彼岸花と迷い犬   作:黒ゴマアザラシ

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追記
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狭き門 後編

「どこ? どこで落としたの?」

秋口の夜空がさらに深くなり、千束を見下ろしている歪んだ旧電波塔の灯りが不気味に光る。

千束はそれを背にして走った。満月よりも強い光が彼女の影を地面に落とす。

その影は、彼女の肩まで伸びた髪と制服だけが揺れる不気味な物だった。

だが彼女はそれすら気にせず、ただひたすらに探す。

大切な物を。

写真だ。

織田作之助の全てが写った写真を。

自分が面白半分で彼の外套を漁り、咄嗟に隠してしまった一枚。

彼と、彼の友人達が、確かにそこにいたことを示す写真。

「確かにお店を出る前はあったのに……」

息が切れる。

今までここまで苦しいことなんて幼少期以来なかったはずなのに呼吸が乱れる。

苦しい。

でも探さないと。

あんな紙切れ一枚、風ですぐに飛ばされてしまうだろう。

走る自動車に踏みつけられるかも知れない。用水路に落ちてそのまま流されるかもしれない。

考えうる最悪の結末がいくつも脳裏に浮かぶ。

絶対にあってはならない。

そうなれば、彼が…織田作之助がいた事実すら無くなってしまいそうな気がしたからだ。

千束の影法師が路地裏に消える。

もう何度曲がったか分からない。

しかしそれでもまだ見つからない。

だが走り続けた。

 

「あ……」

 

 

そして見つけた。

そこは開けた大きな公園。

昼間のうちは千束も幾度か足を運んだが、この時間はまばらに灯りが付いているだけで、闇夜から怪物が這って出てきてしまいそうなほど気味が悪く普段ならば近寄らない。

だが、今の彼女には思考の片隅にも入っていなかった。

その公園に入るための橋の中央に、捜し物があった。

千束は安堵して駆け寄り、拾い上げる。

幸いにも破れてはいない。だが、所々汚れてしまっている。

千束は必死にそれを拭った。

「よかった……よかったぁ……」

包み込むように抱きしめて、決して二度となくさないよう胸に押し込む。

涙が出そうになった。

こんなに心が痛いのは初めてだ。

ホント最低だ。

自分勝手で、我儘で、いつも命令で彼のことを云いように使って。

挙げ句の果てに、一番大切な思い出まで踏みにじろうとした。

「ごめんね織田作…ごめんっ……」

千束はその場にしゃがみ込んで泣いた。

(…でも、すぐに戻らないと)

でもいつまでもそうしていられない。制服の袖で顔を拭いながら立ち上がる。

織田作を襲った人はきっと例の襲撃犯で間違いない。

彼は否定していたが、あれだけ連続でリコリスを襲える人間なんて数少ない。

少なくとも、一枚噛んでいるはずだ。

絶対になくさないように写真を鞄の一等地に入れ、すぐに公園を出ようとした時だった。

 

「―――」

 

それは突然に飛来した。

弾丸だ。

足音と破裂の音に反応して地面を蹴った。向きは分からない。

ただ、幸いにもその弾は外れてくれたようだ。

「誰!?」

深い闇の奥に向かって叫ぶ。

だが返事はない。

その代わりに、確実に近づいてくる足音だけが彼女の耳に届き、戦慄させた。

やがて、それをハッキリと視界に捉える。

「ほう、うまく避けたな。ただの生娘では無いようだ」

暗闇から溶け出してきたのは灰銀色の襤褸を纏った長身の男。

乾いた声。

くすんだ銀髪に、水気の無い褐色の肌。歪んだ赤い瞳。

間違いない、つい先ほどまで織田と対峙していた人物だ。

「アンタなの? 例の襲撃犯って奴は?」

「そんなところだ。それよりも、サクノスケの心配はしなくて良いのか?」

「織田作はアンタみたいなのにやられるわけがない!」

喰い気味に言い返すと、襤褸の男は少し驚いた表情を浮かべる。

それから、ゆっくりと口角を上げて、三日月のように笑みを作った。

背筋が凍るような不気味な笑顔だった。

「…貴女の云う通りだ。サクノスケが簡単に死んでくれるなら、乃公もここまで喜ぶことはなかった」

「じゃあ何? オメオメと逃げてきたってわけ?」

「いや、少し貴女にも協力してもらいたいことができただけさ。あの男が、本気で乃公と殺し合えるようにな」

だが、男は意に返す様子も無い。

寧ろ、織田の強さを真に称賛しているように見えた。

そこに、憐憫も侮蔑もない。

ただ純粋に、織田の強靭さに感服しているようだった。

まるで、旧知の間からのような。

全てをわかり合えているような。

ただそれよりも気になることは……。

「協力? 何企んでるんだこんにゃろー」

「そうだ。貴女を殺せば、サクノスケはまた乃公の世界に来てくれるだろうからなっ」

男は銃を構えた。

一目で分かる。握られている銃はかなり古い銃だ。

確実にミカよりも年上の。

もはやアンティークや骨董品と云って良い域に達している代物だ。

彼女がよく見る映画の大怪盗の孫が愛用しているのが記憶に新しかった。

だがそれを伊達や酔狂で扱っているとは微塵も感じられない。

現に、逃げる彼女の背後で感じた銃撃戦の激しさが彼の強さを確信させた。

「自己紹介が遅れたな。乃公の名はジイド。貴女には、この魂を原罪から開放する力があるか?」

「何言ってるのかわかんないっての!」

千束はそう叫びながら走り出す。

すでに鞄から銃は抜いた。

千束は織田の言葉がちゃんと耳に入っていた。

それは、このジイドが織田と全く同じ異能力を持っていると云うこと。

数秒先の未来を見る能力。

確かに強力だ。

普通のリコリスなら、銃を抜く間もなく殺されていてもおかしくはないだろう。

だが、千束はそのリコリスの中でも最強と言わしめられている。

その強さの由縁である動体視力と観察眼。服の僅かな動きや視線の向きで弾がどこにどのタイミングで来るか、彼女には瞬時に分かる。

これは、DAの中でも驚愕とされている。

錦木千束を最強たらしめている確固たる力だ。

何より、彼女が強気でいられる理由はもう一つある。

それは、この異能力の特性を熟知していることだ。

例え未来が見えて行動を変えても、その動作を見て行動を変れば未来を上書きできる。

それは長い間、織田と過ごして織り込み済み。

そして、決して勝つ必要は無い。

この状況で背中を見せて逃げるのは困難だ。だが相手は1人。

多少の時間さえ稼げれば、織田やミカ達の救援で逃れられる。

(そのためには、少しでもこのジイドという男にダメージを負わせないと……)

 

ジイドの持つ拳銃が千束を捉える。

当然千束にはそれが瞬時に分かる。自分の動きに対してどう行動を変えようとしているのかも細かい服や視線の動きでわかる。

ならば、避けられない道理はない。

 

 

――だが、その目論見が五秒後には潰えているのを彼女はまだ知らなかった。

 

 

「っぁ……」

火薬が炸裂する音がした。

強い衝撃が肩に加わり、仰け反った千束はたまらず膝を突いた。手にしていた銃が、固い石畳の上に落ちる。

「痛っ……」

肩を押さえると、ヌルリとした感触があった。

(え? 何これ?)

その手を目の前に持ってくると、赤黒い液体が付いた。

血だ。

それを認識すると同時に、全身の血の気が引いていく。

撃たれた。

「驚いた。貴女のような麗しい顔に風穴を開けまいと心臓を狙ったつもりだったがよもや狙いを外されるとは」

いつの間にか、ジイドは千束の眼前に迫っていた。

歪んだ赤い眼光が、千束を射貫く。

彼女の額から汗が流れた。

「な……なん、で…」

「何、乃公も驚いている」

ジイドは続けた。

「乃公には、貴女が右に避ける未来が見えた。それを元に狙いを修正した。だが、貴女が避けたのは左だ。咄嗟に向きを変えたが多少狙いが逸れたな」

彼は冷静に告げる。

そんなことは知っている。

先日、織田としたジャンケンと同じだ。

例え未来が見えても、それを元にした行動を変えれば必ず予備動作がある。

それを千束が見逃すはずが無い。

その確信があった。

(なのに……どうして…)

「一体どういう手品だ?」

ジイドは見下ろしていた千束に躊躇うことなく引き金を引いた。

「っ……」

首を捻って避けた。

暖色がかった白髪が、夜風に舞う。

少し動くだけで肩が痛む。

手に力が入らないから銃を握れず、反撃に転じることができなかった。

ジイドは依然見下ろしたまま。

だが、その表情は驚愕では無く笑みだった。

「…ほう、まさか貴女は、視線や身体の僅かな動きで弾を見切っているのか。乃公でも出来ない芸当だ」

「へぇ…お褒めにあずかって光栄だね」

気丈に振る舞ってこそいるが、千束の内面は恐怖に染まりつつあった。

この短時間で、しかもたった二発の弾丸で、千束の強さの全貌が看破されたのだ。

錦木千束の全て。

その強さの根幹を。

「そろそろ痛みが引いてきただろう? 銃を握れ。もう少し貴女の力を見てみたくなった」

ジイドは構え直す。

千束が銃を拾うのを待っているようだ。

千束は、ゆっくりと銃を拾い上げた。

たが、まだ足に力が入らない。

痛みが原因じゃ無い。

実弾に命中したことなど千束にとっては初めてだった。

無意識には理解していた。

今までの自信が、徐々に崩れていくことに。

だけど、逃げるわけにはいかない。

今逃げれば、確実に殺される。

それだけは、嫌だ。

「足に力が入らないのか? 震えているぞ」

「うるさい!」

声を張り上げて、千束は銃を握る。

立ち上がることはまだ出来ないが、体力と気力はまだ残っている。

ジイドに銃は向けない。

狙うなら撃った直後を回避してからのカウンター。

千束の必勝パターン。

それしかない。

今の千束にとって、それ以外に縋れるものなどなかったのだから。

「まぁいいだろう。貴女ならばあるいは乃公を殺し、この幽霊の魂を解き放つことができるやもしれん」

「私は人殺しはしない!」

千束が叫ぶと、ジイドは苦笑いを浮かべた。

懐かしい光景を見るような儚げな笑みだった。だが油断はない。終始、千束を見据えていた。その証拠に、彼の銃口は依然として、千束の眉間に添えられたままだ。

赤い瞳が怪しく輝く。

灰銀色の襤褸が風で靡いている。

幾ばくかの静寂の後、その時は来た。

 

ジイドが動いた。

遅れること無く千束が反応する。

身体を傾けて銃弾を躱し、銃を向ける。

あとは無防備な胴体に引き金を引くだけ。

 

だが、千束はそれができなかった。

 

 

「どうした? 乃公はまだ銃を撃っていないぞ?」

「っ……」

もはや声すら上げられなかった。

千束が動いた先に、突きつけられていた銃口があったからだ。

(な…なんでっ……)

千束は確かにジイドの動きを見た。

間違いなく銃弾が放たれると確信して動いた。

だが、銃弾は彼女の柔らかい髪をかすめてすらいない。

火薬が炸裂する音も、空薬莢が石畳に落ちる音もしない。

ただ、吸い込まれるように、亡霊が取り憑くように、千束の眉間に銃口が突きつけられているだけだった。

 

「まっ…さか、フェイ…ント……っ!?」

「その通りだ」

千束の絞り出すような声に、ジイドの口元が歪む。

これが、最初に千束を射貫いた正体だ。

あえて動きを偽装して、千束の回避を誘発させた。

細やかな服や視線を見ることそのものを、数分にも満たない時間の中で、完全に見切られた。

ここでようやく、意味が分かった。

千束が慕っている織田が、いつも落ち着いて冷静で、何を考えているかすらよくわからなくなる彼が、この男を一目見たときに発した言葉の数々を。

 

――逃げろ!!

 

――今すぐここから離れろ!!

 

――殺されるぞ!

 

――そんな生ぬるい奴じゃない!

 

――お前じゃ絶対に勝てない!!

 

忘れていた。

織田の持つ異能力が最強なのでは無い。

その異能を扱う織田作之助がいて、初めて無敵の異能力として昇華するのだ。

それは、今目の前で銃口を突きつけている亡霊も同じだ。

ジリ貧?

勝負にはなる?

 

自身の考えに後悔する。

希望的観測という表現すら生温かった。

「あ……あぁっ……」

千束は、ただ絶望的な状況に追い詰められてしまっただけだ。

たった一手で。

たった数秒で。

たった一発で。

千束が積み上げてきたものを根こそぎ奪われた。

宝玉のように赤い瞳が千束の顔を歪ませていた。

(やだっ…怖いっ……)

ジイドは、引き金を引かなかった。

代わりに僅かに動きがあった。

何かに気がついたような動きだ。

千束は知っている。

彼が、織田が未来を予知したときに見せるわずかな微動と。

全く同じだった。

ジイドもまた、何かを予知したのか銃口が離れていく動作が見えた。

つまり千束に向けての予知では無い。

身を潜めている誰かに対して?

誰?

真っ先に浮かんだ顔が握っていた銃に力をくれた。

 

すぐに引き金を引いた。

ジイドへ向けて。

このまま殺されても構わない。銃の反動が肩口に空いた風穴に響くが関係ない。

そうしなければならない気がした。

そして、それは間違いなく正しい行動だった。

 

「ぐっ……」

ジイドの重心が非殺傷弾の赤い粉塵と共に揺らぐ。

だが、一瞬の迷いのせいか彼は銃を撃つのが間に合っていた。

放たれた銃弾は千束には向かっていない。

ではどこか?

7時方向の茂みの影に、彼女はいた。

 

たきなだった。

 

銃口を構えたまま、固まっている。

風に煽られて、彼女のしなやかな黒髪が一房、風に乗って飛んでいった。

「なんで……完全に不意打ちだったはずなのに」

 

千束は全て理解した。

たきなはまだ知らないのだ。

千束を見下ろしているこの男が。

彼と全く同じ異能力を使うことに。

そして、全身の血の気が引いた。

もし、

もしあとほんの少しでも判断に迷っていたら、どうなっていたか。

確実に云える。

 

――たきなは殺されていた。

 

ジイドの銃弾によって。

千束は息を飲む。

心臓が止まるかと思った。

呼吸が荒くなる。

傷の痛みが増す。

「っ……」

「なるほど。実に面白い。乃公の予知を覆す人間がサクノスケの他にもいたとはな」

千束の弾に人を殺す力は無い。

たが死んだ方がマシと思えるほどの痛みを与えるそれを意に返すこと無く感嘆とした声をジイドは上げる。

もはや、痛みなどとうに捨てているかのようだった。

それが、さらに千束の中にある僅かな希望を砕いていった。

「はははははっ! 旦那ぁ! アンタやっぱ最高だぜ」

 

公園に声が響き渡る。

聞いたことの無い声だ。まるで、戦場の最前線に立つ傭兵のような威勢の良い声色をしている。

ジイドの後ろから、その声の主が姿を現す。

日頃から手入れを怠っているとしか思えないボサボサ緑色の頭髪の男。

季節外れの黒いコートの下には千束的にはダサいとされる色合いのアロハシャツに袖を通している。

そんな男が、数台の車から降りてきたつなぎの男達を引き連れて現れた。

ヘッドライトが千束とジイドを照らす。

 

「見ろよハッカー。たかがリコリス1人、旦那相手ならただのガキだったろ?」

「そうだけど! とにかく被害はゼロだ! これで文句ないだろ?」

「まー待て、旦那の本命がまだだ。こいつらはその餌だな」

その男は大声で独り言でも話しているのかと思ったが、どうやら誰かと通信しているらしい。

つまり、この集団が、例のリコリス襲撃事件の主犯格というわけだ。

遅れてぞろぞろと車から降りて千束達を囲いだした男達は皆、つなぎのような格好にサングラス。

たきなが初めてリコリコにやってきたときに相対した連中と同じモノだった。

つまり、彼らは例の銃取引とも関係があると言うことだ。

だが、今の千束とたきなに出来ることは何も無い。

ジイド、この男がいる限り。

何かしようとしても、予知で見抜かれて今度こそ殺されてしまう。

「おん?」

突如現れた男は、千束を見た。

視線は彼女の胸元。

首にかけられているチャームに集まっているものだと、千束は気がついた。

「へぇ」と、男の表情が変わる。

男は千束に声をかけた。

「おいお前の使命は何だ?」

突然の問いに千束は返事が出来なかった。

ジイドの手によって自身の全てを壊された彼女には、声すら上げられない。

だが、男は続けた。

「アランのリコリスか…。旦那、コイツ殺すのちょっと待って――」

 

言い終わる前に事が起きた。

「何!?」

真っ赤な一台の乗用車が勢いよく飛び出してきて、そのまま突っ込んできたのだ。

千束はこの車を知っていた。

いつも見慣れたその車の運転手はミズキだ。

必死の形相でハンドルを握っているのがかすかに見えた。

助けが来てくれたのだ。

「うおっ!」

つなぎの男達は皆車から降りてしまっていたのか、暴れ狂う車にあわや轢かれそうになっている。

だが、ジイドだけは違った。

彼は予見していたかのように、身を翻して回避行動を取っていた。

すぐさまミズキをフロントガラスごと撃ちぬこうとしている。

だが、彼の動きを翻るベージュの外套が止めた。

「っ」

千束も、たきなも息を飲んだ。

突き破るように開かれたドアから姿を現したのは、織田だった。

 

「ジイド!!」

 

織田の叫び声と共に放たれた銃弾が、ジイドを千束から引きはがした。

この瞬間、確かに隙が出来た。

千束は動いた。

この機を見逃せば死ぬことが分かっていた。

身に纏っていたポンチョを広げて、囲っていた男達から姿を隠す。

そして躊躇いなく乱射した。

的を絞る気は無い。

残弾を気にする必要も無い。

千束達を囲っている連中を攪乱できればそれでいい。

ほぼ同時にたきなも動く。

退路を閉じていた男達に向けて手足を正確に撃ち抜く。

同時に囲っていた奴らが乗っていた車にもだ。

男達の悲鳴が聞こえる。

それでも構わず撃った。

 

「千束! たきな! ミズキの車に乗れ!!」

包囲の中央に立つ織田は叫んだ。

「たきな!」

「っ!」

 

千束はたきなの手を引いて走り出す。

目指すは赤い車。

一直線に。

「逃がすかよ!!」

場が乱れる中、1人だけは2人を止めに入る。

緑色の頭髪の男。

だが、彼が2人の撤退を阻止することはできなかった。

走り出した瞬間に、彼の顔面に織田の拳がめり込んだ。

拳が顔の半分まで沈むほど食い込むと、音速すら超えかねない勢いで石畳の上に叩きつけられ、バスケットボールのように何度も身体を打ち付けている。

「真島さーん!!」

唐突すぎたせいか、つなぎ男の誰かが、殴られた男の名を叫ぶ。

それほどまでに強烈な一撃だった。

千束とたきなはほぼ同時に後部座席に飛び込む。

後部座席にはミカがすでに座っていたせいもあって、中は洗濯機から出した衣類のようにもみくちゃになっている。

「行け! 早く!」

外から織田の声が聞こえた。

「でも!」

「殿がいる!俺に構うな! 急げ! 走れ!!」

2人を乗せた車は勢いよく発進する。

タイヤが煙を上げて、道路へと飛び出した。

それを止めに入ろうとした男達は動けなかった。

なぜなら、彼らの中央に最も恐ろしい男が立っていたからだ。

 

 

 

 

*****

 

 

 

「あぁ! 足が!」

「てめぇ! よくも!」

多くの男の怒声と痛みに苦しむ声が、私の鼓膜を響かせる。

けたたましいエンジン音が遠くなっていくのが聞こえる。たきなのおかげで連中の足を潰せたのが大きいのだろう。

千束もたきなも無事に逃げおおせたはずだ。

私が彼らを引きつけていれば、これ以上危害が加わることは無い。私は安堵した。

「真島さん! ダメだ完全に気を失ってる!!」

「おいてめぇ! 聞いてんのか」

おそらく真島と呼ばれた男を一撃で伸してしまったのが勘に障った者がいたらしく、怒鳴り声を強めながら歩いてくる。

「無視してんじゃ」

私は伸びてきた手を逆に掴むと、懐に引き込んだ。

そして、右手に握られていた銃口を彼の右目に添えて、躊躇うこと無く引き金を引いた。

「ぎゃあああ!!」

千束の非殺傷弾だ。

死にはしない。

だが、失明は免れないだろう。

目を押さえてもがき苦しんでいる彼を蹴り飛ばす。

悲鳴が闇夜に響き渡るが、私の耳にはどこか遠くに聞こえた。

まるで夢の中にいるような感覚で、私を現実に戻してくれるのは目の前で起きている惨状だけだった。

「うわああ!! 痛え! 目が! 見えねえ!」

「お前ら! 落ち着け! 相手は一人だぞ!」

「ふざけやがって!」

「死ね!!」

「殺せ!!」

大勢が同時に銃を構えるのが見える。

私を取り囲むように、円を描いて立ち並んだ。

だが、そんなものはどうだっていい。今日の私はすこぶる機嫌が悪いのだ。

「まぁ待て」

だが、想像だにしなかった人物がこの場に水を差した。

ジイドだ。

「撤退だ」

静かに言った。

同時にサイレンが鳴り響く。おそらくは、クルミが手配してくれたのだろう。

住宅街で撃ちすぎた。

奴の銃にはサイレンサーが無い。この辺り一帯の住人が起き出してきたに違いない。

「くそっ! おい逃げるぞ!」

「畜生! 覚えてろよ!」

男達が我先にと逃げ出していく。

怪我人を担いで車に乗り込む者、挙動不審に騒いでいる者と様々だ。

パンクした車達が無理矢理走り出していく中、ジイドだけはこちらを見つめていた。

「流石の手際だサクノスケ。同じ手は二度も通じないか」

躊躇いなく撃つ。

当たらないことは分かっていた。

たが、今私が求めているのは奴を打倒することではない。

千束達を無事に撤退させることだ。

「ジイド…」

「いい目だ。思い出してきたんじゃ無いのか? 乃公の世界がどういう物か」

「黙れ!」

私は叫ぶ。

奴が過去に、私に何をしたのか。

彼は、かつてヨコハマに流れ着いた流浪の敗残兵。

軍人として死に場所を求め、私と戦った。

彼は、私を戦場に巻き込むためにあの子達を殺し、全てを奪った。

私の目の前で。そしてまた、私の大切なものを奪おうとしている。

「……まぁいいだろう。乃公も少し別の興味が生まれた。今は見逃そう」

ジイドが踵を返す。

その背中に向けて発砲する。

当然のように、銃弾は彼の身体を貫くことはない。

「さらばだサクノスケ。貴君と再び、戦場で相まみえることを祈っているよ」

見ることすらせず躱して見せ、ジイドは悠々と去って行った。

サイレンの音が近づいてくる。

このまま奴を追うのは無謀が過ぎる。私もすぐにこの場を去らなければならない。

戻ろう。

千束達が、私の帰りを待っている。私は振り返ると、千束達がいるあの場所へと足を進めた。

 

 

 

夜は深くなりつつある。

警察が集まる前に現場から離れることはできたが、私の歩く道は酷く重かった。

街を黒く染めた闇が、私の足首に泥濘を作っているようだ。

やがて、その場所が見えた。

闇夜の下町にたたずむ洒落た木造建築。

喫茶リコリコ。

千束達が、きっと私の帰りを待っている。

戻らなければ。

何故?

何故戻らないと行けない?

ジイドがいる以上、私がやるべき事は決まっているのでは無いのか?

もはや、あの場所に帰ってはいけないのかも知れない。

もし私が戻れば、それこそジイドに彼女達の居場所を悟られる。

奴は必ず、私と殺し合うことを望むはずだ。

軍人として死を望んでいる彼が、この好機を逃すはずが無い。

必ず何か仕掛けてくるはずだ。

今からでもジイドを追い、決着をつけるべきでは?

そもそもが間違いだったのだ。

あの時、私はすでに死んでいた。そのツケが来ただけではないか。

私がまた、半端に生き方を変えようとしたせいで千束達を巻き込んだ。

元々自分の撒いた種と云って良い。

小説家になる。

捨てたはずの夢に捕らわれず、非情に奴を討てば全て解決するんじゃ無いのか。

思考が堂々巡りを繰り返す。

足が重い。

私は何を求めているのだろうか。

何故、ジイドを仕留めようとしなかった?

今までも、彼らにしたように無情に命を奪えば良かったのでは無いのか。

なんとも滑稽な話だ。

たきなにも、千束にも偉そうに講釈を垂れて置いて、私の中の迷いは晴れない。

結局、私もただの臆病者だ。

失うことを恐れている。

 

――なりたかったなんて悲しいこと云わないでよ。だって、織田作は誰も殺してないじゃん。

 

――私も、織田作さんの小説読んでみたいです

 

――きっと書けるよ。

 

――織田作も、殺しちゃダメだよ

 

脳裏に声が過ぎる。

私のような者に手を差し伸べた優しい声。

もう一度、私に夢をくれた声が、延髄にまで反芻し、私を迷わしている。

ああそうだ。

私は、あの場所に戻りたいんだ。

「織田作!!」

聞き慣れた声で名を呼ばれた。

顔を上げる。

洒落た木造建築のドアが開いており、そこから数人の人影がこちらを伺って云る。

千束達だ。

皆、無事だったらしい。

だが、私は動くことができない。

彼女達も元へ歩み寄ろうと思えない。

ジイドを放置すれば、いずれ彼女たちの命を狙うだろう。

奴を放っておくことはできない。

今からでも遅くない。このまま踵を返して奴に追撃に打って出るべきだ。

そうするべきなのに、私の足は前にも後ろにも動いてくれなかった。

「織田作…っ!」

正面から駆けてきた千束が私に飛びついて来た。

彼女は泣いていた。

泣きながら私を抱き締めていた。

嗚咽を漏らしながら、何度も私の名前を呼ぶ。

その度に、胸が苦しくなる。

 

「織田作! よかった! 本当に! もう会えないかと思った」

「……」

「ごめんなさい。私が織田作の言うこと聞かなかったから……」

胸の中で泣く千束の声が震えている。

肩口に赤い制服とは違う色合いのシミが血であると教えてくれたが、自分の怪我など気にならなかった。

こんなに弱々しい彼女を初めて見た気がする。

「あ、腕撃たれてる……もしかしてさっきやられたの!?」

「いや、最初に奴と戦ったときだ」

「でも早く止血しないと!」

「大丈夫だ。このくらいならすぐに治る。それより、お前達の方が心配だ」

私は千束を優しく引き剥がす。

そして、彼女の背後で立ち尽くしていた千束の仲間達に目を向けた。

たきなも、ミカも、ミズキもクルミも、一同に私を見つめている。

表情から困惑と焦りが見て取れたが、その視線が安堵に緩んでいることも分かった。

「織田作さん……良かった。無事で」

たきなが呟いた。

「作之助。とにかく上がれ。話は中でしよう」

一同の中で最も落ち着いていたミカが、「千束もはやく戻れ、手当がまだ済んでない」と促した。

「ほら、織田作」と千束が私の腕を引っ張ってくる。

自身で歩いている感覚がまったくないまま、私はこの店へ、千束達の居場所へと戻った。

 

 

 

テーブルの上に救急箱を置き、千束は慣れた手つきで私の腕に包帯を巻き始めた。

座敷に腰を下ろした私はただ、黙ってそれを見下ろしていることしかできない。

店内には、先程までの騒動が嘘のように静まり返っている。

「痛む?」

「大丈夫だ。それより、千束のほうが傷が深いんじゃないか?」

「平気だよ。これぐらい。ちょっとだけ、ヒリヒリするけどね」

撃たれた肩をグルグルと回し、千束が微笑む。

弾が貫通しているとはいえ骨にも傷が付いていたのか、「痛てて」と顔を歪めた。

「だから云ったのに。無理をするな」

「…ごめん」

ジイドと対峙して撃たれた。この事実だけでも千束にとっては恐ろしかったはずなのに私を心配させまいと強がっていたのだ。

私がもっと上手く動けていれば、千束にこんな無茶をさせることもなかったのに。

自分の不甲斐なさに嫌気が差してくる。

手当がある程度済むと、医療キットの片付けに戻ってきたミカが杖をつきながらゆっくり歩いてくる。

そして尋ねてきた。

「作之助。奴は、ジイドは何者だ?」

ジイド。

奴のことをだ。

ここまで来た以上、知らぬ存ぜぬでは通せない。

彼らにはきちんと話すべきだ。

「奴はジイド。俺とかつて戦い、差し違えた男だ」

「差し違えたって……」

隣に座っていた千束だけじゃない、たきなもクルミもミズキも、信じられないと云う顔を浮かべている。

当然の反応だろう。私だって同じ気持ちなのだから。

「俺は一度死んだ。それで理由はわからんが、この世界に来た」

私が戸籍を持っていなかったのも、まともに雨風すらしのげない犬小屋以下の場所に住んでいたのもその理由。

ここは私がかつていた、魔都と称されたヨコハマが存在していた日本とは違う。

まったく、別の世界だ。

「ジイドは俺と同時に死んだ。もし奴がこの世界に来たというのも、おそらくは俺と同じ理由のはずだ」

もっとも、なぜ私達がこの世界にやってきたのか。

それについてはわからない。

私の友ならば、なにかうまいこと推理してくれるかもしれないが、今はそんなことを考えても仕方がない。

それ以上に、今はジイドのことだ。

あの男は危険だ。

彼らにそう伝えなければならない。

 

「俺は、奴の全てを知ってる」

 

彼について調べることは何一つ無い。

彼がなぜ戦場を求め、軍人として死を望んでいたのか。

そのために何をしてきたのか。

どんな迷いがあったか。

そして、私に何をしたのか。

その全貌を、私は理解している。

 

「ジイドは危険だ。そして、俺と再び殺し合うことを望んでいる。正直云ってお前達を巻き込みたくない。だから―――」

俺はもうここには来ない。

だから、お前達もすぐに身を隠してくれ。

そう続けるつもりだった。

だが、言葉が出なかった。

私の言葉を遮るように、たきなが口を開いたからだ。

「織田作さん。それは違いますよ」

たきなは真っ直ぐに私を見つめていた。

「私たちは織田作さんのことが心配なんです。だから、一緒に戦います」

それに、とたきなは続ける。

「その男は、例の銃取引の主犯と関わりがあります。私たちも無関係じゃありません」

「たきなの言う通りだよ」

千束も同意するように首肯する。

あまりにも予想外のことに驚愕した。

「織田作。私達は織田作に助けてもらったんだ。今度は私達で織田作を助ける番だよ」

「そうだぞ作之助。お前一人で抱え込む必要は無い」

ミカが私の肩に手を置いた。

「だが…」

「おいおい、織田作、僕も忘れるなよ?」

今度はクルミがやれやれといった表情で私の前に立つ。

パーカーの中から一枚の薄い端末を取り出した。

「これは……?」

受け取った私は画面を見る。

そこにはある映像が映っていた。

複数のドローンで撮影したのか、四つに分れている中、一つの映像が拡大された。

それは、私がある男を殴り飛ばしている光景が、ループ再生されていた。

私の拳が緑色の頭髪の男の顔面に半分以上めり込み、石畳の上に叩きつけられる映像。

おまけに――

『真島さーん!!』

『真島さーん!!』

と音声もばっちりだ。

「まじまさーん」

端末の脇から顔を出したクルミは、ニヤケながら映像の音声の物まねをして見せた。

「コイツがこの一派を統括している男だ。例の銃取引にもいた。これで連中の素性はかなり割れてる。これはかなり使える情報だ」

「確かに、よく撮れてるが……」

「そもそも! アンタがDAをハッキングしたのが原因でしょーが! それでたきながクビになったんでしょー!?」

「うぅ…そうだが」

「アレは私の行動の結果です。クルミのせいじゃありません」

ミズキのやっかみに、たきながフォローを入れる。

例の事件でDAを追い出され、復帰に血眼になり、孤独に震えていた彼女の輪郭が、今はとても大きく見えた。

「そういうことなので! その真島って奴も、ジイドって奴も、皆ぶっ飛ばして捕まえる。だから織田作も協力してほしいの」

最後にもう一度、隣にいる千束が手を差し伸べた。

千束も、たきなも、ジイドの恐ろしさを一番近くで感じたはずなのに。私と一緒に戦うと云った。

「……はは」

思わず笑いが零れてしまった。

だが、零れたのはそれだけじゃなかった。

「織田作……」

たきなが、ミズキが、クルミが、そして千束が、心配そうな顔を向けてくる。

頬には涙が流れ落ちていた。

「すまない。俺は、お前達に救われてばかりだな」

差し出された手を握り返す。

「改めて頼む。俺に力を貸してくれ」

「もちろん!」

千束は満面の笑みを浮かべ、私の手を強く握ってきた。たきなも、ミカも、ミズキも、クルミも、力強く微笑んでいた。。

「そうと決まれば作戦会議だね。まず、ジイドって奴の情報を教えてほしいかな」

「ああ、わかった」

私は知っている限りのことを話した。

ジイドが、どんな人間なのか。何を目的に動いているのか。そして、なぜ私との殺し合いを求めているのか。

全て話そう。

千束達を遠ざけるためじゃない。

ジイドを殺すためでも無い。

彼らに勝ち、自分たちで選んだ未来をつかみ取るために。

 

 

 

 

 

*****

 

 

 

 

 

「あ゛~くっそ、鼻血が止まんねぇ」

地震でも起きたように揺れる車の中、真島は部下から差し出されたティッシュペーパーを丸ごと使って鼻をかむ。

その度に車体が大きく上下し、後部座席に座っている男達の体が宙に浮いては元に戻る。

この車は、真島の所有する車の一つだ。

そのほとんどがパンクしているのを無理矢理走らせているため乗り心地は最悪だった。

「真島さん、大丈夫っすか?」

「あぁ気にすんな」

彼が意識を取り戻したのは数分前、だが悔しさや怒りは無い。真島が旦那と慕うジイドが見定めた相手だ。

自分などでは釣り合いが取れないのは道理。

故に、この傷は名誉の負傷とすら云って良い。

「にしても、旦那、ありゃ何者だ? 一目でわかった。アイツはやべぇ。旦那と釣り合う男がいるなんて思わなかったぜ」

上機嫌な真島は、助手席に腰掛けているジイドに話しかける。

「当然だ。サクノスケは俺と同じ力を持っている。乃公の魂を原罪から開放する男はサクノスケを除いて他にいないだろう」

その言葉に笑みがこぼれる。

ジイドと同じ力。

バランスを保つこと。それがなによりの信条である真島にとって、織田という人物がいることが可笑しくて仕方がない。

「へぇ……そんなに強いのか?」

「強いなどという生易しいものではない。貴君らでは歯が立たないだろうな」

「そりゃ最高だ。でなきゃバランスがとれねぇ」

真島が両手を広げながら笑う。ジイドも静かに笑っていた。

笑っていないのは、真島を介抱するために両脇に座っていた男と運転手のみ。

躊躇いなく仲間の眼球を潰した男の話題でここまで笑っていられる彼らに、恐怖を感じないわけがなかった。

「あと、あの赤いリコリス。あれも気になるな。アイツもアレを持っているなんてな」

「奇遇だな。乃公もあの少女に興味がある。乃公の予知を覆したのだ。彼女ならばあるいは」

「ははは! 違いねえ!」

車内の空気を震わせるほど大きな声で笑った。

だが、その笑い声はすぐに落ち着いた。

未だに止まらない鼻血のせいで、口で息をするしか無い真島は息を吐いた。

「なぁ旦那。あのリコリスは俺にまかせちゃくれねぇか?」

「ほう? 何故だ?」

「気を失ってるときに思い出した。アイツとは因縁があるんだ。自分でケリをつけたい」

釣り合いが取れていない要求なのはわかっている。

真島自身、千束というリコリスには興味がなかったはずだ。

先に目をつけたのはジイドだ。

故に、彼の獲物をくれと云っているようなものだ。

失礼極まりないという自覚がある。だが、そうでなければバランスが取れないのだ。

「アイツなら俺と釣り合う。旦那にはあの男が釣り合う。これ以上無いバランスだ」

「そうだな。いいだろう。好きにするといい」

予想に反して、ジイドはあっさり許可を出した。

「マジ! いいのかよ?」

「あの少女はまだ未熟だ。だが力がある。貴君を殺せばあるいはこの魂を浄化できるに足るやもしれん」

「云うねぇ。んじゃ、期待してるぜ旦那」

 

気分が良い。

身体は痛いし、鼻血は止まらない。

血が出すぎて頭がクラクラするが、それでも気分は良かった。

この先に待っているのは、最高の未来だ。

平和一辺倒の日本。

バランスを取るためにぶち込む混沌に。

彼らほど釣り合う相手はいないだろう。

これから忙しくなる。

あぁ、本当に楽しみだ。

 

 

 

 

 

 

*****

 

 

 

 

「あのさ…織田作」

千束の撃たれた傷はかなり深かった。

奇跡的に急所を逸れて肩口を貫く程度で済んだが、出血も多い。直後の銃撃も傷に障ったことだろう。

すぐさまDAが管理している病院にかかることになった。

深夜だが、千束が撃たれたという報告をすれば、すぐに治療してくれた。

千束達が山岸と慕う医師が私にも手当をということになり、同行することになった。

彼女が被弾したと聞いたときの彼女の驚愕の顔から、千束の強さが伺えた。

その帰り道、と言うよりか病院の裏口から出ようとした時に、彼女は声をかけてきたのだ。

 

「なんだ?」

「あの…これ」

千束は一枚の紙切れを鞄から出すと、私に差し出してきた。

折りたたまれ、端が傷んでて、少しだけ汚れていたそれは、一枚の写真だ。

友人達と最後に撮った一枚。

私があの世界にいたこと、彼らと友だったことを証明する唯一の物。

それを差し出された。

 

「なんでお前が持ってるんだ?」

「いや…その、洗濯の時に……じゃなくて、遊び半分で織田作の服の中漁ってたんだ。それで…・…」

咄嗟に持ち出してしまい、ジイドと遭遇したときに落としてしまった。

と、千束は云う。

「その……ごめんなさい。そのせいで織田作の云うことも無視して、勝手に怪我して……」

俯きながら謝罪の言葉を口にする千束。

いつもの彼女とは違う弱々しい姿だ。

明るくて、そこにいるだけで周囲の温度を1度上げてくれるような存在だった彼女。

だが、今は違う。

私の知っている千束ではない。

今の彼女は、まるで捨てられた子犬のような雰囲気を纏っていた。

「……ありがとう」

「えっ……?」

顔を上げた千束は、きょとんとした表情を浮かべている。

写真を受け取る。

手のひらに伝わる感触は懐かしいものだった。

もう手に入らないと思っていたもの。

二度と戻れない世界。

唯一の残ったへその緒を、彼女は大切にしてくれた。

「守ってくれたんだな。ありがとう」

「あ、うん。だって、大事なものだもんね」

「ああ、大事だ。とても」

大切なものだ。

だから私は写真をポケットにしまった。

「その、怒らないの? 勝手に持ち出して、なくしちゃったのに」

「でも無事だった。千束が探してくれなきゃ、きっと2度と戻らなかった。だから、ありがとな」

「う、うん! どういたしまして!」

満面の笑み。

やはり千束はこうでなくてはいけない。

「だけど、無事で良かっただけで、ちゃんと逃げて欲しかったよ。ジイドは危険だと云っただろう?」

「それは……ごめんなさい」

「いいんだ。お前が無事だった事が一番嬉しい」

「っ……」

千束が息を呑む音が聞こえる。同時に俯いてしまい、身長差も相まって、暖色混じりの白髪が顔を隠して表情が見えなくなる。

「どうかしたか?」

「う、うぅん。なんでもない」

ぶんぶんと首を振る千束。

何だかよくわからないが、本人がそう言うならそうなんだろう。

「じゃあ、帰るか」

裏口を出ようとしたが、「待って」と言う声が、私を制止した。

振り返ると、俯いたままの千束の声が聞こえた。

「お……お姫様だっこしてよ……」

掠れるような、引き絞るような声。

聞き間違いだろうか。

しかし、確かに今、彼女は云った。

お姫様抱っこして欲しいと。

「……なんでだ?」

「なんでって……私も撃たれたから…たきなみたいにしてよ」

「たきなの時は足だったろ?」

「……そうだけど」

顔を真っ赤にした千束が、上目遣いでこちらを見てくる。

瞳には涙が浮かんでいて、頬は熟れたリンゴのように赤い。

「駄目……?」

潤んだ瞳で見つめられると、何も言えなくなってしまう。

仕方がない。

ここはお姫様の要望に応えるとしよう。

 

「んっ……」

彼女の元に歩み寄ると、肩と腰に手を回して持ち上げる。

思ったよりも軽い。

見下ろすと彼女の顔が近づく。

視線が交差すると、彼女は恥ずかしげに目を逸らしてしまった。

恥ずかしげに身を捩らせるが、抵抗はない。

「どうだ?」

「織田作の腕が肩の傷にあたってめっちゃ痛い」

「なら止めるか?」

「…………もうちょっとこのままがいい」

「そうか」

そのままの状態で歩き出す。

千束は私の胸に頭を預けるようにして体重をかけてきた。

旧電波塔から吹き付けるように降りてくる風が、彼女の前髪と赤いリボンを優しく撫でていた。

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