ある奇跡の話   作:ふみどり

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紅に染まる

 どれだけがつがつと特攻してくるのかと思ったら、彼女とのやりとりは穏やかそのものだった。

 連絡先を交換して以降、たまに彼女からメッセージが届く。といっても返事はなくても構わない、迷惑だったら言ってほしいと前置きしたうえでのやりとりだったし、実際俺が返信をしなくても彼女は何事もなかったように次のメッセージを送ってきた。返信をするのに時間を置いてしまったときも、彼女は同じような時間の流れの中でゆったりと返信をしてくれて、言外に無理しなくていいんですよ、と伝えてくれているのがわかる。押しつけがましくないその心遣いは、とても有難かった。

 メッセージの内容も、なんてことのないもので。季節を感じさせる花の写真、ふと見上げた先に見つけた虹、最近手に取った本、友人と出かけた場所で感じたこと。彼女が自分の目で見て心を動かしたものたちについて、ひとことふたこと言葉を添えて「旭さんはこういうものはお好きですか?」など、返信しやすいようにという気遣いも忘れず。彼女から送られてくるメッセージのおかげで、季節や天気に気付くことも多かった。感受性の豊かな子なのだろう、そういったものにはとんと疎い俺にはとても新鮮に思えた。

 そして彼女は、「会いたい」とも「声が聞きたい」とも言ってこない。

 

「……俺から誘った方がいいんだろうな」

 

 スマホを片手にひとりごちる。自室のソファがぎしりと音を立てた。

 多分、彼女は自分からそういった言葉は言わないようにしているのだろうと思う。やりとりをするようになった経緯も経緯だったし、一応俺もそれなりに忙しい身だ。彼女なりの気遣いであり遠慮なのだろう。が、このままずっとメッセージだけをやりとりしていくのも、やはり何というか、多分「違う」気がする。いくら俺でもそれくらいはわかる。

 とは言え、さて、どうするか。生まれてこの方、デートなんぞしたことはないし、女性を誘ったことも一度もない。ベルモットとバーで待ち合わせして酒を飲んだ?あれはノーカンだろ絶対認めねえ。

 一応先日、唯一の既婚者から貴重なアドバイスは頂戴した。無精髭の残る顎をさすりながら、伊達は盛大に唸る。

 

『お前の知ってる女性像はとりあえず一旦捨てろ。女性ならこういうの喜ぶとか考えるな。ちゃんと彼女という人間を見て、どうしたら喜んでくれるか考えた方がいいんじゃねえか』

 

 世間じゃ女性ウケだのなんだの言われるが、十中八九お前は気にしても無駄だと真剣な顔で言われた。やけに含みがあった気がするがどういう意味だったんだろう。伊達の言葉を聞いていた同期たちも、そろって遠い目をしたり頷いたりしていた。何だ俺に何か文句でもあるってのか。はっきり言え。

 とにかく、まあもっともだとも思ったので、一応参考にはしたい。と、思ったところで流し見していたニュースが目に付いた。

 

「……あ、」

 

 まだ彼女のことを知っているとは到底言えないが、今まで得た情報から考えれば、多分喜んでくれるのではないだろうか。

 

 

 *

 

 

「わあ……綺麗ですね」

 

 壁に掛けられた絵画を前に目を輝かせる彼女に、内心で安堵した。とりあえず悪いチョイスではなかったらしい。

 ニュースで流れていたのは、ある著名な画家の展覧会だった。日本画の大家だが、西洋の手法も次々と取り入れているとかで、他にはない独特の作風が非常に評価されているのだという。色鮮やかに描かれた絵画を眺めながら、確かに印象に残る絵ばかりだなと陳腐な感想が浮かぶ。芸術に関する素養は皆無なのでそのあたりは勘弁してほしい。

 

「季節ごとに展示されてるみたいですね。冬の絵から展示されてるのも珍しい気しますけど」

「そうだね」

 

 風景画がメインの画家だそうだ。最初の部屋に掛けられていた絵は冬の景色ばかりで、どうしても雪の白が目立つ絵が多い。しかし、だからこそその中に浮かぶ白以外の色が際立って、ひどく鮮やかに見えた。寒々しさや冷たさばかりでなく、冬という季節を喜びをもって迎えているのが伺える。

 

「旭さんは冬、お好きですか?」

「嫌いじゃないんだけど、寒いのは苦手かな」

「あら」

「着膨れするくらい着こむから毎年笑われてる」

 

 苦笑しつつ言うと、彼女もくすくすと上品に笑った。毎年俺を見て笑うのは例にもれず同期どもで、鼻までマフラーで覆う俺を見て「イケメンが見えない!」とマフラーを剥ぎ取られたこともある。すぐに蹴り飛ばして取り返した。

 

「でも、そうだな。鍋を囲むのは好きかな」

 

 冬ならでは楽しみもあるから、寒いからといって別に嫌いでもない。ひとりでは味わえない、鍋を「囲む」楽しさは知っている。どこぞの鍋奉行がうるさいのは難点だが、まあ例のごとく八割方聞き流しているので気にするほどのことではない。繊細な料理をご希望なら自分でつくれ。

 

「ええですねぇ。うちも好きです、お鍋」

 

 ふふ、と軽い声が耳に届く。こんな何てことのない会話にも、彼女は楽しそうに乗ってくれた。

 続けて春、夏と季節の風景画の中を進んでいく。近すぎることはないが、連れだということはわかる距離で俺の隣を歩く彼女。慣れない状況に若干の戸惑いがなかったとは言わないが、苦痛に思うほどではなかった。ぽつりぽつりと言葉をかわしながら、たまに目が合えば小さく微笑みを零してくれる。これが彼女でなく他の女性であれば裸足で逃げ出しているだろう状況なのに、やけに適応している自分にいっそ違和感すら覚えた。

 春は桜が、梅が、夏の空の色は、とゆったりと言葉を紡いでいく時間がひどく長く、そして短く感じる。

 

「最後は秋の部屋ですね。……わあ、」

 

 最後を飾る、秋の景色。色とりどりの絵の中で、一際目立つの紅く染まるそれ。ひとことで赤と言うにはあまりに温かく、それでいて心に寄り添ってくれるような優しい色。

 彼女と同じ名前をもつそれを存分に散らした、綺麗な景色だった。

 

「あの紅葉の絵が代表作らしいよ。だからあえて秋の風景画をラストに持ってきたんだろうな」

「そうなんですね。ホンマに綺麗やわぁ……」

 

 横目で彼女の顔を盗み見る。俺より幾分か低いところにあるその瞳は、きらきらと輝いていた。自分の選択が間違ってなかったことに改めて認識する。慣れない美術館なんて場所に来た甲斐があったというものだ。

 彼女にバレないように、そっと安堵の息をついた。

 

 

 *

 

 

 じっくりと絵を楽しみ、余韻もそこそこに展示室を出た。廊下にそって画集などの品が並ぶギャラリーがあり、反対側の窓の外には手入れをされた芝生が広がっている。ゆっくりと歩みを進めながら、彼女は俺の方を見上げて言った。

 

「ホンマに楽しかったです、旭さん」

「そりゃよかったよ」

「初めてのデートが美術館やなんて、何や嬉しいわぁ。旭さん絵とかお好きなんです?」

「いや、俺に芸術の素養はこれっぽっちも。見て綺麗だと思う程度」

 

 え、と俺の言葉を聞いて固まる彼女。これもしかして言わない方が良かったのだろうか。

 少しだけ焦りつつも、嘘を言って後からバレる方が面倒だと開き直る。

 

「ニュースでこの展覧会のことやってたんだよ。紅葉の絵が代表作だって言ってたし、好きかなと思って」

 

 女性だからとか、年下だからとか、そういうことではなく。彼女、大岡紅葉さんというひとについて俺が知っていることをひとつひとつ辿って。騒がしいよりは静かな場所、穏やかな時間に浸れるような場所、季節や自然を丁寧に見つめる彼女が楽しめる場所。そして、彼女が大好きだと言う「紅葉」がある場所。経験値が少ないというかほぼゼロの俺には、正直なところ自信があるわけではなかったけれど。喜んでくれたらいいと、それだけを思って誘ったのだ。

 楽しんでくれたなら良かった、と小さく零すと、彼女の顔が徐々に赤くなっていくのに気づいた。

 

「大岡さん? 顔赤いけど、暑い?」

「…………紅葉です」

「え?」

「もう、旭さんのいけず! 名前で呼んでください!」

 

 赤い顔のまま、何かを誤魔化すように、拗ねたように彼女は言った。唐突な話題にひとつふたつ瞬きをして、紅葉さんと返すと、紅葉ですともう一度繰り返された。

 

「……紅葉」

 

 改めてそう言葉にすると、やけに口に馴染む。

 彼女はぱっと笑顔になって、はい、と嬉しそうに返事をする。よくわからないが機嫌は直ったようだ。いや俺今なんか気に障るようなこと言ったのだろうか。そして機嫌が直るようなこと言ったのだろうか。女心ってよくわからない。

 

「旭さん、うち今日の記念が欲しいです。ギャラリー見てもええですか?」

「ん、いいよ」

「ホンマなら今日見た絵、全部買い取りたいくらいなんやけど……!」

「洒落にならない金額になるからポストカードくらいにしといて。せめて画集」

 

 そういえばこの子お金持ちだった、と内心で冷や汗をかきつつ、彼女に手を引かれてギャラリーの方へ足を進める。窓から入る陽光に照らされて、彼女の色素の薄い髪が輝いて見える。綺麗だな、とぼんやり思っていた俺は、いったいどれだけぶりにひとに手を引かれて歩いているのかなんて、そのときは全く気付いていなかった。

 

 

 *

 

 

 あの日のデートを終えても、彼女とのやりとりに特に大きな変化はない。強いて言うなら俺がちゃんと彼女を紅葉と呼ぶようになって、少しだけやりとりの頻度が上がっただろうか。

 仕事終わり、彼女からの「お疲れ様です」というメッセージに少し笑って、返信を打つ。そしてスマホをポケットに戻そうとしたそのタイミングで、またスマホが震えた。彼女からの返信にしては早すぎると不思議に思いながら画面を確認すると、そこには珍しいひとからのメッセージ。慌てて返事を打って、鞄をひっつかんでデスクを後にした。

 

「や。早かったね」

「神戸さん、お疲れ様です」

 

 指定された店で俺を待っていたのは、今でも俺を気にかけてくれる神戸さんだった。少し前に特命係から異動になり、今は警察庁長官官房付警視として働いている。立場だけを考えれば栄転だが、どうもいろいろあったらしいことは察している。杉下さんの下を離れた神戸さんは少々退屈そうにも見えたが、まあ警察庁でも神戸さんらしく上手く立ち回っていることだろう。

 たまにお酒に付き合ってよと声を掛けられるのはありがたいのだが、できれば直前ではなく事前に連絡を頂きたいものだ。カウンターに座る神戸さんの隣に腰かけ、とりあえずビールをオーダーする。

 

「いつも急で悪いね。面白い話を耳に挟んだものだから、これは本人から話を聞きたいなと思って」

「面白い話、ですか?」

 

 何のことかわからず繰り返すと、神戸さんはにっこりと笑ってグラスに口をつける。あ、これは何かめんどくさそうな予感がする。首の後ろにちく、と虫の知らせを感じながらビールを受け取り、グラスを合わせて乾杯した。そして冷たいビールをひとくち口に含み、喉を潤わせる。

 

「彼女ができたって?」

 

 ……その話か……! どう見ても面白がっている神戸さんに、ため息をつきつつ眉間にしわを寄せる。いったい口を割ったのはどこの誰だ。締め上げてやる。

 俺が聞きたいことがわかったのか、神戸さんは笑って言葉を添えた。

 

「絶対一回きりで終わると思っていた見合いのあともやりとりが続いているらしくて驚いてるって、大河内さんが零してたよ。ほら、あれでも心配してるんだって」

「……大河内さんでしたか……」

 

 そういえば官房長と大河内さんを通して俺に見合いが下りてきた体にしたんだった。とりあえず先生との繋がりが大事になっていないのは有難いが、まさかそこから情報が洩れるとは思わなかった。ここまで来たら別に隠す理由があるわけではないが、何とも言い難い気まずさがある。俺の女性苦手を知っているひとだからなおさらだ。

 

「女性苦手、治ったわけじゃないんでしょ?」

「……そうですね」

「でも続いてるんだ」

「……そうですね」

 

 うわ可愛くない返事、と愉快そうに神戸さんは笑う。

 ひとつ溜息で返して、もうここまで来たら話を聞いてもらった方がいいのではないかと自分に言い聞かせる。目の前にいるハンサムなエリートは、俺が見てもわかるくらい女性慣れしていておそらく経験豊富だ。ない経験則絞って彼女に失礼なことをしてしまうくらいなら、ひとに頼るというのもひとつの手だろう。

 

「……そっちから話題に出したからには、話聞いてくれるんですよね?」

 

 俺がそう言うと、お、と神戸さんは愉快そうな顔を崩さないまま頷いた。にっこりとしたその微笑みは、どこか不思議の国のアリスのチェシャ猫を思わせる。

 

「もちろん、僕でよければ」

 

 

 *

 

 

 彼女との出逢いや見合いの席でのこと、交わしたメッセージや先日の初デート。ぽつぽつと思い出すままに彼女とのやりとりを言葉に乗せていく。言葉に直してみると結構交流していたんだな、と少し意外に思った。あの見合いからそんなに時間はたっていないのに、それなりにあれこれと話すことがあるというのが驚きだ。

 あらかた話し終わってふと神戸さんの方を見ると、何やら眉間をおさえて目を閉じていた。一瞬泣いてるのかと思った。そのままぐにぐにと眉間を揉んで、あー、とか、うー、とか唸っている。

 

「……何ですか」

「いや、何というか……健全というか情緒がないというか……うん、経験値皆無の君なりにすごい頑張ってるのは伝わってきた」

「……俺は馬鹿にされてるんですかね?」

「まさか」

 

 はははと笑った神戸さんはまたグラスに口をつけて、ひとくち呑み込むと同時にうん、と自分で納得したように頷く。

 

「とりあえず、君が女子ウケとか考えない方がいいっていうのはわかるよ。いいアドバイスだったんじゃない?」

「いまだにそれを言われた理由がよくわかってないんですけど、どういう意味なんですか?」

「多分君、世間一般的に女子ウケすると言われるものと根本的に相性が悪い」

 

 え、と神戸さんの言葉に固まる。

 そんな俺をよそに、たとえばね、と神戸さんはまるで教師のように言った。

 

「イルミネーションが綺麗な夜景スポットを見て、君はどう思う?」

「どうって……電飾だなと」

 

 少し悩んでから思ったままにそう言うと、いっそ憐れむような微笑みを投げられる。いや待って、と少し焦って言い募った。

 

「業者さんすげー頑張ったんだろうなと!」

「あと電気代かかりそうだな~とか思うでしょ」

「え、はい」

 

 図星を刺されて反射的に頷くと、神戸さんはかろうじて口元に微笑みを残しつつ頭が痛そうな顔でお酒のおかわりをオーダーした。そして改めて俺の方に顔を戻す。

 

「あのね、君の今後のためにあえて心を鬼にして言っておくよ。君は多分絶対自分で思ってるよりデリカシーなくて野暮天だからね」

「……!?」

「美術館では彼女を楽しませることだけ考えてたから何とか上手く行ったみたいだけどね……もちろんそれぞれだけど、君が不必要だと思うものに対して綺麗だなぁって思うひともいるんだよ。特に彼女、感受性が豊かだと感じたんだろ? なおさらだよ」

 

 デリカシーがない、野暮天、と言われたことのない言葉に衝撃を受ける。それはつまり経験値以前の問題じゃないか。普段なかなかそういう指摘を受けることがないだけに、ショックが大きい。

 衝撃抜けきらぬ俺を慰めるように、神戸さんはぽん、と俺の肩を叩いた。

 

「まあでも君はコミュニケーションが苦手なわけじゃないから。感性の違いを理解したうえで距離を縮められるようにしていけばいいんじゃない? 君は自分の思ったことを丁寧に伝えて、彼女の言葉もちゃんと受け取ってあげなよ。そういうのはできるだろ」

「はあ……」

 

 一応、それは彼女が相手じゃなくても心掛けているつもりだが。彼女相手には特にそう徹底した方が良いということだろうか。

 戸惑ったようにつまみを口に放り込む俺に、神戸さんは苦笑を漏らす。

 

「何でも言い合える関係を築くのって実はすごく難しいと思うけど、とりあえずそういうところを目指してみたらいいかもね」

 

 まずは彼女が遠慮なく「会いたい」って言えるような関係性を築くことからかな。

 そう言った神戸さんは、授業料とでも言うように、さらりと俺の前にあったつまみをひとつ、口に放り込んだ。

 

 

 *

 

 

 神戸さんと別れ、近くの駅へと向かいながらポケットからスマホを取り出す。メッセージも何もないその画面をつけたり消したりしながら、ひとり唸った。

 脳裏に浮かぶのは、別れ際に神戸さんから言われたひとこと。

 

『いい出逢いだったみたいじゃない? 良かったね』

 

 んなこと俺だってわかってるんですよ、と俺は意を決して画面の上で指を滑らせた。

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