ある奇跡の話   作:ふみどり

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若葉と紅葉

 お前は考えすぎなんだよ、と俺の肩に腕を回したのは確か松田だったと思う。

 

『女性不信だの何だの関係あるか。送り主不明の食い物なんざ処分されて当たり前だっつーの。何が入ってるかわかんねーのに食えるわきゃねーだろ』

 

 いつも通り軽く笑いながらそれはそう、と頷いたのは萩原だった。

 

『これは陣平ちゃんの言う通りよ? 旭ちゃん的には過去のアレソレってトラウマもあるんだろうけどさ、そうじゃなくてもちっと怖いよねえ。躊躇うのが普通だし、処分されても文句は言えないんでない?』

 

 その言葉に、物騒なご時世だしな、と苦笑したのは伊達と諸伏だ。

 

『バレンタインだからって送り主不明のプレゼントを受け取らなきゃなんねえ道理はねえだろうよ。そのチョコの山を処分するのを申し訳なく思う気持ちもわかるけどな』

『イベントにかこつけた犯罪がないわけじゃないし……こういうのはさ、贈り物そのものよりも日頃の信頼関係が重要だと思うよ、俺は』

 

 そうだな、と降谷もまた頷く。

 

『信頼できる相手からの贈り物だから喜んで受け取れるし、口にもできる。それは柊木じゃなくたってそうだ。だからほら、』

 

 その証拠に僕たちからのチョコなら食べられるだろ、といい笑顔で口に板チョコを突っ込まれたこともあったなあと、つい苦笑しながら一粒のチョコレートを摘まむ。

 ナッツやチョコペンシルで綺麗に彩られ、丁寧に箱に並べられたチョコレート。ボンボンショコラだそうだが、一部はアルコールが入っていないというのでそちらを先に頂くことにした。その程度の度数なら飲酒運転にはならないと思うが、念には念を入れておきたい。何せこの後、彼女を家まで送っていかなければならないのだ。

 助手席から送られる真剣も真剣な視線を肌で感じつつ、口の中でチョコレートを転がした。滑らかなガナッシュクリームが控えめな甘さで心地いい。上に乗っていたアーモンドもいいアクセントになっていて、店で売っているチョコだと言われても普通に信じたと思う。

 何より、吐き気も嫌悪感もまったく感じない。あのときは何となく言いくるめられた風だった「信頼できる相手からの贈り物」という降谷の言葉に、今さらながら納得をした。なるほど、確かに。

 

「美味しいよ」

 

 ぱあっと花が咲くように顔を輝かせる紅葉。

 バレンタインの今日、大学帰りの紅葉を拾って夕食を取る約束をしていた。例によって俺は有給を取っていたので少し早めのディナーを済ませ、紅葉を家に送っていこうと俺の車に乗り込んだとき、震える手で差し出されたそれ。

 あえて言及はしないが、いつも綺麗に手入れされている紅葉の手が少し荒れているような気がする。きっと相当一生懸命練習してくれたんだろうな、と思いながら柔らかな赤でラッピングされた箱を受け取った。

 この時期限定で吐き気を覚える甘いチョコの香り。何故だか今はまったく気にならなかった。

 

「ホンマ、良かったぁ……気ィつかってはりませんよね? ホンマですよね?」

「わざわざ嘘は言わないよ。美味しい」

「ふふ、たくさん練習したんです」

「ありがとう」

 

 そうにこりと笑ってみせると、ぽっと紅葉の頬に灯がともる。

 こういう反応をされるのは珍しいことではないが、紅葉が相手だと何となく微笑ましく思えるのも信頼故なのだろうか。ほかの女性相手じゃこうはいかない。

 もう一粒口に放り込み、残りはあとにしようと丁寧に箱を閉じた。帰ったら珈琲とでも一緒に頂こう。腕を伸ばして後部座席に箱を置き、改めて助手席に座る紅葉を見る。

 今日、チョコレートをもらえるだろうとは思っていた。思っていたからこそ、考えていたことがある。

 

「……紅葉」

「はい?」

「来月、ホワイトデーあるだろ。お返しをしたいんだけど」

「まあ、そんなん気にせんでもええのに」

「気にするよ。頑張ってくれたんだから」

 

 とはいえ、そう、とはいえ。チョコレートをまともに受け取るのも初めての俺だ、お返しなんてものをしたことがあるはずもなく。いや、ホワイトデーに関わらず女性に贈り物なんて経験は一切ない。

 ホワイトデーは頑張ってあげなよと萩原に肩を叩かれて以来、ずっと頭を悩ませていた。

 

「……欲しいものとかある?」

 

 馬鹿正直に聞くのが格好悪いのは百も承知。情けないやら恥ずかしいやらで気まずい思いは否めないが、ちゃんと喜んで欲しいと思ったし、少なくとも迷惑なものを贈りたくはなかった。

 だいたい自分の欲しいものは自分で手に入れられる程度の財力のある相手に何を渡せばいいというのか。なら何か手作りのものをと思っても、料理を練習している相手にお菓子の類いを作って渡すのは下策だということくらいは俺にもわかる。

 俺の葛藤のもろもろを察したらしい紅葉は、驚いたようにそっと口元に手を寄せた。いや、上手く隠してそうみせているがさすがにわかる。これは笑うのを堪えている。

 

「……素直に笑ってくれたほうが気が楽なんだけど」

「い、いえ、違います、嬉しいんです、」

「いや笑ってるだろ。いいよ、恥も外聞も捨てて聞いてるんだから」

「もう、いややわ旭さん、拗ねんといてください」

 

 嬉しいのはホンマです、と下がり気味の瞳がとろりと溶ける。指先を彩る紅葉模様をそっと手の中にしまって、そうですねえと腕を下ろした。

 

「旭さんから贈り物やったらうち、何でも嬉しい自信があります」

「……そう言われる気はしてたけど」

「ええ、せやから旭さん、たくさん考えてください」

「……え?」

 

 ゆるく細められた瞳は、柔らかくも確かな熱をはらんでいる。

 

「うちのことを考えて、たくさん悩んでください。その時間を含めたお返しが、うちは一番嬉しい」

 

 ちり、と胸の奥で何かが音を立てたような気がした。そういうものかな、と小さく返すと、そういうものです、と紅葉は微笑んだまま。

 確かに、きっと紅葉もたくさん考えてくれた。悩んで、練習して、たくさんの時間を俺のために費やしてくれたのだろう。それと同じだけの時間を紅葉のために費やしてこそお返しになるというのなら、なるほど納得するしかない。

 納得はしたが一切低くならなかったハードルに、ううう、と額をハンドルに押しつけた。

 

「……頑張るけどあんまり期待しないでくれると」

「ふふ、嫌です」

 

 楽しみやわぁとおっとりと微笑み、頬に手を添えた大和撫子。

 紅葉のこういう強かさ、普段は心強いんだけどなと俺は苦笑するほかない。

 

「ちなみに旭さん、他の女性に相談するのはマナー違反やと思ってくださいね?」

「……了解……」

 

 ナタリーさんに相談するのもなしか~~~と俺が頭を抱えた隣で、ころころと鈴の転がるような笑い声が響いた。

 

 

 *

 

 

 結局悩みに悩んだ末、俺が選んだのは質のいい紅茶の茶葉。

 杉下さんに紹介してもらった店でいくつも試飲して選んだ茶葉は、とりあえず紅葉のお眼鏡に適ったらしい。

 喜んでもらえて良かったと胸をなで下ろした俺に、紅葉は頬を上気させて微笑んだ。

 

「いつもうちが紅茶を頂いてるの、覚えててくれはったんですね」

「そりゃ覚えてるよ。当たり前だろ」

「いいえ、当たり前やないんです」

 

 え、と瞬きした俺に、紅葉は笑顔を崩さず繰り返した。

 

「当たり前やないんですよ、旭さん。ホンマに嬉しい」

 

 大事に頂きますねと茶葉の缶を胸に抱いた紅葉に、何となくくすぐったい思いを覚えたことはまだ誰にも言えない。

 

 

 *

 

 

 ちなみに紅葉へのお返しを考えに考えていたこの一ヶ月、いつにもまして仕事は順調だった。紅葉へのお返しを考えることに比べたら、その辺の馬鹿の不正の証拠を集めることなんて難しくも何ともない。悩む必要なんてまったくないからだ。

 レンアイって想像以上に大変なんだなあと思わず漏らすと、伊達には肩を叩かれ、その他四人には死ぬほど笑われた。

 

「いやだってお前、……柊木(オマエ)だぞ?」

「まさか旭ちゃんが恋愛で苦労する日が来るなんてねぇ」

「うるさい」

「ゼロ、今度こそ赤飯が必要なんじゃないか?」

「ああ任せろ、用意しよう」

「うる!! さい!!」

「よしよし柊木、お前はよく頑張ってるって、な! だから暴れんな!」

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