2020年、12月6日。時刻は午前0時を僅かに回った頃だろうか。
二つの人影が、アルザスロレーヌの森の暗闇を駆け抜けていた。
一人はサングラスを掛けて、全身に黒いスーツを纏った男、ネルフLUNAの防諜部に所属する剣崎キョウヤ。
そしてもう一人は、同じく全身を真っ黒なスーツで身を包んだネルフLUNA防諜部のトップ、加持リョウジ。
その二人が、音も立てずに夜の森を駆け抜けていく。
宇宙のラグランジュ点に存在するネルフLUNAから秘密裏に地球に降り立った加持は、周囲の状況とこれから潜入する施設に配備されているであろう戦力を考慮し、惣流・アスカ・ラングレー、否、碇・アスカ・ラングレーに対してエヴァ弐号機で待機しているように命じた。
深夜。夜行性の獣を除けば全ての生き物が眠りについているであろう時間。だが、これから加持と剣崎が潜入しようとしているのは、ネルフユーロにおける重要な施設の一つ。深夜帯であろうとも、それなりの兵力が用意されているであろう事は容易に想像できる。
アスカを置いてきたのは、巨体であるエヴァ弐号機を万が一の場合に即起動させるためと、これからの戦闘においてアスカが単純に足手纏いだったからだ。
パイロットとしての能力は十分以上どころか他の追随を許さないレベルで洗練された技術を持つアスカだったが、白兵戦闘力に関してはハッキリ言って、プロのソレとは比較にならない。これから想定されるのは対人戦闘だ。それも、相手は対人戦闘に関してはプロ中のプロであろう。その分野において彼女の戦力にはあまり期待できない。
加えて、彼女はまだ生まれたばかりの娘がいる身だ。そんなアスカを銃弾が飛び交う戦場に連れて行きたくないという、加持のある種の親心があった。
それに──、
「何を笑っている?加持」
「いや、なに」
加持の前を走る剣崎が、背後を振り返り加持の様子を伺ってきた。剣崎が確認できた加持の顔に浮かんでいた笑みは余裕から来るものか。はたまた緊張から来る筋肉の痙攣か。
答えはそのどちらでもなく。
「お前ほど頼もしい味方はいねぇなって、考えていたところだよ」
「・・・・・・気を抜くな。俺一人で、何もかもできるわけじゃない」
「わかってるって」
剣崎はその言葉に軽く頷いて前を向いた。加持はその背中を見ながら、少しずつ銃を握る手に力を込めて、自身の神経を研ぎ澄ませていった。
これから起こるであろう、人同士の殺し合いの為に。巨人同士の殺し合いではなく、人という単一種族同士の殺し合いのために、その神経をひたすらに研ぎ澄ませていった。
◇
アルザスロレーヌの森の中でエヴァ弐号機に取り残されたアスカは、憤慨するでもなく、エヴァの掌の上で森の周辺を索敵していた。夜の森には獣の気配はあるものの、人が近付くような気配はない。
今の所は、だが。
アスカのわかる範囲では、だが。
アスカはそれを確認すると、スルスルとエヴァ弐号機を器用に登り始めた。様々な要因が絡み合うであろうこの後の展開。それを考慮した時、何よりもこの場で安全なのは、エヴァのエントリープラグ内である事は間違いない。この作戦に於ける、奇襲を警戒しての行動であった。
だが一方で、戦場において適切とは決して言えない感情が身を支配する。アスカの心の底にある本音が、先ほどの衝撃以降、存在を感じ取れなくなっていた自分の夫の身を案じさせる。
(シンジ・・・・・・)
アスカは加持達と別れた直後に取った行動を繰り返す。即ち、夜風に髪を任せながら、自身の夫の安否を、夜空へと問い掛ける行為。
(バカシンジ・・・・・・またアタシに黙って、勝手な事をしたわね?)
アスカは自分の唇を悔しさで噛みつけながら、その強さに唇から血を流しながら、それでも愚かな自分の夫を心に浮かべた。
(あんたが今、どこにいるのかはわからない。でも関係ない!あんたはアタシの旦那なんだからッ!!)
アスカの浮かべた表情は、悲壮を感じさせながらも肉食の獰猛な獣のそれであった。
その期待を裏切った者の末路は、アスカ自身がシンジを通してネルフLUNA内に知らしめてきたことであった。シンジを再起不能に近いレベルでボコボコにする。それこそ、全身の骨を粉々に叩き折るほどに。
そうやって、自分の旦那の所有者が誰なのか、周りに知らしめていたつもりであった。
そして、実際にその行動に意味はあった。彼女の夫に手を出そうという馬鹿者は、ネルフLUNAには存在しなかった。綾波レイ・トロワと、その姉妹という例外を除けば、であるが。
(・・・・・・ふう、ダメね。思考を切り替えなきゃ)
目下の目的である、鈴原トウジとヒカリ、その親族の救出に関しては、加持リョウジを主体として作戦が進行中だ。それを成し得るまで、何が起きてもおかしくはない。それをアスカは、頭をぷるぷると振る事で改めて認識する。
(ヒカリ・・・・・・)
アスカが思い出すのは、ヒカリの乗ったエヴァンゲリオン・ウルトビーズと戦ったときの事。
(あんな再会、嫌だったな・・・・・・)
アルマロスの騒乱が収まったあと、アスカの親友であるヒカリはネルフJPNの手によって面会拒絶となった。親友であるアスカですらが面会を許されないほどの、厳戒態勢であった。
アスカはヒカリとの面会を何度も上司である葛城ミサトに嘆願したが、それはついに、叶う事はなかった。
ヒカリはアスカと一言も交わさず、顔も見る事もなく、ネルフユーロへと引き渡されてしまったのだ。
そして、次に再会したのは戦場。しかも、自分の夫であるシンジと最終号機に向けて、槍を突き付けている場面であった。
話したい事があった。直接顔を合わせて、お互いに手を取り、抱きしめて、再会を喜びたい思いがあった。
しかし、それが叶う事は無かった。再会したのは戦場。交わしたのは矛。その目的は、殺し合い・・・・・・。
(嫌よ、そんなの・・・・・・)
アスカはエントリープラグ内で、再び自身の唇を噛んだ。
(なんでアタシたちが、殺し合いなんてしなきゃなんないのよ・・・・・・)
二年。二年以上だ。アスカがヒカリと最後に顔を合わせてから、二年以上の月日が経っている。
その間にいろいろな事があった。アスカも、自分がまさか母親になるなんて想像もしていなかった。その色々な苦労や、自分の夫であるシンジとの惚気話も自慢したかったし、お返しのように繰り出されるであろう鈴原トウジとの馴れ初めを聞きたいという気持ちがあった。
否、今も聞きたいという気持ちがある。
(家族を助け出したら、また手を取り合って、笑い合えるのかなぁ・・・・・・)
アスカにしてみれば、珍しいほどの弱気であった。
(笑っちゃうわね。こんなに弱かったっけ?アタシ)
アスカは自分の両頬を勢いよく叩いた。
(バカ!これから取り戻すんだ!アタシと、ヒカリの普通の日常ってヤツを!!)
アスカの両目に、決意の炎が宿る。この作戦を絶対に成功させて、必ず親友を取り戻す。そして、地球からはるかに離れたネルフLUNAで、バカみたいに笑い合うのだ。そういった日常を取り戻すのだ。
(待っててね、ヒカリ・・・・・・!!)
そう決意を新たにした、その時だった。
エントリープラグ内に、ビーッ!ビーッ!と響く警告音。
(敵ッ!?)
アスカは即座に、カシャッと音を立ててエントリープラグ内に表示された情報を素早く読み取る。
(このサイズ・・・・・・まさか、
アスカは弐号機の首を僅かに持ち上げる。敵性反応は上空。しかし、アスカのいる弐号機を目指しているわけではないと情報は告げている。
(だとしたら厄介ね・・・加持さんたちが危ない!)
敵性反応の進行速度、そして進行方向から察するに、敵はネルフユーロの施設に向けて高速で向かっているのがわかる。
(今、飛び出すべき!?それとも、このまま見逃して、背後から奇襲をかけるか・・・!)
一瞬の逡巡の後、アスカは後者を選んだ。
(敵を確認しないまま飛び出すのはマズい!確認後に後ろから忍び寄って確実に落とす!!)
そう決断したアスカは、慎重に、弐号機の身を静かに伏せて、その姿を夜の森の影に隠した。敵性反応は、このまま行けば必ず自分の頭上を通る。飛び出すのは敵が頭上を通り過ぎた後でいい。
(悪いけど、こっちも加減できないわよ!なんたってヒカリの身の安全が懸かっているんだからッ!!)
アスカは弐号機のエントリープラグから夜空を睨んだ。
(敵性反応が通り過ぎるまで、あと5秒・・・4・・・3・・・・・・)
静かに息を潜め、標的を待ち構える。
(2・・・・・・え!?)
そのアスカを、驚愕が襲う。
空を切り裂くようにキィィンッと風切音を夜に響かせた、銀色の流星。見覚えのあるフォルム。
それは、アスカの駆る弐号機に酷似していて。
弐号機にはない、翼を携えて。
そして、異形とも取れる、4本の腕。
(ウソでしょッ!?)
それは、アスカの駆る弐号機の姉妹機。
エヴァンゲリオン、ウルトビーズであった。
「ヒカリッ!!」
思わず叫んでしまったアスカの悲鳴を、しかし銀色の流星は拾わず。
流星はそのまま夜空を駆けていった。
「〜〜〜ッ!ちっくしょう!!」
アスカの意識が溶ける。一瞬にしてLCLと同化し、アスカとエヴァンゲリオン弐号機が融合を開始する。
弐号機が夜の森に立ち上がった。その姿はみるみるうちに女性特有の曲線を帯びていき──、
《待って!ヒカリィッ!!》
アスカエヴァ統合体となって、そのツインテールのようなアレゴリックの光の翼をバサァッと広げた。
つづく