彼岸花と迷い犬   作:黒ゴマアザラシ

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トーキー・バレット 後編

ジンを捕捉した。

たきなは美術館の中で交戦していた。ミズキが残した発信器のおかげで不意打ちを免れたたきなは千束と依頼人からジンを引き離すために人が寄りつかない場所に誘導する。

厄介なのは実力もさることながら装備が充実していること。

コートが防弾であるため決定打にかける。

だが時間を稼げるだけでいい。

狙われた以上、ジンはたきなを無視できないためここで始末するか、何らかに手段で幕しか無い。

たきなには両者とも防ぐ自信がある。

(クルミの時みたいにはさせない)

「扉を出て右に走っていった」

「はい」

それに今はクルミのナビがある。発信器で常に位置を把握しているため迷うことも無い。

指示通りに移動し、ジンを追う。行く先は屋上だ。

おそらくはそこでたきなを迎え撃つ算段なのだろう。

音は立てず、訓練により洗練された素早い動きで屋上に入ったたきなは銃を構えたまま走る。

「15m先の室外機の裏にいるぞ」

曲がり角に身を隠しながらその先を見据えれば、軍隊の隊列のように並べられた室外機の影に、たきなの銃弾を弾いた防弾コートの物である袖口が見えた。

ジンには発信器の所在は割れていない。

コートに釣られたたきなに不意打ちをしかけるためにこのようなわかりやすいブラフをかけた。

ならば回り込んで背後から叩くだけ。

たきなは室外機の周囲を迂回する。

今も尚、ビルの中を冷やすために、外に吐き出される熱風とけたたましい轟音が幸いにも、華奢な彼女の足音をかき消してくれる。

迷わず防弾コートの袖が除いていた室外機の隙間に銃を構えて飛び出した。

「あっ…」

ジンはいなかった。

残っているのはコートだけ。

室外機の脇から流れる熱風と屋上の風に空しく揺られていた。

逃げられた。

発信器が悟られていたのだ。

「クルミ――っ!?」

大きな影が、たきなを覆う。

それはジンよりも二回りも大きい影。

筋骨隆々の半裸の男。

蛇のような入れ墨。

織田が水上バスで見かけたという、バレットと云う男。

奴は室外機の上からたきなに向かって飛びかかってきた。

「っ」

すぐに銃を構えて引き金を引く。

正確に頭部を狙った弾丸は、彼の腕に阻まれて方向が変わる。

筋肉と骨で無理矢理弾道を変えたのだ。

「そんな豆鉄砲が効くか!」

「しまっ……」

たきなの反応が遅れる。

巨漢からは想像も出来ないほどの俊敏な動きで、次の弾丸が放たれる前に銃を弾かれると穴の開いている腕でたきなの首を掴み、室外機に叩きつけた。

「がっ……」

背中に衝撃が走り、肺から空気が全部抜ける。

たきなの身体はバレットにとってはダンベルにもならないのか、軽々と持ち上げられると、今度はそのまま室外機に押し付けられる。

「あ……がぁ……」

「へへへ…まさか、このガキが釣れるとは幸先が良いな」

バレットはにやつきながら、たきなに語り掛ける。

その表情はどこか楽しげで、たきなの苦しむ姿に悦びを感じているようだった。

細い首に、岩のような指がめり込む。

風穴が開いているはずなのに力が緩まることはない。

呼吸ができない。

意識が薄れていく。

苦しい。

息がしたい。

この男の手を剥がそうとしてもビクともしない。

蹴りを入れても、百年は生きている樹木のような太い胴は微動だにしない。

「っ…………」

助けて。

声にならない声が漏れ出る。

視界が歪み、霞んでいく。

何も見えない。

もうダメなのか? こんなところで私は死ぬのか。

まだ死にたくない。

でも、私ではどうしようもない。

(千束…ごめんなさい。私、死ぬかも)

リコリスとして殺人をしてきた以上、いつかはこうなる気がしていた。

千束達と過ごしている内に忘れてしまっていた。

ここはこういう場所だということを。

(結局、私が自分の本当にしたいことを見つけることはできなかったみたい)

でも自業自得だ。自分の判断だけで動いた人間にはふさわしい末路だ。

 

――あぁ、でも……

 

もう1人だけいた。

千束以外に、1人だけ。

殺すことしか知らなかったたきなを。

DAにいるにしか価値を見いだせなかったたきなを。

効率とか合理的とか、そんな冷たい理由でしか行動に移せなかったたきなを。

こんな自分をすごいと云ってくれた人が、1人だけ。

 

 

「たきなっ!」

 

 

無力感が全身を包み込み、諦めたその時。

突然、バレットの腕が何かによって吹き飛ばされた。

同時に、たきなの首を絞めていた手が離れ、解放される。

一瞬の浮遊感の後に、たきなの身体は地面へと投げ出された。

何が起きたかわからないまま、咳き込んだたきなが顔を上げると、そこにはベージュの外套を羽織った男が立っていた。

赤銅の頭髪、奥にある瞳は青く、無精ひげのせいで印象は薄いが整った容姿はどこか冷たく、しかし、優しさを感じさせる。

たきなは知っている。

彼を知っている。

「おださく…さん…」

「すまない。遅くなった」

たきなを助けたのは、彼女にとって恩人と呼べる存在であり、共に戦う仲間である織田作之助だった。

 

 

 

 

*****

 

 

 

 

 

間に合った、などとは決して云えないが最悪の結末は回避できた。

私の足下で未だに大気を求めて喘いでいるたきなを見下ろしながら、彼女に何か重大な後遺症が見られないことを確認して安堵する。

「くそ……痛ぇじゃねぇか」

一方で、バレットと呼ばれた男は右腕を抑えながら怒りの形相でこちらを見据えてくる。

あの幾度にも焼きを入れられた鋼鉄のように頑丈な手を振り払うのは、被殺傷弾では目くらまし程度にしか成らないだろう。

だが、彼も人間だ。銃で撃たれれば傷が出来るし、その部分を至近距離で衝撃が加われば話は違う。

幸いにも、たきなが奴の腕に開けてくれた風穴にお見舞いすることで、ようやくまともにダメージを与えられることが出来たのだ。

「織田作……さん……」

「大丈夫か?」

「はい……」

たきなは弱々しく返事をする。

いつもなら「私1人で問題ありません!」くらいの言葉を浴びせられそうなものだが、流石にこの状況でそんな余裕はないようだ。

おそらく、これがジンの狙いだ。

私達が護衛し、ジンが攻めてくるとなれば当然反撃されることも想定される。守りながら逃げ回るよりも効率が良い。

攻守のバランスを考えるなら、1人だけが迎撃に向かい、残りが依頼人の安全を確保するのが理想的。

ジンはソコを突いた。

単身で人気の無いところにおびき寄せて始末する。その間に自分は追っ手をかいくぐることができるという算段だ。

その罠に、たきながかかってしまったというわけだ。

彼女はゆっくりと立ち上がると、バレットに向けて構え直す。

私はそんな彼女の前に庇うように立つと、バレットを睨みつけた。

「なんだ、お前は? 俺様に向かってくるってことは覚悟は出来てるんだろうな」

「さぁな」

「あぁ!?舐めてんじゃねえぞ!」

わかりやすく激昂してくれる。

どうやら私に狙いを定めてくれるらしい。

私は奴と対面したまま、たきなを救い出す前に拾っていた銃を彼女に返す。

「たきな、お前はジンを追え。奴は千束と松下さんの方に向かったはずだ。守ってやってくれ」

「っ! 織田作さん……」

たきなが不安げな表情を浮かべる。

奴の恐ろしさは彼女が一番理解してるはずだ。

実弾ですら急所を狙わないとまともにダメージを与えられなかった奴に、私1人では心許ないかも知れない。

「これは今、お前にしか出来ないことだ。頼む」

だが、今回の依頼は相手の殺害でもなければ拘束でも無い。

護衛だ。

守りには入れる人間は限られている。

千束も依頼人を放置して前線に立てるわけがない。

今もジンは本丸を始末するために千束達に向かっているはずだ。賢い彼女ならば、きっと分かるはずだ。

「……わかりました」

たきなは力強く肯く。

そして、彼女は走り出した。

「行かせると思ってんのかよっ!!」

「そう思うのなら止めてみろ」

「ほざけッ!」

私とバレットが対峙する。

相当機嫌が悪い。

まるで餌を横取りされた獣のようだった。

全身の入れ墨達が、飢えた、もう待ちきれないと云わんばかりに私を睨む。

私はその殺気を正面から受け止めつつ、身構える。

あの巨体に銃弾を受けても衰えない腕力、おそらく一対一の対面では無類の強さを誇っているのが見て取れる。

被殺傷弾では決め手に欠ける。

ならば、俺がすべきことは一つしか無い。

「まぁいいさ! どの道ジンからはお前を相手にしろって云われてたんだ。先ずテメェを殺して、血祭りにしたテメェの死体をあのガキらの前に晒してやる。そんで依頼人も殺した後、あのガキの絶望した顔ごとたっぷり味あわせてもらうぜ。さぁ! せいぜい楽しませて貰おうか!」

 

 

 

 

 

*****

 

 

 

 

 

「千束! 逃げて!」

織田の助けもあり九死に一生を得たたきなは東京駅、それも伝統的な赤レンガ駅舎周辺の工事現場を駆け抜ける。

銃口の先にはジン。

東京駅一番の広場に居座っている依頼人を絶交の位置で狙撃しようとするジンに向かって、叫びながら引き金を引く。

銃弾は彼の防弾装備によって致命打にはならなかったが、狙撃の狙いを逸らすことはできた。

撃たれたジンはたきなを視覚に捉えるが、反撃よりも早く彼女は動いた。

「っ!」

華奢な身体だが、バレットほど優れた体躯ではないジンはたきなの突進に耐えきれず、そのまま隣接する工事現場に叩きつけられる。

遠くから千束がたきなの名を叫ぶ声が聞こえたが、たきな自身はもはやそれどころではない。中にあるコンクリの原料と思わしき大量の粉末が2人分の体重の自由落下によりまき散らされる。

かなりの高さからの落下だが、その資材によってたきなは命を救われた。

「いっ……」

だが、たきなは焦る。痛みでは無い。

衝撃のせいで持っていた銃を落としてしまった。

自身が無事である以上、ジンも同じであるのは想像に難くない。

向こうはすぐに反撃に移れるがたきなは丸腰だ。痛みに堪えながらも立ち上がり、すぐに走り出す。

背後からはジンが放ったと思われる消音された銃の発射音が聞こえる。

それが自身に向けられているのは云うまでもない。

「千束! 松下さんを避難させてください!」

無線で千束に指示する。

向こうはまずたきなの始末を優先するはずだ。ならば引きつけるほか無い。

せめて、松下さんを千束以外の人間が保護できるまで。

早くジンを倒さないと行けない。でなければ、彼も殺されてしまうかも知れない。

走りながら咄嗟にたきなを救った人物を案じてしまう。

織田だ。

いくら数秒先の未来が見えるとはいえ、あの巨漢を相手に無事でいられるかわからない。

奴には千束の弾は効かないだろう。

となると、一刻も早くジンを無力化して彼の救援にいかなければならない。

しかし、その考えは無謀にも程があった。

大腿部に激痛が走る。後ろを振り返るとジンの拳銃がこちらを向くのが見えた。

どうやら足を撃ち抜かれたらしい。

たきなはそのまま倒れ込む。

銃創から流れ出る血液は瞬く間にコンクリートを赤く染めていく。普段の彼女ならばまだ軽傷で済んだかもしれない。

だが、先の拘束によるダメージが彼女の動きをわずかに鈍くした。

ジンの銃弾は今だたきなに向かっているが、すぐさま近くのコンテナに身を隠す。

「く、くぅ……」

思わず苦痛の声を上げる。

これでは立つことすらできない。

だが、ここで諦めるわけにはいかない。

この場には千束と松下さんがいる。

2人を守らなければならない。

それに、彼もきっと戦っているはずだ。

「あっ……」

足音が聞こえた。

たきなの頭上。

別の足場から迂回して現れたのはジン。

敢えて距離を離したのはさすがは歴戦の殺し屋と云える。

たきなの捨て身の攻撃すら許させない距離でなおかつ高所。確実に仕留めに来たのだ。

冷たい視線と銃口がたきなを見据える。

その表情はまるで機械のようだった。

だが引き金が引かれることはなかった。

「っ!?」

破裂音と共に、ジンの耳元を赤い煙がかすめる。

それはたきなが何度も見た非殺傷弾の煙。

ジンはそれを瞬時に認識し、即座に身を屈めた。

一瞬遅れて、銃声が響く。

ジンは銃撃のあった方角に目を向ける。

そこには、有り得もしない人物が立っていた。

「……バカな、貴様っ…何故生きている!?」

たきなの花色の瞳に、再び風に揺れているベージュの外套が映った。

彼だ。

織田作之助だ。

反対側の高台にいた彼は銃口をジンに銃を向けている。

ジンは、自身につけられたサイレントの異名を忘れるほど大きく口を開けている。まるで亡霊にでも会ったかのような反応。

「貴様! 奴は…バレットはどうした!? 一度奴に目をつけられた人間が生きているわけがない!!」

「…なんだお前、サイレント・ジンなんて異名の割に結構しゃべるじゃないか」

と、織田は呟きつつ、銃を構えていない手である方向を指差した。

「お前の探している奴はコイツか?」

その先に、たきなとジンが飛び降りた資材置き場とは別の場所にバレットはいた。

ぐったりと力なく倒れている。

全身痣だらけ、たきなが撃ちぬいた右腕の傷は目も当てられないほど肥大化しており、たきなの首筋にまで迫ろうとしていた蛇の入れ墨達は真っ赤な鮮血でその恐ろしい姿が台無しになっている。

「なっ…ナニぃ!?」

ジンは驚愕の声を漏らす。

たきなもまた、目の前の状況に理解が追いつかない。

織田が生きていたことだけでも驚きなのに、彼が強さにおいて全幅の信頼を置いていたバレットだ。

しかもその姿は、既に原型を留めていなかった。

遠目で見ても肩で息をしていることから殺してこそいないが瀕死。

銃弾ですら意に返さなかった男をこの短時間で。

何より驚いたのは、織田が無傷だったこと。

たきなをあと一歩で殺すところまでいった男に対して。

「き、さまぁ! どうやって、どうやってあいつを!」

「負傷しているところにコイツをぶち込んだ。そして」

――立てなくなるまで殴った。

と、淡々と話す。

その言葉に、ジンの顔色は青ざめていた。

「な、な……」

もはや言葉も出ないらしい。

織田はそんな彼を諭すように続けた。

お前はもう詰みだと。

そして親切にその理由を伝えた。

「うちのエースが来た」

そこからの展開は早かった。

千束が現れたからだ。それもジンの隣に。

織田とバレットもことで注意を逸らされていたジンは千束の接近に気がつくことができなかった。

この間合いならば千束は最強だ。

負けるわけが無い。

「がはっ」

千束は暖色の頭髪を揺らしながらジンの腹部に銃口を合わせる。

そして、殴りつけるように引き金を引いてジンの身体にありったけの非殺傷弾をくれてやった。

いかに防弾装備を整えていても、この距離での火薬の爆発により生み出された運動エネルギーを食らえばただでは済まない。

吹っ飛ばされたジンは大きく背中を作にぶつけた後、腹を抑えながら悶絶する。

「う…うう…」

千束のことだ。

殺していないのはたきなにもわかる。

ジンを見下ろしている彼女は、「ふふん」と鼻を鳴らしながら、腰に手を当てている。

自信満々な態度。

過去に類を見ない無いほどの強敵を前にしてこの余裕。

いつもながら呆れてしまう。だが、彼女のおかげで窮地を脱することができた。

たきなはよろめきながらも立ち上がる。

足下がおぼつかない。

すぐに動かなければならない。ここで働いている職員にも戦っているところを見られた。すぐに依頼人を連れて現場から立ち去らせなければ。

「大丈夫か?」

壁伝いで立ち上がろうとしたら声が聞こえた。

低く、柔らかい声。それは先程聞いたばかりの声。

その主はやはり織田だった。

心配そうに見つめるその青い瞳。

普段から彼の思考は読めないが、真剣な表情からたきなの身を案じてくれているのがわかる。

「はい、なんとか」

「いや、足が撃たれてる。見せてくれ」

「え…あの……」

「弾は抜けているな。よかった」

と、織田はたきなのスカートの裾をまくり上げる。

突然のことにたきなは動揺するが、彼は気にすることなく患部を見る。

確かに弾丸は残っていない。

「確か包帯持ってたよな?」

「あ、はい」

出血も多いためか、織田はすぐに手当てに取り掛かる。応急キットはリコリスに支給されている鞄の中にある。

それを受け取った彼はてきぱきとした動きでたきなの足を消毒し、止血を施す。

慣れたものなのか、手際がいい。

「これでよし。立てるか? 肩貸すぞ」

「ありがとうございます」

「ん? 待てたきな。首見せて見ろ」

織田は彼女の傷口を見ていたが、不意にたきなの首筋に手を添えた。

千束とは違い、太い指が彼女の髪に触れて少しくすぐったい感覚。

何より顔が近い。

思わず身を捩るが、織田は真剣な表情のままのせいで逃げられない。

「首にも痕が突いてる。屋上の時だな。アイツにつけられたのか」

「は、はい」

「そうか、よく耐えてくれたな。怖かっただろう」

「……」

織田の手がたきなの頭を撫でる。

千束とはまた違う優しさ。

「ありがとう。千束と松下さんを守ってくれて。たきながいなければ間に合わなかった」

「っ…」

たきなが今まで出会ってきた男達とは違う温かさを感じる。

まるで、本当の父親のような……。

そんなことを考えてしまい、慌てて頭を振る。

「そ、それより織田作さん、千束達のところに行きましょう。すぐに人が来ると思いますので」

「ああ、そうだな。無線で聞いたが松下さんもなぜか向かっているらしい」

「え? なんで松下さんが?」

護衛対象である彼が、ここに、それも千束とジンがいるところに向かっているという無線がミズキから入ったらしい。

ミズキ曰く、走るの疲れたから代わりに松下さんをお願いと言われたが、たきなの身の安全を優先したと。

「……もしかしたら、松下さんの身に何かあったんじゃ」

「その可能性は低いと思うけどな。まぁ、とりあえず行くか」

「は、はい」

たきなは織田に肩を貸してもらいながら、その場を離れた。

 

 

 

 

 

*****

 

 

 

 

「殺すんだ」

 

傷ついたたきなを引きずるように歩いていた私は、千束がいる仮設の足場にたどり着いてすぐ、拡声器により作られたような一言が耳に入った。

今回の依頼人の、松下という人物だ。

彼には話す力も残っていない。

持病により、手を動かすことも、口を開くこともできない彼は電動車椅子に備え付けられた数々の機械に生かされている。

彼は云った。

「そいつは私の家族の命を奪った男だ。殺してくれ!」

今、千束の足下に横たわっている男は私の敵だと。

彼は車椅子で千束の元にまでやってくる。私とたきなの隣では、ミズキがへばっている。

しかし、車椅子で一体どうしてここまで来られたのかは検討が付かないが、些末ごとのように千束に懇願する。

「でも」

「本来ならあの時私の手でやるべきだった! 家族を殺された20年前に!」

機械の声が千束を惑わす。

だが、違和感を感じた。

この声に魂を感じないのだ。

大切な人を目の前で殺された無力さ、悲痛さ、憎悪、全てをかなぐり捨ててもいいと、確かな意志がその声にはなかった。

あるはずなんだ。

たとえ作られた声でも、理不尽により全てを奪われた人間のみが持つ面影が乗る。

最愛の人の仇がいれば、身体が動かなくてもわかるものがある。

私も、同類なのだから。

だが彼には、松下にはそれが欠如していた。

まるで、演技をしているような、台本を読んでいるような。

そこで、不自然に何かが繋がった。

自分の意志では無いなにかに操られて生きていること。

自分の本心では無い言葉を何かに云わされているような。

不気味な感覚に、私は覚えがあった。

そして、そのきっかけとなる単語が、彼の拡声器から出てきた。

「君の手で殺してくれ! 君はアランチルドレンのはずだ!」

アラン。

アラン・アダムス。

世界に隠れた才能を見つけ、無償で支援しているという善意の支援団体。

あのチャームを持っている千束もまた、何かの才能を見いだされ支援されたとすれば。

そして、それは心臓のことでは無いのか?

あれ程動ける人工心臓など、私のいたヨコハマでも見たことが無い。

「何のために命を貰ったんだ! その意味をよく考えるんだ!」

まるで、それが本来の目的であるかのように、彼は千束に語りかける。

この一瞬にだけ、彼の言葉に魂のような物がはっきりと見えた。

不気味だ。

彼の影が歪んでいるよう見える。

それがこの世の全てで、それ以外は全て塵芥に等しいと見ているその声に、私は背筋が凍った。

 

「松下さん」

千束は、彼の名を呼ぶ。

「私はね。人の命は奪いたくないんだ」

「は?」

胸の上にかけられた梟のチャームを見せながら云う。

「私はリコリスだけど誰かを助ける仕事をしたい。これをくれた人みたいにね」

そうだ。

これがある。

確かに自分の意志を持ち決められる人間の言葉には、感情のこもった言葉にこそ魂が宿る。

彼女は、自分で人を殺さないと決めた。

誰かに言われたからという理由では無い、そうしたいからという理由で。

それが、人に最も強い力を与えるのだから。

「何を言…千束」

不自然に松下は息を詰まらせる。

「それではアラン機関は君を…その命を…」

言い切る前に野次馬が来た。

警察のサイレンが四方八方から聞こえてくる。

「あらら~。面倒なことになる前に逃げちゃお」

ようやく息が落ち着いてきたミズキも、私達を急かすように周辺を見渡す。

東京駅の近くなのに派手に撃ちすぎたのだ。この国では本物の拳銃を見ただけで大騒ぎになる。

一刻も早く動かなくては。

「ミズキ、俺はたきなと先にいく。傷が深いからちゃんと診てもらわないと」

「きゃっ……」

私はたきなの腰を抱きかかえるようにして持ち上げた。

腕の中で小さな悲鳴が聞こえる。

「すまない。すぐに安全なところまで連れていくから少し我慢してくれ」

「え……あ、はい」

顔を見ると頬が赤くなっていた。

そんなことを気にする余裕もなく、私はその場を離れた。

千束が何故か依頼人のことを何度も呼びかける声が聞こえる。

彼の正体以前に、そもそも彼が本当にジンに妻子を殺されたのか。

私には疑問があった。

この事件、不自然なところがいくつもある。

もし依頼人である松下が、何者かに命を狙われたのならば、マフィアや何らかの裏社会に恨みを買った可能性が高い。

彼らは執拗だ。海を越えた程度で見逃すほど行儀の良い連中じゃ無い。とても20年間も放置させてくれるだろうか。

この依頼自体が、何者かに仕組まれているのでは無いのか。

それともう一つ不気味なこと。

それは、ジンを前にした松下の言葉の数々。

あの演じているような、自分の意志では無いなにかに全てを委ねて生きているような。

いや、それは生きているとは云えない。

何かに生かされていることが正しいと云うようなあの口ぶりに、私は覚えがあった。

証拠もない。

手がかりも無い。

こじつけも言いがかりもいいところ。

だが不思議とある男の影が、私には見えた。

 

その男の名は―――

 

 

 

 

 

 

 

―――吉松シンジ。

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