エリカと名乗る彼女は、噴水でたきなの話を聞いていたときから、いや、それ以前のネタばらしをしていたときから私達の後をずっとつけてきた。
私達がこの施設に来てから、私達が施設内を歩き回っている間、常に私達に付きまとっていた。
だが、殺意も無い。広場で聞いた脚色された話に花を咲かせるような雰囲気も無い。
ただ、何かを伝えたいことでもあるかのように。
「あの…私のこと覚えてます?」
「さて、少なくとも、その制服を着た人間と会った機会は片手で数えるくらいしかない。君のような子は」
言い切る前に言葉に詰まった。
私が千束とたきな以外で、あの制服を着た少女と出会ったのは一度だけ。襲われた数は三度だが、今目の前にいる彼女に該当する記憶が一つだけあった。
「君、数ヶ月前の」
「あ…はい。そうです。十字路の時の」
リコリスの制服は、私が見たかぎりでは三種類。
薄い羊毛色と黒、そして赤。
数の多さはその上げた順番と同じ。
彼女達の階級を表しているのだろう。
そして黒の制服となればたきなを除くと1回しか遭遇していない。
二度目のリコリスの襲撃。
十字路を飛び出した私に向けて放った一斉射撃。
その中に確かにいた。思えばたきなもあの場所にいた記憶がある。何分一瞬のことだし、私もすぐさま逃げ出したから、思い出すのが遅れた。
「それで、俺になにか? まさか、トドメを刺しに来たと?」
「えぇ!? いえっ、そうじゃなくて」
軽い冗談でこの慌てようで本当にリコリスとして暗殺を生業としているのかと疑いたくなる。
いや、もしかしたら……。
ある考えが頭を過ぎる。点と点が繋がるような感覚に妙に頭が冴えた。
「まさか君、たきなが関わっていた銃取引で人質になった子なのか」
「は、はい。 そう…なんです」
やはり。
偏見みたく悪い気がするが、見るからに鈍臭そうな見た目の彼女だ。相対した相手になすすべ無く捕まり人質になる姿が容易に想像できてしまった。
となると、先の質問は彼女なりに接点を掴むためのものだったのだろう。
多くの場合、男性が道すがらの女性に声をかけるために使われるが基本的に上手く言った話を聞いたことが無い。もっとも、今回の場合は覿面だったようで。
「たきなに話があるのか?」
「…でも、なかなか切り出せなくて」
少しカマをかけてみたくなった。
無論、彼女が何か企んでいるわけではないが、何故私達に付いて回ったのか、何を伝えようとしていたのかは見当がつく。
だがこの子の性格上や立場的には難しいと思われたから、私はあえてこう口にした。
「なぜたきなに? 君は彼女に殺されそうになったんじゃないのか?」
「違うんです! そうだけど…そうじゃないんです!!」
見立て通りの反応をしてくれた。
話して数分と経っていないが、彼女の性格はわかりやすい。
それに、状況を良く考えてみれば失態を犯したのは彼女の方。たきなはそれを救おうとしただけ。
手段はどうであれ、彼女の命を救われた。
だが結果として、たきなだけが責任を負わされ、今目の前にいる彼女が無罪放免となれば、一番責任を感じるのはこの子だ。
「私が捕まったせいで……たきなは悪くないのに」
「そうか」
「ごめんなさい。こんなこと、ホントはたきなに直接云わないといけないのに、貴方に話しても迷惑なだけなのに」
「そうでもないぞ?」
ほら、と私は身体をどかして彼女からは見えなくなっていた通路の先を見えるようにした。
そこには飲み物を片手に持っている、いつも通りの表情でこちらを見つめるたきなの姿があった。
「…あ」
当然、私が道を譲ったことにより二人の視線は、数メートルも満たない廊下越しに交差する。
「織田さん、これ。飲み物です」
「あぁ、悪いな」
私のそばまできた彼女に手渡されたコップを片手に私は通路の脇に背中を預ける。
お膳立てというにはお粗末がだ、きっかけにはなっただろう。
少なくとも、この無機質な空間はよく音が響くのは声を出していなくてもわかる。先ほど吐露したたきなへの気持ちと無念ははっきりと聞こえていたはずだ。
問題は、それがたきなに届いているかどうか。
「たきな……その、私」
「わー! そこにいると危ないっすよ-?」
だが、その真相は無慈悲にも遮られることになった。
たきなの後ろから、陽気な声が一つ。
千束じゃ無い。
彼女はこんな人を嗤うような声で物を云った試しがないからだ。
「そこにいると、またぶっ放されちゃうかもっなーんて」
栗色の髪を、男らしく刈上げた少女もまた、リコリスだ。
たきなとエリカと同様、黒い制服がそれを示している。
「うわ! この人! 確かフキさんから逃げ切ったっていう人じゃないっすか~こんなところで会えるなんて光栄っすね!」
彼女は私にも馴れ馴れしく話しかけてくる。
「どうも~乙女サクラっす」
「…織田作之助だ」
差し出された手を握ると、握り返される。
それもかなり。
見た目の割には随分と力が強い。
たきなもそうだったが、リコリスの身体能力は皆総じて高いのだろうか。
そして、そんな私の疑問もお構いなしといった様子で手を離していく。
その様から、彼女の目当てが私では無いということにすぐに気付く。
では誰か?
私の近くで小さくなっている少女ではない。
彼女はすぐさまその相手と相対した。
「よろしくっす」
数歩ほど私の後ろに立っていたたきなにもまた、サクラと名乗った少女は私にした時と同じように握手を求める。
居心地の悪い沈黙の後、たきなはそっと手を差し出した。
「命令無視した挙句仲間にブッ放したって本当っすか~?」
彼女の手を露骨に掴んだと思えば、そのまま顔をよせて云う。私達にも聞こえるような声色が通路にも反響して空気を淀ませる。
たきなの舌打ちとともに、その手は強引に振り払われるが、刈上げ少女の攻勢は衰えない。
「うっわマジなんすね」
「違う…私は…」
「やっぱ敵より味方撃つより燃える~、みたいな?」
「やめてください」
声を荒げたたきなを「おっとおっかない。撃たないでくださいよ~」となだめるが、火に油を注いでいるとしか思えない言動が、余計に彼女を苛立たせているように見える。
その後も、殺しの時しか嗤わないとか、映画の殺人鬼みたいとか、嗤いながら云う。明らかに挑発しているとわかる言葉を並べて、彼女の感情は逆撫でされていく。
「あの…サクラ、たきなは……」
「怖かったっすよね? もしかして今も脅されてる? 今度はちゃんと当てるぞって」
エリカの擁護は空しくもかき消されるどころか、たきなを陥れるダシにされている。
利発さが感じられない彼女ならば、ここで異を唱えられないだろう。威圧的な態度を取られただけで萎縮してしまっている。
たきなは冷静さを保とうとしているように見える。だが、その表情も次の言葉で曇ることになる。
「まぁ安心してくださいよ。先輩が抜けた穴は後任の私がしっかり埋めますから」
「後任?」と、気丈さを前に出していたたきなの眉がぴくりと動く。
「あれ?聞いてなかったっすか?」と、被せるように彼女は続けた。
「自分がこれからフキさんのパートナーを務めるっす」
不快な笑みで歪んだ顔がより濃くなる。
彼女は宣言するように云った。
「あんたの席はもうないっすよ」
たきなの口元が震えるのがわかった。
それを見越したように、彼女は追い討ちをかけるようとする。だが彼女の演説に水を差されることになった。
「ちょっと、黙れ小僧」
奥襟を捕まれるとたきなの顔をのぞき込むように傾けていた身体を引っ張り上げられる。
掴んだのは私じゃ無い。
首根っこを掴んでいるのは暖色の混じった白髪と赤い制服。
間違いなく千束だった。
おそらく測定から戻ってきたであろう彼女は険しい面持ちで威圧し、睨む。
身長差があるせいか、つり上げている形になる。
「あんた誰っすか?」
予想外の乱入者に対して、不貞不貞しい態度を変えること無く、サクラは問う。
「ソイツが千束だ」
しかし、その質問に答えたのは私でも、たきなでもなかった。千束でもなかった。
「フキ先輩~!おっ!司令まで」
だが千束と共通点が一つだけあった。
それは赤い制服に袖を通しているということ。
左右に分けられた茶髪を、睨み付けるような三白眼には記憶があった。
彼女もまた、私に話しかけてきたエリカと同様、数ヶ月前に私を蜂の巣にしようとした一味だ。
サクラの口ぶりから、この人物が今の彼女のパートナーで、かつてたきなと組み、例の銃取引で決裂してしまった相手であるのは会話の流れからくみ取る事ができた。
この施設の門で睨み合っていた楠木もまた、彼女がを護衛のように連れ歩いていた。荒事を想定していないためか、今は秘書らしき人物も後ろについている。
「おお。これが電波塔の」
「これって言うなぁ~!」
「いやただのアホだ」
千束とサクラを制止するような声をあげるフキと呼ばれた少女は、ふと私にその三白眼を向けると、遅れて舌打ちが聞こえてくる。
「……チッ」
どうやらそれなりに恨まれているらしい。
私は彼女らに何かしたわけでは無いが、完全に捉えた相手に撒かれたことが彼女のプライドに傷をつけたようだ。
「司令!」
そんなことを思ってると、また声が一つ。
たきなだ。
千束達をかき分けて楠木の前に立つ。
ここに来る前から彼女に会うと聞かなかった。行きしなの特急電車でも話すことを考えていると云っていた。
門の前では私のせいでそれどころではなかったが、ようやく機会がやってきたようだ。
「私は銃取引の新情報となる写真を獲得し提出しました!この成果ではまだDAに復帰できませんか!?」
彼女は必死に訴えかける。遠目にも彼女の花色の瞳に浮かぶ光が揺れる。
希望と不安が混ざり合ったその表情はまるで、捨てられた子犬のようだった。
だがその思いは無情にも、「復帰?」とぼけた声でと返される。
楠木の表情に変化は無いが、意味の分からないことを話されて困惑しているような態度を見せる。
「成果を上げれば私はDAに…」
「そんなことを言った覚えはない」
遮るように放たれた言葉は、たきなの微塵に残った希望を潰すには十分すぎるものだった。
「楠木さん!」
「そんな」
響き渡る千束の声、遅れて零れたたきなの声。
「諦めろって言われてんのまだわからないんすかぁ~?」
後ろにいたサクラが追い打ちをかけるように、たきなの背中に投げつける。
「おい!」
「お~こっわ。さすが電波塔のヒーロー様。噂通り迫力ありますね~」
千束はまだ気丈さを保てているが、たきなはそうではない。
にらみ返すこともできず俯いたままだ。
その表情は見えないが、肩が震えているのがわかる。自身の中でわずかにあった可能性が潰えた事実が、彼女にとっての絶望だったのだ。
「サクラ。訓練の時間だ行くぞ」
「ざんね~ん。もっと話したかったのに~」
三白眼の彼女がそう言うと、借り上げの少女もまたは追いかけるようにたきなをあざ笑うかのような笑みを浮かべ、その場を離れようとする。
だが、俯いていたたきなは手を伸ばしてしまった。
手を伸ばした先にあるのは赤い袖。
かつてのパートナーの腕を、彼女は掴んでしまった。
「んだよ」
だがその手はすぐに振り払われる。
本当に咄嗟に掴んだのだであろうその手を、たきなは強く握ることができなかったのだ。
「あの時ブン殴られたので理解してなかったのか? だったら言葉にしてやる」
お前はもうDAに必要ないんだよ。と、トドメを刺すようにフキと呼ばれた少女は吐き捨てた。
「やめろフキ!」
耐えかねた千束が胸ぐらを掴む。それでも彼女は意に介さない。
「まだ理解できないか?なら今から模擬戦でブチのめしてわからせてやるよ」
「おーおーおーいいじゃん。たきな!やろう!」
「離せよ」
「ああごめん」
殺伐とした空気が多少緩む。
おそらく、この二人は口ではこう言っているものの、互いを憎み合っているわけでは無いのだろう。
だが双方、どうしても譲れない点が一つだけある。
それがこの空間を張り詰めたものに変えていた。
「あれ? ビビってんすっか?」
いつの間にかたきなの脇に歩み寄ったサクラが彼女の耳元に口を寄せ、再びささやく。
まるで悪魔のような声色で。
「いよーっし。2対2で勝負…あっ!たきな!」
いよいよ耐えかねたのか、千束が言い切る前にたきなは通路の奥へと走り去ってしまった。
「あはははは!逃げやがったよ!」
たきながどんな顔をしていたか私からは見えなかったが、彼女の心が完全に折れたであろうことはわかった。
彼女の背中を呼び止められなかった千束もまた、発端である楠木を一瞥すると、そのままどこかへ行ってしまう。
「お前も逃げんのかー?」
挑発した少女の声が、千束の背中を撃つように響くが意に返すことなく走り抜けていった。
私は置き去りにされてしまった。
だが彼女の気持ちを汲めばしかたあるまい。短い時間とは言え、少なくともたきなの気持ちを知っている。
逃げる以外にできることがあるだろうか。
「…すまないが、これを捨てたいのだがどうすればいい?」
「…アンタ、すごいマイペースっすね」
呆れたような声が返ってくる。
仕方ないだろう。この清潔な施設を空のコップ片手に歩き回るわけにもいかない。
「では、私に」と、楠木のそばにいた秘書が手を差し出す。
その手にカップを渡した。
身軽になり、自分も千束達を追うべく歩き出す。
千束は問題無いだろうが、用があるのはたきなだ。
あまり説教じみたことは云いたくない手前、こうして黙っていたがこうなった以上、私もできることはしてやらければならない。
「待て、作之助」
その足を、女性にしては低い声が呼び止めた。
楠木だ。
「なにか?」
「チャンスをやる。我々に貢献できるほどの力を示すことができれば貴様の処遇を改めよう」
ついに来たか。
と、声には出さず彼女の無表情な顔を見る。
これは罠だ。
楠木は今すぐにでも私を始末したい。表向きな口実として、このようなセリフを吐いているが、おそらく私を事故に見せかけて殺す算段がついたのだろう。
逃げることも隠れることも出来ない私は、楠木の言葉を待った。
「内容は放送で知らせる。貴様がこの国の平和の礎になれることを祈っているよ」
そう言って、楠木は私の横を通り過ぎる。私は「わかった」と短く答えた。
その瞬間、彼女がわずかに笑みを浮かべたような気がしたが、きっと気のせいではないだろう。
だが今は、もっと優先しなければならないことがある。
私は、消えた二人を追うために無機質な通路を踏み始めた。
「あのっ」
歩き始めてしばらく、再び呼び止められる。
落ち着きや貫禄がないその声の主は、かのくすんだ柑橘類のような頭髪の少女だった。
先ほどまでまともに会話に入れなかった彼女は、息を切らしながら私を追いかけてきた。
「まだなにか?」
「…すみません。こんなこと、私が言えたことじゃないんですけど……」
今までまともに目を見ることすらできなかった彼女が、初めて私の目を見て云った。
たきなをお願いします、と。
頭髪と同じ色をした瞳が、力強く訴えかける。
「任せろ」
私は大きくうなずいた。
彼女もそれを見ると、小さく微笑みながら踵を返す。
私も再び歩み始めた。
*****
「織田作」
消えた二人を見つけるためある程度アタリをつけて施設内を散策していた私が見つけたのは意外にも千束のほうだった。
たきなが私に見せてくれた幻想的な噴水が構えられた広場に入る通路に彼女はいた。
広場の中央から見て自身の姿を隠すように。
「千束か、たきなは?」
「……」
たきなの所在を聞こうとしたが、千束は答えない。
そして、目を半開きにして人を顔を見るときは総じて彼女の機嫌が悪い時だ。
「なんで、たきなのこと庇ってあげなかったの?」
千束は私に対して怒っていることを隠したりしない。
それが彼女の美点であり、欠点でもある。
怒りの感情は人を強くする反面、周りが見えなくなるという短所もあるからだ。
どうやら、先ほどの問答で何も云わず茶を啜っていたのが気に食わなかったらしい。
「織田作ならそれくらいできたでしょ? たきなをここのリコリスから守って欲しかったから傍にいてってたのんだのに」
千束なりにたきなに気を使ったのだ。
人並み以上に戦えて、気丈な性格のたきなが守って欲しいなんて云う訳がない。
言い訳になるかもしれないが、質問されたからには答えなければならない。
「……例の銃取引。あれでたきなが味方を危険に晒したのは事実だ」
「でも、仲間を救った! それに、たきなだけのせいじゃない!」
「その選択をしたのはたきな自身だ。その点だけは責任がある。あの場でたきなを擁護できたのは人質にされていた女の子だけだ」
その本人はその場にいたが、叶わない願いとなった。
あの子が迷ってなにもしないと云う選択をした以上、私にできることなど話を聴くことくらいしかできない。
「…」
まだ納得出来ないようで、今も睨むようにこちらを見ている。
「ならどうしてたきなを探してるの? そこまで云うなら知らん顔すればいいじゃん」
その通りだ。
たきなの行動によって起きた危険や事象は私には何かを云う権利すらない。
だが、今の私には2つ理由があった。
「一つ目は、人質になった子に頼まれんだ。たきなを頼むと」
「もう1つは?」
それは聴く迄もない事だろう。
「たきなが仲間だからだよ」
私は千束の脇を通りすぎて広場に出る。
神秘的な噴水を中心に景色が広がる。ガラス張りの天井から差し込む光が悲しげに立つ彼女の黒髪も照らす。
たきなだ。
一人立ち尽くしている彼女は、吹き出す水の頂点と視点を合わせるように顔を上げていた。
溢れそうになる感情を必死に抑えているように、私には見えた。
「たきな」
「織田さん……」
振り返ったたきなは、表情こそ顔に出ていないが、その声色はいつもより弱々しく感じる。
気丈で、冷静で、何があっても自分の意志を曲げない彼女からは想像もつかない。
依頼人を囮にするなど、多少良識に問題こそがあるが、それでも彼女の信念は揺らぐことがない。
彼女自身、そう信じていたのだろう。
「どうしてここが?」
「君が教えてくれたのだろう? ここがリコリスにとって全てだと」
孤児である彼女達が、DAに救われたのは事実だ。
たとえ殺人という汚れ仕事だとしても、彼女達はここで生きて行けることが誇りだと、言葉以上に物語っている。
それを信じ続けてきたたきなにとって、今の現実がどれほど辛いことか。
きっと、私では計り知れないだろう。
だが私は言わなければならない。例え彼女の胸中を抉ることになったとしても。
「君の行動は結果として仲間を救った。だが、同時に危険に晒した。君のしたことを組織側は認められないし、共に並び立つ仲間から殴られても文句は言えまい」
「っ…なら」
彼女は叫ぶ。
「なら、どうすればよかったんですか! 通信障害で本部とも連絡がつかなくなって! あと10秒も猶予がなくて! そんな中で一番合理的な方法があれしかなかったんです!!」
絹のような黒い髪が、彼女の激情と伴うように揺れ動く。
普段の彼女からは考えられないほど取り乱していた。
憧れだった場所を、自身の人生全てを担保にして手に入れた場所を、理不尽に奪われた。彼女は今、その事実に押し潰されようとしている。
「貴方にはわからないですよ……未来が見える貴方には…何が正解かすぐにわかる貴方に、私の気持ちなんてわかるわけない!!」
悲痛な叫びが噴水の水面を揺らす。彼女の目から抑えていたであろう涙があふれ出す。
その姿はあまりにも小さくて、私には、彼女が普通の少女にしか見えなかった。
「ちょ、織田作! たきな泣いてるじゃん!」
遅れてやってきた千束が慌ててたきなの元へ駆け寄ろうとする。
だが私はすぐに千束を制止するように手をかざす。驚いた千束はすぐに不満げな顔をしていたが、私が動かないことを察するとしぶしぶ後ろに下がる。
「…ごめんなさい。全部自分の責任なのに」
「たきな、一つだけ確認したいことがある」
私は静かに問う。
ここからが本番だ。
彼女の全てを測ると云ってもいい問いを、私は彼女にぶつけた。
「君はあの時、感情に身を任せてその凶行に出たのか? それとも、仲間を救うべく自分の意思を確かにもって行動に移したのか?」
「どういう意味ですか?」
「そのままの意味だ。目的のために怒りを捨て、合理的に立ち回ろうとした結果なのかと聞いている」
「それは……」
彼女は口籠った。
だがすぐに答えを出すべく、私に花色の瞳孔をしっかりと向ける。
激昂が溢れていたばかりとは思えないほど冷静に、まっすぐに。
「私は、あれが一番合理的だと思いました。本部からの連絡がつかない以上、あの子を救う確率が高いと思ったから」
間違いなく、たきなはそう言い切った。
一字一句間違えることなく、私の目を見て言い切る。
その言葉に迷いはなく、覚悟を決めた者特有の力強さがあった。
「そうか」
と、私は答えを受け入れた。ならば、私も応えなければならない。
たきな、と彼女の名を呼ぶ。
「それならば、君はすごい人間だ」
「…え?」
この施設に来て初めての肯定の言葉に思いもよらず目を丸くしてしまうが私は続ける。
「君は、状況を冷静に分析し、誰から指図されたわけでもなく自分の判断で物事を決めた。それはすごいことだ」
手段や方法は、組織的、あるいは道徳的、倫理的には間違っていたのかも知れない。
だが、それでも私は、彼女は、井ノ上たきなはすごい人間だと云う。
自らの意思で決める力。
それはこの世のどんな物よりも強力だ。それを使いこなしている彼女は、すごいと断言する。
この力に比べれば、私の異能など弱すぎる。
いや、全ての異能でも太刀打ちできない。
異能など、他の人間に比べて少しだけ選択肢がある程度の手段だ。
だが、この力は違う。
強靱な獣になれる異能をもっていたとしても、空間をも切り裂く異能を操っていたとしても、この力の前には無力なのだ。
「たきな。お前の中にある『決める力』。それは最強の必殺技だ」
私は尚も続ける。
彼女がこの先、迷わないように。
この彼女に眠る力を、DAなんていうつまらない組織に潰されてしまわないように。
「絶対に間違えない方法ってわかるか?」
人は良く迷う。
理由は簡単だ。人生には、重要な決断をしないといけないのに、判断に必要な情報が揃っていないときがある。というか、人生はそんなことばかりだ。
そんな時に一番適切な行動は、『十分な情報が揃うまで何もしない』こと。
判断を保留することだと、私は云う。
「でも…それじゃ」
賢い彼女は云う、その通りだ。
そんな贅沢が許されることはほとんど無い。
決めなければならない。情報が足りないのに、人生を左右するような重要な選択を。
「そんな時の必殺技はな、たきな、『自分で決める』ことだ。何が正しいのか、自分で選ぶんだ」
他人の意見に流されるな。
自分以外の人間に、その大切な選択を任せるな。
そして、再び選ぶときが来た時に、『何もしない』という選択を取るような人間になるな。
「なぜなら、人生の選択を他人に預けた瞬間、君は、君の人生の主人公じゃなくなるからだ」
他人に綴らせてできた自分自身の物語など、一体誰が面白いと言うだろうか?
「……よく、わかりません。私には…」
「今はまだそれでいい。だけど、いつかきっとわかる時が来る」
少なくとも、私が彼女に教えられるのはここまでだ。
この子は私なんかよりずっと強い。
私のような、人に諭されて生き方を変え、それを途中で反故にした挙げ句、偉そうに友人に生きる道を説くような半端な男なんかよりずっと。
彼女は、自分の意思で、自分の未来を選べる。
そう言う強さを持っている。
「あーあ、もう織田作はびっくりさせるな~もう」
張り詰めたタイヤから空気がゆっくりと抜けるように千束がため息をつく。
だが、その表情からは怒りは感じられなかった。
むしろ、安心しているように見えた。
千束の方に目を向けると、彼女はどこか嬉しそうな顔で笑みを浮かべていた。
「ねぇたきな。たきながあの時ああしなかったら、私も織田作もたきなと会えてなかったんだよ」
歩み寄った千束はたきなの身体に手を回し、ぎゅっと抱きしめる。
そして、たきなの声があがった。
「私は君と会えて嬉しい!」
千束は笑顔のままたきなを持ち上げる。そのままぐるりと幻想的な噴水を中心に回り出す。
「ちょ…ちょっと…」
「嬉しい嬉しい!」
いつの間にか、制服を着た野次馬達の声が聞こえるがお構いなしで二人は回る。
こんな素晴らしい光景を間近で見られるという幸運に、私の胸が不思議と躍り、釣られて頬が緩む。
「織田作もたきなと会えて嬉しいよね?」
千束の問いかけに、私も迷わず答えた。
「…あぁ、もちろんだ」
やがて千束は持ち上げていたたきなを降ろし、大きく手を広げる。
「今は、私達との時間を試してみない? それでもここがよければ戻ってきたらいい。遅くない。まだ途中だよ。チャンスは必ず来る」
彼女の肩を優しく叩くと、千束は云う。
「その時したいことを選べばいい」
これじゃ、私の説法が千束に全部持って行かれたように感じるな。
私は、少しだけ苦笑いに変わる。
「…したいこと」
「そ!私はいつもやりたいこと最優先~。まぁそれで失敗も多いんだけど~、今はたきなにひどいこと言ったあいつらをブチのめしたいので~! ちょっと行ってきますよ」
常春の空のような笑顔から一辺、似合わない凜とした声で宣言した千束はその場を後にしようとする。
だが、途中で私の隣でその足が止まる。
「織田作はどうしたいの?」
その問いに対する答えがすぐに出てきた私は思った以上に千束のいる場所に毒されているのだと実感し、また笑みが零れた。
今、私が1番したいこと。
「そうだな。なら俺は、たきなをクビにしたあの仏頂面に赤っ恥かかせてやるよ」
「そーこなくっちゃ!」
千束の声と同時に施設の放送が鳴る。
要約すると、千束達の模擬戦に他のリコリスも集まるようにというものと、私の試験を知らせるという物だ。
道はよく分かっていないが、ナビゲートに千束がいる。
今はたきなは一人で考えさせてやりたい。
「たきな」
だが、少しだけアドバイスくらいならいいかと本日何度目か分からなくなってきた彼女の名を呼ぶ。
はいと返事が返ってくるが、相変わらず弱々しい。
まだ少し迷いがあるようだ。
「君には力がある。だからその時が来れば君は正しい選択を決めれるさ」
これは、私が彼女に言いたかった言葉だ。
たきなは、その言葉を胸に刻んでくれるだろうか。
だが確認はしない。
きっと大丈夫だ。
彼女は俺なんかよりずっとすごいのだから。
―――
――
―
放送によって指定された場所を見つけるのは、土地勘の無い私には困難だったがなんとかなった。
長いことここを離れていた千束のナビゲートは全く当てにならなかったが、近くのリコリスが親切に教えてくれた。
場所は訓練場らしき空間だ。
廃墟の工場を想定しているのか、コンクリートの建物が並び、あちこちには廃車や壊れた機械が置かれている。
まるで千束が好きな映画の舞台セットのようだ。
中に入るとすぐに放送が鳴った。
『逃げずに来たのは褒めてやる。ここがお前の墓場となるかはわからんが、結果次第としよう』
スピーカーによって拡大された楠木の声が無機質に響く。
正直手短にして欲しい。
そもそも肝心の試験内容すら聞いていないのだ。
だがここで焦っては元も子もない。
ここは落ち着いていこう。
「俺は何をすればいい?」
『貴様の右手側にスーツケースがあるだろう。リコリスに支給される銃だ。それを使ってもらう』
楠木の言う通り、私の右斜め前には大きめのトランクが置かれていた。
開けると本当に拳銃が入っていた。
オートマチックで装弾数は18発。
弾倉は1。
弾丸は訓練用のペイント弾。念のため一発一発確認したが、全て本物だった。
愛用している銃の後継機のようだ。
私としては扱いやすいが、愛銃と比べて手に馴染まないのが気持ち悪い。
まぁ文句は言ってられない。
私は銃を構え、弾倉を装填する。
「して、肝心の試験内容は?」
『このフロアに、サードリコリスを計十八名配置した。貴様は彼女達と模擬戦をしてもらう。全員に当てることが出来れば試験は合格だ」
弾の数ときっちり同じ数。
一発の打ち損じも許されないらしい。まぁ、銃すら持たせたくないのが彼女らの本音だから仕方あるまい。
「質問だが、そのリコリスから銃を奪ってもいいのか?」
『構わんが、あまりオススメはしない』
「そうか」
『質問は他に無いな?』
では始めよう。と、楠木は云った。
開始の合図と共に、未来が見えた。
私が背後から後頭部を撃ちぬかれる光景だ。
驚く間もなくすぐに地面を蹴り、遮蔽物に身を隠す。
「今の、実弾か」
なるほど、大体筋書きが見えてきた。
私をリコリスの協力者として迎入れるための試験は方便。
試験自体は行うが、相対するリコリス達がペイント弾を使うとは一言も言っていない。
つまり、18名のリコリス全員がうっかりペイント弾と実弾を間違えて訓練を行ってしまったための事故死とさせたいのだろう。
楠木が始めろと云った以上中断はできない。
「きゃっ!」
私の背後を取ろうとした少女にペイント弾をお見舞いする。
顔にべったりと付着し、彼女は悲鳴を上げると、目に入ったのかその場にへたり込む。
これで一人。
次に死角から現れた少女にも一発。
心臓の位置に真っ赤な塗料が広がる。二人目、と数えた時にその少女は動いた。
私は銃弾を既で躱す。千束のように短い髪に弾丸が触れた。
向こうは撃たれても撃ち返してくるのか。
もはやルールもクソも無い。
私は身を低くしながら移動し、三人目に狙いを定める。
しかし引き金は引けなかった。
それは被弾して撃ち返してきた少女が三人目の少女を庇ったからだ。
これでは弾を無駄撃ちしてしまう。だが私が撃つのを止めたことで、その隙を狙っていた四人目が発砲してくる。
放たれた弾は空を切る。
未来が見えるとは言え少し驚いた。
これが彼女達の狙いと云うわけだ。
ペイント弾しか持たせていない状態で実弾持ち18名と戦わせ、しかも被弾した者はそうでない者を庇って打ち損じを誘発させる。
かといって、銃を奪うことも出来ない。
銃を奪うのはオススメしないとはこういう意味か。
奪って傷を負わせてしまえばそれこそDAに私を殺す口実を作ることになる。
なるほど、よく考えられている。
楠木はここで私を始末する気満々と言うわけだ。
なかなかどうして――
「舐められたものだ」
私は攻勢に出るため地面を蹴った。
三十分後。
塗料まみれの私は訓練場を出た。
「織田作!」
すぐに千束の声が聞こえた。
どうやら向こうも終わったらしい。一緒に走ってきたたきなの顔からは先ほどの迷いは感じられなかった。
もっとも、両者とも私の身を案じてか慌ててこそいるのだが。
「ちょ! 真っ赤なんだけど大丈夫なの!?」
「あぁ、これはペイント弾だ。どうした?」
「どーしたじゃないでしょ!? フキが織田作が死ぬかもって云ってたから心配になって……」
なるほど、それで二人は急いで駆け付けてくれたという訳か。
「問題無い。一発も当たってない」
私の答えに千束は目を丸くし、たきなは歪なくらい顔を引きつらせていた。
「え…あの、対戦していたリコリス達は?」
震えた声で聞いてくるたきなに彼女らの所在を教えた。
「あぁ、あの子達なら皆訓練場の中央で両袖をくくりつけて置いてきた」
庇ってくるのが面倒だから全員零距離でペイント弾を食らわせたのだが、それでも撃ってくるから面倒になった私は全員張り倒して一人一人無力化したのだ。
塗料まみれなのは前者のせい。時間が掛かったのは後者のせい。
「しかし困った、この格好では電車に乗れない。着替えを持ってくれば良かった」
「いやそうじゃないでしょ~」
何がおかしいのかわからないが、千束が呆れるほど大声を上げた。
「あーもうミズキがいないからツッコミが足りないよぉ」
何故か困った顔になっている千束の後ろから、コツコツと足音が聞こえてきた。
誰かと思い振り向くと、そこには見知った顔があった。
「……貴様」
楠木だ。
このふざけた試験を計画した張本人が秘書の制止も聞かず歩いてくる。
ここに入った時とは違い、微動だにしない仏頂面が歪んでいる。これなら確実に私を殺せると踏んでいたが思惑が外れたようだ。
「いや、楽しい試験だったよ。まさか、18名全員がうっかりペイント弾と実弾を間違えてしまうだなんてあるもんなんだな。リコリス達も意外と可愛いじゃないか」
「黙れ」
なぜか怒りを露わにする楠木。
意味が分からない。
「これで試験は合格。俺は十分に力を示したというわけだが、他に何かあるか?」
私は首を傾げながら楠木に問う。
すると彼女は苦虫を噛み潰したような表情と共に、奥歯が軋む音がこちらまで届いてきた。
なんとも器用なことをする女だ。
「何も無いなら、俺らはもう帰るぞ?」
そもそも千束のライセンス更新とやらに同伴したのに随分と寄り道をしたものだ。
それでも、先月から続いていたたきなとの溝が、これで埋まると思えば安いものだ。
「あ!」
だが、踵を返す私の足を千束の声が止めた。
「そもそも、織田作の試験ってちゃんと銃弾の管理とかルールの周知を怠った楠木さんに責任あると私は思うんですけど、そこのところどう思います?」
「それは……」
言い淀み、視線を泳がす楠木。
それを好機と思ったのか、千束は更に言葉を続けた。
「ここにいるリコリス皆事情知ってると思うしー調べたらわかると思うんですけどー、上の人達に知られたらこの間の銃取引の非じゃ無いくらいの大問題になってたと思うんですけどーそこら辺どうなんですかねー?」
「千束、運良く当たらなかったんだ。それでいいだろ?」
彼女の意図がすでに分かっていた私は敢えて止めに入る。
目配せすれば彼女も不敵な笑みで返してくれた。
「まぁでも、織田作が良いって云うならいいのかな? でも、多少のけじめとかいるんじゃないかなーって」
楠木の表情がみるみるうちに青ざめ始める。
千束がそれを見逃すわけもない。
「楠木さーん。何かやったほうがいいんじゃないですかー? 大人としてー」
完全に追い打ちをかける気満々の千束。
私が最初に予告した言葉を思い出して絶句しているたきな。
青ざめたと思えば震え出す楠木。
「なーにーかー、やったほーがーいーんじゃないですかー?」
そしてその背後で、茶髪の秘書が、「え? アンタマジでやるの?」という顔で整った化粧を歪ませた表情が印象的だった。
「……っ、ぐぅ…」
楠木は私達に背を向けた。
そして、すさまじい勢いで振り返り、白い外套に包まれた足を内股にさせながらこちらに指を刺して、こう云った。
「……二度目はなくってよぉ!」
元々の低い声色のせいか声が裏返り、頬が妙に赤くさせながら。
DA本部に入ったときに、10名以上のリコリスを中央に立っていた凜とした面影は一切感じられ無かった。
「「「……」」」
「っ……なくってよ……」
「よし、帰るか」
「そうですね」
「そうだね」
「おい! 待て! 貴様ら! 止まれ!! 戻れ!! 何か言えええええええええ!!」
身体測定中のちさととフキの会話一部抜粋
フキ:おい千束。例のマフィアの運び屋。アイツ何者なんだ?
千束:う~ん。とりあえずめっちゃ強いよ。フキなんて百年経っても勝てないと思う。
フキ:あぁ? テメェ舐めたこと抜かしてんじゃねぇぞこら!
千束:逃げられたヤツが抜かすなバーカ!
フキ:……ったく、司令はそんなヤツ本部に招集して何考えてんだ?
千束:心配しなくても、フキが考えるようなことは織田作しないよ。だって私に逆らえないんだもん。
フキ:マジでいってんの?
千束:うん、こないだなんて、三回回って、ワンって云ってってお願いしたんだよね。
フキ:マジでやったのか?
千束:”三回回ってワン”って云った。
フキ:…ソイツ、バカなんじゃ無いのか?