蛇足。
これはこの一言にすぎる話だ。
何故ならば、私の物語はもうすでに終わっている。
汚泥のように濁っていた空が悲しげ橙色に変わりつつあった夕刻の頃。
街から離れた場所にある、古びた洋館のメインホールで。
『お前の孤独を埋めるものは、この世のどこにも無い。お前は、永遠に闇の中をさまよう』
『人を救う側になれ。どちらも同じなら、いい人間になれ。弱者を救い、孤児を守れ。正義も悪も、お前には大差ないだろうが、その方が、幾分か素敵だ』
『分かるさ、誰よりも分かる。俺は、お前の友達だからな』
『人は、自分を救済するために存在する、か。確かに、その通りだ』
最後の心残りだった友に別れを告げ、私の人生は終わった。
そのはずだった。
私は街を歩いていた。
楼閣(ビル)の隙間からは新鮮で、透き通った空気が足早に流れ込んでくる。まだ朝露を含んだ冷たい風が肌に触れる。
通り過ぎていく人達は皆素朴で、穏やかな表情を浮かべている。まるで、ここだけ世界から切り離されてしまったかのような錯覚を覚える程、平和そのものの世界が広がっていた。
私は、この街を知っている。
だが、私が知っているのはこの景色ではない。
記憶にある風景と照らし合わせてみても、一致する場所は無い。
それなのに、懐かしいと思う気持ちだけが込み上げてくる。
見覚えのないはずの街並みに、郷愁を覚えてしまう。
淀み一つ無い澄んだ空気。シンナーが混じったようなペンキで塗りたくられた真っ白な街の出で立ちは、私がかつて生きていた『ヨコハマ』と似た雰囲気がある。
不思議な感覚だ。
ポートマフィア。
その名はヨコハマという街の路地裏の隅から溝川の一筋まで響き渡っていた。
しかし、そんな名の街などここには存在しない。無論、上に語ったような組織の名もだ。
ここは日本では無い。厳密に言えば、私が知っている日本では無い。
では、一体どこなのか? 分からない。
一つわかることは、私がかつていたヨコハマと、今こうして歩いている東京の空気があまりにも似通っているということだけだ。
かの血と暴力と恩讐の組織が生み出していた恐怖と言う名の秩序と同じものが広がっているのだ。
そして、それが分かったところで何になるというのか。
今の私にとって、この場所が何であろうと関係はない。
私は歩きながら考える。
そういえば、昨日も同じようなことを考えた気がする。
結局答えは出ないままだった。荷物を抱えて、ただ歩くことしか出来ない。そもそも私は今仕事中だ。
考え事をしながら歩くのは良くないだろう。何せようやく見つけた仕事だ。昔取った杵柄とは言うものの、お得意先の信頼を得るには相応の努力が必要だ。
今日の用件も、地道に信頼を勝ち取った結果である。
これが上手くいった暁には、今後の生活にも余裕が出るはずだ。
犬小屋以下の仮住まいを出て、何とか安い部屋を借りることが出来るだろう。そうなれば、後は楽になるばかりだ。
まずは今日の仕事を終わらせよう。それからゆっくりと考えればいい。
「あの」
声をかけられたのはその時だった。
薄暗い路地裏に入ったばかりの私が振り返ると、そこには一人の少女がいた。
十代半ばといったところだろうか。薄い羊毛のような衣は学生服と言うべきものだろうが、その割には非対称な作りであるのが異様に映える。
黒髪の少女だった。腰にまで届きそうな長さの髪を後ろで二つに分けて結んでいる。顔つきや体格は年相応のものだが、どこか浮き世離れした雰囲気があった。
「……何か?」
一瞬の間を置いて、私は口を開いた。
返事を聞く前に事は起きた。
私は撃たれた。
背後から3発。
頭、喉、心臓。
銃声の音が聞こえなかったのはサイレンサーに消音装置でもついていたおかげか。
次に動いたのは目の前の少女。予備動作(ノーモーション)のない動きで、声すら上げられずに倒れる私に手を伸ばすと、腕の中にあった荷物を掻っ攫っていった。
一連の動きは、まるで予め打ち合わせをしていたかのように澱みが無く、5秒から6秒の間に行われた出来事だった。