東京。
ひとえにここは川の街である。
街を分断する大きな川が、この街のあらゆるところに水を運ぶ。
運ぶのは水だけでは無い。
人、物、金、情報。
一の時代も、水が集まる場所には全てが揃った。
ならば、あれがその中心に建てられているのも必然と云えた。
延空木。
赤と白で構成された色合いが空に飛び立つ宇宙船を彷彿させるそれは、十年前に爆発事故で崩壊した旧電波塔の代わりを担うべく、未だ建設中であるのにも関わらず、東京を、川の街を見下ろしている。
動脈のように広がる河川の内、一際大きいところでは水上バスが穏やかな時間と共に人々を運んでいる。
その水上バスを、二人の男が見据えていた。
一人は黒いフルフェイスヘルメットと、黒いコートを袖に通した男。
真夏の東京の炎天下、汗一つかかず滴らないその冷たい瞳は、望遠鏡越しに水上バスのある一行を見据えていた。
そして、もう一人は。
「へへへ…アンタほどの男が、俺に声をかけるとはどんなヤマかと思ったがガキが二人とショボそうな男じゃねぇか」
「ターゲットはあの老人だ。目的を見誤るな」
「おうおうおう、サイレント・ジンなんて呼ばれてるアンタがしゃべるなんて珍しいこともあるもんだ」
黒ずくめの男をサイレント・ジンと呼称した男は、彼と対照的にほぼ半裸。全身に広がっている仰々しい入れ墨の下には膨れあがった筋肉が隠されている。
体格も、隣の男が2人いても足りないほどの巨漢で、腕にはいくつもの古傷があった。
その肉体からはただならぬオーラを放っており、彼が只者ではないことを物語っている。
「仕事に必要なことのみを話すだけだ。お前のようなお喋りと一緒にするな。トーキー・バレット」
それに、とジンはバレットに云う。
サイレントの異名に恥じない冷徹な声で。
「貴様に請け負ってもらうのはあの男だ」
ジンはターゲットの1人を目で指す。
その先には赤銅色の頭髪に外套を纏った男だ。近くには制服の少女が2人、電動車いすに力なく腰掛けている老人がいる。
この老人が今回の依頼のターゲットだ。
だが、基本的に個人で仕事を受け取ってきたプロの殺し屋である彼が、自身のもっとも苦手な部類の同業者に救援を打診した最たる理由。
それこそが、最初に上げた男だ。
彼は全く無名の男。際物が犇めき合う裏社会の中でも一際異質な男だ。
だが、この男は数ヶ月以上前はマフィアの使い走り以下の存在だったが、その幹部や首領の無茶な勅命を易々とこなしたと云う。
忽然と姿を消したと言われたが、依頼人からのタレコミでこの男も始末しろという名目で相場の5倍、一括で依頼された。
依頼人のプライバシーは詮索しない主義の彼だが、受けた以上は最善を尽くし依頼を果たすというプロの殺し屋としてのプライドがある。
基本的に全ての仕事は己が身一つで行う。
他者を当てにするなど自殺行為に他ならない。
だが、今回は長年殺しの仕事をしていたからこそわかる嗅覚がそうさせた。
あの男は危険だ。
ジンの仕事にとってもっとも大きな障害となるだろう。
故にこの男、バレットにこの話を持ちかけた。
「なんだよつまらねぇな…あんなタバコの吸い殻みたいな男殺しても面白くねぇよ」
バレットは不満げに口を尖らせる。
その顔には自信があった。自分が負けることなどあり得ないとでもいうような余裕の笑みが浮かんでいた。
「それよか、見ろよあのガキども。まだ青いがいい女だぜ? 特にあの黒髪、ありゃあ上物だ。殺した後は好きにしていいよなぁ?」
「……」
ジンは呆れて物を云えなくなる。
なぜこの男を招集してしまったのか。
仕事に私情を挟むだけでなく皮算用とは、ジンはバレットとは相容れることは未来永劫無いという確信があった。
だが彼を呼んだのは、圧倒的な強さだ。
正面からの戦闘による殺戮。
一対一での蹂躙。
血に濡れながら高らかに叫び回る姿に、サイレントと対をなすトーキーの異名をつけられた。
ジンも殺し屋としての腕は確かだが、それでも彼に、対面で勝てるかどうかわからないほどの実力者だ。
だからこそ、ジンはこの男を選んだのだ。
だが、そんな彼を嘲笑うかの如く、バレットは云う。
「おいおいおい、まさか俺が負けるとか思ってんじゃねぇだろなぁ!?」
「……いかなる可能性も考慮しろと云っている」
「はっ! 俺も舐められたもんだなぁ!」
「……俺の合図があるまで動くな」
「合図があれば?」
「好きにしろ」
ジンはそれだけ言い残して、近くに駐めていたオートバイクに跨がり去って行く。
もうこれ以上話すことはないと言わんばかりに。
バレットはその背中を見送り、水上バスを見据えていた。
「へへへ…楽しませてもらおうじゃねぇか」
*****
「ねぇ織田作、吉さんと喧嘩でもした?」
「何故そう思った?」
「だって、店に帰るときにすれ違ったし、珈琲飲み掛けだったから」
水上バスの上。
夏の楼閣から発せられる暑さから逃れるように日陰に座っている私に、缶珈琲を手渡してきた千束は尋ねてきた。
今日は松下というとある企業の重役の護衛任務中だ。
彼は妻子を何者かに殺害され、長い事アメリカで身を隠していたが、持病である筋萎縮性側索硬化症が進行したことによる余命宣告を受けた。
残された時間を、故郷である日本で過ごしたいがために千束達に依頼を護衛の依頼したという背景がある。
この水上バスのルートも、千束達が考えた旅の栞に沿っている。
松下にも共感している千束は随分と乗り気で受けたこの仕事だが、彼女が何故いま、この質問をしてきたと言うのも僅かながらに関係している。
依頼の知らせを受けた直前のこと、私が彼女と親しい客、吉松という人物と多少の口論になってしまったからだ。
悟られないようにしていたが、本当によく見ている。
「ちょっとな」
千束といいたきなといい、隠し事が出来なくなってきている事柄が増えているのを実感する。
「もー、何が原因なのさ」
「些細なことだ。それに大したことじゃない」
「……」
千束は納得していない表情で私の隣に座る。
クルミから聞いたフレーズだが、こういう時に見せる千束の顔をジト目と云うらしい。。
ジトと云う意味がよくわからないが、多分、睨むとか、そういうニュアンスだろう。
その目で見られるのはあまり気分の良いものではないが、この目も彼女の良さのひとつなので仕方ない。
そんなことを思いつつ、私は彼女に訊いた。
「千束、今朝のことなんだが」
「え~? 織田作も気になるの? たきなもずっと気にしてるし~」
たきなみたいに乳触ってこないでよ?
と彼女は付け足す。
近くのベンチで話していたのは千束の心臓のことだ。
彼女の左胸にある心臓は普通の物ではない。
完全に機械化された人工心臓だと云う。
千束曰く、鼓動も全くないらしい。それで体中に血液が滞りなく循環しているのだから驚きだ。
「まぁ、確かに気にはなるな」
「え~! 織田作は触るのダメだからね!」
「そうか」
「いや……でもまぁ、もうちょっとこう……お互いのことを知ってから…みたいな?」
「俺はもう千束のことをよく知っているつもりだが?」
「えっ? えっとぉ……その……あぅ……」
急に頬を赤らめて照れている。
「そ、そうだよね……私も織田作のことは結構知ってるかなって思うよ…」
先程までの勢いは何処へ行ったのか、しどろもどろになっている。いつもの千束らしくない。
先日、書店で起きたたきなのパンツ事件は仕方ないとしても、スキンシップと称して腕を組んできたり、抱き着いたりと積極的な行動に出ることもある。
しかし今の彼女はどうだ。まるで異性と目を合わせたことすらない生娘ような態度だ。
何かあったのだろうか。
そう思っているうちに、千束の顔はどんどん赤くなっていき、ついには耳まで真っ赤に染まってしまった。
「…って! やっぱりダメ! まだ心の準備ができてないし!!」
「心の準備?」
「ななっ……なんでもない!!」
やはり、彼女の感情表現は面白い。
千束は顔を赤くしながら、水上バスの奥へと消えていく。きっとたきなと依頼人の元に向かったのだろう。
水上バスから狙われることは狙撃以外では考えられないが、現状依頼人は船の中にいるため考慮しなくて良い。
たが、任務である以上はあまり気を抜くのもよろしくない。
ウォールナットの件でしくじってしまっている以上、最後まで護衛を果たさねばならない。
すぐに私は立ち上がる際に無線が入る。
DAから特別に許可が出てから私もある程度の機具を支給してもらえるようになったのが大きい。これでミカ達と随時連絡が取れるというわけだ。
して、肝心の内容はと云うと…。
「クルミか、どうした?」
「さっきから付いてきている奴が1人いる。おそらく依頼人の命を狙っている奴だ」
「もう嗅ぎつけてきたか」
驚きはしない。
依頼人は日本に来て半日しか経っていないだろうが、ソイツに恨みを買っているなら、日本に来る情報を察知されていても可笑しくない。
裏社会の人間は、猫の魂よりも執拗だ。
寧ろアメリカまで追ってこなかっただけ優しいと云える。
「特徴は?」
「全身黒ずくめのコートを羽織った男だ。素性はすぐに調べるからお前は千束達のそばにいろ」
「了解した」
それだけ云うと、クルミとの通信は切れる。
指示通り合流した方が良い。
この水上バスにいることはおそらく捕捉されていると見ていい。すぐに降りて場所を移動しなければならない。
私は千束が消えていった船内の奥に足を進めようとした。
だが足が止まる。
視線を感じたからだ。
振り返る。川を渡った塀の向こうにいた。
半裸で筋骨隆々の男。入れ墨が毒蛇のように巻き付いている。
傍からただの外人の旅行客かと誤認してしまいそうなほど、その男は堂々と立っていた。
目立った武器を隠し持つところは無い。
だが、彼がとても堅気と呼べる人間では無いという事だけはわかった。
この感覚は久しい。
剥き出しの獣のような気配を感じる。
恐らくは戦闘のプロ。それも殺し合いのプロフェッショナルだろう。
だがここで銃を抜くわけにはいかない。
人が多すぎる。
それは奴も同じ訳なのか、やがて姿を消した。
しかし、私の中での警戒度は増していく。
あれは間違いなく、私の敵だと本能的に感じていた。
千束達と合流し、水上バスを降りた私達はすぐに、クルミからの通信が入った。
「さっきから付いてきてる奴。ジン。暗殺者。その静かな仕事ぶりからサイレント・ジンとも呼ばれてる。ベテランの殺し屋だってさ」
「面白いのかその異名」
「いや、面白いだろ。中学生のノートかよ」
クルミは追っ手の暗殺者につけられた異名の部分だけ笑いながら指摘する。
「まぁ、お前も似たようなもんか」
「そうなのか?」
「異能力なんてモロ中2じゃないか」
その中2と云うのがよくわからないんだが……。
「天衣www無縫www」
「まぁ、お前が面白いならそれで良いが」
「そこはせめて文句とか云ってくれよ……」
クルミに私の異能を話したときはそれは大層怒られたものだ。
ボードゲームで負かされたのが相当悔しかったらしい。私も悪い気はしていたのでお詫びに咖喱をごちそうしたがひっくり返った。
そんなことはともかく、すぐに別の声が聞こえる。
ミカの声だった。
「作之助。そのジンって奴は本物だ。過去に私と裏の仕事をしていた」
ミカの同僚という訳か。
曰く、DAにリコリスの訓練教官としてスカウトされる前だという。
彼の年齢から推測して、おそらく相当の年数を生き抜いた凄腕だろう。
松下と云う人物、確か大企業の重役と話していたな。
金持ちというのは総じて、恨まれることが副業のようなものなのだろう。
「あぁ、それとクルミ。調べて欲しいことがある」
「なんだ?」
「さっき、水上バスを見ていた半裸の男がいた。全身に蛇のような入れ墨をしてガタイが良い。かなり目立っていたからすぐに見つかると思う」
「いや、それを調べる必要は無い」
「なに?」
制止したミカは話した。
奴のことも知っているらしい。
裏では知らない奴はいないほどの有名人。
男の名はバレット。
マフィアの用心棒から裏の格闘大会まで、ありとあらゆる戦場を渡り歩いた生粋の戦闘狂。
派手で闘争を謳歌し、血に踊り狂いながら敵を嬲り殺すその姿からトーキーという異名を誇っているらしい。
「サイレントとトーキー。映画繋がりか…」
奇しくも対になっている異名にまたクルミのツボに入ったらしく、声を震わせている。
だが、奴がただの旅行客でないことは明らかだ。
「だが奴は銃を使わん。少なくとも人気があるところでは安全だ」
ミカの云うとおり、いくら戦闘狂といえど、この人気が多い東京で、ましてリコリスが常に監視している東京で彼の殺戮ショーを拝むことは出来ないだろう。
となれば、警戒するべき相手は1人に絞られる。
「今はジンの方が驚異だ」
私はそれだけ云った。
ミカも同意見らしく、クルミが操作するドローンと車でジンを追うミズキで場所を特定し、鉢合わせないように立ち回る。
前の護衛と違い、依頼人は病弱な身体に車椅子。小突いただけで息絶えてしまいそうなほど華奢だ。
私の異能で予知しても、急いで運ぶなんて芸当は出来ない。
砂糖菓子が乗ったケーキを崩さず秒読みのお誕生日会に間に合わせろと云っているような無茶だ。
戦闘は極力避けたい。
観光に見せかけて奴から遠ざける方が得策だ。
今は私達は江戸城周りを徒歩で歩いている。
千束とたきなは依頼人のそばに立ち、私は数歩離れた場所で無線の受け答えに集中しているのだが――
「ドローンが壊された」
クルミの声と同時に無線からミズキの声が響いた。
「くそっ! バレてる!!」
どうやら相手は相当強かとみた。
場慣れしている。追跡されているのを瞬時に察知して、待ち伏せて破壊する手際の良さ。
無線越しのミカからも焦りの声が聞こえてくる。
かつての同僚だ。奴の恐ろしさは彼が最も知っているはずだ。
「予定変更。避難させてこちらから一人打って出るべきだ。予備のドローンとミズキでジンを見つけ次第攻撃に出る」
「そっちが美術館出たら車回すよ」
「わかった」
無線はそのままに、車いすの依頼人のそばにいる千束とたきなに目配せする。
2人も無線の内容は聞いている。
依頼人を不安にさせないために受け答えは出来ないが、顔つきから察するに私達と同じ結論に至ったようだ。
今は旅の栞通り進めるしか無い。
ジンはクルミのドローンを撒くためにある程度私達から離れたであろうがバイクを使っているのならば渋滞や細かい路地から想定以上の早さで来るはずだ。
今から私1人で対面しても意味が無い。奴の居場所が分からない以上、この人で溢れた東京の中に潜む暗殺者を見つけられるわけが無い。
かといって、捕捉した時点で叩くのも無理だった。
私は千束の管理下で無ければ戦えないし、水上バスから別行動してもバイクならば先回りされて千束達を叩かれる可能性がある。
とにかく今は、依頼人の安全を最優先に移動するほか無い。
だが、私達が美術館に入ってすぐ、無線の続報が入る。
「ミズキと連絡が途絶えた。ジンが仕掛けて来るぞ」
「私に任せてください」
「ちょ、たきな!」
私が動く前に、たきなが動いた。
千束の制止も振り切って走り出す。
私が行くと無線で話したが、「依頼人の護衛には貴方の異能は強力な武器になる。松下さんのそばにいてあげてください」と、短い説得をされた。
もとより判断の速さと決めたら止まらないという二面性が頭痛の種の一つになりつつあるが、冷静な意見である以上無碍にはできない。
「どうしました?」
「と~…イレに行ってくるみたいです~」
たきなが突然飛び出していったことを疑問に感じている依頼人。なんとか千束が誤魔化しているが、果たしてどうか。それよりも、彼女が離れた以上、私が変わって近くにいなければならない。
と、私は千束と依頼人のそばに行こうとしたとき、妙な胸騒ぎがした。
似たような感覚を一時間もしないうちに感じた。何か重要なことを見落としている気がする。
サイレントと呼ばれた異名の男が、ここまで私達に行動を悟らせたのには意味があるのでは無いのか。
何かを隠すために。
「千束! すまないが俺も行く! 彼を頼んだ!」
「えっ!? 織田作も!?」
返事を待たずして駆け出した。
背後からは慌てふためく声が聞こえるが、それどころではない。
もしも、私の考えていることが正しいのであれば、今私が追いかけないと、たきなが危ない。