ある奇跡の話   作:ふみどり

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掌中の華

 トン、と指先がスマホの画面を叩く。送ったメッセージにはすぐに既読がつき、焦りすぎて言葉になっていない言葉が返ってきた。つい、口元に苦笑が浮かぶ。

 驚かせてしまったことには少々の申し訳なさが募るが、こうでもしないと彼女は絶対に俺をひとの多いところで待たせることはしないから。すでに周囲から突き刺さっている視線に、背を這う居心地の悪さと言葉にできない嫌悪感。しかし、この程度なら堪えられる。

 そもそも今日は目立つために来たのだ。紅葉が通う大学のキャンパス、その校門のほど近く。ちょうど講義が終わった区切りの時間らしく、多くの学生たちが行き交っていた。

 

「……この顔がこんな風に役に立つ日がくるとはね……」

 

 どうやって目立たずに過ごすかばかり考えていた学生時代。独り立ちを境に一大決心してクローゼットの中身を一掃するまでは、ずっとフードのある服ばかりを選んでいた。

 そんな俺が、いまはあえて目立つように顔をさらして陽の当たるところに立っている。それも降谷と萩原の助言で、俺のもっているなかではそれなりに値の張るの服──学生には手を出しにくいブランドのものを選んで。

 

『高嶺の花を演出したほうがいいと思うぞ。学生相手ならかえってナンパも避けられる』

『それは俺も同感。牽制にいくんだし、そういうのはちゃんとしときな?』

 

 ふ、と改めて口元に笑みが浮かぶ。

 俺がまさか「牽制」なんてものをすることになるなんて。

 本当に、彼女と出会ってからは「初めて」ばかり。

 ぱたぱたと彼女らしくもない焦った足取りに、笑みを浮かべたまま顔をあげた。

 

「お疲れ、紅葉」

「あさひさ、も、……ま、ちあわせ、えきの、カフェやって、……!」

「うん。ごめん、急がせて。喋らなくていいから、息整えて」

 

 スマホをポケットにしまい、膝に手をついて息を整える紅葉を視界にいれたまま、彼女の背後に目をやった。

 俺たちに注がれる幾人もの視線、その大半はただの「好奇」、その中にはむしろ好意的な色さえ見えるものもあり、もしかしたら視線の主である彼女たちは紅葉の友人か何かだろうか。まあそれは別にいい、重要なのは──彼、か。

 門のそばで立ち尽くす少年──いや、紅葉と同い年なら少年というのは不適切だろうが、相手の迷惑も考えずに言い寄り続けているのなら少年(ガキ)で十分な気もした。向けられた視線、そこに含まれる「驚愕」や「嫉妬」、そしてあらゆる俺への負の感情。何ともわかりやすい「悪意」だが、そんなものにビビるような生易しい人生は送っていない。

 ただ、にこり、と笑みをつくる。それで十分だった。

 一瞬で硬直した彼は、じり、と怯えたように後ずさった。それはまるで肉食獣を前にした子ウサギのようで、一周まわって微笑ましくすら思える。別に俺は、取って食う気もなければ牙や爪でいたぶるつもりもない。

 そう、──これ以上紅葉に絡まないでくれるなら。

 ようやく息が整った紅葉に顔を戻し、じゃあ行こうと声を掛ける。そのあとはもう、振り返ることはなかった。

 

 

 

 *

 

 

 

「蘭を通してその後の報告きましたよ。大人しくなったそうです」

「そりゃ良かった。わざわざ目立ちに行った甲斐があったよ」

 

 毛利さんやその子にもよろしく言っといて、と新一くんを前にポアロのカップを傾ける。

 きっかけは紅葉と毛利さんの共通の知り合いだという女子学生だった。紅葉と学部が同じだという彼女は普段から紅葉と親しくしているそうで、心配なことがある、と毛利さんに相談を持ちかけてきたらしい。

 曰く、紅葉にしつこく言い寄っている男がいる、と。

 

「それとなく紅葉にも聞いてみたけど、紅葉にとっては気にするほどのことじゃなかったようでね。俺に相談しようとか思いもしなかったらしい」

「あー……まあ、ストーカーというより、あまりにも諦めないって感じだったみたいですからね。根は悪いやつじゃないって話ではありましたけど」

「うん。だから俺も警察手帳をだすようなことはしなかった」

 

 とはいえ、紅葉に面倒が降りかかっているなら動かないわけにもいかない。

 紅葉のご友人がわざわざ通報までしてくれたのだ、一線は越えなかったにしても相当しつこかったのだろう。俺と紅葉の関係は言葉では表現しにくいところがあるが、それでも俺は彼の邪魔をする理由は十分にある立場だ。義務ですらあると思う。

 だから、紅葉の手を煩わせることが誰に喧嘩を売ることになるのかくらいは教えてやってもいいだろう、と。

 カップから立ち上る香りが妙に心地いい。

 

「……けど、まさか柊木さんが自分から人前に出るとは思いませんでしたよ」

「そう? 俺だってやるときはやるよ」

「それは知ってますけど、……柊木さん」

「ん?」

「少しは妬いたんです?」

 

 にやりと笑う新一くんを前に、俺はぱちりと瞬きをひとつ。

 やく、と言われて咄嗟に漢字変換が出来なかった。一瞬遅れて「妬く」なのだと理解し、視線を斜め上に向ける。

 妬く。やきもち。嫉妬。悋気。どの言葉も俺の辞書にはあまり登場したことがない。今回でさえも、そうかと言われればたぶん違うと思う。

 話に聞く限り紅葉は少しも彼になびいている様子はなかったし、残念ながら()()()()の彼にそんな感情を抱くはずもない。

 第一、俺が紅葉に抱く感情だって、彼女の周囲に嫉妬をする類いのものではない。

 ふ、と笑ってまた珈琲に口を付けた。

 

「俺に嫉妬させたいなら、せめて頭脳・身体能力・外見・社会的地位くらいは俺を上回って欲しいかな」

「……柊木さんの人生でそれ満たしてるひと会ったことあります?」

「ひとつふたつならともかく、全部だと……かろうじて降谷? 完全に負けてるつもりもないけど」

「柊木さんて意外と謙遜しませんよね」

「そこで意外となんて言われるほうが意外だな。俺、自己評価低いほうじゃないけど」

 

 これまで培ってきたものを軽視はしないし、俺を評価してくれたひとの眼を疑うつもりもない。

 だから少なくとも紅葉が望まない限りは、俺の勝手な判断で彼女の隣を明け渡してはやるつもりは毛頭なかった。頭脳・身体能力・外見・社会的地位は冗談としても、俺に気圧される程度のやつのために身を引いてやる必要があるとも思えず。

 俺の紅葉への感情をどう定義づけるかはさておき、俺は確かに紅葉の隣に在ることを心地いいと思っているのだから。

 

「……でも、そうだな。嫉妬というと違うだろうけど」

 

 今もじりじりと腹の奥で燻るもの。

 いつだったか、これに似たものを覚えたことがあったような。

 記憶の片隅でいつぞやの()()の一場面がちらりと顔を出す。

 がちゃ、とソーサーに置いたカップが鈍く音を立てた。

 

「──俺、身内に手を出されるの嫌いなんだ」

 

 何故だか新一くんは青い顔で冷や汗をかいていたような気がするが、体調でも悪かったのだろうか。

 

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