ある奇跡の話   作:ふみどり

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ある奇跡の話

 その日俺は、今度こそもう会わないと思っていた人の呼び出しを受け、溜息をつきながら指定の場所へと向かっていた。

 わざわざ俺のスマホの番号を調べてまで接触を図ってくるとは、いったい何を考えているのか。上品な内装の店内を奥へ進むと、すでにソファに腰かけてその人は待っていた。俺の姿を見て、親し気に眦を下げる。

 

「よう旭君、いきなり呼び出して悪かったなぁ」

「わかってんなら呼び出さないでくださいよ、先生」

 

 もうアンタに関わる気はないんですが、という気持ちを隠さずに言葉を返すと、先生は気にした様子もなくからからと笑った。もとより俺の事情など気にするつもりもないだろう。まあ座れと言われ、大人しく向かいのソファに腰かける。

 仮出所したことは知っていたが、また顔を合わせることになるとは思っていなかった。

 

「お前さんが俺と知り合いなのを公にしたくないのは俺もわかってるとも。だが今日はちっとばかり、頼みがあってな」

「頼み?」

「ああ」

 

 すると先生の後ろにいた秘書らしき人がさっと封筒を差し出す。それを受け取り、促されて中身を見ると、……おい。

 

「……先生」

「ん?」

「これは」

「まあ、見合いの釣書って奴だな」

 

 俺は開きもせずにそのまま封筒に戻す。そんな俺を見て、まあちょっと話を聞けと先生は笑った。聞きたくありませんという俺のジト目に構うことなく、先生は続ける。

 

「俺もな、お前さんのそいつのことは知ってるが、聞いた限り最近ちょっとマシになったんだろう?」

「マシになってきつつあることは認めますが、それはどこから得た情報です?」

 

 最後に先生に会ってからはや数年、俺はほそぼそとリハビリを続けていた。ポアロの彼女にも協力してもらい、また新一君を通していくらか彼の恋人やその友人と話す機会もあった。まだ完治とは到底言い難いが、とりあえず目を合わせて会話くらいはできる。一応笑顔を取り繕えるようにもなってきたし、相手次第、距離次第ではそれなりに会話を楽しめるようになった。接触しなければ取り繕える、くらいのレベルだろうか。それはそれは苦難のある長い道のりで、初めて榎本さんとちゃんと笑って会話が出来たと言った日には降谷が赤飯を炊いてきたほどである。もちろん殴った。赤飯は美味かった。

 しかしそれも親しい人間しか知らないはずのこと。いったいどこから聞いたんだジジイ、と睨みつけるも先生は全く意に介さず笑う。

 

「細けえこたァ気にすんな。こいつもリハビリのつもりでいいから、ちっと会ってやっちゃくれねえか。何、ちょっと事情(わけ)アリでな。断ってくれても構わねえからよ」

 

 情報提供者が分かり次第締め上げようと心に決めつつ、事情(わけ)アリというところが引っかかった。聞きたくないと思いつつもとりあえず聞き返す。

 

「……事情アリとは?」

「お相手は俺の知り合いのお嬢さんなんだがな。幼いころからずっと心に決めていた相手に、ちょっと前に振られちまって、今でも引きずってるらしい。一途なお嬢さんなだけに親としては心配で、ここはひとつ見合いで別の野郎に引き合わせてみるかってことになったんだと。しかし若ェ子がいきなり本気の見合いってのも酷だろう?だから練習がてら、断ってもまあ後腐れのないちょうどいい野郎がいねえかって俺んとこに話が来てな。そりゃァ旭君しかいねえだろうと話をもってきたわけだ」

 

 断ってもいいならお前さんとしても気楽だろう?そう笑う好々爺の横っ面を殴ってやりたくなったが俺は悪くない。先生には義理があるとはいえ、見合いまで勧められる謂れはないし、断ってもいいとかそういう問題ではない。

 

「……俺は貴方との繋がりを公にしたくないと言ったはずです」

「ああ、だからこれはそうだな、小野田とお前さんの上司に話を通しての話って体にしておこう。話を大きくするなとも伝えておくさ」

「……こんなこと言いたくありませんがね。その見合いの場でそのお嬢さんに惚れられでもしたらどうしてくれるんです?」

「おっとさすが色男、言うことが違うねェ」

「こちとら死活問題なんですよ」

 

 金を持て余したストーカーほど質の悪いものはない。そして一途な女性ほどストーカーになりやすいのを俺は知っている。まだ見ぬそのお嬢さんには大変失礼な話だが、前例があってあまりあるので警戒するのは許してほしい。俺のそんな顔を見て先生はふむ、と考える。

 

「そんときゃ俺が責任もって片を付けよう。男の約束だ、言葉は違えねえよ」

 

 この人がここまで言った言葉を違えるとは思えないが、そもそも俺はそんな状況になるのが嫌なわけで。ストーカーだって発生してから捕まえるより、発生しない方がお互いのためなのだ。

 まだ渋い顔をしている俺に小さくため息をついて、仕方ねえなあと先生は改めて俺を見た。

 

「お前さんにとってもいい話だと思って受けたんだがなぁ。そのうち他の見合い話も逃げきれなくなるぜ?その前に一回経験しとくのも悪い話じゃねえだろう」

「……お気遣いは有り難いですが」

 

 俺にもそんな話がちらほら来ているのは知っている。大河内さんがうまいこと風よけをしてくれているが、そのうち断れないものが来るのもわかっていた。それでも頷かない俺を見て、よし、と先生は手を打った。

 

「大人しく頷いて秘密裏に見合いをするのと、さらに渋って大々的に宣伝しつつ見合いをするの、どっちがマシだ?」

「行けばいいんだろクソジジイ!」

 

 おっ行ってくれるか!と嬉しそうに言うジジイに思わず釣書を握りつぶしそうになる。このジジイに目をつけられたが最後、逃げ切れないのはわかっていたがもう少しくらい抵抗したかった。心底苦い顔をしつつも、仕方なしに再度釣書を取り出す。

 

「なぁに、何度も言うが断ってくれても構わねえし、受けてくれても構わねえよ。年は離れてるが大層な美人さんだ」

 

 おそるおそる釣書を開く。綺麗に着飾った和服の女性の姿と、名前や経歴が目に入る。見間違いかと思わず瞬きをしたが、やっぱり間違いじゃない。

 見合い相手は、以前に一度会ったことのある女の子だった。

 

 

 *

 

 

 あれはいつのことだっただろうか。

 確か一年くらいは前だったと思う。休みの日にふらりとポアロに入って、いつも通りカウンターの隅で本を開いていた。そのころには何とか榎本さんとも雑談くらいは出来るようになっていて、彼女もたまに声を掛けてくる。いつも楽しそうに話す彼女だが、その日は少し違っていた。

 

「柊木さん、ちょっとお話聞いていただいてもいいですか?」

「? 何?」

 

 少し困ったような顔で、お客様にお話することじゃないんですけど、と前置きして彼女は続けた。

 

「最近、このあたりのお店でちょっと……悪質なナンパがあるらしくて」

「ナンパ?」

「はい。それこそそのあたりの往来でも、こういう飲食店でも。二十歳前後の女の子に結構しつこく絡むんですって。こう、女の子たちが喫茶店とかで話してるところに、無理やり座り込んできたりするらしいんですよ」

「確かに悪質だな」

 

 そこまでくるとナンパ目的というよりは本当に嫌がらせだろう。警察に相談は?と聞くと、被害に遭った人たちや関係のお店はすでに相談して、パトロールを強化してもらってるそうです、と彼女は答えた。

 

「でも、もしいざこの店でお客様が絡まれたりしたらどうしようかと思いまして……すぐ警察に連絡しても、やっぱり駆けつけてくれるまで数分はかかるでしょう?」

 

 このお店は刑事御用達であるうえに、上の階には毛利探偵事務所もあるからさすがに来ないんじゃないかとも考えつつ、そうだな、と少し考える。防犯意識を持つことは大事なことだ。

 

「お店の中に刑事さんがいるときは遠慮なく頼ればいい。上の毛利探偵とも親しいんだろ?一言相談して、いざというときは駆けつけてくれるよう頼んどいた方が安心だな。刑事さんも毛利探偵も不在の時は、そうだな、絡まれてる女の子たちをスタッフルームにでも連れ出すのが一番だけど……もちろん自分の身も守らないといけないから、とりあえず外に向けて大声でも上げた方がいいよ。この近場の店の人たちはそのナンパ被害のこと知ってるんだろ?」

 

 警察ももちろんうまく使ってほしいが、最終的に一番の防犯となるのは「近所の繋がり」だ。人との関係が希薄な都会ではなかなか難しい話だが、近所の人が常連客にもなっているこのお店なら力を貸してくれる人も多いだろう。

 

「なるべく多くの人を巻き込んで手を借りれるようにした方がいい。頼れる人は多い方がいいからな」

「なるほど!そうですよね、商店街の皆さんともお話しましたし、ちょっとご近所さんにも頼ってみます」

「それがいいね」

 

 お話を聞いて頂いてありがとうございます、という彼女にひとつ頷いて、追加の珈琲をオーダーした。ちょうどその時、かららんとドアが開く。あ、と聞き覚えのある声が聞こえた。

 

「柊木さん! こんにちは」

 

 改めて新一くんから紹介され、顔見知り程度にはなった彼女と、その後ろにもう一人。緩くウェーブのかかった茶髪に、大人っぽい雰囲気をまとった女の子だった。しゃんと伸びた背筋からは気品すら感じられる。

 綺麗な子だな、と思った。

 

「こんにちは」

 

 一言そう返す。今日はあの元気な子はいないんだなと、申し訳ないが少し安堵する。初対面が初対面だったので彼女とはお互いに少し距離を取ってしまう。まあ仕方ないですねと面白そうに笑った新一くんには渾身のデコピンをお見舞いしたのは記憶に新しい。

 挨拶を返した俺にひとつにこりと微笑んで毛利さんはテーブル席に向かう。後ろの彼女も綺麗に会釈してそれに続いた。

 お知り合いですか?なんて言葉を背に聞きながら、俺は文庫本に目を戻した。

 その時また、ドアベルが来店を告げる。下品な二つの足音に、思わず少し眉をひそめた。

 

「あ、やっぱ超びっじん!」

「やべ、マジでレベル高くね?」

 

 いらっしゃいませと言いかけた榎本さんの言葉が途中で止まった。これは少し、タイムリーすぎる展開ではないだろうか。何なんですかという毛利さんの声と、どすんとソファに腰を下ろす音が二つ。

 俺はやれやれと本を閉じた。助けを求めるようにこちらを見た榎本さんにひとつ頷き、腰を上げる。

 

「触らんといてください!」

「え、関西弁? かわい〜!」

「いい加減に……!」

 

 茶髪の女の子の腕を掴む馬鹿に毛利さんも立ち上がりかける。無茶をされる前にと、その馬鹿の手首を掴んだ。

 

「随分とお粗末なナンパだな」

 

 何だよ、とこちらを向いた馬鹿どもが目を剥く。何だよ俺の顔がそんなに珍しいか。

 

「どう贔屓目に解釈しても嫌がってるだろ。手ェ離せ」

「んだテメェ」

「かっこつけてんじゃねえよ!」

 

 その馬鹿は彼女の腕を離し、俺の手も振り払った。そのうえで反抗する気満々の様子でガンを飛ばしてくる。やれやれと、俺は懐から伝家の宝刀を取り出した。

 

「言いたいことがあるなら、署で話を聞くが?」

 

 まあ警察関係者と言っても畑違いなんだが、と内心だけで呟く。しかしそんなことはわかりもしない馬鹿たちは、警察手帳を見て一瞬で顔色を変えた。悪態をつきつつ去ろうとする二人の肩に手を置いて、ダメ押しとばかりに少しだけ低い声で囁く。

 

「……顔、覚えたからな」

 

 ぎくっとわかりやすく肩を震わせた馬鹿たちは、そのままさっさと店を出て行った。

 やれやれと首を振り、腕を掴まれていた彼女に目を向ける。彼女は手首をおさえ、目に涙を浮かべていた。

 

「怪我は?」

「あ、ありません……」

「そうか。……でも腕、赤くなってるな。榎本さん、何か冷やすものある?」

「氷とタオルお持ちします!」

 

 ぱたぱたとカウンター裏に走る榎本さんの背に、ありがとうございます、と彼女は声を飛ばした。

 

「ところで毛利さん」

「は、はい……」

 

 毛利さんに目線をやると、俺の言いたいことはわかっているのか少し気まずげだ。

 

「前も言ったな。何か危ないことがあった時は?」

「ま、まず周囲に助けを求める……です……」

「覚えてるじゃないか」

 

 友人が絡まれて熱くなるのはわかるが、手を出す前に周囲を頼りなさい。

 俺がそう言うと、毛利さんはしょぼんとしてすみません、と呟いた。彼女の空手の腕は大したものだが、だからこそ使い方には注意をしないといけない。過剰防衛にならないように以前から彼女には言い含めていた。とりあえず今回は間に合ってよかった。

 

「あ、あの」

 

 声を掛けられて俺は再び茶髪の女の子に目を戻した。いくらか冷静さを取り戻したのか、その声には落ち着いた色が戻っている。

 

「うちは蘭さんの友人の、大岡紅葉と申します。助けて頂いてホンマにありがとうございました」

「気にしなくていいよ。……俺が割り込まなくても、助けはあったみたいだし」

「え?」

 

 俺に釣られて大岡さんは窓の外を見る。そこに気まずげに立っていたのは、俺とそう歳が変わらないくらいの男性だった。

 

「伊織……! もう、家で待つよう言うたのに!」

 

 声は聞こえなくとも口の動きと態度で何を言われているのか察したのだろう。彼は申し訳なさそうに、改めてポアロに入ってきた。

 

「紅葉お嬢様の執事の伊織と申します。お嬢様をお助け頂いて本当にありがとうございました」

 

 折り目正しく頭を下げた彼に苦笑しつついえ、と一言返す。彼はずっと窓の外から様子を伺っていた。最初は不審者かとも思ったが、彼の目はどこまでも心配に満ちていて、ボディーガードか何かかなと思っていたが当たっていたらしい。執事とはまた、大岡さんはずいぶんなお金持ちのようだ。

 

「うちは自立した一人前の女性になるんです! だから護衛はいりませんて言うたでしょう!」

「も、申し訳ありません……」

 

 いい心がけだがナンパの後だと説得力ないなと苦笑しつつ、じゃあ俺はこれでと、と背を向ける。榎本さんがタオルと氷を持ってくるのを横目に見つつ、座っていたカウンターに足を進める。追加の珈琲はまた今度にして、今日はこの辺りでお暇しよう。すると、背後から改めて声をかけられた。

 

「是非またお礼をさせていただきたいんですけれど、お名前をお伺いできませんか?」

 

 その声に首だけで振り向いて、苦笑した。

 

「柊木だけど……お礼はいらないよ。これでも公務員なんでね、後がうるさいんだ」

 

 賄賂だ何だと言われるわけにはいかなくて、と軽く言うと、彼女もまあ、と笑う。もうその顔に不安の色はない。執事さんもいるし大丈夫だろうと荷物を手に取る。不思議と彼女と話すのは苦痛じゃないな、と頭の隅で思いつつ、会計を済ませた。

 

「それじゃ、これで。毛利さん、無茶はしないように」

「う……はい」

「ホンマに、ありがとうございました」

 

 少し気まずそうな顔の毛利さんの隣で綺麗にお辞儀をしてみせた彼女のことは、何となく印象に残っていた。

 

 

 *

 

 

 あの後、新一君からも改めて礼を言われた。おもに、毛利さんが無茶をする前に止めてくれたことに対してだったのが何とも言えないところだが。

 そして大岡さんの話も、少し。調子に乗ると口が軽くなる彼は、聞いてもないことをぺらぺらと喋ろうとする。毛利さんに無神経とか言われるのそういうところだぞと思いながら、まあもう会うこともないだろうしいいかと聞き流していたが、まさかこんな形で再会することになるとは。

 品の良い和服に身を包んだ彼女は、静かに俺の前に座っている。彼女のお父さんと先生が当たり障りのない世間話を繰り広げている間、特に表情を変えることもなく。そうだろうとは思っていたが、やはりこの見合いに乗り気ではないらしい。それにむしろ安堵して俺も特に口を挟まず時間が過ぎるのを待つ。

 

「おお、俺らばっか喋っててもいけねェな。アレだ、後は若い人たちでってことで」

「ああ、そうですな。では柊木くん、失礼しますよ。紅葉、失礼のないように」

 

 ふたり揃って返事を返すと、長い友人同士だというふたりは立ち上がって部屋を後にする。見合いのためにと用意された高級料亭の一室に、沈黙が流れた。やれやれと首を振り、口を開く。

 

「……とりあえず、初対面じゃないんだけど覚えてくれてるかな」

「はい。お久しぶりです、柊木さん。まさか柊木さんがお見合いの相手やなんて」

 

 改めて、あの時はありがとうございました、と彼女はすっと頭を下げた。いいから、と頭を上げさせる。まだ彼女は、やけに堅い顔をしていた。

 

「……緊張してる?」

 

 苦笑しつつ聞くと、彼女は決意をした面持ちでひとつ深呼吸をして、口を開いた。

 

「柊木さん。ご足労頂いたのにホンマに申し訳ございませんが、このお見合い、ご破談にして頂けないでしょうか」

 

 おや、と瞬きをする。ご破談も何もこちらは最初からそのつもりでここに来ているのだが、もしかしたら彼女の父親はそのことを伝えていないのかもしれない。過去の失恋を忘れ、少しでも他の男に目を向けさせようという親心なのだろうか。それで彼女にこんな顔をさせていれば、意味はないと思うのだが。

 

「うちはまだ、誰とも結婚するつもりはないんです。もちろん柊木さんに何かあるわけでは決してありません。ですが、」

「大岡さん、落ち着いて」

 

 ヒートアップしてきそうな彼女を手で制した。

 

「まず言っておくと、俺もこの見合いを受けるつもりはない」

 

 え、と彼女は硬直した。ようやく落ち着いてくれた彼女に、安堵の息を漏らす。

 

「君がどう話を聞いたのかは知らないけど、この『見合い』は建前上のものだと俺は聞いている。少なくとも俺は先生から受けてもいいが断ってもいいと言われているよ」

「建前上……?」

「そう。だからそんなに思いつめた顔をしなくていい」

 

 俺がそう言うとようやく、彼女は安心したように息をついて表情をやわらげた。相当に思いつめていたらしい。全く、もう少し彼女の気持ちを考えてあげればいいものを。

 

「君には君の、俺には俺の見合いをしなければならない……いや、した方がいいという理由があって、それでちょうど良かったからこうなっただけ。だから君のお父さんも先生も、この見合いを絶対に成功させようという気持ちはない。どちらかというと当たり障りのない相手で見合いの席に慣れさせようというのが今日の目的かな」

「ほ、ホンマに……?」

 

 もはや涙すら浮かべそうな彼女に、苦笑するしかない。本当だよと頷いてあげると、初めて彼女はその顔に笑みを浮かべた。蒼白に近かった顔色に赤みが差す。

 

「何や、せやったんですね。うちはもうてっきり……」

「道理で来た時から思いつめた顔をしてると思ったよ」

「す、すみません……何とかして断らなと思って……」

 

 恥ずかしそうに言う彼女が何となく微笑ましい。誤解も解けたところで、と俺は箸を持った。実は先ほどからずっと、目の前には彩も美しく盛られた懐石料理が並んでいる。どうせタダ飯だ、美味しく頂かなくては損というもの。

 

「せっかくだから食事くらいは楽しんでいかない?ここ、なかなか予約が取れない高級料亭らしいから」

「ふふ、ホンマですね」

 

 安心したらうち、お腹がすいてきました、とそう楽しそうに笑う彼女も、箸を取った。

 

 

 *

 

 

 十二も年の離れた子相手に会話が続くか少し心配だったが、杞憂だった。

 年上との会話には慣れているのかもしれない。彼女はそつなく相槌が打てる聞き上手で、彼女自身の話もなかなかに面白かった。特に元クイーンだという彼女の競技かるたの話は興味深い。

 

「へえ、反射神経の勝負かと思ってたけど、それ以前に『聞く』ところからの勝負なのか」

「ええ。最初の音をどれだけ敏感に聞き分けられるかが重要なんです」

 

 それから取り方や守り方の技術の話、得意札の話も。全く関わったことのない世界の話というのは面白い。その話の熱の入り方から、彼女がどれだけ真剣にかるたに取り組んでいたのかが察せられる。かるたの話をしているときだけ、彼女は年相応の顔を見せた。

 

「嫌やわ、すみませんうち、かるたの話になるとつい熱が入ってしもて」

「いや、何でも真剣にやってる人の話は面白いよ」

 

 そう本心から言うと、彼女はまた安心したように笑った。綺麗に飾り切りされた人参を咀嚼しつつ、本当に彼女の話は聞いていて平気だなと自分でも不思議に思う。対面して会話するくらいは何とか乗り切れるようになったとは言え、こんなに長時間女性と会話を楽しめたのは初めてな気がする。

 俺も成長したのかな、なんて思っていると、何かを思い出したのか彼女の顔に少し影が差した。

 

「狙った札は必ず手に入れる、それがうちの先生の教えでした」

 

 その憂い顔で思い出しているのは亡くなったというかるたの師匠のことか、それとも「狙った札」のことか、果たして。本当に新一君から余計なことを聞かなければ良かったと思う。彼から話を聞いたときに、高校生の時に起きたという彼女の師にまつわる連続殺人事件、そして彼女の失恋についても少し聞いてしまった。余計なことは言うべきではないだろうと次の言葉を探していると、そんな俺に気づいた彼女は言った。

 

「……ひょっとして柊木さん、うちが見合いを急がれた事情のこと、ご存知なんです?」

 

 暗に失恋したことを知っているのかと聞かれ、白旗を上げるしかなかった。何となく申し訳なくなって、正直に話す。

 

「先生や、……それに、工藤新一君から、幼いころから想っていた相手がいたってことは聞いた。ごめん」

「謝らんといてください。そうですか、工藤君からも。全く、お喋りな人なんやから」

「それについては本当に。ごめん、ポアロでのことがあった後に新一君とも話してね。もう君と会うこともないだろうと思って聞き流していたんだが、まさかこんな風に再会するとは思わなくて」

 

 お気になさらず、と彼女は苦笑するが、次新一君に会ったらしっかり締め上げておこう。止めなかった俺も俺だが、彼も他人の恋愛事情をぺらぺらと話すものではない。せめてもの罪滅ぼしにしっかりと釘を刺しておくことにする。

 

「……おかしいでしょう?ずっと昔から運命の人やって信じてきたのに、その人の隣にはずっと別の人がいてたんです。それに気づいた今でも、まだ、引きずっていて」

 

 俯いてしまった彼女を前に、箸をおいた。慰める言葉は得意じゃない。そしてきっと彼女も望んでいない。彼女は思い続けた相手に振られてしまった。それだけが事実だ。だけど。

 

「……大岡さんて、食べ方綺麗だね」

 

 え、と彼女はぱっと顔を上げる。突然何を、と言わんばかりの表情だが、俺は気にすることなく言葉を続けた。

 

「和服での振る舞いも慣れてるんだな、食事中でも袖を汚さないのは個人的に感心する。言葉遣いも綺麗だし、受け答えにも相手への気遣いが見える。一般的な女性のレベルは俺にはわからないけど、少なくとも俺はすごいと思うよ。真似も出来ない」

「ひ、柊木さん……?」

「そのどれも、一朝一夕で身につくものじゃない」

 

 大岡家は結構な良家だと聞いている。きっと彼女もそのご令嬢として厳しくしつけられてきたのだろう。彼女にとってそれが当たり前のことだったのか、辛いことだったのかはわからない。わかるのは、きっと彼女が努力を重ねて来ただろうということだけ。そして、もしかしたらその努力をする理由のひとつに、その「誰か」への想いがあったとしたら。

 

「今まで君が頑張ってこれた理由にその『恋』があるのなら、卑下をする必要は全くない。むしろ誇るべきなんじゃないかな」

 

 ポアロで出会ったとき、彼女は執事さんに対して「自立した一人前の女性になる」と言っていた。京都で暮らしていた彼女が今東都で生活しているのも同じ理由らしい。新一君が言うには「うちを選ばんかったことを後悔するくらい、いい女になってみせます!」とその相手を前に啖呵を切ったとか何とか。

 そうやって彼女は『恋』をして努力を重ね、『失恋』をした今もなお、それを糧に努力を続けている。それは本当にすごいことだと、俺は思う。俺だから思う。比べるのも失礼だが、今まで俺が忌避してきた「女性」と彼女は全く違う。

 彼女はとても強い女性だし、きっと「いい女」なのだろう。

 

「……そないなこと、初めて言われました……」

 

 放心していた彼女は、少しずつ顔を赤くしていく。暗い影が消えたことに安堵しつつ、俺は苦笑した。恋愛のれの字も知らない俺が言うセリフでは全くなかったと思うが、何か響くものがあったのならそれでいい。

 

「おじさんの説教みたいで悪いね」

「おじさんやなんて。柊木さんまだまだお若いでしょう」

「これでも君より一回り上なんだけど」

 

 全く見えません、と言われてははは、と堅く笑う。おじさんと言われても微妙なのは確かだが、全く見えないのもどうなのだろうか。いや俺も少しくらいは老けたはずだ。老け顔ではないが童顔でもない。

 

「……もしかしてお若く見えるの気にしてはります?」

「気にするってほどでもないんだけど、若く見えすぎると舐められる世界だからね警察は。それに、何年も顔が変わってないとかで化け物扱いされるのもそろそろ飽きた」

 

 そう軽く言うと大岡さんも小さく吹き出す。すみません、と謝りながら笑う彼女に、俺も笑った。ちなみに化け物扱いしてきたのは元気に新米警察官をやっている幸人で、その場で階級が上の相手への態度について締め上げた。新米も新米の分際で、警視相手に舐めた口を利くのは許されない。ヘッドロック程度で許したのはひとえに俺の優しさだ。

 

「皆、終わった恋は早く忘れなさいって言うんです。うちも、心のどこかではそう思てました。だから、断ろうとは思いながらも今日は来たんですけど」

「忘れる忘れないも、他の相手を探す探さないも、全部君の自由だろ。したいようにすればいいよ、前を向こうという心がけは大事だと思うけどね」

 

 そう言うと、彼女は少しすっきりしたような顔で笑った。そういえば、と彼女は続ける。

 

「柊木さんもお見合いは受けるつもりはないて言うてはりましたけど」

「……ああ、俺だけ君の事情を知ってるのはフェアじゃないな。早い話が、ちょっと事情があって、……その、女性が苦手でね」

 

 そう言うと彼女ははっとした顔で申し訳ありません、と頭を下げようとする。それをさっと手で制して、苦笑しながら続けた。

 

「謝らないで。女性苦手と言っても昔に比べたら本当にだいぶマシになってて、こうして対面で会話するくらいなら苦じゃない。今日はむしろ楽しくて自分でも驚いてるよ」

「ホンマですか?ご不快な思いをさせていたら……」

 

 本当に大丈夫、と本心から言う。不思議なくらい、彼女と会話をするのは楽しい。多分これを同期の前で零したらまた降谷が赤飯を炊いてくる気がする。そう思ったらまた笑えた。

 

「だから、見合いを受ける気がないと言ったのはそういうこと。重ねて言うけど、もちろん相手が君だからじゃない。誰が相手でもお断りするつもりでいたから」

「うちかてそうです。柊木さんに非の打ちどころなんてあるわけがありません」

 

 それは光栄だ、とおどけてみせると、ようやく彼女は笑みを取り戻した。

 

 さて、とだいぶ空になった食器を見る。少しは見合いの定番というものをやっておかないと、後で先生がうるさそうだ。

 

「手を引いてエスコートも出来ない野暮な奴で悪いけど、良かったら庭でも歩かない? 一応それらしいことしておかないと後がうるさいかもしれないし」

 

 

 *

 

 

 高級料亭の庭園は、さすがこちらも品が良い。

 芸術的感性に乏しい俺には何かすごいくらいしか感想が出てこないが、よく手入れされてますね、と彼女が言うのだからそうなのだろう。秋も深まるこの季節、赤や黄色に染まる木々は確かに綺麗だ。

 

「そういえば君の着物の柄も紅葉だね」

 

 真っ赤な紅葉の枝に手をそえる彼女にそう言うと、彼女は嬉しそうに笑った。改めて見るとその爪に描かれているのも紅葉柄だ。

 

「うちは『紅葉』ですから。好きなんです、紅葉」

 

 紅葉が入った札が得意札だという話も先ほど聞いた。思い入れがあるのだろう。確かに自分の名前となれば親近感も湧くというものだ。

 

「綺麗だ」

 

 何の気なしに口を出た言葉だったが、それを聞いた彼女はぱっと頬を紅葉色に染めた。あれ、何か失敗したか?と瞬きをする。彼女は何かを誤魔化すように、綺麗に赤くなってますね、と早口で言った。そして俺から顔をそらすように後ろを向いて、あっちにも、と足を進めようとした。

 ちなみに今の天気は晴れているが、今朝まではあいにくの雨模様だった。そして彼女の足元はぼこぼことした石畳。そして吐きなれているだろうとは言え、彼女は和服に合わせて草履を履いていた。

 何が言いたいかというと、つまり。

 

「きゃ、」

「あぶな、」

 

 大変滑りやすいということである。

 後ろ向きに倒れそうになった彼女を咄嗟に抱きとめる。あ、接触はさすがにまずい。そう頭のどこかで思いつつ、とりあえず受け止められたことに安堵する。状況を把握した彼女は顔を真っ赤にしてさっと体勢を立て直した。

 

「す、すみません!」

「いや、……え?」

 

 いつもならやってくる吐き気が、眩暈が、あの嫌悪感がやってこない。思わず彼女を抱きとめた自分の両手を見つめる。俺は確かに彼女に触れた。女性苦手がマシになってきているとは言え、まだ接触まで可能になるほどではなかったはず。実際、他の女性に触れることを考えるだけでまだ鳥肌が立つ。なのに何故俺は今、普通に立っていられるのだろう。

 

「……柊木さん?」

 

 そんな俺の様子を不審に思ったのか、大岡さんはおそるおそるといった感じで俺に声を掛けてくれた。そんな彼女を気遣う暇もないまま、俺は改めて彼女に目を向ける。

 

「大岡さん」

「は、はい」

「突拍子がなくて本当に申し訳ないんだけど、握手してくれないかな」

「握手、ですか?」

 

 はあ、と彼女はよくわからないままに右手を差し出してくれた。ひとつ呼吸をして、覚悟を決める。差し出された手をゆっくりと握った。女性特有の柔らかい感触を掌に感じる。

そして、訳の分からない困惑が俺を襲った。

 

「平気だ……」

「え?」

「いや、その、……女性苦手を克服すべくリハビリを続けてるんだけど、身体的接触までは克服してなかったはずなんだ。なのに、何故か、……大岡さんは、平気なようで」

 

 どうしてかなんて自分が一番わからない。ありがとう、と礼を言って握手していた手を離した。もう一度呆然と自分の掌を見つめた。本当にこれは俺の手なのかと馬鹿なことを疑いたくなる。いったい俺に、何があったというのだろう。嬉しいというよりも困惑が勝った。

 そんな俺をよそに、彼女は何か決意したような声で言った。

 

「うちのことは平気なんですか?他の女性は駄目なのに?」

「どうも、そうらしい。何でだろう……」

「……柊木さん」

 

 いえ、旭さん。そう改めて言いなおした彼女に、え?と顔を向ける。

 

「前言を撤回させてください。旭さん、このお見合いを受けてはくださいませんか」

「……え?」

 

 彼女は、これ以上ないほどに覚悟をきめた顔をしていた。

 

「旭さんのこと、もっと知りたいんです」

 

 

 *

 

 

「……それで?」

 

 相変わらずの俺の部屋、そして相変わらずのメンツ。何年経とうがこの飲み会だけは変わる気配を見せない。新たな空き缶をつくった松田は、新しいビール缶のプルタブをぱきりと開け、続きを促した。

 

「もちろんすぐに結婚や婚約なんて言わないし、見合い除けくらいのつもりでいいからこれからも会ってほしいって」

「頷いたのか」

「彼女の勢いに負けたのと……実際問題、そう言われると断る理由もなかったんだ」

 

 何より、彼女のことが平気だというのは自分でもひっかかって。

 そう言うと、確かに、と五人も頷いた。筋金入りも筋金入りの女性苦手、もちろん彼女に会ってそれが治ったなんてことは決してない。今でも雑踏の中で女性と接触があると眩暈がするし、長時間目を合わせるのも苦痛だ。何故彼女だけが平気だったのか、俺にも全くわからない。

 

「相手がそれでいいって言ってるんだしね」

 

 諸伏の言葉にこくりと頷く。そんな俺を見ながら、ふむ、と降谷は少し考えるそぶりを見せて。口を開いた。

 

「彼女の言動で、何か印象に残っていることとかないのか?」

 

 そう言われて、うーんと彼女との見合いを思い返す。印象と言われると難しいが、そういえば少し驚いたことはあった。これからも会ってほしいと言われた、その時の彼女の言葉。

 

「確か、『旭さんの嫌がることは、絶対にしません』って」

「え?」

「俺に好意を示してくれた上でそう言ってくれた女の子は初めてだったな。彼女が俺のことどう思ってんのかはよくわからないけど、多分、俺が嫌だと言えば彼女は破談も潔く受け入れてくれると思う。自分の意志をちゃんと持ったうえで相手を尊重することが出来る、ちゃんとした子なんだなとは」

 

 失恋の話を聞いたときも思ったことだが、その芯の強さと潔さは男も女も関係なく確かに好ましい。そう言うと、五人はもの言いたげな顔をしてこちらを見た。誰も口は開かなかったが、何を言いたいかくらいはわかる。舌打ちをひとつして言い捨てた。

 

「お前ら基準では普通のことでも俺にはそういう女の子は『普通』じゃねえんだよ。全く自慢にならねえが俺の女運の悪さ舐めんな」

「……本当に自慢にならないねぇ……。まあとにかく、つまりその子は旭ちゃんにとって初めての『アタリ』の女の子なんだ?」

 

 アタリという言い方は失礼かもしれないが、きっとそうなのだろう。俺の気持ちを考えてくれる女性というのは、残念ながら俺にとっては初めてなのだ。

 

「……良かったんじゃないか?」

 

 ひょい、とさきいかを口に放り込み、唯一の既婚者である伊達が笑う。

 

「話を聞く限りだが、俺はその子、柊木にあってる気がする」

「そうか?」

「多分だけどな」

 

 にかっと笑う伊達の顔を見ていると、本当にそんな気がしてくるから不思議なものだ。そうなのかな、と首をひねると、少なくとも経験値を積む意味ではいいことだろ、と松田も言った。

 

「一応付き合う感じにはなるんだろ?」

「多分」

「じゃあ旭ちゃんの初恋人だ? 祝杯上げなきゃじゃん」

「今現在酒飲んでるのに何言ってんだ」

 

 細かいことはいーの、と少し赤い顔をした萩原が飲みかけのビール缶を高く掲げた。

 

「三十路を越えてようやく初めてのお付き合いをする旭ちゃんの前途を祝して!」

「おい」

「かんぱーい!」

 

 かんぱーいと、俺以外の気の抜けた声が部屋に響いた。




柊木さんと上手くやれそうなのが彼女くらいしか思いつきませんでした。
彼が紅葉さんだけ大丈夫なのは一応理由はあるのですが、それをわかっているのは今のところ伊達さんだけです。さすが唯一の既婚者は違う。
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