彼岸花と迷い犬   作:黒ゴマアザラシ

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今回は豪華二本立てじゃ!!


いつか海の見える部屋で 後編

「あぁ、災難だ」

何でこんな目に。

私はまたため息をついてしまった。

せっかく夜まで仕事が休みだからと満喫しようとしていたのに、疲れが募るばかりだ。

この調子で仕事に行かなければと思うと鬱屈した気分がさらに曇る。

「ごめんなさい。お店の中だったのに」

隣で腰掛けているたきなも落ち込んだ様子だ。

そこは少し気にかけるところが違うんじゃ無いのかと、らしくもないことを考えてしまう自分がいる。

場所というよりかは、男である私に話すことなのだろうかと。

だが彼女はリコリスだ。

今まで閉鎖的なDAの寮で生きてきて、人を殺すことでしか社会に触れてこられなかったのだ。

「だがまぁ、知らなかったら仕方ないな」

参考までに、書店の中で私があの場をどう切り抜けたかというと、先月のDA本部に赴いたときに彼女に説いたことをもう一度云った。

自分が正しいと思った物を選べと。

こんな形で使うことになるとは思わなかったが、それ以外に選択肢などあるわけもなく。

あの時も、たきなの中に眠る行動に移す力はすごいと評したが、多少は程度を知ってほしいものだ。

「いやー織田作があんな引きつった顔するの初めてみたよ」

「お前も、事情くらい話してもよかったんじゃないのか?」

「だって……ぱぱぱ…パンツ買いに行くなんて、言えないじゃん」

「それもそうか」

いくら千束でも、下着となれば話にくいだろう。

それに、彼女達は私と違って年頃の女の子なのだ。

異性の私がいては買い物しにくいだろうし、居心地も悪いだろう。

「…それで、千束。お前は何をしているんだ?」

改めて、私は目の前の彼女が行っていることの意味を問うた。

「え? チンアナゴだけど」

「そうか、チンアナゴか」

千束は両手を大きく挙げて、身体全身が波打つように踊っている。

まるで海中の風に煽られている様子の再現らしい。

私達がいるのは水族館。

買い物をした後、軽く食事を済ませた私達は、千束の提案でここに寄ることになった。

踊る千束の顔が、施設内の照明で照らされている。

それは、彼女の顔立ちの良さをより一層際立たせていた。

「人が見てますよ。目立つ行動は…」

「なんで?」

「何でって私達リコリスですよ!」

「制服着てない時はリコリスじゃありませ~ん」

たきなの注意も、当人はどこ吹く風といった具合だ。

場所を変えて、水族館の中央。大きな水槽の前に私達はいる。

そこには様々な魚達が泳いでいた。

群れを成し、時にぶつかり合いながら泳ぐ様を、薄紫色の灯りがぼんやりと照らしていた。

水槽の前でも、千束はチンアナゴの踊りを続けている。

その光景を、私とたきなが水槽の前に構えられた四角いベンチに腰掛けながら眺めていた。

「千束」

「ん~?」

「あの弾、いつから使ってるんですか?」

たきなの呼びかけに彼女は踊るのをやめた。

「な~に?急に」

振り返った千束はこちらに歩み寄り、たきなの隣に腰掛ける。

「旧電波塔の時は…」

「あの時先生に作ってもらったのよ」

たきなの問い、それは千束が愛用している銃弾、被殺傷弾のこと。

千束の教え子であり直属の上司でもあるミカが発明した一品だ。

「何か理由があるんですか?」

「なに~?私に興味あんの~?」

「タツノオトシゴ以上には」

「チンアナゴよりも?」

「茶化すならもういいです」と、調子に乗る千束をたきながあしらう。

いつも通りのやり取り。

そんな二人を見て、私は少しだけ笑ってしまった。

だが声には出さない。

この空気に水を差したくない私は、ただ耳を傾けるだけだった。

「気分がよくない。誰かの時間を奪うのは気分がよくない。そんだけだよ」

普段の千束とは違う口調。

それが今の彼女が纏う雰囲気だった。

先程までのふざけた様子が消え失せ、どこか大人びた表情が浮かんでいる。

「気分?」

「そう。悪人にそんな気持ちにさせられるのはも~っとムカつく。だから死なない程度にブッ飛ばす!」

「あれ当たると無茶苦茶痛いのよ~死んだ方がマシかも」と、実体験が籠もった口ぶりだ。

現に私は彼女があの弾に当たるところを見ている。

あの時は気丈に振る舞っていたのだが、きっとやせ我慢していたのだろう。

「あ、そういえば!」

突然、思い出したかのように千束が顔を乗り出して私の顔を伺う。

「織田作も私と初めて会った時からずっとあの弾使ってるけど、どうして?」

今度は矛先が私に向いた。

必然的にたきなの視線も私に集まる。

「織田作もたきなみたいに急所外すくらいできるでしょ?」

「千束みたいな理由じゃ無い。下手に死なれて警察沙汰になるのが面倒なだけだ」

いくら相手が凶悪犯や武装した集団とは言え、殺せば犯罪だし死体が残れば足がつく。

警察にもリコリスにも追われることになるだろう。

千束の弾なら、負傷程度で済むし、打たれた相手も傷害罪で警察に転がり込むわけにはいかないからだ。

だが、私の答えに「あの」という声が待ったをかける。

声の主はたきなだ。

「もしかして、探していた本となにか関係がありますか?」

その言葉に、私は息を呑んだ。

「なんの話~?」

千束は不思議そうな顔を浮かべて、たきなを見つめている。

「ほら、織田作さん、本屋にいたじゃないですか。あの時、すごく真剣な顔をしてたので」

よく見ている子だ。

感心すると同時に、困ってしまう。

まさかこんな形で自分の秘密が露見してしまうとは思わなかった。

手がかりなどほとんど無かっただろうに。

どちらにしても、隠し通せるような状況では無いのは確かだ。

「……そうだな」

観念したように、ため息混じりで呟く。

「ある人に、そうすべきだと言われたんだ」

「ある人?」

「その本を俺にくれた人だ」

だが、私は無くしてしまった。

あの時、全てを捨てた私にはもう不要な物だと、置いてきてしまった。

情けない話、今は未練がましく探している。

「読む前に酷い本だと釘を刺されたが、それは素晴らしい本だった」

だが、と私は続ける。

 

「1つだけ欠点があった。最後に近い数ページが切り取られていたんだ。その時に言われたんだ」

ならばお前が書け。

それが唯一、その小説を完璧なままにしておく方法だ、と。

「お前が書けと」

あの人はそう云った。

雨が降っていた喫茶店で、あの人は私に教えてくれた。

どう生き、どう死ぬべきかということを。

 

「小説を書くことは、人間を書くことだと。人の命を奪う者に人生を書くことはできないと」

確信がある。

本をくれたあの男は俺を殺し屋だと知っていたのではないか…。

知っていて殺しをやめさせる為に声をかけたのではないかと。

「いつか、なんでも出来る身になった時、海の見える部屋で、机に座って……」

小説家に、なりたかったんだ。

銃を捨て、紙とペンだけを持って。

「…すまない。こんな話で水を差してしまって」

我ながら何をしているのだろうか。

もう全て終わったこと。今更、昔の夢を思い出したところで何も変わりやしないのに。

それでも、この2人が聞きたがっていると分かってしまうと、言わずにはいられなかった。

私は、まだ諦めていないのか? いや、違う。

きっと、この二人に期待をしているのだ。

この子達なら、私のような間違いはしないと。

「そんなことないよ」

千束の声が聞こえた。

私のような人間に向けるにはもったいないほどの温かい声だ。

「織田作にとって、その人が救世主だったんだね」

私もそうなんだ。と、立ち上がった千束は自分の首に提げていた紐を摘まむ。

黒いTシャツの中に隠れていたそれはペンダントだった。

丸い、フクロウの形を模したそれに私もたきなも見覚えがあった。

「それは確か」

ある支援団体が才能のある人間に無償で支援した証。

私も店のテレビでそれをつけたメダリストやら音楽家やらを見たことがある。

名は、アラン・アダムス。

個人なのか組織なのかわからないなぞの存在。

それを、千束もまた持っていたのだ。

「私もね、これをくれた人のこと、探してるんだ。だから、DAを出たの」

ありがとうと、ただそれだけが云いたくて。

千束の言葉に、私は彼女の顔を見る。

その表情は、どこか寂しげで、それでいて強い意志が感じられた。

たきなもそれは同じようで、千束を見つめる瞳が揺れている。

「織田作」

彼女は私の名を呼ぶ。

「なりたかったなんて悲しいこと云わないでよ。だって、織田作は誰も殺してないじゃん」

織田作なら、きっとできる。

そう、千束が笑った。

「私も、織田作さんの小説読んでみたいです」

たきなも続く。

本当に、どうしてこんないい子がDAなどという組織と関わってしまったのだろう。

こんなに強くて、優しい子供達に、なぜ銃を握らせたのか。神がいるとしたら、私はそいつを絶対に許さない。

「……そうか。なら、俺が小説家になれたら真っ先に読ませてやる」

「約束だよ!」

「はい!楽しみにしてます」

2人の少女が笑う。

ああ、そうだ。

私は今度こそ…。

「ところで、織田作はどんな小説書くつもりなの?」

「書きたい物語は一つしか無い」

「え~そんなのつまんないよ」

私の答えに、千束が不満そうな顔を浮かべる。

「一つだけなんて勿体ないですよ。もっと色々書こうよ」

「そうは言われてもな……」

困った。

考えも及ばなかった。

私がずっと探していた小説の下巻、その結末を自分自身で書くこと以外、今まで頭に浮かばなかったからだ。

「あーじゃあさ、ちょっと即興で考えてみようよ」

私を急かすように、千束が立ち上がって提案する。

「紙もペンもないぞ?」

「だーかーらー、しゃべりながらお話を作るの。その方が良いアイデア浮かぶかもしれないし」

「それは良いですね」

たきなも示し合わせた賛同する。

私はどうしたものかと頭を悩ませる。

こんなこと、あの酒場でもしたことがない。

だが、あの二人ならきっと何か良い案を出せたのかも知れないが、私は彼らほど器用じゃ無い。

どうすれば…。

悪い癖とは分かっているが、こういう時に碌に意見を言えないのは情けない。

答えを出しあぐねていると、隣に座り水槽を眺めているたきなが突然立ち上がる。

俺も千束も声すらかけられず、彼女は水槽の前まで行ってしまう。

そして――

 

「さかなー!」

 

と、両手を前に付きだしたポーズを取りながら叫んだ。

恥ずかしいのか目を瞑り、可愛らしく頬を赤らめているが、私には彼女が何をしているのか分からない。

「お~!魚か~!」

千束は意図を理解したのか、彼女の隣へと向かう。

「チンアナゴ~」

と、今度は千束が両手を大きく揺らして踊り出す。

全く分からない。

たきながああいう振る舞いもするものそうだが、千束の行動がちゃんとした答えが合っているのかも。

「ほらっ、織田作もなんかやって!」

「何してるんだ?」

「小説のキャラクターだよ。魚とチンアナゴ! 織田作もキャラクターになって会話に混ざってよ」

「そういうことか」

やっと理解できた。

文脈も流れも滅茶苦茶。

傍から見れば意味不明すぎるやり取り。

しかし、それが今の私には心地よかった。

「おーだーさーくー、早くーたきながもう限界そうだよー」

千束の隣にいるたきなの顔を見れば、徐々に顔の赤くなる面積が増えつつあるのと、体勢が辛いのかプルプル震えていた。

「わかった……えっと……わんっ!」

「……」

「……あの、それは?」

「い、犬だ」

数秒の硬直の後、ようやく反応が帰ってきた。

「ふふっ……」

「ぷっ…はははっ、あはははっ! 何でそこで犬!? 意味わかんない! あっはははは!!」

千束が腹を抱えて笑い転げる。

「織田作さん、可愛いです」

「そうか」

「はい」

たきなも微笑んでくれた。

良かった。笑ってくれている。

私もつられて笑った。

久しぶりに笑った気がする。

こんな愉快な気分はいつぶりだろう。

硝煙の香と破裂の音が支配しているこの世界で、密林の中の、黄金の宮殿のような日々。

彼らと酒を飲み交わしたように。

もうその関係が壊れてしまった私にとって、他の誰ともこのような関係を築くことは二度とできないと思っていたそれを、再び取り戻したような気分だった。

もし、もう一度彼らに会えるなら、彼女達のことを話そう。

きっと気に入るはずだ。

 

なぁ太宰、お前もそう思うだろ?

 

 

 

 

 

 

 

 

*****

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「匂うなぁ」

 

旧電波塔に這うように広がる地下鉄のホームに。

彼らはいた。

数は8人。

皆、作業服のような様相にサングラスをつけて素顔を隠しているが1人だけは違った。

緑色の頭髪にアロハシャツ。黒いコートを入ったその男は、この一派の頭領。

真島だ。

引き連れた男達は皆、子供一人入れそうなほどの大きさのボストンバックを彼の周囲の置いた。

ずっしりとした音が、無人の駅のホームに響く。

 

「漂白された…除菌された…」

地下鉄の天井を仰いだ真島は呟く。

「健康的で不健全な嘘の臭いだ」

この国は腐っている。

与えられた平和のひな鳥のように口を開けて享受する愚民ども。

自分が幸福ならそんな不自然でアンバランスな世の中でもいい。

考えることも、選ぶことも、自由も、平和も、幸せも、権利も、全て他人任せだ。

「バランスを取らなくっちゃなぁ!」

男は、この不釣り合いな世界を整える恐怖の配達人だ。

一同にボストンバッグのファスナーが開く。

中には子供一人ほどの長さがあるマシンガンが人数分。

真島自身、彼の部下全員に行き渡るように用意された。

遅れて、駅のホームに放送流れる。

時刻表ピッタリ、予定通りに列車が来るのを知らせてくれる。

「来る…来るぞ~」

スリングに肩をかけて銃がぶれないようしっかりと持つ。

弾を込めて、安全装置を外す。

「はじまりはじまり」

そうだ。

「はじまりぃ」

これは始まりだ。

彼らが何者であるか、無知で愚かな民衆と示すため。

そして思い出させるのだ。

自らが家畜と同類であると。

屠殺場に出荷されるのも知らずに生きている畜生と同義だと。

今、その狼煙を上げよう。

斥候にいかせた彼の部下が合図を送る。

列車が来るのに数秒の猶予も無いという知らせだ。

「ハハハハハハ」

何も知らない列車が無防備にホームに現れるのが目に入った途端、彼らは動いた。

「はぁ!!」

号令はいらない。

目の前にきた瞬間引き金を引く。ただそれだけ。

真島の笑い声の延長のような声と共に、男達は抱えた筒から、爆音と共に鉛玉の列車にぶつけ始めた。

列車の窓に穴が空き、車体が凹み、ガラスが飛び散る。

スコープ越しに炸裂する火花とともに弾丸が、列車が止まるまで続いた。

「おぉっ」

真島の口から感嘆の声が漏れる。

やった。

ついにやったぞ。

これは始まりすら生ぬるい序章だ。

もっとだ。もっと派手にやろうじゃないか。

彼は口角を上げた。

だが、その喜びは一瞬にして消えることになる。

「はぁ?」

列車の中には、血が全く飛び散っていない。

空っぽの箱からは、閑古鳥のようなガラス片が落ちるだけだった。

ドアが開くと同時に、真島の後ろにいた部下が一人倒れた。

「!?」

眉間に一発。

鮮血を飛び散らせながら一瞬で絶命した。

現れたのは少女だ。

しかも大勢。

十数人は優に超えた人数が、列車の中に、マシンガンの弾が当たらない位置いたのだ。

「やっべ……」

羊色の制服を着た少女達は、一斉に真島達を手に持っていたハンドガンで撃ち始める。

すでに部下の大半が撃たれた真島は、抱えていた銃も捨てて走り出す。

もはやこの数の一斉射撃にマシンガンなど豆鉄砲と変わらない。

「がっ!」

身軽になった真島の腕や肩に弾丸が沈む。

だが止まらない。

足を止めるわけにはいかない。

目の前で撃たれる部下を見捨てるのは苦渋だが、ここで止まったら終りだ。

這々の体で射角が通らない物陰に隠れる。

数秒で良い。

あれを使うしか無い。

懐に備えていた秘密兵器に手を伸ばしたが、すぐさま回り込まれてあわや脳天に炸裂するところだった。

部下が射線の前に立っていなければ即死だった。

だが、心配は無い。

彼らの意志を捨てるつもりは無い。

すべて分かった。

この国がなぜここまで不釣り合いで歪な形になった理由。

「そうか…お前らか!」

彼女達だ。

この暗殺者どもが真島のような男を人知れず消していた。

あの時と、同じように。

親指に添えられたボタンに手をかけ、後は押し込むだけだ。

 

「――――――――――っ!」

 

だが、真島はボタンを押さなかった。

否、押せなかった。

それは、何故か。

 

音が、聞こえた。

コツン、コツン。

鉛玉と火薬の音ばかりが耳障りに響くこの地下鉄で、洗練された足音だ。

その時、全てのバランスが崩れる音がした。

常識も、良識も、価値観も、自身が信じていた心情にすらもメスを入れられたような、音だった。

事は起こった。

物陰に隠れた真島を撃つために銃を構えていた少女が2人、倒れた。

2発。

真っ赤な花が、少女達の顔に咲く。

同時に、雑音のような乱射の音が止んだ。

真島やその部下に一斉掃射していた少女達の手が止まった。

少女達はまだいる。

2人の仲間が突然倒れたことに、動揺しているようだ。

銃口をあちこちに向けて警戒しはじめる。

そして、それは現れた。

「誰だ? お前?」

倒れた少女を死体を避けながら真島の目の前に現れた人影は、銀灰色の襤褸で姿が分からない。

肩幅や身長から男であること。

そして、この心地よい音が彼の足音であるのを理解するのに時間は掛からなかった。そして、それの右手に持っているのは拳銃。

「あ、おい、危ねぇぞ……」

彼はゆっくりと真島の前を横切ると、列車の前に立つ。

そう、あの銃を構えた少女達の前に。

すぐに音が鳴る。

拳銃の音だ。

襤褸を被った男じゃ無い。

発した位置から少女達の物だと真島には分かった。

だが、彼が倒れることはない。

明らかに彼の眉間に当たる位置に放たれたはずなのに、それが鮮血を滴らせることはなかった。

遅れて再び耳障りな音が聞こえだす。

奴らの前に無防備で姿を現すなんて自殺行為。

よほどに死にたがりでなければ説明がつかない。

あんな奴無視してボタンを押せば助かる。だが、真島にはそれが出来なかった。

あの今も耳に残る彼の足音が、彼の好奇心を刺激させたからだ。

真島は隠れていた物陰から顔を出してしまった。

「っ…」

また息を飲んでしまった。

現れたあの男は、銃を片手に少女達と踊り出した。

そう表現するしか無い。

中心に立つ男は、握られた古くさい拳銃を片手に少女達一人一人に赤い花を配って回る。

心臓、眉間。

どこも確実に即死させられる位置に弾丸を放つ。

最も恐ろしいことは、彼が一つも少女からの贈り物をもらっていないことだ。

まるでそこに弾が来るかわかるかのように、囲まれた男は少女達から放たれた銃弾の間を縫いながら動く。

彼の手から放たれる拳銃の音を主旋律、少女らの悲鳴はソプラノのように、地下鉄のホームが一瞬で天幕の下に変わった。

こうして顔を出すのも自殺行為だ。これ狭い空間での銃撃戦ならば流れ弾がいつ来るかわからない。

耳がそうさせてくれなかった。

彼の音をもっと聞きたいと、この舞台の特等席で死ねるなら寧ろ本望だと、そんな馬鹿げたことを考えている自分がいた。

「……」

気づけば真島は物陰から出ていて、彼の後ろ姿をただ眺めていた。

すると、少女の一人が彼に向けていた銃口を下げたのだ。

何かあったのか。

不思議に思った瞬間、彼女は糸の切れた人形のように倒れて動かなくなった。

同時に、他の少女達も次々と膝をつく。

何が起きたのか理解できなかった。

だが、答えはすぐに出た。

倒れた彼女の頭に穴が空いていた。

そこからはおびただしい量の血液が流れていて、誰が見ても全員即死だ。

列車の中、舞台の中央、主役のように立つ襤褸男に、真島は釘付けになった。

「…おい、アンタなんなんだ? 一体何者なんだ?」

思わず声が出てしまう。

男は真島の声に振り向く。未だに顔が見えない。

だが、ようやく、念願叶った彼の声を聞くことが出来た。

「乃公は死んでいる。魂のない肉体を亡霊が操っているに過ぎない」

低く、乾いた、それでいてどこか艶のある声で真島に答える。

「貴女らの噂を耳にして赴いたが、期待外れのようだった。乃公の求める戦場は、もはやこの世界にはない」

「まっ、待ってくれ!!」

その場を去ろうとする男に真島は叫んだ。

今ここで彼を逃したら二度と会えない気がしたからだ。

だが男は止まらない。

端から自分など最初からいなかったように、彼は地下鉄の暗闇へと消えていく。

「待ってくれ! アンタ! 戦場が欲しいんだろう!? 死に場所が欲しいんだろ!!」

真島の叫びがこだまする。

だが、もう誰も聞いてはいない。

「だったら、俺が用意してやる!! この国をひっくり返せば、アンタが望むような戦場が手に入るかも知れない!! 今まで不釣り合いだったものが一斉に傾くんだ!! きっと有史始まって以来の大戦争になるぜ!!!」

返事はない。

ただ、真島の願いをあざ笑うかのように、彼の足音だけが遠くなっていく。

それは、真島が心の底から欲していた音。

自分の存在理由であり、生きる意味である戦いの音。

その音が遠ざかって行くのを真島は黙って見送ることしか出来なかった。

「……」

ダメだったか…。

こんな思いをするくらいならばここで死にたかった。

あの男が、この国の全てを変えると本気で信じていた。

だからこそ、この国にバランスを取るべく、今日この日まで生きてきたというのに。

「くそっ!!」

地面に無様に這いつくばり、拳がコンクリートに刺さる。

薄い皮と骨が擦れて血がにじむが、その程度の痛みなど彼に無視された苦痛に比べれば児戯にも等しい。

「くそっ! くそくそくそっ! くそっ!! くそおおおおおおっ!!」

こんな程度の人間が、この国のバランスを取るなんて、身の程をわきまえろと告げられているようだった。

――だが、また音が聞こえた。

心地よい、足音が。

一歩ずつ、確かに近づいてくる。

顔を上げると、確かにいた。

あの男が。

「っ……」

言葉が出ない。

ちょうど眉間の位置に、銃口が添えられていた。

「……続きを話せ。貴君の言葉に僅かにでも矛盾があればこの引き金を引く」

男は言った。

同じ、低く、乾いた声で。

「ははは」

笑いが零れた。

絶体絶命の状況は変わらないのに、心が躍って仕方がなかった。

「はははははははっ! アンタ最高だぁ!!」

思わず笑みを浮かべて叫ぶ。

男は眉間に銃を突きつけたまま、怪しげな眼光で真島を見つめている。

だが、この蜜月に水を指す音が聞こえた。

「足音が聞こえる。おそらくさっきの連中のお仲間だ。ゆっくり話すのはここじゃマズい」

「……いいだろう。付いてこい」

男はそう言うと、拳銃を下ろして歩き出した。

「あぁ、任せておきなって」

真島は立ち上がると、彼の背中を追った。

ながて肩を並べて歩き、共に地下鉄の暗闇の中へと消えていく。

会場跡地からは、大勢の足音が集まってきた。

俺は未だに押せていなかった秘密兵器のボタンを押す。

遊んだ後はお片付け。

子供でも分かる簡単な理屈だ。

後ろから爆音と地響きが鳴る。遅れて爆風と火薬による光が二人の背中を照らした。

爆風に煽られて、深く被っていた襤褸が落ちる。

その素顔は、枯れたように水気の無い褐色の肌、長い銀髪を後ろでまとめている。

全体的に肉の少ないその姿は、まるで老犬のような強かさが聞こえてきた。

「アンタ、名前は?」

「…乃公はすでに死んでる。名は捨てた。好きに呼べ」

「なら旦那って呼ぶことにするわ」

最高だ。

こんなに愉快な気分になったのは久しぶりだ。

それに、まだ死ぬわけにはいかない。

これからもっと楽しいことがあるんだから。

「さぁ、行こうぜ旦那! こんなアンバランスな国のバランスを取るなら、アンタみたいな釣り合わない男じゃ無いと釣り合わねぇ!!」









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