「で、実際なんて言っちゃったの旭ちゃん?」
「お前にしちゃ珍しい失態だなァ柊木?」
どうも顔面に拳を喰らいたいらしい元爆処組に笑顔を向けると、まあまあまあと諸伏に肩を押さえられる。今回はふたりの言うとおりだよってうるさいんだよお前も。
例によって全員集合の飲み会の今日、俺はひどく無遠慮な視線を集めていた。その原因はどうも、俺が職場で放った不用意な発言にある、らしい。
「……そんな騒がれることを言ったつもりは、ない、……んだけど」
騒動の発端は、花火大会の日に紅葉と一緒にいるところを誰かに見られてしまったことだ。
今まで幾度となく事実無根の「女性の影」の噂は流されてきたが、あまりに具体的な目撃証言だったため今回の騒がれ方はこれまでの比ではなかった。ふたりして浴衣姿で花火の見える料亭に入ったとなれば、そういう関係で間違いないだろう、と。
ひたすらに周囲の視線がうるさく、こそこそと聞こえそうで聞きたくない噂話を囁かれ。いつもならある程度は遠慮してくれる監察官室の先輩方にさえ呼び止められ、まあちょっと話を聞かせろと肩を掴まれたのだ。
『事実は事実として認めた方が楽なこともあるよ?』
『話聞かせてくれたら否定すべきところはしといてやるって』
そう情報の扱いが上手いひとたちに言われては逃げることもできず。
からかい半分、しかし確かに気遣いも含まれた言葉だとわかっていたからこそ、俺は仕方なく口を開いた。
といっても、俺は本当にただ聞かれたことに答えただけ。
「たいしたこと言ってないのに『あの柊木監察官にベタ惚れの恋人ができた』なんて噂が流れるわけないだろ」
そう降谷に呆れたように言われるが、本当にそんなつもりはない。
確かに先輩たちも妙な顔をしていたが、どこでそんな解釈をされてしまったのか。
あはは、と軽く笑った諸伏がビールに口をつける。
「だいたい想像つくけどな。柊木はただ『嘘をつかなかった』それだけでしょ?」
それはそうと素直に頷けば、やっぱりねと新たに空の缶が積み上げられた。
「柊木にとって事実に過ぎないことも、聞いてる側からすれば惚気に聞こえるんだよ。そうだな、……たとえば、」
――その「紅葉」さんって、可愛い?
それは、先輩からも投げられた問い。そのときと同じように、俺は特に深く考えるでもなく頷いていた。
「可愛いよ」
俺に女性の美醜はよくわからないが、世間一般的に見て紅葉は「可愛い」と評される外見だと思う。顔立ちも整っているし、身だしなみにも気をつけている。持って生まれた外見をよくよく理解してさらに磨きを掛けているのだから、その努力も含めて「可愛い」という言葉に相応しいと思う。
もちろん外見でなく内面も、自分なりの目標に向かってひとつひとつ努力を重ねる健気さや俺の前だと表情がころころ変わるところ、しっかりと自分の人生を歩んでいるのに他者への心配りを忘れないところも「可愛い」と言えるのではないだろうか。
「少なくとも『可愛くない』と思ったことはないというか、……え、なに皆してアホ面晒して。俺なんか変なこと言った?」
「ううん、言ってないよ柊木。予想の十倍くらい柊木らしすぎて面白いからオレはすごく良いと思う」
「馬鹿にされてることだけはわかった。え、普通に可愛いと思うんだけど、正直に答えないほうが良かったってこと?」
「そんなことないって。柊木だって嘘をつきたいわけでもなければ陰口みたいなことを言いたいわけでもないんだろ。紅葉さんに対して不満があるわけでもなさそうだし」
「ないよ不満なんて」
俺なんてまったく敵わないほどに距離感をはかるのが上手い彼女に、いったい何を不満に思えと言うのだろう。それくらい紅葉と一緒にいるのは気が楽だった。
強いて不満を探り出すとすれば「もっとわがままを言ってもいい」くらいだが、どちらかというとこれは俺の問題だろう。気兼ねなく頼ってもいい人間だと示せていないこちらの力不足だ。紅葉が悪いわけじゃない。
ぽつぽつと思いつくままに言葉を落としていく。ひとつエピソードを話すたびにそのときの彼女の顔が脳裏に浮かび、つい口が軽くなっていく。
喋りすぎた喉を冷たいビールで潤したところで、気付いた。
「……とりあえず全員、いま考えてること言ってみろ」
「旭ちゃんが、旭ちゃんが笑顔で恋バナをする日がくるなんて……!」
「気持ちはわかるぜ萩原、この成長は涙腺にクるもんがあるな……」
「僕は感動よりも呆れが来るんだが……無自覚って怖いな……」
「いやお前マジで惚気てる自覚ねえの? 普通に引くわ」
「本当に柊木って面白いね!」
「…………もういい」
これは何を言っても笑われるやつ。
ふてくされてビールに口を付ければ、ごめんごめんと諸伏が隣にやってくる。ほらこれでも食べて機嫌直してとフライドポテトの皿を差し出されるが、いやそれ用意したの俺だから。
「ま、しばらくは騒がれるだろうけど、きっとすぐに落ち着くよ。正式にお見合いしたお相手なわけだし、目立つ柊木だから騒がれてるだけで、流れとして別におかしいことじゃないからね」
そろそろ
そういえば降谷も見合いを勧められたりするのかと尋ねてみれば、ひどく渋い顔が返ってきた。どうやら全力で逃げ回っているらしい。
ある程度の立場とある程度の年齢になると、「独身」は半人前として扱われ、「結婚」は出世のための手段となる。お偉方は身内に取り込みたい人間に見合いを勧め、見込まれた人間はその庇護のもとで築かれた階段を駆け上がるのだ。
早くなくなってほしいカビの生えたような慣習だが、事実として「在る」以上はとりあえず対応しなくてはならない。なくすにはまず自分が上に行かなければ。
俺は紅葉という口実を最大限に活用しているので見合いの話はぷつりとなくなったが、風よけのない降谷は引く手あまたの大人気といったことだろう。大変だなとあえて笑顔を向けてやれば、ぐるるとすごい顔で唸られた。まさにポメラニアンの威嚇。
「出世頭は大変ね~。気軽な下っ端で良かったわ俺」
「だな。さっさと年貢納めちまえよエリートども」
「柊木、
「伝手たどればなくはないと思うけど……とりあえず捜査一課に有望な独身がいるって話流しとく?」
「ねえ降谷ちゃん真顔やめよう」
「柊木も乗るなっつーの」
「お前らな、結婚もいいもんだぞ?」
「刑事の無茶な生活をしっかり支えてくれるナタリーさんは本当にすごいよね」
そんな軽口を叩きながら、いつも通り空のビール缶を重ねていく。
しかし、と今度は伊達が惚気始めたのを話半分に聞きながら、ふと考える。
「……結婚ねえ」
正直、本当に考えたことがない。というか考えられなかったし、考えたくもなかったというのが本音だろうか。
伊達とナタリーさんの幸せそうな姿を見て「いいものなのかもしれない」とは思ったが、自分がしたいと思ったことは一度もなかった。紅葉もそれは承知の上とはいえ、今になってそれを少しだけ申し訳なく思う。
紅葉といるのは気が楽だ。素直に楽しいと思う。そう自分が思うからこそ、紅葉にも「心地いい」とか「楽しい」のお返しをしたい。願いがあるからできるだけ叶えてあげたいし、困っているなら助けたい。なるべく幸福であってほしいと思う。
親愛と庇護と他諸々が混ざったような感情は、確かに他の誰に向けるものとも違っている。けれど、これが「恋愛」なのかと問われればそうとは思えなかった。
結婚に必ずしも恋愛感情は必要ない。両者の合意と婚姻届があれば成立する、あくまでも制度上の関係だ。だが、きっと紅葉が思う「結婚」はそういうものではない。
塩気の強いフライドポテトを咀嚼しながら、でも、と自分の感情を言語に整える。
俺が紅葉の望みに応えられないかもしれないからという理由で勝手に身をひくのは、やはりただの自己満足だ。彼女はきちんと物事を考えられる
俺が身をひくとしたら、それは――と思ったところで、はたと気付く。
「……柊木? どうした、変な顔をして」
俺の近くにあったフライドポテトの皿に手を伸ばした降谷が、不審そうに俺を見る。変な顔ってなんだ、と言い返す余裕もなかった。
「降谷……おれ、」
いまだかつて、こんな台詞を口にしたことがあっただろうか。いや絶対にないし、おそらくは今後も口にすることはない。
「紅葉に振られたら真剣に落ち込むかもしれない」
いくら驚いたからって、全員一斉に喉を詰まらせることはないと思う。