彼岸花と迷い犬   作:黒ゴマアザラシ

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もう一つの可能性

東京はその日、うららかな陽光が差し込む暖かな日だった。私は難しい顔をしながら東京の街を歩いていた。

手ぶらで1人。ここ最近は、いつも誰かと連れ合って歩いていた分、いつにも増して難しい顔をしていたに違いない。

休日に金に窮して雀荘に行くことも、夢を諦める口実として探していた本を見つけるために古本屋や図書館に通うことも無くなっていた。

どこへ行くときも、どこにいるときも、視界の中には彼女達がいた。

だから、いつもなら穏やかに過ごしていた1人の時間が今ではどうしようもなく寂しく感じるのだろう。

自転車を漕ぐ若者が薄い液晶画面を見ながら走り去っていく。制服を着た少女達が片手に粒が沈んだ飲み物を持ち、彼女達にしか見えない何かを写真に残そうとしている。

先月、深夜に起こった銃声で警察が多数押し寄せ近隣住民の不安を煽ったと言うのが、まるで地球の裏側の出来事のように感じた。

私はある場所へとたどり着く。

そこは人々が休んでいるベッドタウンからも、ビジネスマンが日々戦っているビル街でも、若者達が青春を謳歌している繁華街でもない。

東京には似つかわしくない、古びた教会だ。

手入れなどはもちろんのこと、門や十字架には蔓やコケが生え、扉は錆び付いている。窓ガラスに至っては割れたまま放置されている始末だ。

門の間には、私有地に着き立ち入り禁止と書かれた看板が垂れかけられてこそいるが、それも朽ちて糊の後で辛うじて読めるほどの物。

この裏手を数分ほど歩いた先に、周辺の木々や路上で拾ったボロ布で作ったテントのようなものがあり、私のかつての住居があった。

住居というか、家というのもおこがましい犬小屋以下の場所だったし、雨風も禄にしのげることはなかったが、住めば都とはよく云った物だ。

現に、彼女達と出会うまでの間、私はここで過ごしていた。

近隣に目立った施設や住宅などがない分、人の目や監視カメラの類いを気にする必要もなかったからな。

私は久しぶりに訪れたかつての住まいを隠すためにそびえ立っている教会の門を潜り、中に入った。

神父の手厚い挨拶もなく、埃やゴミ、朽ちたガラス片などで散らかった礼拝堂の前まで歩くと、私はゆっくりと瞼を閉じた。

まるで祈るように。

あるいは、懺悔のように。

誰かを待っていた。

そして、その時は来た。

 

「動くな」

乾いた声が背後から鼓膜に響く。同時に、カチャリと金属同士が擦れる音が後頭部に添えられた。

「警告だ。動けば撃つ」

気配も、足音も消して、この礼拝堂にまで入ってきた私の無防備な背後を完全に取ると、そのような言葉が聞こえた。

あまりに突然すぎるのと、それが誰が言ったことなのかという事を瞬時に理解した私は、背後から降って沸いた冗談のような戯れ言に、声どころかため息をつくことすら忘れてしまった。

「よせジイド。あんまり面白くないぞ。お前が撃つ前に警告なんてするわけが無い」

「試してみるか?」

「やってみろ」

下らないお遊びにうんざりした私は、振り向き様に拳銃を構えた男の顔を見据えた。

ひび割れた赤色の瞳孔が、歪みながら私の顔を映している。

くすんだ銀色の頭髪が、割れた窓から差し込んでくる陽光に照らされ鈍く輝いている。

「さすがは、国の公的機密機関のエージェントと云ったところか。この一ヶ月、我らの接近すら許してくれないとは恐れ入ったよ」

「よく云う」

「それに、同じ手を使うのは芸がないだろうからな。貴君の子供達のことも、部下達は嘆いていたよ」

礼拝堂に銃声が響く。

広い空間故、幾度もこだまして外に吹き抜けていくがこの周辺の人気が無さが幸いし、その銃声を聞き付けて人が駆けつけてくるようなことはない。

銃弾を放ったのは奴では無い。私だ。

だが奴に、ジイドにはただの銃弾は威嚇にもならない。

「そんな顔をするなサクノスケ。乃公も今は貴君と殺し合う気は無い」

私が撃った弾丸は、ジイドの横にあるステンドグラスに当たり砕け散る。

奴の頬には掠り傷一つ付いていない。

避けたのだ。

驚くことは無い。

彼や私にとって、数秒先の未来を見る者同士にとって、これくらい造作もないことだ。

「どの口が……」

彼の背後で粉々になったステンドグラスの破片達が、太陽の光を浴びてきらきらと輝く。

私はそれを見つめていた。

いや、睨み付けていたと言うべきか。

あの時、あの場で見た光景を。

彼らが――ミミックがあの子達に何をしたのかを。

私を戦場に引きずり込むために、彼らは私が扶養していた子供達を目の前で殺した。

隠れ家に踏み入り、暴力で云うことを聞かせて、あのバスに乗せて、自らの部下ごと爆薬とガソリンで燃えさかる炎で焼き尽くした。

彼らの所業を、忘れたことなど1度たりとも無い。

「今度は何を企んでいる?」

彼女達、千束達が簡単に彼らに身柄を抑えられることなどなかった。

それもそのはず。

ミカからの打診で、DA本部と辛うじて連携を取ることが出来た。

DAが独自で運用しているラジアータの索敵範囲を、千束達の生活圏に絞ることが出来れば怪しい影が現れた時点ですぐに足が着くようになっている。

多少の不審な人物や飛来物が近づいただけで彼女らに知らせが入るようになっている。

いかに神出鬼没名彼らでも、範囲を限定されてしまえば近寄ることすらできなかったようだ。

私も舌を巻いた。

千束が撃たれたの一言で、あの仏頂面の楠木を動かすことができたのも嬉しい。

だがそれ以上に、ジイドが私と殺し合うことを望まないなんて冗談の方に注意がそれてしまった。

「何、冷静に考えて見るといい。乃公と貴君はあの世界で殺し合い、同時に死んだ。あの時、貴君と乃公の会話と思考が時間を越えて入り交じったのを覚えているか?」

「……あぁ」

ジイドが話しているのは、異能力の特異点についてだ。

私のもう1人の友人が教えてくれたことだ。

複数の異能力が干渉し合うとごく希に、全く予想できない方向に異能力が暴走するという現象が起きる。

同じ予知能力を持つ私達が最期に戦ったときは、未来が重なって見えると言う現象と互いが互いの言葉を先取りし続け時間が無限に伸ばされたような感覚を感じるという現象が起きた。

故に、私は彼を理解している。

かつて母国の英雄だったが、和平交渉のための戦争犯罪者に仕立て上げられ、国と誇りを失い、軍人として死に値する場所を求めて各地を流浪した。

軍人であること、国を守るために生き、仲間のために死ぬ、その誇りが彼らの血液であることを、私は知っている。

無論、私が千束達に語った1度捨ててしまった夢のこともだ。

「乃公は考えた。若し、貴君と再び殺し合えば、また同じ現象が起きるのではないかと」

ジイドは続けた。

「そして、それこそがこの世界に漂着した理由では無いかと」

「なんだって?」

「疑問に思ったことはなかったのか? 貴君がなぜ、異能の存在しない世界に流れ着いたのか」

ある。

何度もある。

考えを巡らす度に答えなど出るはずも無いと諦めてばかりだった。確かめる術もない。

しかし、一つ仮定をくわえるとするならば、あの時発生した異能力の特異点が原因では無いのか?

私1人では根拠に乏しかった。

しかし、目の前に、特異点を発生させ同じ状況で死んだ人間がもう1人いる場合なら、その仮説に一つの筋が通ってしまう。

まだ足りない。不確定要素やこじつけに過ぎない部分が多すぎる。

だが、他の答えを知り得ない私にとっては耳を傾けざるを得ない話だった。

「故に、ここで貴君と殺し合っても、再び両方か、あるいはどちらかが死んでも、結果は同じでどこか別の世界に放流されるだけではないかと考えた」

それでは意味が無い。

とジイドは付け加えた。

私と殺し合っても、ジイドの望みは叶わない可能性があるということだ。

私だけが死んでも、死ねずこの世界に戦場を求め続けさまよい続ける亡霊と化す。

ジイドが死んでも、ジイドは別の世界へと流れ着き再び死を求め流浪する。

どちらが死んでも、流れ着いた先でそれぞれの生きる理由をかけて殺し合うことになる。

「つまり、もはや貴君と殺し合う理由は無いのかも知れない。貴君とでは、この魂を原罪から開放することは叶わない可能性があるのだからな」

「……」

嘘だ。

ならば、何故彼は私の前に姿を現した?

何故数度に渡って千束達を追跡しようとした?

奴の頭の中にある地獄を見せ、私を彼らの世界へ引きずり込むためにではないのか?

それ以外で、ジイドの興味を惹く物などこの世界には……

私は思い出してしまった。

一つだけあった。

同じ未来予知を持っているからこそ分かる。

彼が求める死を叶えうる存在が、この世界にもう1人だけ。

目を見開いてしまった私を赤い瞳で捉えると、ジイドは静かに肩を揺らして笑った。

「そうだ。サクノスケ。あの少女だ。彼女ならば、乃公を殺し、真の意味でこの幽霊の魂を焼き尽くすことができるやもしれん」

私は引き金を引いた。

ジイドの狙いがわかった。わかってしまった。

奴は、千束を狙っている。

自身を殺しうる新たな可能性として、千束に目をつけたのだ。

彼女をあの世界に、私と同じように連れて行こうとしているのだ。

そんなこと、許せるはずが無い。

誰かの時間を奪いたくないと願う彼女に。

人を救うために銃を握り、引き金を引く彼女に、私のような者と同じにさせてはならない。

「まぁそう焦るな。貴君との戦いも乃公は楽しみにしている。貴君を殺せば、あの少女は仇として乃公を討ちに来るだろう。だが、今はその時では無い」

千束の弾が空を切る。

この距離ならばある程度の命中率を誇るそれですら、ジイドを捉えることはできない。

ジイドは悠々と私の弾丸を避けながら、私の方に向かってくる。

私はそれを牽制するために、再び発砲。

それを最小限の動きだけで避けていく。

「あの少女はまだ未熟だ。だが力はある。真島が彼女を気に入っていてな。何分、乃公を慕ってくれている男故、悪い気がしないでもない。貴君と相まみえたきっかけも奴だ。多少は思いをくみ取ってやらんとな」

奴の口元が不気味に歪む。

まるで悪魔の微笑みのように。

私は歯ぎしりをした。

銃を握る手に力がこもる。

奴の言葉が真実である保証は無い。

だが、仮に全てが本当だとしたら、私はどうすればいい? 私は、千束を守りたい。

千束が私を助けてくれたように、私も千束を助けたい。

そのために、私は何をすべきか。

「ならば、ここでお前を殺すまでだ。例え相打ちになったとしても、あの子達をお前から遠ざけることは出来る」

「今の貴君に、それができるか?」

ならば、試して見よ。

と、ジイドは一丁の拳銃を投げつけてきた。

朽ちた床に回りながら滑り落ちたそれは、使い古した私の靴の先にコツンとぶつかると、そのまま私の足下に転がる。

視線を下に向けてしまった私は、すぐさま顔を上げた。

そこには、私から背を向けたジイドが立っていた。

「それは真島が用意した銃だ。貴君の銃に詰まっているおもちゃなどでは無い、実弾だ。もしできるならば、ここで乃公を殺せ。貴君に殺されるならば本望だ」

背中越しにジイドは言う。

その言葉は、私を挑発しているように聞こえた。

私ならば必ずジイドを撃ち殺すことが出来ると、確信しているかのように。

すぐに足下にある銃を拾って持ち返る。

そしてジイドの背中に向けた。

照準は外さない。

彼の後頭部にピッタリと捉えることができた。あとは引き金を引くだけだ。

それで全てが終わる。

ジイドが死ねば、真島という男達が率いる一派に大損害を与えることが出来るまたとない機会。

あの男だけならば、千束とたきなならば乗り越えられるだろう。

だがジイドは違う。

彼は危険だ。

ここでやるしかないんだ。

私は引き金に指をかけ、力を込めようとした。

 

――織田作も、殺しちゃダメだよ。

 

千束の声と共に、誰かが指を押さえるように、私の手から銃が滑り落ちた。

カチャリ、と朽ちた床に銃が沈む音が聞こえる。

落ちた銃は、抜け落ちた木々の隙間を塗って床下へと消えてしまった。

私と背中を見せるジイド、2人だけの空間が出来た。

風すら無い静寂の中、ジイドは振り返ること無く歩き始めた。

「そういうことだ。サクノスケ。今の貴君では乃公を殺せない」

落胆と、失望の入り混じった声色だった。

ジイドはそのまま歩き、やがて礼拝堂の外へと消えていく。

「貴君かあの少女、どちらかが真に乃公の魂を殺しうるのか、楽しみに待っているぞ」

最後にそれだけを言い残して。

私はしばらく動けなかった。

ジイドが去っていく気配を感じながらも、その場に立ち尽くしていた。

私は顔を上げ、埃が舞っている天井を眺めた。

歪んだ木目達が、礼拝堂を舞う埃と合わさり、亡霊が見下ろしているような錯覚を覚える。

未だに迷いがある。

あの時、全てを捨てて彼を撃つべきだったのでは?

千束の声を振り切ってしまえば、それですべて解決したのでは無いのか?

 

「千束……俺はこれでよかったのか?」

 

そう呟くが誰も答えをくれはしない。

私も所詮、一匹の迷い犬だったのだ。

 

 

 

 

 

 

*****

 

 

 

 

私が店に戻るときには、日が傾き始めてきた。

千束達の制服が半袖から長袖に衣替えし始めた頃からというもの、徐々に空が赤く染まっていくのが早くなっていく。

この時刻になると風も冷気を帯び始めてきた。

古教会からの帰路、重たい足取りのまま店の門を開けた。今日は近所のお婆さんに声をかけられることは無かったが、遅くなってしまった。

「織田! あんた仕事ほっぽりだしてなにしてたのよ! 1人で出歩くなって云ってたアンタが単独行動してどうするのよ!!」

店に入るとすぐ、カウンターで一升瓶を脇に置いてグラスを傾けているミズキがいた。

「晩酌は家でやれよ」

クルミも落ち着いた様子でミズキに突っ込みを入れている。私には出来ない芸当だ。

たきなはというと、カウンターの奥で1人黙々とレジ締めをしている最中で、この喧噪の中よく集中できる物だと感心してしまう。

もっとも、彼女らがジイドに狙われているのにこの落ち着きようが逆に怖くなってしまう。

依然、警戒態勢は敷かれているが予断を許さない状況だ。

千束きっての希望で、店は閉めないと云う方針で進めているのだがどうしても不安になってしまう。

だが、ジイドに絶望的な状況まで追い詰められた彼女の言葉だ。

受け止めざるを得なかった。

そして、その千束本人はというと……。

「う~~~~~~ん」

何故かうなっていた。

珍しく口元に手を当てて、露骨に考えているポーズをしている。

今朝も店の前で同じ体勢でいた。

「どうかしましたか?なんか今日は変ですよ」

私が戻ってきてもこの調子の千束に不自然さを覚えたたきなも声をかけた。

だが、ミズキが「こいつは毎日変だろ」と、茶々を入れたせいで、いつも通りの雰囲気になってしまった。

しかし、それでもずっと考え事をしていた千束は口を開く。

「う~ん…先生は?」

「さっき買い出し行った~。何~? もうおっさんが恋ちいのかな千束ちゃんは」

千束は、ポーズを保ったまま云った。

 

「皆さん…リコリコ閉店のピンチです」









少々ガバがありますがご容赦を。
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