦った。そして・・・・・・僕を長年の呪縛から解き放ってくれた》
「そんな、そんな事言わないでよ・・・!僕がもっと君の事を知れていたら、もっと別の道が、違うやり方が、君と手を取ることだって出来たかもしれないのに・・・・・・!」
《無理だよ。僕の意識はとうにアルマロスの中に沈んでいたんだ。アスカと綾波の紛い物の声に縛り付けられて、永遠とも思えた円環の中でただ人々を、星を壊し続けてたんだ・・・・・・君が、なんだよ。君がいてくれたから、今、君とこうして話すことのできる僕がいるんだ。僕は、それがとても嬉しい》
そう微笑んで語ったアルマロスの顔が、きりりと引き締められる。
《だから、これからは僕のわがままだ。ここから先は、本来の僕にはあり得なかった、夢のような時間だ。そしてきっと、【誰か】にとっての夢でもある・・・》
そのアルマロスの言葉に、シンジは顔を上げた。
「【誰か】って、誰のこと・・・・・・?」
《わからない。だけど君の選んだこの世界は、その【誰か】にも予想の付かなかった結末を世界にもたらした。この世界にはアダムも、リリスも、ロンギヌスの槍や『箱舟』すらももうない。でもそれに代わるものが、この世界に溢れ出してきている。・・・・・・それは、分かるね?》
「・・・・・・ケンスケのエヴァンゲリオン『シェムハザ』。それと『エグリゴリ』?」
《そう。人類補完計画の理から外れながら、人類補完計画の残滓とも呼べるものが、君の世界には生まれ始めている。そして、それは新たな『補完計画』の始まりとなるのかもしれない。アダムとリリスより生まれたエヴァ。そして『シェムハザ』が生み出す過去の使徒たち。それらが混在する世界が、どのような物語を辿るのか?きっと、その【誰か】は観たがっている》
そこまで話すと、アルマロスは背後のシンジに振り返った。
《僕は、君の得た世界を、君の選んだ世界を見ていたい。ずっと、それこそずっと。君が繋いだアスカや綾波たちとの絆。そして君とアスカの間に生まれたミライ。彼女達の行く末を見ていたいんだ。君に、僕と同じような悲しい結末を迎えてほしくない。・・・・・・でもきっと、君の世界も、僕の世界と同じような事が起きる》
「え!?」
《僕の世界と同じように、君の世界でも新たなエヴァが、使徒が、数多の巨人が生まれて、争いを起こそうとしている。そこには、もしかしたら【誰か】の意思が含まれているのかもしれない。そしてその【誰か】は、君たち人類の進化を望んでいる。その兆しはもう生まれている》
「兆し・・・・・・?」
《君の娘、ミライだ》
「!?」
《シンジ・・・》
アルマロスは立ち上がり、ベンチを回り込んで、シンジの前に立った。
《君の娘が宇宙でしか生きられない理由。それこそが、きっと『人類の進化』、つまり『人類補完計画』の要になるんだ》
「そんな・・・・・・ミライが、なんで・・・?」
《わからない。けど、僕は君に、アスカや綾波を、ミライを失って欲しくない。君が『鼓動』を得て、君たちのエヴァが『翼』を得たのは、
アルマロスがシンジに向けて、握手を求めるように手を伸ばした。
《僕の力は、君の命を、存在を蝕む。だけど、きっと君たちの『未来』を守るためには必要なものなんだ。君たちが『
これは契約だ。
選べ。
何事もない、穏やかで、安らかな死か。
激しく辛く、しかし唯一つの救いのある死か。
今ここで、改めて選べ・・・・・・》
シンジはその差し伸べられた手をじっと見つめる。
そして、ふっと笑った。
「もう、選んでるよ」
シンジの手が、アルマロスの手を握る。
《君が、僕と同じ過ちをおかさない事を願うよ》
アルマロスの顔に、優しく笑みが広がっていく。
そしてそれに合わせて、白い光が、世界を包み込んでいった。
《僕の夢を、彼方で見続けていた夢の続きを、僕に見せてくれ》
つづく