人類補完計画とはなんだったのか。
古より人類に滅びが定められていたのならば、なぜ、我々は創設されたのか。
ネルフUSA、ネルフドイツを含めたユーロ軍を筆頭に、ネルフの残党達は悩み悶える。
日本のネルフが、第3新東京市こそがメインの舞台だったというのなら、さしずめ我々はそのステージを整えるための小道具係か。ステージを彩る照明でも、場を盛り上げる音響でも、舞台に立つ役者でもない。ステージの上演には全く関われず、裏方で観客の反応を伺うことすらできない。
まるで道化だ。いや、ステージに上がれるならば、ピエロであっても構わない。それすら叶わなかったのならば、我々はなんだ?裏路地で糞とクスリに塗れながら、行き交う人々から失笑を食らうような、人生の敗北者か。我々の一生を捧げると誓ったにも関わらず、捧げた一生が無駄だと知った我々は、どうすればよかったのか。
物語の結末を迎えられたのであれば、それでも良かった。人類補完計画が完遂し、その結末と共に存在さえ消えてしまうのならば、このような惨めさを味合わずに済んだかもしれない。だが補完計画は挫かれ、物語は終わらず、幕が降りる気配は無い。
ならばコレは、文字通り幕間。
福音は我々の手から、世界から消えた。福音の残滓はあるが、手の内にはない。では、残された我々はどうすればいいのだろうか。
『新たな福音を求めよ』
そう、告げられた気がした。
光が、我々に指し示された。
福音は救いだ。我々が新たに手にすべきは、神話の時代の残滓ではなく、我々自身で作り上げた福音なのだ、と。
──────
カッ、カッ、カッ、と軍靴の音が廊下に響いている。
「進捗状況は?」
足音の主は2人。1人は軍人。様相から言って将校にあたる階級の人間だろう。背が高くて肩も広い。アメリカ人の中でもかなりガタイの良い彼は、対峙した人間を圧倒するだけの覇気に満ちている。戦場で培った経験と、それに甘んじずに軍組織のエリートコースを段飛ばしに駆け上がってきた彼には、自信が満ち溢れていた。
その後ろを、背の低い、やや小太りの白衣の女性がパタパタと足音を立てながら必死で付いてくる。白衣をまとい、メガネをかけた女性は、スリッパを履いていた。もともと将校とは歩幅が違ううえ、スリッパでは走りにくい。それでも女性は、男性将校に遅れないよう必死に付いてきていた。
「は、はいぃ・・・。既に試作機が完成し、ちょうど今日、ここ、F-4試験棟にて機動実験を行っておりますぅ・・・」
「もうできたのか。随分と早いな?」
「あの、『ヨモツヒラサカ』ですか?あそこから『あかしま』の現物が調達できましたのでぇ。えへへぇ・・・」
「確か、搭乗者がいたな?」
「はい!はい!凄く役に立ちました!もうホント、マニュアルを1から作る必要がなくて助かったなぁ〜!」
「なんだ。吐いたのか?」
「いやいやいやいや!彼ら、軍人さんたちじゃないですか?もう『死んでも絶対に口は割らん!』みたいな覚悟の決め方してて・・・。カッコよかったなぁ〜」
「んん?じゃあ、どうやったんだ?」
「頭開いて、電極をぶすり、と・・・」
「なるほど、実に合理的だ。時間の無駄も省ける」
「あ、あ、ついでにダミーシステムの応用で彼らの脳みそをシェイクして、操縦支援プログラムも作ってあります!『あかしま』って基本二人乗りなんですけど、砲撃手のほうはそれでまかなえてですねぇ!」
「スタンドアローン機にしたワケか。パーフェクトだ」
「あ、あ、ありがとうございますぅ・・・!」
そんな会話を交わしながら、将校は廊下の突き当たりにある部屋のドアを開けた。
ネルフUSA。人類補完計画の失敗後、米国によって吸収され国有機関と化したその組織は、かつてネルフJPNの取った『全地球使徒探査殲滅ネットワーク』に対抗するため、国益最優先で新規にエヴァンゲリオンを製造した経緯がある。だが、苦心の末に開発、運用にまで至った獣型エヴァンゲリオン「ウルフパック」はアルマロス騒乱の中で失われ、その後の地球規模での大災害に見舞われた事により、組織としての力の大半を失っていた。
アルマロス騒乱。地球規模での大災害。そして、それらを解決に導いた、ネルフJPN。
全地球使徒探査殲滅ネットワーク設計の際、ネルフ総司令官である葛城ミサトによって、なかば恫喝のような形でそれを承認させられた経緯を持つ各国ネルフの残党は、ネルフJPNに対して大なり小なり、不満を抱えていた。しかし現状、彼らを見返すだけの手札がない。しかも地球規模の大災害を、新しく月を造るという大偉業によって解決に導いたネルフJPNは、その圧倒的な技術力と、それに裏付けられた軍事力によって、いまや世界の中心となりつつあった。
権力、および戦力の一極化は許し難い。それが新たな地球の秩序のトップとなる可能性があるのだとしたら、尚更。
そう考える国は、決してUSAだけではない。表立った動きを見せないだけで、各国は、ネルフJPNを蹴落とすための策を秘密裏に練っている事だろう。
「葛城、ミサト・・・」
将校が忌々しげにその名を口にする。
葛城ミサト自身の能力は決して高いものでは無いというのが、このネルフUSAの将校の評価だ。だが、良くも悪くも、彼女は思い切りが良い。それが時流に乗れば、厄介な事になるだろう。そう考えていた将校の懸念は、果たして、現実となってしまった。ネルフJPNの地位は盤石な物と化し、さらに先日、全世界へと発表された『ネルフLUNA』の建造計画と具体的なスケジュールは、その地位の向上に拍車を掛けた。新しく作られた月の監視、という名目。人類滅亡を救った救世主の方策に、反対する理由など無い。ついでに言えば、自国民を納得させるだけの反論をでっちあげる事も出来ない。それが、各国の首脳陣の逆鱗に触れた。
「あの女狐に、全世界を掌握される。これほどの屈辱は無いとは思わんかね?アルフィー博士」
ドアを開けた将校は、自身の背後について回る女性にそう問いかけた。
「あ、あ、あの女狐ですか?・・・正直、どうでもいいです。あの人自身は大した事できないだろうし、どっかでボロが出るか、と・・・」
「そんな事はわかっている。だが、ボロが出るのを待っているようではダメなんだよ、アルフィー博士。奴には、ボロを出して貰わなければならんのだ」
「はぁ・・・・・・」
アルフィーと呼ばれた女性博士は、なんとも曖昧な返事を返した。正直、自分は政治に関わる工作に付き合いたくない、というのが彼女の本音だ。彼女自体は、新しい
そもそも、葛城ミサトの方策に対する反論があれば、世界の何処かの国が既に手を挙げている事だろう。それが出来ないほどに、ネルフJPNが行ったことは歴史的な大偉業なのだ。バカでも分かる、見ただけで理解させられる偉業。その成果が地球の夜を照らし、夜空を見上げれば、誰もが必ず目にするカタチとして浮かんでいるのだ。それを『無くせ』などと、誰が言えようか。
現状では、葛城ミサトの方策に口出しなどできない。ただし、『現状では』だ。
今後、ネルフJPNと葛城ミサトを失脚させる具体的な術。それが、将校の眼前に広がっている。それを開発したアルフィー女史に、将校は万雷の拍手を送りたい気分であった。
開け放たれたドアの向こう、ガラス張りの大きな実験室の向こうで、ソレは動いていた。
「素晴らしい動きじゃないか・・・」
将校は惜しみない賞賛をアルフィー女史に送った。将校の視線の先、ガラスの向こうでは、アルマロス騒乱の際に徴収した日本の戦略自衛隊の開発機『あかしま』が、本来のスペックを超えた動きで、広大な実験室の中を縦横無尽に駆け回っていた。
『あかしま』とは、かつて日本重化学工業共同体の代表である時田シロウ氏によって開発された、N2リアクターを搭載した『ジェットアローン』、通称『JA』を基に製造された人型兵器である。正式名称を『戦略自衛隊・四式統合機兵「あかしま」』といい、JAの機能に加えてVTOLへの変形機能を備えた画期的な発明品であった。陸戦では二足歩行戦車として活躍し、空中では空中砲艦形態に変形する事で、陸戦、空戦の双方に対応できる優秀な量産型兵器であった。しかしアルマロス騒乱の際、この機体がその機能に見合った評価を得る事は無かった。
なぜか?
答えは単純にして明快。敵であったアルマロス、および、それに対抗したネルフJPNのエヴァンゲリオンの性能に、単機で並び立つ事ができなかった。「それだけ」である。
「日本はなんと勿体無いことをしたのだろうな。そうは思わんかね?」
「ほんと、それですよねぇ・・・。えへ」
この将校の問いに関しては、アルフィー女史も即答する。恐らく彼女以外にも、勿体無いと感じる科学者は多いことだろう。
この兵器の真価が発揮されるのは、単機の性能ではない。多数編隊によってこそ、真価が発揮される。この兵器は「少し訓練されただけの軍人が、これに乗る事によって巨人としてのスペックを得る」という点が最大の魅力なのだ。巨人が1人いるだけでは到底エヴァンゲリオンには太刀打ちできないだろう。だが、巨人が軍隊を編成したら?その火力が、一気にエヴァンゲリオンに殺到したら?犠牲は多いだろう。だが、それに見合った戦果は確実に得られる。ともすればこの『あかしま』は、人類同士における戦争の形を一段階進化させる要素であったと言っても過言ではない。それはかつて、人類にもたらされた「銃」という武器と同じ意味合いを持っていた。その真の価値を見出した者こそが、時代の覇権を得る。それだけの価値が、『あかしま』にはあったのだ。
その『あかしま』の性能を、この小柄な女性はさらに引き上げたのだ。ネルフUSAとして培ってきた技術を組み込む事で。
「まるで、人間そのままの動きだな。小柄なエヴァそのものだ」
「操縦席はエヴァのプラグと同様、LCLで満たされています・・・。人間の皮膚に走る微弱な電気信号をキャッチする事で、搭乗者の思考をダイレクトに受けた『あかしま』がその動きをトレースする。反応速度は0.00001秒。完璧なトレースではないですが、既存の兵器には無い仕様にしてみましたぁ・・・」
「シンクロシステムか。だが、それでは機体のダメージはそのまま搭乗者に跳ね返ってくるのでは?」
「若干。ゼロにもできますが、意図的にそうしてます。戦闘において、痛みは重要な信号です。機体のどこがダメージを受けたのか?それはどの程度なのか?動きに支障はないのかどうか?戦闘継続は可能なのか?そういった判断材料を搭乗者に与えるため、敢えてそうしてありますぅ。もちろん、搭乗者が痛みで動けなくなるほどのフィードバックは無いようにしてありますが・・・」
「ほう・・・」
将校の目は、先ほどから機敏に動き回る『あかしま』を凝視している。
「実に見事な動きだ。アレに乗ってるのは、訓練された軍人かね?名は?」
「へ・・・・・・?」
将校の質問に対し、アルフィー女史は素っ頓狂な声を上げた。そんな質問は予想していなかったとばかりに。
「ん?どうした?まさか非合法な人間を乗せてるのか?」
「い、いいえぇ!違いますよ、そんな事するわけないじゃないですかぁ!」
「じゃあ誰なんだ?アレに乗ってるのは」
「ただの一般職員ですけど?」
「・・・なに?」
「いぇ・・・、ですから、技術部の下っ端をとりあえず載せてみたんですぅ・・・。マズかった、ですかぁ・・・・・・?」
アルフィー女史が、上目遣いで将校の顔色を伺う。「やってしまったか?」そんな疑念が、アルフィー女史の心中でざわつき始めていた。
だが、その疑念は裏切られた。将校の高笑いによって。
「はは、はははははははははは!!最高じゃないか!つまりアレは、『民間人だろうが素人だろうが、あれだけの動きができる』!そういう事だろう!?」
「え、ええ・・・。どうしましょう?軍人用にチューンナップしますか?」
「バカな!そんな事、全く必要ない。コレがいいんじゃないか!誰でも巨人として戦える!これ以上の成果があるのかね!?」
「え?いやぁ、ええ・・・・・・・・・。思いつかないですねぇ」
「だろう!?」
将校がガラスにへばり付く。
「アレにアダムやリリスの素体は使われてないのだろう!?」
「いや、当たり前じゃないですか。アダムもリリスも、もう無いですしぃ・・・」
「だよなぁ!?アレは既存の人類の技術で作れるって事だ!量産は可能か?」
「えーっと、量産体制を整えるのに半年。一度稼動できれば、ひと月で100機は作れる、かなぁ・・・・・・?」
「100倍にしろ。ひと月10000だ。見積もりを出せ。私が通す」
「え、えぇ!?良いんですか!?」
将校の言葉に目を輝かせるアルフィー女史であったが、それ以上に将校の目は輝いていた。
「素晴らしい・・・、素晴らしいぞアルフィー!量産体制が整ったら増産だ。最優先、最速でやれ!他国もこの技術に気付くだろうが、最新は常に我が国でなければならない!最新こそが最強なのだ!」
「は、はい!はいぃぃいい!ありがとうございます!ありがとうございます!!」
「何を言う。礼を言うのは私の方だ。大統領もお喜びになるだろう!」
「ええええ!?ホントですか!?」
「世紀の発明だぞ!?アルフィー。自信を待て。お前はそれだけのものを生み出したのだ!」
涙ぐむアルフィーの肩を叩きながら、将校は喜びに踊り出したくなるのを必死で耐えた。
(今はまだ、我々の戦力は整っていない。だが、近いうちに、この技術は世界に広まるだろう。そうすれば、ネルフJPNに敵対感情を抱いている各国で連合を組む事も可能だ)
ネルフJPNの発表によれば、ネルフLUNAの建造計画は3年の見通し。それまでには十分間に合うだろう。
(指揮権を我が国が取れれば良し。取れなくとも、対ネルフJPNの連合を組めれば問題はない。世界の覇権を、あの女狐に渡すくらいならそれくらい許容できよう)
将校は再び、機敏に動き回る『あかしま』に目を向けた。
「『あかしま』は都合が悪いな。何か新しい名前はないのか?」
「え、名前、ですか?一応私たちは『AE』って呼んでますけどぉ・・・」
「AE?」
「オルタナティブ・エヴァンゲリオン。その頭文字をとって、AEって・・・・・・」
「ほぉ。悪くない。新たなエヴァというわけだな」
オルタナティブ・エヴァンゲリオン。人が人のまま、次のステージに上がるための小道具。これこそが、我々にとって必要なものだと、将校は確信を持つ。福音の残滓、神話の欠片はもう必要無いのだ。
これより天空に
新たな星の、歴史は動き始める。USAだけでなく、世界中のあちらこちらで。
それは使徒やアルマロスといった、人知を超えた存在との争いではない。
奇しくも3年前、ネルフ本部を強襲した戦略自衛隊のような、人と人の争い。人が自身の「利」のみを求める、最も愚かで救いのない争い。
人の繰り返してきた『罪』そのものが、今まさに芽吹こうとしていた。
つづく