彼岸花と迷い犬   作:黒ゴマアザラシ

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最初はグー!

千束の朝は意外と早い。

生来のズボラさからは想像もつかないが、幼い頃からリコリスとして日夜活動してきた彼女にとって早起きはもはや習慣だ。

毎晩のように楽しむ映画パーティーによる寝落ちのせいで任務に遅刻しそうになることもたまにキズだが、それでもこの生活スタイルを変えるつもりはない。

今日だっていつも通り朝食を済ませて支度をして……そんな予定を立てていたのだが、自身の携帯から昼間の料理番組のイントロが流れた。

たきなからの着信音だった。

店で会うことも多いし、夜通し長電話をするような性格でもない彼女からの電話は珍しくすぐに出た。

中身はたきならしいリコリスとしての報告、だが千束もたきなの言葉に耳を疑った。

「え? リコリスが」

「四人とも単独行動中に襲われたらしいです」

聴くところによると、リコリスが何者かに殺害されたらしい。

それも四人。

一人ならば逃げられた相手が報復に来たなど考えられるが、短期間に複数がとなると、千束の脳裏にある可能性が浮上する。

「な~んで特定されてんだ?」

「わかりません…例のラジアータのハッキングと関係あるのかも」

たきなが銃取引中に起きたトラブル。

司令部と通信がとれなくなったらしい。楠木は技術的トラブルと云ったが、この国の全てのインフラに対する最優先権を持つAIにそんなことがあるわけがない。

そこから情報が漏れたというたきなの考えも納得は行くけれど、それでそこまで特定できるものだろうか?

千束の疑問を他所に、たきなは続けた。

しばらく、単独行動は控えなさいよ。それと──

「今月の検診昨日よ、と山岸先生が」

「あ~そうだった」

リコリスは毎月の定期検診を義務づけられている。

それは彼女の肉体の成長を記録するためであり、万一の場合に備えてのものでもある。

検査自体は大したことは無いが、何しろ彼女は病院嫌いである。

上記に記したズボラさも相まって、すっぽかしてしまうことが多々ある。

ミカにも散々注意されていたが、たきなにまでその余波が来ている。

呆れた声が千束の耳に入る。

「行かなかったんですね」

「だって~」

言い訳するが自分の足下を見る千束は反論を止める。

テーブルに乱雑に広げられた映画のDVDやお菓子の数々は、さながら子供の散らかし放題のような有様だ。

これでは言い訳の余地もない。

「早速今日からペアで行動しようと思います。織田作さんにも協力してもらいます」

「ん? いやペアって毎日お店で一緒じゃ…ん? ちょっと待って今なんて…」

云いきる前に玄関からチャイムの音が鳴る。こんな朝早く誰だろうと思いつつ、扉を開けるとそこには予想外すぎる人物が立っていた。

長くて黒い頭髪、整った顔立ち、猫のようにつり上がった瞼に花色の瞳。

左足に重ねられた包帯を巻いているたきなが。

「夜は交代で睡眠をとりましょう」

そして、その背後にも見慣れた顔が。

「たきな、ホントに俺もいるのか?」

織田だった。

千束が選んだ夏服に袖を通した彼もまた、自分の自宅の前にいた。

「はい、織田作さんの異能なら不意打ちに強く出れますから」

「そんな便利な物じゃないぞ」

「ちょちょちょちょ! なんで織田作もいるの!?」

慌てる千束を他所にたきなの説明が続く。

「当然です。どのリコリスも不意を突かれています。外を出歩くときは彼を連れていきましょう」

だが説明と云うにはお粗末な事後報告である。

まるで彼を千束の自室に入れることが至極当たり前だと言わんばかりに淡々とした口調だ。

「いやいやいや! いきなりすぎるって! それに織田作男だよ!?」

「ああ、そうだな」

「彼がいるのといないのでは安心感が違います」

「いやだからって! 男だよ!? そもそも部屋着姿だって見られたくないのに! せめて着替えさせて!」

確かに、千束の格好もラフなものではあるが、それでも異性を招き入れるには抵抗がある。

しかもそれが織田となるとなおさらだ。

しかしたきなも譲らない。

彼女が一度決めたことを曲げない性格なのは知っているが、それでも納得いかないものはある。

「何か問題でも?」

「ありまくりだって! だいたい私の部屋汚いし……」

「俺はそれくらい気にしないが」

「とにかくだめ!! 織田作! これは命令!! 私には絶対服従でしょ!!」

「なら、仕方ないな」

千束の命令ならば逆らえない。織田が了承するのを見て、千束は安堵の声を上げる。

「ダメです」

一方、たきなは不服そうに口を尖らせていた。

「どうして? 別にいいじゃん」

「よくありません。彼の異能が重要になります」

「織田作の?」

「はい、彼の異能なら数秒先の未来を見ます。これ以上の適任は他にいません。うまく行けば、犯人を捕まえることもできるかもしれません」

たきなの表情が真剣になる。

リコリスが殺害された。それも四人。

犯人は未だ捕まっていない。

たきなの言う通り、もしこの事件を解決できるとしたら、それは織田の異能しかないのかもしれない。

「いやでもさぁ……」

だが千束は納得できなかった。

簡単な理屈だ。

男を、それも親しい織田を自分の部屋に入れたくない。

彼のことを嫌悪しているわけではない。むしろ逆だ。

だからこそ、余計に気恥ずかしさが勝ってしまう。

何より、自分のプライベートな空間に他人を入れたくない。

「なら仕方ないですね」

たきなは諦めたように息を吐く。

千束もホッと胸を撫で下ろす。だが、すぐに青ざめた。

「なら私の自宅に行きましょう」

「もっとダメ!!」

「どうしてですか!?」

「どうしても何もあるかーっ! たきなだって女の子なんだから、少しはちゃんと考えてよー!!」

朝っぱらから大声で叫ぶ千束。

その叫びはご近所迷惑なレベルである。

たきなも織田も耳を塞ぎながら、困った様子で呟いた。

「えぇ…ならどうしましょう」

「俺は千束に逆らえない。ダメというなら無理だ」

「そうですか……」

たきなはまだ諦めていない様子で、腕を組み考え込む。たきな一人ならば千束も大歓迎だ。

でも織田がいるのは我慢ならない。その彼の方をたきなは向いた。

「あの……そうなると、織田作さんの家に行くしかないんですけど…大丈夫ですか?」

「え?」

千束の思考が止まる。

誰の家に行くのかと。

誰、それは紛れもなく彼の家だ。

織田作之助の家。

「俺は別に構わないが、何もないぞ? それに千束がなんていうか─」

「行く!!」

「えぇ…」

 

 

 

 

*****

 

 

 

 

「なんで千束の家も、私の家もダメで、織田作さんの家ならいいんですか?」

「え~? だって気になるじゃーん!」

「またそういう理由ですか…」

呆れるたきなを他所に、千束はスキップしながら先を進む。その隣には織田がいた。

千束の住むマンションを出て、三人は住宅街を歩いていた。

即決して勢いよく部屋に戻ったかと思うと、千束の身体の3倍はあるであろう荷物を背負って玄関から出てきた千束を見たときはたきなも呆れて声すら出せなかった。

状況が全然分かっていない。

リコリスが奇襲を受けるなんて前代未聞の事件だ。

それなのに千束は、まるでピクニックにでもいくような気分だった。

「俺の部屋なんて見てもつまらないだけだぞ?」

「まーたそうやってはぐらかすー」

「そんなつもりはないんだがな……」

織田の家は千束の家から割と近いところにあるらしい。

たきなも彼と共に働くようになって数ヶ月と経つが、彼の自宅を尋ねるのは初めてだ。

千束は興味津々といった様子で彼の後ろを歩く。たきなもそれに続く。

「あ、ここだよ!」

着いた先は小綺麗なマンションの一室。

織田はポケットから鍵を取り出して扉を開ける。

「お邪魔しまーす!」

「お、お邪魔します……」

千束に続き、たきなも中に入る。

「本当に何もないぞ」

織田がそう言ったとおり、室内は殺風景なものだった。

最低限の家具と家電。

生活感は感じるが、どこか無機質さを感じさせる部屋だ。

「うわ…ホントに何も無いじゃん。部屋には行ったらすごい趣味とかで溢れてたら面白いなって思ってたのに」

千束の言葉を聞いて、たきなは思わず苦笑する。

確かに彼の部屋の光景は面白みに欠ける。

しかし、逆にそれが織田らしく感じてしまう。

たきなにとって、彼は不思議な存在だ。

織田のことは、正直言ってまだあまり知らない。それでも、たきなは彼が嫌いではなかった。

「あぁそれとさ、織田作、下の階は使ってるの?」

「いや、使ってない」

「なら私とたきなはそっちにいるね」

覗いたりしちゃダメだよ?

と念を押す。

織田も何を巫山戯たことをと云わんばかりのため息で返すが、たきなには別の疑問があった。

(下の階? ここはマンションの一室じゃ)

答えを聞く間もなく、千束はおもむろに部屋には行ってすぐのある場所を押した。

「え?」

ドアと同じくらいの高さと幅の板がクルンと回る。一瞬、剥き出しのコンクリートが見えた。

「えぇ…っ!」

疑問から驚愕に声色が変わってしまう。慣れた様子で千束は下へと降りていく。梯子でもあるのだろう。

ただのマンションにこんな設備、一体どういう理由で。

確かめるべくあとを追うと、ちょうどマンション一部屋分ほど下に千束はいた。

「たきな、荷物降ろして」

「あ、はい」

「あと私のも宜しく」

自分の荷物を下にいる千束に手渡した後、玄関に置きっ放しになっている千束の登山用リュックサックを手に取る。

(重い…一体何が)

二つの部屋を繋ぐ通気口に、これが通るのか心配だったが、無理矢理押し込む事ができた。

一体何が入っているというのか、着替えと日用品と銃の整備道具等最低限を持ってきたたきなとは対照的すぎた。

彼女のことだから、きっと映画のDVDやら遊び道具やらお菓子やらが詰まっているに違いない。

本当に何をしに来たんだろう。

「よーし、準備完了! 行こうか!」

「あ、はい」

千束に続いてたきなも階段を降りる。

その先に待っていたのは──

「え……?」

そこにはたきなが予想していたものとは全く違う景色が広がっていた。

真上に広がっている殺風景な部屋が地球の裏側に思えるほど、そこは別世界だった。

彩りのある家具、中央には大きな液晶テレビ。いつくかの観葉植物も置いてある。

そして壁一面には、無数の写真。

どれも見たことのないような絶景ばかりだ。

「その辺座って-。アイスコーヒーで良いでしょ?」

足はもう平気?

と、キッチンで作業をしながら矢継ぎ早に尋ねてくるが、まだ状況の整理が追いついていない。

「えぇ…」

「よかったー」

自分は織田の家にきたはずなのに、何故か千束の部屋に来ていて、しかも彼女は自分より遥かに充実した生活をしているのだ。

訳が分からない。

「うわ、冷蔵庫からっぽじゃん。織田作ったらこういうの備蓄しといてほしいのにー」

「なんなんですか? これ」

「長いこと仕事してると色々あるのよ。ここはセーフハウス4号。私がいたのは1号ね」

「セーフハウス?」

うん、と千束は云う。

この言い回しだと合計で四つも部屋があるということになる。その内の一つがこの部屋だというと、織田の部屋の家主というのは、今後ろで冷蔵庫をゴゾゴゾしている千束と云うことになるのだが。

「織田作ねー、私と会う前はホームレスだったんだ。住んでるとこ見たけどマジで犬小屋以下だった。だからここに住まわしてあげてるんだー」

はいどうぞ、とテーブルに置かれたアイスコーヒー。

ストローでかき混ぜて飲むと、口の中に爽やかな苦味が広がる。

千束はたきなの向かいに座り、自分の分の飲み物を持ってくる。

グラスに入った液体もたきなと同じ物だろうか。

氷がカランと音を立てた。

「織田作さんがホームレス……!?」

「そうそう、だから、たきなが銃取られたって時もそうだったんだよ」

「嘘でしょ……」

いよいよ彼が何者なのか分からなくなってきた。

どこから来たのか、リコリコに来る前は何をしていたのか、一切分からない。

裏社会や犯罪絡みについて異様に詳しいのにその由縁があるのかもしれないが、掘り進めればリコリスなんかよりよっぽど不思議と謎で出来ている。

だが、彼が千束に逆らえない理由の一つであることだけがわかった。

「織田作ー、織田作も珈琲飲むよねー?」

上に向かって千束が呼びかける。

すると、すぐに返事が返ってきた。

「ああ頼む。それと、俺にも詳しく聞かせくれよ。電話でいきなり来て欲しいとしか云われなかったんだからな」

「え? たきな織田作に事情話してなかったの?」

「ええ、まぁ……話す暇がなかったと言いますか」

「あぁ~」

 

 

 

―――

 

 

――

 

 

 

 

「そんなことが」

部屋に降りてきた織田は、千束とともにテーブルを囲っているたきなから改めて事情を聞いた。

事情は千束の自宅に来たときに話したときと同じ内容。

リコリスが何者かに奇襲を受けて、殺された。

それが四回連続となれば当然大事にもなるわけだ。

「ここまで大事になったのは、一年前の時以来ですね」

「一年前……あぁ」

織田は思い出したと同時に顔をしかめた。それは織田のことだ。

彼がマフィアの運び屋をして、リコリスの襲撃を3度も躱し、挙げ句のはてにファーストリコリスである千束が何者かに拐かされたと言う物。

もうそれだけ経っていることになるのか。

あの場に千束もたきなもいたのかと思うと、妙な因果だと感心してしまう。

「と言うわけで、安全を確保するため、そして犯人を捕まえるためにも、織田作さんにも協力してもらいます」

そう云うとたきなはどこからともなくあるものを取り出して、それを壁に貼り付けた。

「共同生活を送るうえで公平な家事分担です!」

真っ白な紙の上には綺麗なマスが均等に描かれており、その中に、千束、たきな、織田作の文字が同じ数、順番に並べられていた。

見出しにはデカデカと家事分担スケジュールという文字も忘れずに。

チョーク代わりに手に持っているマジックで、書き損じもせずにきっちりと。

まるでどこかの学校の掲示物のようだ。

「つまんなーい」

「つ…つまらない?」

だが千束はお気に召さない様子。

そもそもいい加減な彼女に決まった時間、決まったことをしろというのがかなりの難易度を誇る。

織田に関してはまだ不確定だが、わりかし時間にルーズなところがあるからあまり信用ならないところもあるが、たきなの決定にはおおむね賛成らしい。

後は千束のやる気をどう起こさせるかなのだが……。

「では…ジャンケンとかがいいですか?」

「いいね…それいいね! ジャンケン!」

千束は食いついた。

遊びで決める発想が少なからず出てきたのはたきなにとっても良い兆候なのかもしれないが、待ったをかけた声が一つあがった。

「千束、それだとお前」

「織田作! 命令! 黙ってて!」

「……」

またもや黙らされる織田。

彼の不服そうな声の理由はわからないが、考える間もなく千束は切り出した。

「そうだ! せっかく織田作の家にお邪魔してるんだし! 家事は私とたきなの2人だけにしようよ!」

「えっ!?」

「だってほら、織田作も一応一般人じゃん? 今回のは私達リコリスの都合で巻き込んじゃってるわけだしそれくらいしてあげてもいいんじゃない?」

異能力が使えて、銃を身体の一部のように扱い、リコリス数十名を素手で軽くあしらう彼のことを一般人だなんて、たきなは思ったことはない。

織田自身も自覚かはわからないが、あえてそこには触れず、たきなは織田を見た。

彼は何も言わない。

命令通りの沈黙が彼の肯定を表していた。

「じゃあいくよ-! 最初はグー。ジャンケン――」

 

 

その後、たきなが丹精込めて作った家事分担スケジュールの紙に書かれたマスの中に、たきな自身の名が埋め尽くされたことは語るにも及ばなかった。

 

 

「え…えええ…」

 

 

困惑がたきなを支配する。

あまり表情を顔に出さない彼女すら、今は困惑と動揺で顔が引きつっていた。

「どうして……ジャンケンの勝率は統計的にどの手も3割なのに…」

「その三割を連続で引いちゃったのかなーいやー私はついてるねー」

何がそんなについているのか。

一日に分担する家事の数は三つ。それを1週間とすると21回行った。

そして全て負けた。たきなの21連敗。

そんなことあるのだろうか? 確率論を超越している。

「そんなの、どれだけ天文学的な数字なんですか!?」

「私、今までジャンケンにだけは負けたことないんだー」

得意げに胸を張る千束に、眉をひそめるたきな。

そこまで言い切れる自信に何か打つ手は無いのかと考えを巡らせていると、彼にが視界に入った。

「じゃあ、千束。織田作さんにもジャンケンしてください」

「え? いいよ~」

そのままの調子の千束は、織田と向かい合う。

「織田作、最初はグーからね」

「……わかった」

 

たきなが織田をジャンケンから除外するのに反対しなかった理由だ。

彼には数秒先の未来が見える。

ならば千束が何を出すかわかるはずだ。

絶対に負けるはずが無い。

(織田作さんなら…)

だが、その割に彼が嫌々千束の要求を受けているように見えたのと、千束の宣言がまるで釘を刺すように聞こえたことだけが、彼女の胸に引っかかった。

「いくよ……最初はグー! ジャンケンポン!!」

 

結果は―――

 

 

 

織田がグーを出したのに対して、千束はパーを出したのだ。

 

 

「嘘でしょ……?」

 

 

 

 

*****

 

 

 

 

「どうして…なんで織田作さんの未来予知まで……」

 

 

千束がソファで寝転びながら持ち込んだ厳選映画を楽しんでいると、キッチンでは食器を洗っているたきながこぼすように呟いていた。

たきなは知らない。

ジャンケンならば彼の異能力、天衣無縫を突破できる方法があることを。

そばで戦ってきたたきななら、すぐにその種に気付かれるかもと思ったが杞憂だった。

頭は良いけれど柔らかくない。

その場に対して最適解を求めるのは得意だが、自由度のある考えを持つことが苦手なたきなにとっては難しかったのだろう。

(いやー最高だねー)

おかげでこうして充実した日々を手に入れることが出来た。

たきなの料理は美味しいし、家事も掃除も洗濯も全部やってくてることになった。

それにまだ楽しみも残っている。

それがここに来たメインディッシュと云って良い。

まだその時ではないからじっくりと機を伺うことにしよう。

自然と口元に笑みを浮かべながら、千束はテレビの音量を上げた。

「たきな」

足音と共に、低い声が。

織田だ。

普段は上の階で過ごしている彼が降りてきたのだ。

「あ、織田作さん」

「少しは手伝おう。何をすればいい?」

彼をよく見ると、赤銅色の髪や頬が少し濡れている。

どうやら風呂上がりの様子。いつもの黒のストライプのシャツとズボンを履いているのは、きっと少女である2人を気遣ってのことだろう。

「あ、いえ…大丈夫です」

「そうもいかない。夕飯だけじゃ無くて家事全般任せっきりなのは俺も心苦しいんだ」

たきなの声色が少し上がった気がした。普段聞く、落ち着きの感じられる口調とは違っていた。

「じゃあ……洗った食器を拭いてくれますか? 布巾はこれを使ってください」

「ああ、わかった」

織田はてきぱきと仕事をこなした。

元々彼は器用なのだ。自身はそうではないというが、千束の仕事について行けるほどにはなんでもできる。

あっという間に洗い終わった皿を拭いて棚に戻していく。

「足の怪我は大丈夫か?」

「はい、血は止まっています。任務に支障はありません」

「でもまだ痛むはずだ。あまり無理しない方がいい」

「ええ……ありがとう、ございます……」

声色がまた上がる。たきなは顔を俯かせて黙々と皿洗いを続ける。

寝転がっている千束には、彼女の表情が見えない。隣に立っている織田にもだ。

「それに、痕が残ったら大変だからな。たきなは美人だからな」

「なっ……!?」

織田の言葉に、たきなの顔色が変わった。

顔はみるみると紅潮していく。

「そ、そんなことないですよ……」

「そうか? 俺は綺麗だと思うぞ」

「うぅ……!」

耳まで真っ赤にしているのが遠目でもわかる。

そこで千束もようやく思い出す。

先月の松下という人物からの護衛依頼。

バレットとジンとの戦いの時を。

千束は最後に良いところをもらっただけだったが、あの時一番動いていたのはこの2人だった。

しかも、撤退するときは負傷したたきなを織田が抱えていた。

千束の大好きなアクション映画でも時折みかける。主人公がヒロインをお姫様抱っこして逃げるシーン。

それをこの場で再現していたのだ。

織田本人は意図していないだろう。

もとより他意という物が存在すらしない彼なのだ。本心でたきなの身を案じての行為だろう。

しかし、たきなにとってはそれどころではなかったようだ。

「あ…あの、織田作さん、次は」

目も合わせられないのか、俯いたまま最後の食器を渡そうとしたたきなの腕を、織田の両手が強く掴んだ。

「!?」

片腕でたきなの手を、もう片方で持っていた大きな皿を掴んだ。

「お、織田作さん? あ…その、あの、急にどうしたんですか?」

「すまない。今、お前の手から食器が落ちる未来が見えたから。怪我がなくてよかった」

たきなの手元を見ると、彼女の指先にはまだ泡が残っている。

確かにこれでは食器を落としかねない。

この状況でも彼の未来視は健在らしい。

「そうですか……じゃあ、その、もう離してくれても」

「あぁ、すまん」

たきなは解放された手で残りの食器を拭くと、織田に渡す。

そのまま何事もなかったかのように、たきなはキッチンに戻ろうとする。

「たきな」

「はい」

「驚かして悪かったな」

「いえ……その、ありがとう、ござい……ます」

たきなは、消え入りそうな声でそう呟くと、忙しない動きで手に付いた洗剤の泡を流し始める。

今にも走り出しそうな雰囲気だ。

未だに彼の表情が真剣なのが拍車をかけているのかもしれない。

「あの……私、お風呂入ってきますね」

彼女は早足にその場から去ろうとして足早に歩き出す。

後ろにまとめたポニーテールが嘶きのような落ち着かない様子で揺れているが、「たきな」と云う織田の声が彼女の足を止めた。

ビクッと体を震わせて、恐る恐るという感じに振り返った。

「首、痕が残らなくてよかったな」

「……!!!」

織田の一言に、たきなは顔を売れたトマトのように赤く染め上げた。

「いや…あの、その……」

「じゃあ、ゆっくり浸かってこいよ」

「は、はい……失礼します」

パタパタとスリッパの音を立てて、たきなは浴室に向かっていった。

一方、その現場を現在進行形で観戦していた千束はと云うと――

「っ……」

大きく口を開けて絶句していた。

最初に彼が手伝い始めた時は、まだ映画に集中できていたが、怪我を心配していた当たりから口が開き、たきなの手を掴んだところで息を飲み、織田の爆弾発言のあたりから声も出なくなった。

千束の脳裏にある可能性が浮上する。

先月から何かとおかしいと思っていた。

彼女が織田のことをよく視界に捉えている気がするのは気のせいでは無かったのだ。

目の良さには一家言持つ自分が感じ取ったこと。

疑う余地などなかった。

 

 

(…たきな、アンタ………アンタ、まさか!!)







六話は長めになるかもしれません
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