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「いや~久しぶりだね。織田作と2人きりって」
「そうか? 昨日も夜に話してたじゃ無いか?」
「あれはたきなが下で寝てたじゃん」
「違うのか?」
「ちーがーうー」
東京の夜空は、旧電波塔に彩られたイルミネーションの灯りが夜空を艶やかに照らして星を隠していた。まばらに見える煌めきは星ではなく人工衛星だろう。
ヨコハマの空と違うところは特に空が澄み切っていることだ。
あの街の空気は、何処か淀んでいる気がする。
そんなことを思いながら、私は隣で歩く千束を見た。
「にしても、例の襲撃犯、クルミの読み通りリコリス制服で判断してるのかな?」
「わからん。情報が少なすぎるな」
「でもでも~これなら~絶対~わかんな~い」
今の千束は黄色いポンチョを羽織った状態で歩いている。
下には彼女の赤い制服がチラリと見える。
リコリスは制服を着ていないと銃を携帯してはならないため、このような措置になった。
ミズキも捕まっても知らないぞ~と煽られたが、考えれば私も銃を携帯しているため職質でもされようものなら現行犯で国が運営している三食宿付きの寮に引っ越すことになるだろう。
千束経由でDAからの許可の元、千束達を助ける名目のみでDAから銃の使用を許可されている。
要は、私は千束に監視されていると云うことになるのだが、本人がその仕事を全うしているかと云うと嘘になるのが正直なところだ。
「千束、あくまでクルミの推測だ。決めつけるのはよくないぞ?」
「大丈夫だよ~」
前向きなのは良いことだが、楽観的すぎるのもたきなに文句を言われてるだろうにと呆れていると、千束は「それに」と続けた。
「何かあっても織田作が守ってくれるでしょ?」
「……そうだな」
私がそう云えば、彼女は嬉しそうな顔をした。
「ふふふーん」
変な笑い声を出す千束を連れて、私たちは旧電波塔が見下ろす住宅街を歩いていく。
目指す先は、組事務所。
珈琲の配達をしているお得意様の一つだ。そこに向かう途中、千束は不意に立ち止まった。
「どうした?」
私の問い掛けに答えず、彼女は無言のまま私の背後に回った。
「千束?」
「あのさ、織田作」
振り返ると、そこには真剣な表情をした千束がいた。
いつも笑顔を絶やさない彼女からは想像できない程、その顔は険しかった。
「人を殺した時どんな気分だった?」
千束の言葉に少しだけ肩が竦んだ。
それは唐突だった。
しかし、予想していなかった訳ではない。
だが、実際彼女に聞かれてみると言葉が出なかった。
「お前…どうして、そんなことを?」
「いや……私だってわかるよ。リコリスだもん」
考えてみれば当たり前のこと。
千束は今まで、1人も人を殺めていない。
でも彼女はリコリスだ。
日本の治安を守るため、凶悪犯やテロリストを秘密裏に殺して回る組織の一員だ。
たとえ、一度も人を殺していなくとも、自分の周りには当たり前のように実弾を人に撃ち込む少女達がたくさんいたはずだ。
「たきなも、フキもそうだけど…たまに感じるんだ。あぁ、この人、人を殺した人なんだって」
「ならたきなや他のリコリスに聞けばよかったんじゃないのか?」
「いや…聞けるわけ無いじゃん。2人とも、元々それしか無いって教えられてきたんだよ。そんなこと、聞けないよ」
だから私しかいないと思ったらしい。
きっと、先月の依頼で気になることがあったのだろう。
アランチルドレンの使命。
その命をもらった訳。
つまり、千束の心臓のことだ。
そもそも、先月の話も蓋を開ければ滅茶苦茶な話だった。
依頼人の松下と云う人物は最初から存在しない。故に妻子も最初から殺されていなかった。
下手人だったジンも、ミカの証言により無罪が確定。
完全に作り話だったと云うことだ。
つまり、誰かが千束に人を殺させようとしたと言うことになる。
それはおそらく――
「ねぇどうなの?」
思考の海から引き戻される。
千束は私をじっと見つめていた。
私は一度、目を閉じて考える。
そして、目を開き千束を見た。
彼女は私を見つめ返すと、静かに言った。
私は彼女の問いかけに答える。
「良い気分では無いな」
「そっか……そうだよね」
それだけ言うと、千束はまた歩き出した。私もその後に続く。
「千束の歳より、もっと幼い頃だ。殺しを始めたのは」
「えっ?!」
突然語り始めた私に驚いた様子で千束が振り向く。
私は気にせず続けた。
「元々殺しの商売も儲かるからやっていたわけじゃない。他にどうしていいかわからなかったから、やっていただけだ」
実際のところ、かつての私とリコリス、所属している組織の体質はともかくとして実態や本質は変わらない。
私には殺ししか無かった。
あの日が来るまでは。
「14の時だ」
「それってもしかして」
「あぁ、俺に小説家になれと云ってくれた人と会った」
その人が渡してくれた本は、リコリスたちのように殺すことでしか自身の価値を見いだせなかった私の目を開かせてくれた。その人は、私の目の前に新しい道を示してくれたのだ。
「それから、俺は殺しを辞めた。いつか小説家になって、ずっと読みたかった本の続きを書こうと思った」
「……」
「でも、俺はまた、人を殺した」
そう、だからこの夢は終わった話。
何も無い。何も成せない。
唯一出来たことは、ずっと闇の中にさまよっていた子供に偉そうに道を示したくらいのこと。
「だから千束。お前はすごいよ」
「え?」
思わず口から零れた言葉に千束が聞き返した。
私は少しだけ笑って、彼女に告げる。
それは、とても単純な答えだ。
「誰かの時間を奪うのは気分が悪い。それを最初に云えたお前はすごいよ」
誰から言われたでもなく、自分で決めた。
確かにきっかけは誰かだったのかもしれない。それでも、生き方を自分の意志で決めることができた千束は、私のような半端者とは違う。
「千束、だからお前は誰も殺すな」
「うん、わかった」
でも、と千束は続ける。
「織田作も、殺しちゃダメだよ」
淺日色の瞳が私を見る。
それは真剣そのもので、真っ直ぐに私を捉えている。
「そうすればさ、また小説を書けるようになるかも知れないから」
「……わかった」
私がそう答えれば、彼女は満足したように笑った。
同時に千束の携帯が鳴る。
彼女は相手に応じて着信の音を変えているのだが、この音はミカからの電話だ。
「先生だ。ちょっと待っててね」
ポンチョの中から携帯を取りだして、通話を始めようとした時だった。
ある映像が見えた。
「もしもしもしもし~?」
千束が電話に出たとき私の側頭部と千束の後頭部が対人殺傷用の軟弾頭が頭蓋骨を砕いた。反対側の側頭部にまで弾丸が届き、私と千束は前のめりに倒れた。
そこで映像が終わった。
異能による予知。まさか本当に襲撃犯が来るとは。
これで制服では無い別の要因で判別していることがわかったが、私はすぐに動いた。
「千束!」
「えっ…ちょ!?」
さっきの映像を元に千束の手を掴むと彼女の身体ごと左に走り出した。だが、動き出すと同時に、私と千束の頭蓋に弾丸がめり込む。頭の奥が衝撃で揺れ、柔らかく湿った音が右耳と左耳の間で響く。そのまま千束の手を握ったままアスファルトの上に倒れた。
そこで映像が終わった。
私は呆然と立ち尽くしていた。
千束は電話に出てすらいない。未だに、ミカからの知らせである着信音が鳴り響いていた。
私は、この感覚を知っている。
知ってしまっている。
この、重い水の底に沈められたような混乱を、私は知っている。
息が出来ない。
息を吸って吐く、ただそれだけの動作が上手くできない。
まるで、呼吸の仕方を忘れてしまったかのようだ。
「織田作? どうし――おわ!?」
私は千束を抱きかかえて倒れ込んだ。
両腕で小さな身体を閉じ込めて固いアスファルトの上を転がる。
肩甲骨や肘のとがった部分が食い込んだ気がしたが構っていられない。もっと恐ろしい物が私と千束の肌にめり込むことになるのだ。
「え? 織田作…ちょ、きゅうにどうしたの?」
「逃げろ!! 今すぐここから離れろ!!」
飛び起きて千束の前に立った私は叫んだ。
「な、なんで?」
千束の声が震えていた。
「良いから早くしろ! 殺されるぞ!」
「え? もしかして例の襲撃犯?」
「そんな生ぬるい奴じゃない!」
その瞬間、背後から足が聞こえた。
コツリ、コツリとゆっくりこちらに近づいてくる。
闇の中から、それは現れた。
まず目に入ったのは灰銀色の襤褸。全身を覆うように纏っている。
大柄な人の形をしている。
手と思わしき部分には、一丁の拳銃があった。
古い銃だ。
この銃の名を、私は知っている。
声も顔もまだ見ていない。
だが、私は理解した。
そして私は愚かだ。
この世界に来た時、何故考えなかった?
その可能性を、一度でも考慮しなかった?
あの時、あの場所で、私と同時に死んだ人間が、もう1人いた。
洋館の広い舞踏室で。
私と彼は、殺し合い、共に死んだ。
この男の名を、私は知っている。いや、名前だけじゃ無い。
私は彼の全てを理解している。
等間隔に照らされた街灯の下を、彼は一歩ずつ踏みしめるように歩いて来る。
「織田作……」
私を呼ぶ千束の表情は恐怖に染まっていた。
私だってそうだ。
「久しぶりだな」
乾いた声と共に、空いている片手で灰銀色の襤褸を捲りその素顔を露わにした。
砂漠の乾いた風に潤いを奪われた褐色の肌、濁った銀色の頭髪、蛇のように歪んだ赤い瞳。
「会いたかったよ、サクノスケ」
男の名は、ジイド。アンドレ・ジイド。
かつてヨコハマ最大の犯罪組織、ポートマフィアと真正面から戦いを挑み、甚大な被害を撒き散らした武装集団。
荒野の死霊。
戦争犯罪者を討伐するために派遣された味方の兵の包囲網を突破するために敵兵に化けて、かつての味方の兵達を殺し包囲網を突破した後、軍人として死ぬために同胞達と共に流浪し戦場を求め続けた国を持たない軍隊。
ミミックの長。
「千束! 逃げろ! お前じゃ絶対に勝てない!!」
「で、でも」
「良いから逃げろ!!」
私は叫ぶ。そして断言する。
この男の全てを、私は知っている。
ジイド。
戦場を求めさまよう亡霊。
彼が何故、ポートマフィアという巨大組織相手に真正面から戦争を仕掛けられた理由。
ポートマフィアの屈強な異能力者達ですら、彼の異能を突破するのは困難だと言わしめた理由。
それは―
それは――
それは――――
「アイツは、俺と全く同じ異能力を持っている!!」
そう叫ぶと同時に千束を背にして走り出す。すでに銃は抜いていた。
奴の異能力、狭き門。
その能力は、数秒先に起こる未来を見る能力。
私の異能力、天衣無縫。
それと全く同じ異能。
住宅街だろうが躊躇うことなく引き金を引く。
弾丸は真っ直ぐにジイドに向かう。だが、弾丸はジイドは意に返すこと無く躱す。
くすんだ銀髪をかすめて夜風に舞う。
下手に距離を持って避けてしまえば千束に当たる可能性がある。
私が出来ることは最初から決まっている。
異能力を使わず、接近戦で戦うことだ。
ジイドもすぐ様反撃に転じる。
それは拳銃を使った殴り合い。
お互いの利き手に握られた銃を相手の顔面や心臓に向けて撃ち合う戦い。
私と奴の距離はあっと言う間に縮まる。
「嬉しいよサクノスケ。この世界でも貴君と殺し合うことが叶うとは! 神は乃公を見捨ててはいなかった!!」
「ジイド!!」
ジイドが放った銃弾が頬を掠める。
私はすかさず撃つ。だが空いている手で向きを変えられて街灯に弾がはじける。
そのままさらに距離を詰める。
引くことは許されない。ここで引けば千束が殺される。
私は懐に飛び込むように走る。
ジイドも同じく飛び込んでくる。
だが絶え間なく鳴り響く拳銃の音がかき消す中、遠ざかっていく足音がほんの僅かにだけ私の心を安堵させた。
だが振り向く余裕は無い。
互いの銃弾が交差する。
私が撃った銃弾は、奴の肩を炸裂した。
奴が撃った銃弾は、私の腕を貫いた。
左手だ。血が吹き出るが構わない。
追撃に前に出たが、私の銃弾は空を切る。
すぐさまジイドは背後に跳んで距離を取る。
互いに銃を構えながら、睨みあう。
口火を切ったのはジイドだ
「…サクノスケ、なんだこれは」
ジイドは撃たれた自身の肩に残った物を見て怒りを露わにする。
「なんだんだこの弾丸は!! 戦場にこのような
「すまないが、今はこれしか持ち合わせが無い」
「ふざけるな!!」
ジイドの怒りは収まらない。
悪いとは思う。
千束の弾は、ジイドにとって最も許せない地雷のはずだ。
戦場を求め、軍人としての死を望んでいた彼に取って、人を生かすために使う銃は侮辱と云って良いだろう。
「貴君は忘れたのか!? 貴君と乃公は、同じ生存の階段を降りた目をしていたはずだ! 乃公の世界に来てくれたはずだ!! なのに何故だ!!」
「…俺達はもう死んでいる。もう終わったんだ」
「終わってなどいない!!」
ジイドの叫び声が夜の街に響き渡る。
悲痛な幼子のような叫び。
彼を理解できる人間は部下と敵しかいない。
そして、私は後者として戦い…そして死んだ。
軍人として死ぬことがジイドの全てだった。
部下が死に、自身だけがこの世界に流れ着いたとなれば、その孤独は計り知れないだろう。
私を見つけた時は、それこそ遊園地で迷子になっている子供が、濁流のように歩く雑踏中から愛する家族を見つけたような顔になっていただろう。
「そうだ! 乃公はまだ死んでいない! 今だ、この魂は焼き尽くされていない!! サクノスケ! 貴君だけが唯一の望みだ!! 貴君はすでにわかっているんじゃないのか!!」
だが、俺はお前の想いに応えることは出来ない。
「……」
私は何も言えない。
私は彼の全てを理解している。
彼は私の全てを理解している。
だからもう、話すことはないのだ。
「……いいだろう。ならば思い出させてやる。貴君をもう一度引きずり下ろしてやる。乃公の頭の中の世界へ! 乃公の頭の中にある地獄をもう一度!!」
「やめろぉ!!」
叫んだ。
叫んでしまった。
彼がこれから何をするか理解しているからだ。
それが、彼の心を満たすことも知っているはずなのに。
「そうだ! その目だ! だがまだ足りない。もっと見せてくれサクノスケ!」
ジイドは笑う。
私は走り出す。
だが間に合わなかった。彼の背後に駆けつけたミニバンにその姿が消える。
私は躊躇わずミニバンに向けて引き金を引いた。
だが走行を止めることは叶わなかった。
もとより千束の弾は遠距離での命中率に問題がある。
千束や私のように相手の懐に潜ることを前提としている上、街灯が僅かに闇夜の住宅街では高速で動くミニバンのタイヤを射貫くことは叶わなかった。
「くそ!!」
私はすぐに電話をかけた。
相手はミカだ。
この危機を伝えて一刻も早く千束達を避難させなければならない。あの店にいることすら危険だ。
「ミカ! 俺だ!!」
「作之助か!? 千束と連絡が取れない! 何があった!!」
「千束は帰っていないのか!?」
ミカの言葉に心臓を捕まれた感覚がした。
酷く懐かしい感覚だ。
頭がガンガンと警鐘を鳴らす。
ジイドは云った。
もう一度、乃公の頭の中の地獄を見せると。
私を戦場に引きずり込む呪いの言葉。
彼が何をしようとしているのか、私はすでに知っていた。
「おい! 作之助! 千束は!? おい!!」
「すぐにミズキに車を出せ! クルミにもありったけのドローンで千束を探してくれ! 見つけたらそのまま全員避難だ!!」
「お前はどうするつもりだ!?」
「俺は奴を…ジイドを追う!!」
「ジイド?」
「俺がかつて戦った男だ! 全身襤褸を被っている! ヤツは危険だ。見つかるな! 見つけたら逃げろ!! DAも! リコリスも! 皆殺される!!」
私は叫んだ。
「奴の頭の中は、生きた一個の地獄だ!!」
*****
『なるほど、ジャンケンで例えると銃弾を避けたら勝ちで止まっている訳か』
『じゃあ、マジでアイツ最強じゃん。倒せる奴なんているの?』
『あーそうだね…』
「早く…先生達に知らせないと……」
千束は旧電波塔が見下ろす夜の街を走っていた。
店に戻り、一刻も早く織田を救出するため。
彼の叫び声を聞いて、先日のミズキとクルミの会話を思い出す。
あの時、千束は2人にこういった。
織田があの襤褸男と対峙したときに叫んだ同じ言葉を、それは――
『織田作と全く同じ異能力を持っている人』と。
ミズキもクルミも、「そんな奴いるわけ無いでしょ?」とか、「安っぽい展開だな」とか、各人大笑いしていたが、今の千束は笑えなかった。
慕っている織田が、普段から何を考えているのかよくわからない織田が、あそこまで動揺し叫んだ姿など見たこと無い。
だから彼が走ると同時に逃げた。
逃げてしまった。
「あ…そうだ。スマホだ。それで助けを呼ぼう。そうすれば――」
自分の制服やスカートの中をまさぐる。
一向に見つからない。
何でと焦るが、手に持っていた。
ずっと握ったことを忘れて走っていたのだ。
普段ならあーよかったとか、私もボケてきたかとかと云った冗談を挟むのだが逆に千束は絶望してしまった。
無かった。
自身の制服に忍ばせていたもう一つの物が。
「どうしよう」
絶望が焦りを生み、視界が歪む。
だってそれは、織田作之助の全てを象徴する物がだからだ。
「嘘…ホントにない!」
嘘だと願うが無い。店を出る前には確かにあったのに。
無くなっていた。
何が無くなっていた?
それは――
「織田作の写真が……無いっ!」
原作最終回について
神に感謝