彼岸花と迷い犬   作:黒ゴマアザラシ

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思った以上に長くなったのと、
色がついてテンションが上がったので中編として登場します。


ちさとと会った日 中編

意味の無い風景が、浮かんでは消える。

古びたバー。悲しげなジャズクラシック。

カウンターに腰かけているのは3人。

 

――僕が間違っていた。この場所だけは皆さんと立場を超えて会える気が勝手にしていました。

 

――失いたくない物は必ず失われる。求める価値のあるものはみな、手に入れた瞬間に失われる事が約束されている。

 

ーー苦しい生を引き伸ばしてまで追い求める物なんて、何もない。

 

カメラのシャッターを切るように風景が切り替わる。

次に写ったのは燃え盛る炎に焼かれた車。そして誰かの叫び声。

まるで脳髄を素手でかき回しているよに不規則に現れる消えていく。

 

――織田作。

 

私の名が呼ばれる。

慣れ親しんだあだ名で、時には名字。そして名前で。

 

――起きろ、織田作。

 

最初に聞こえた声と共に強い光が私の視界を覆う。

目を開いてまず視認できたのはとても清潔とは言えないコンクリートで舗装された風景だった。

鼻腔からは数ヵ月は手入れを怠ったであろう便所のような匂いが流れ込んでくる。

下水道だ。

昏睡瓦斯で乱された自律神経の感覚に頭を痛めながらも瞬時に理解した。

私は赤い制服の少女と共に昏睡瓦斯を浴びてここに運び込まれたらしい。

その証拠に、私と対峙していた彼女もまた背後で目蓋を閉じている。

改めて見ると美しい少女だ。薄汚い下水道の中であっても彼女の美しさは際立っている。

この世界には似つかわしく無いほど可憐で肉つきのよい身体つき。

顔立ちも端正でどこかあどけなさが残るものの整っている。

同じ空間にいることすら私にはおそれ多いと感じてしまう程だ。

彼女と私。

1つだけ共通点を放り出すとすれば手錠をかけられていることくらいだ。

「おぉ、先にこっちの目が覚めたか」

足音と共に現れた男の声によって意識を現実に引き戻される。

男の風貌は異様であった。

年齢は30代前半と言ったところだろうか。

しかし外見だけで言えば20代の若造にも見える。

服装も髪型も全てが中途半端なのだ。

黒いスーツの上に白いシャツ。ネクタイは締めず胸元を大きく開けている。

そんな男が手に持っているものを見て思わず目を疑う。

拳銃だ。それも記憶に新しい。

私に襲いかかってきた少女達の獲物だ。

おそらくは、私か後ろの彼女から奪い取ったものだろう。

「お前の名前は?」

男は銃口をこちらに向けながらそう言った。

「答える義務は無い」

私がそう返すと男は笑い出した。

ひとしきり笑った後で口を開く。

表情を見る限り、彼はまだ何かを隠している。

それは愉悦に満ちた表情であり、同時に嗜虐心を満たしたいという欲求でもある。

同時に私は確信した。

彼らは犯罪組織だ。しかし弱小の。そうでなければこのような下水道を拠点にするわけが無い。

「けっ…、まあそれくらいの方が後々楽しめそうだ。それに、俺らの目的はお前じゃねぇしな」

男の言葉に眉根を寄せる。

そうすると、この男は俺の荷物を狙っていたのではなく、彼女に目をつけていたと言うのか。

動機はなんであれ、付け入る隙が1つできた。

「なら、お前らは自分の骨を砕いて野犬に与える方が常識的な選択をしたことになるぞ?」

「あぁ?」

男が首を傾げると同時に私は自分の首筋に突きつけられた銃口に手を添える。

「面白い冗談だ。気に入った。話してみろ。俺を爆笑させたらとりあえずは殺さないでやる」

私は小さく息を吐くと男の顔を見据えて一言呟いた。

「あの荷物の持ち主はマフィアだ」

「ふーん、で?」

「それもそのマフィアの首領からの勅命で承った荷物だ。おそらく取引の時間はもう過ぎてる。しくじった俺は勿論殺されるが、その後にお前らも同じところに行くことになるぞ」

私のお得意様とは、マフィアだ。

録な戸籍も、住所もない私が仕事を与えてくれるような場所と言うのは限られている。

その中で一番信頼のおける組織がマフィアだ。

彼等は非合法な商売に手を出しているが決して一般人を傷付けることはしない。

マフィアにとって必要なのは金ではなく面子であるからだ。

1つの取引を反古にしただけで、鉛玉の味を知ることになる。

当然その邪魔をした連中の末路など、私以上に悲惨なものだろう。

「……」

男は途端に震えだした。

だがその理由が私にはすぐにわかった。

恐怖によるものじゃない。

笑っていた。それも抱腹絶倒と言わんばかりに。

「クッハハッ! こいつは傑作だ!」

「何がおかしい?」

「お前、いつの時代の人間だ? 外国ならいざ知らず、この国のヤクザやマフィアどもは武器やヤク売った金の算盤引くくらいしか脳の無い連中だぜ?」

笑い声の合間から放たれた声からは、マフィアなどと言う言葉に対して欠片ほど恐怖も感じていないのが見てとれた。

私には彼が正気の人間とは思えなかった。

裏社会において個人など、虚空に揺らぐボウフラのようなもの。

そして彼らのような弱小の犯罪組織もその類い。

吹いてしまえば消える。そんなものだ。

だから、こんな風に笑っていられるのは、正気を失った狂人くらいだ。

あるいは、別のより恐ろしいモノを知っているとしか。

「世間知らずのお前に教えてやるよ。この国で最も恐ろしい連中のことをよ!」

「最も恐ろしい?」

「あぁ、この国にゃ表と裏があるんだよ。表では世界一治安のいい国だなんて吟ってるこの場所が裏でどんな手を使っているか」

男の声色に真実味が帯びていく。

まるで本当に体験してきたかのような語り口調。

本当に怯えているように話すその様は、男が言うその存在が今ここにいるかのようだった。

私をもその恐怖の渦に陥れようとするかのように、彼は指差した。

「今、お前の後ろで可愛い寝息を立てている女。それがその正体だ」

私は振り返る。

そこには、確かに少女が横になっていた。

「彼女が……?」

「殺し屋さ。それも国公認の。このガキどもが、俺らみたいな連中が悪さする前にぶっ殺しちまうのさ」

普段の日常会話でそのような話題が出れば、都市伝説やら怪談として一蹴されるであろう話だ。しかし、私は知っている。

現に彼女と同じ制服を着た少女達に命を狙われた。それも執拗に。ならば、その話が真実だ。

「そうだコイツだ! あの旧電波塔で俺らをじゃましたのは!! コイツのせいで俺達は! コイツのせいでコイツのせいでコイツのせいでぇ!!」

錯乱している。

目が血走って、焦点も定まっていない。足下で横渡っている少女が呼吸をしているその動作だけで、男は発狂しそうな程に激昂していた。

瞳を閉じて穏やかに眠っている彼女にだ。

男は右手に持っていた拳銃の引き金をためらいなく引いた。

銃口が向けられていたのはあの少女。

標準が定まっていないが適当な数撃った弾丸の内、何発かは彼女に命中した。

動けなかった私は息を飲んで後ろを見た。

宙を舞ったのは彼女の鮮血では無く、赤い霧状の粉末だった。それが非殺傷弾によるモノだと理解するのにそう時間は要さなかった。

「ぐっ……」

少女は声を上げる。被弾する瞬間にわずかに彼女が動くのが見えた。咄嗟に急所を守ったらしい。

「っ…痛ぁ……」

撃たれた彼女は横たわったままだが、命に別状はないように見える。だが、非殺傷弾とはいえこの距離での被弾ならばそれなりの痛みに違いない。

拘束されて自由を効かない身体を蠢かして賢明に痛みから逃れようとしている。

「はははっ! 見ろよ! このガキ、狸寝入りしてやがった! だから油断ならないんだよ!!」

男は再び銃口を私に向けた。

先程の銃弾が威嚇射撃ではなかったことはわかっていた。

「おい」

「あ?」

「…止めろ」

男は私の胸ぐらを掴む。

そのまま持ち上げると私の顔を間近まで寄せて睨み付けた。

私の方が背が高い分、必然的に男が私を見上げる形になる。

「おいおい勘違いするなよ。俺は親切でやってるんだぜ? コイツはヤバい。お前がビビってるマフィアなんかよかずっとな。もし俺が実弾で撃ってみろ。それであの手錠を外されたら俺たちゃ全滅だ」

「それはなかなか随分な話だな」

まるで飛来する弾丸を読んで自らの拘束を解けると言っているようだ。そんな芸当ができる人間などこの世にはいない。

それこそ、超人的な力でも使わない限り。

「言ってろ…それよかどうするんだ? お前が詰んでるのは変わりないんだぜ? お前の荷物がマフィアのもんだってこのガキに知られちまった。もしコイツが生きて帰るようなことがあればお前もただじゃ済まない」

「……そうだな」

確かにその通りだ。

どう転んでも私は死ぬだろう。

仮にここを抜け出してもお得意様に殺される。

彼らに反抗しても、手錠をはめたまま嬲り殺される。

彼女に手を貸しても、そもそも彼女らは私を殺そうとした連中だ。どちらに転ぼうと、待っているのは死だけだ。

「ちょっと! 私がこの人を殺すわけ無いでしょ! 貴方の時だって!」

「テメェは黙ってろクソガキ! 今度は本気でぶち殺すぞ!」

男の怒りは頂点に達しているようだった。彼女が一言口にするだけで、男は激昂する。そして、それを鎮める術を彼女は持っていないようだった。

ただでさえ危険な状況なのにこれ以上彼女を刺激すれば、今度こそ本当に殺されかねない。

「でだ。俺は優しいからある提案をしようと思うんだ」

「……それはなんだ?」

「このガキを殺せ」

それはあまりに凡庸な言葉だった。

返事を返す前に男は続ける。

「お前の手腕は知ってる。証拠がこれだ」

そう言って見せたのはもう一丁の拳銃。

彼女が持っているのと同じ形式のモノだがパーツが違う。先端に長い箱のようなモノがついていた。

それはサイレンサー。

私には見覚えがあった。

「この下水道は俺らのテリトリーだ。この中で起きることは全て把握している。当然、お前がこのガキらから逃げ延びたこともな」

つまりはこの男は、私があの制服を着た少女達に襲われ生還したところを知っているということだ。

「お前ほどの男がこんな下水で嬲り殺されるのも、マフィアに殺されるのも、このガキどもに殺されるのももったいない。だから手を組もうぜ? コイツをここで殺して、お前と俺が組めば怖いもの無しだ。なぁそうだろう?」

まるで答えがたった一つしか存在していないかのような口調で男は言った。

男の言っていることは間違っていなかった。

私は、このままでは間違いなく死ぬ。ならば、彼女を殺して生き残る。それだけの話なのだ。

それだけ聞けば悪い話ではないのかもしれない。

だけど、一つだけ懸念すべきことがあった。

「……俺は」

「あ? なんだ? よく聞こえねぇよ」

「俺は今、犬小屋以下のところで暮らしている。そこそこ住み慣れているが、それが下水に変わるのはちょっとな」

言い終える前に私の頭に衝撃が加わった。

重く硬いその一撃は銃床によるモノだとすぐにわかった。

下水の足跡がこべりついたコンクリの上に倒れ込む。

「馬鹿野郎が……! 立場を分かってねぇのか!!」

男は私を見下ろしながら呆れたように言う。

「だが俺は機嫌が良い。五分待ってやる。その間にちゃんと考えることだな」

男はそのまま、私に背を向けて歩き出した。

残された少女は何も言わず、ただ静かに男を見送った。

男が立ち去った後、彼女は私に近づいてきた。両手両足に手錠をかけられたままだから、ぎこちなく芋虫のように這う。

「大丈夫ですか?」

「ああ」

「良かった」

安堵の声を漏らす。強い子だ。

たった数十秒前に私に殺されるかも知れなかったというのに。

「君の方こそ、撃たれたんじゃないのか?」

「え? あぁ……死ぬほど痛いですけど大丈夫ですよ。あれ私の特注なんで」

彼女は枷のついた腕を上げて見せる。

おそらく、自分は元気だというアピールなのだろう。

よく見ると彼女の制服にまだ赤い粉末が残っている。この制服は防弾仕様なのだろう。

特に粉が腕に集中しているあたり、意図的に防いでいたのがわかる。

「……あの」

「ん?」

「その……すみませんでした」

「……どうして謝るんだ?」

「貴方を……巻き込んでしまったから」

「……気にするな」

しかし、私が巻き込まれたのはこの子のせいではなく、私のせいでもない。

ただ間が悪かっただけだ。

自分がこの手の厄介ごとに巻き込まれるのは慣れている。

今までだって何度もあった。その度に私は生き延びてきた。

あの時までは。

「それじゃあ、早くしましょう。あの人が来ます」

「何をするつもりだ?」

「何って、手錠を外すんですよ! ちょっと待ってくださいね。こういうのは訓練でやったことありますから」

「その必要は無い」

「へ?」

私は彼女に手錠をはめられたままの状態で右手を開き、彼女に見せた。

「鍵はここにある」

「……いつの間に取ったんですか?」

「あの男に取引を持ちかけられた時だ。距離を縮めて視界を減らし、会話で挑発して、注意を逸らした隙にポケットから抜いた」

言ってしまえば初歩的な手品。

私の友人ならばもっと器用にこなしてみせるだろうが、生憎私は不器用な部類だ。

故にこのような回りくどい方法しか取れない。

「ほぇー……凄いんですね」

「それより、さっさと外してくれないか?」

「あ、はい!」

彼女は慌ただしく動くと、手錠の鍵を開けてくれた。

自由になった手で手錠を外し、立ち上がる。

「それで、これからどうします? このまま逃げちゃいますか?」

「……君は逃げないのか?」

「逃げませんよ! 銃取られたままですし!」

「同感だ」

私も彼らに奪われたモノを取り返さなければならない。

例の荷物も私物の銃も、何もかも押収されてたままだ。

「となると、どこにあるかですね」

「弱小とはいえ、多少の人数で形成された犯罪組織だ。押収したモノや盗んだモノを保管しておく場所が必要だ」

「そうですね。だとすると考えられる場所は一つしか無いですね」

「奇遇だな。俺も心当たりがある」

武器庫。と口を揃えて言った。

何かがピッタリと嵌ったような感覚は、それだけでお互いの頬を緩ませた。

特に彼女の笑顔は、一歩間違えば死するこの状況では場違いな程に無邪気だった。

「でも場所がどこかわかりませんよ?」

「それなら彼らが教えてくれるさ。親切にな」

「え? ちょっと待ってくださいよー!」

私は歩き出した。

背後から少女の足音が聞こえる。

その音は、今の私が知る限り最も信頼できるものだった。

下水の中、身を隠しながら進み続けて数分。

ついにその時がきた。

「くそ!! アイツら逃げたぞ!! 殺せ!!」

下水のどこから共無く聞こえてくる怒声。

反響しているせいか正確な数はわからないが、少なくとも十人以上はいる。

そして、彼らは間違いなく私達を探している。

私達は彼らにとって貴重な商品であり、私達の命の価値はその辺の石ころよりも安い。

つまり、簡単に見つかれば殺される。

だが、攻めに転じた相手ほど足下を転ばしやすいのも事実だ。

「武器庫からありったけの銃と弾を持出せ! 奴らを逃がすんじゃねぇぞ!」

遠くから響く指示を聞きながら、私達はさらに奥へと進む。

「……ところで、さっきの話ですけど」

彼女が不意に口を開いた。

「なんだ?」

「なんで私を殺さなかったんですか? その方が貴方が助かる可能性が高いのに」

「そんなことか…」

私は少し考えて、答えた。

「単純な話だ。あの場で首を縦に振ってもその場しのぎにしかならないからだ。もしヤツと手を組んだとしても利用価値が無くなれば殺されるだけだろうな」

「でもあんな露骨な挑発したらホントに殺されるかも」

「殺さないさ」

即答した。

それも簡単なこと。

あの男の脳内には二つの事象を考える必要があった。

彼女をどう殺すかと、私をどう利用するかだ。

彼に取って彼女は冷静さを失うほど発狂していた。それだけこの子を恐れていたことになる。

そして今後、この子を確実に殺し、報復に来るであろうあの制服少女達を迎え撃つためには今の戦力では勝ち目が無い。

だから私にあのような取引を仕掛けてきたのだ。

私を、彼女達を屠る唯一の切り札にするために。

壊れた心の均衡を保つ術は、それしかなかったのだろう。

そう言うことを手短に説明する。

「ほーすごいですね。よくそこまで考え付きますね」

「まぁ、俺の友人ならもっと情報を聞き出せていただろう。俺じゃこの程度が限界だ」

「その友人さんってどんな人なんですか?」

「そうだな……一言で言うならば……死にたがりだな」

あの世界に退屈し、ずっと死を待っているように思えた。

あの世界でただの友人でいれくれた男。

私に出来ることはせいぜい彼にどう生きるべきか教えられたくらいだ。

「えぇ!? それって大丈夫なんですか?」

「さてな。今頃何処にいるのかもわからん」

「へぇ……会ってみたいですね。その人に」

「無理だな」

「どうしてですか?」

「……いや、なんでもない」

彼はもういない。

死んだわけでは無い。

私が彼を置いて行ってしまったのだ。一足先に、彼が最も望んでいたところに来ることになった。

もっとも、私は今こうして下水に息を潜めているわけだが。

「耳を澄ましてみるといい。今、足音が一つの場所に集まってきている」

「え? あ、本当」

「あそこが武器庫だ。おそらく、あそこに俺の荷物もあるはずだ。そして、君の銃もな」

「……ところで、さっきから気になってることがあるんですけど」

「なんだ?」

「さっきから気づいてました?」

「何をだ」

「足音です」

言われてみれば、確かにいくつか近づいてきている。

私達のいる場所は下水道の隅にある狭い空間。

そのせいで足音がよく反響する。どうやら、あらかじめ警備していた人間がいたのだろう。

「少し話しすぎたな。走れるか?」

「お兄さんこそ、途中でバテないでくださいよ?」

「問題ない」

そう言って、私達は駆け出した。







ここまでこの二人が自己紹介をしていないという事実。
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