彼岸花と迷い犬   作:黒ゴマアザラシ

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本当の強さ

「たきな! テメェボサッとしてんじゃねぇよ!」

「…すみません」

その標高は、すぐ隣で歪にそびえ立つ旧電波塔の最上階の高さまで届いていた。

吹き付ける強い風に、フキの舌打ちが溶けていくがたきなの耳には右から左へと通り抜けていくだけだった。

場所は延空木。

たきなが喫茶リコリコにやってくるときにはその形を東京都民に見せつけて、この11月に本格的に始動する新しい電波塔は、今やあるテロリストにジャックされている。

真島だ。

彼は延空木を爆破するためにこのテロを仕掛けたのかと思われていたが、実際は完成セレモニーに乗じてたきな達リコリスの存在をあぶり出すために利用したのだ。

最初の突入による奇襲は、見事空振りに終わったわけだ。今は作戦を見直すために一時撤退し、再び再突入のために延空木の中央制御室まで向かう長い階段を上っていた。

たきなが関わった銃取引。

1000丁の銃は、この東京中にばらまかれていたのだ。

それだけの銃火器を扱えるほどの人数の組織をDAが見逃すわけが無い。

故にこの作戦を思いついたのだろう。

強い風が、しなやかな黒髪を揺らした。

(私は何をしているのだろう)

と、たきなは思った。

こんなにも無力感を感じたことはない。

半年前まで喉から手が出るほどに求めていたDA本部の復帰も、今はそこらに捨てられたタバコの吸い殻のようだ。

たきな自身の本当の望みは、潰えているからだ。

自分自身の意志で、それを潰してしまったのだ。

今、こうして腑抜けた顔で作戦に参加しているのも、いっそのこと死ねればいいと考えてのことだった。

ジイドには勝てない。

あの人を除いて。

たきな達リコリス全員が挑んでも殺されるだけだ。ダメージを与えることも、消耗させることも叶わないだろう。

できるとすれば、弾を消費させるくらいだ。

真島の一派にジイドがいる。

この一言だけで、リコリス達の戦力差に核爆弾ほどの開きがあった。

もはやそれくらいしか、奴を殺す手段はないのだから。

それでもDAは立ち向かわなければならない。

テロリストである以上、多数の犠牲が出ると分かっていても挑まんとするのは正義というよりかは組織としての面子の方が大きいとすら彼女には思えた。

彼がもっとも恐れた男。

彼が生前、命を賭して戦い、差し違えることしかできなかった男。

そして、彼の全てを奪った男。

たきなと同じだ。

彼と、彼女の全てを奪ってしまった。

彼女の命を救うために、彼に人を殺すことを容認したようなものなのだから。

たきなは、知っていたはずなのに、その選択をしてしまった。

千束の願いと織田の夢を殺す選択を。

ならば、奴に為す術無く殺されてしまえばこの胸にある溜飲も少しは下がってくれるかもしれないという期待で、彼女は今ここにいた。

(もう、このまま惨めに死のう)

そうすれば、彼と千束に最低限の申し訳が立つかもしれない。

彼女の中で贖罪の方法があるとすれば、それくらいしか思いつかなかった。

だが、耳元に付けられたインカムから「たきな」と彼女の名を呼ぶ聞き覚えがある声が鼓膜を通り抜けた。

幼い声。

クルミだ。

おそらくたきなのインカムをハッキングして通信に割り込んだのだ。

そのまま訊けとクルミは話し出した。

「織田作の読み通り、千束のもう1個の心臓はあった。たぶん吉松が持ってる。アランの支援を受けた研究者が改良した心臓を作ったんだ」

彼女の言葉にわずかに肩が揺れる。

彼の見立ては間違いじゃ無かった。

「千束は助かるんですね」

「あぁ、だが」

「……」

だが、詰まるところそれが意味することは……。

「織田作は今、吉松のところへ向かっている。携帯の電源を落としてたから見つけるのに時間が掛かったけどなんとか見つけた」

クルミは続けた、

旧電波塔だ。中に入っていくのを見た、と。

「じゃあ、織田作さんは……」

 

彼が何をしに行くのか、たきなは知っていた。

それをたきなが認めてしまったからだ。

彼が意味も無く立ち入りが禁止された旧電波塔に行くわけが無い。おそらくは真島とジイドの策略。

織田を延空木から遠ざけるための時間稼ぎに吉松と千束の心臓を利用したのだ。

彼ならばいかなる障害を持ってしても心臓を奪取するだろう。

そして、いかなる妨害も始末してしまうはずだ。

そうすれば、そうなれば……。

 

「お前はいいのか?」

「?」

たきなは目を見開いた。

「お前はそれでいいのかって訊いてるんだ!」

彼女が思考の海に落ちていく前に、クルミの声が遮ったのだ。

たきなが顔を上げるとそこにはいつもの生意気な態度ではなく、真剣な声をした少女がいた。

まるで自分のことのように、いやそれ以上に憤怒の炎が耳に添えられた小型の機械から吹き出していた。

「お前だって、千束にも、織田作にも生きて欲しいんじゃ無いのか!? 千束だけが生きて、私達がバラバラになったままで、それでいいのか!?」

「でも…私は」

その資格は無い。

口にしなくてもわかることだ。

そう決断したのはたきな自身なのだから。

しかし、

「僕は嫌だ! 織田作も千束もみんな一緒に笑っていないと嫌だ!! それに、たきなはどうしたいんだよ!!」

たきなの瞳が震える。

それは心の奥底にあった本音だった。

ずっと胸の内に秘めていた想いがあった。

でも云えるわけが無い。

決められるわけが無い。

彼の夢を踏みにじった彼女に、その資格は――

「さっさと来いよ!」

インカムの外から声が聞こえた。

顔を上げれば、フキが率いているアルファチームの面々が数段上にいてたきなを見下ろしていた。

「他チームに負けちゃうだろ!」

何かとたきなと張り合おうとしているサクラは、この作戦を遂行するよりも成果を上げることに必死といった様子でたきなを急かす。

たきなからすれば、生きて帰れるだけで御の字なのに随分と暢気なことだなと鼻で笑いそうになるが、今の彼女には出来なかった。

「すみません。すぐ行きます」

インカムから、「たきな」とクルミの声が聞こえる。

まだ彼女を引き留めるつもりらしい。

でも無理だ。

もう、たきなに選ぶことはできない。

何もしない。

それがたきなが選んだことなのだから。

 

――それならば、君はすごい人間だ。

 

階段を一歩踏み出す直前に、脳裏に過ぎったのは彼の声だ。

 

――お前の中にある『決める力』。それは最強の必殺技だ。

 

あの時、DA本部に赴いたとき、絶望に打ちひしがれていたたきなに、彼がくれた言葉が幾度も反芻される。

殺すことでしか、DAにいることでしか、価値を示せなかった彼女に凄いと言葉が流れてくる。

こんな自分を褒めてくれる。

認めてくれた。

たった一言で、彼女の凍てついた心を溶かしてしまった。

 

――『自分で決める』ことだ。何が正しいのか、自分で選ぶんだ。

 

――他人の意見に流されるな。

 

――自分以外の人間に、その大切な選択を任せるな。

 

――そして、再び選ぶときが来た時に、『何もしない』という選択を取るような人間になるな。

 

自分なんかよりずっと強くて優しい人が、彼女のことを凄いと云ってくれた。

選ぶこと、決めることを、凄いと云ってくれた人がいた。

私のことを、強いと云ってくれた人がいた。

 

(……でも、でも私は)

 

だけどたきなは間違えた。

その力があったのに、その力を教えてくれた人の夢を壊してしまった。

そんな自分に、決める資格なんて――

 

「っ!」

 

インカムの外からまた音が聞こえた。

パァンと、強く何かと何かがぶつかる音だ。

何が起きたのかわからなかった。

顔がなぜか強い力で向きを変えられてしまう。

再び前を向くと、小柄で茶髪の三白眼の少女がいた。

赤い制服の彼女はフキ。

たきなのパートナーだった少女だ。

彼女が大きく手を振りかぶった後のような姿をしていた。同時に、頬が熱くて痛かった。

ようやく自分が打たれたことに気がついた。

 

「いい加減にしろ!」

フキが叫んだ。

それは怒りを含んだ声ではない、何か別の想いを孕んだ叫び声であった。

彼女がたきなのことを殴ったのは二度目のことだった。

「もういい! お前邪魔だ! この任務から降りろ!!」

「ちょっとフキ先輩! 何勝手に決めてんすっか!?」

サクラの制止にも「うるさい!」と一蹴して、彼女はたきなの前に立ちふさがる。

「テメェのそんな府抜けた面なんて見たくねえんだ! 今すぐ決めろ! 一緒に来るのか! 来ないのか!」

その言葉が、その剣幕に、たきなは息を呑む。

フキは本気で怒っていた。

それはかつて、たきなが左遷された原因となった銃取引の件で、彼女を殴ったときの比では無かった。

「たきな」と、今度は落ち着いた声で彼女の名を呼ぶ声がした。

フキの後ろ、階段を降りてきたのはエリカだ。

必死の形相のフキを抑えつつ、まっくずな瞳を彼女に向けていた。

「行って。私がたきなのポジション埋めるから」

「ハハハ!無理無理!」

だが、そのエリカの言葉にサクラは水を注した。

「そもそもこいつがクビになったのはあんたのヘマが原因だろ!」

「そう!全部私のせいよ!」

開き直るように、エリカは怒鳴り返した。

あの大人しくて自己主張の苦手な彼女からは想像もつかないような大音声は、たきなを驚かせるには十分過ぎた。

「あの時は…ほんとにごめんなさい…」

丸みを帯びた髪をなびかせながら彼女はたきなのもとまで駆け寄ると、その身体をぎゅっと抱きしめてきた。

「本部の時も、庇ってあげられなかったのに虫が良いってわかってる」

でも、とエリカは続けてこう云った。

「あの人のことなんでしょ?」と。

「それは……」

エリカも彼のことを知っているのだ。

たきながあの時その場から離れている間に、彼といたことを思い出した。

彼がたきなにあの言葉をかけてくれたのは、たきなと向き合ってくれたのは、エリカのおかげでもあったのだと、今初めて気がついた。

「だから、行ってあげて。今度はたきなが、あの人を助けてあげて」

エリカの細い腕がほどかれると、その顔を見上げた。

彼女の表情は真剣そのもので、それでいて優しかった。

 

「それで? どうすんだ? 来るのか? 来ないのか?」

 

フキがたきなに訊ねた。

つり上がった三白眼がたきなを捉える。

もう一度、彼女の意志を確かめるために。

「決めるのはお前だ。云っとくが、この任務を降りたらもうDAには戻れないぞ?」

「…私は」

 

――君には力がある。だからその時が来れば君は正しい選択を決めれるさ。

 

答えは、もうすでに決まっていた。

ただ、それを決める勇気が無かった。

だけど、あの噴水の前で、彼が最後にくれた言葉が、背中を押してくれた。

 

「世界で一番格好いい人が、私を凄いと云ってくれた。私はその人の言葉を信じます」

 

だから、行きます。

 

それだけ残して、たきなは走り出した。

踵を返し、三段飛ばしで階段を駆け下りる。

 

「たきな!!」

 

また、名前を呼ばれた。

エリカだ。

だけどもう振り返らない。

次の言葉が分かっていたからだ。

 

 

「いけぇぇぇぇぇぇ!!」

 

遅れてまた声が聞こえた。

 

「そのまま2度と帰ってくんなああああああああ!!」

「ちょフキ先輩!?」

「走れ! たきなああああああ!!」

「ヒバナも!?」

「ほら! アンタもなんか叫びな!」

「え!? いやあたしは…」

「いいから早く! ファーストの命令だ!」

「あぁもう! えっと…んあもう! 止まるじゃねぇぞおおおおおおお!!」

 

最後にサクラが叫ぶと同時に、たきなはさらに加速する。

階段を降り、エントランスホールを抜け、たきなは走る。

減速などしない。止まるつもりも無い。

今なら分かる。

あの時、フキ達に拒絶されて、DAの居場所がないと絶望していた彼女に云ってくれた彼の言葉の意味が。

 

――なぜなら、人生の選択を他人に預けた瞬間、君は、君の人生の主人公じゃなくなるからだ。

 

選ぶこと、決めること、たきなの中に眠る、本当の強さを彼は教えてくれた。

あの時はわからなかった。でも、今なら分かる。

彼がたきなにしれくれたことの意味も。

たきな自身がしたいと思えることを。

この胸の内にある気持も。

全部分かる。

 

(今なら分かる。私は…貴方のことがっ……)

 

 

だから走ろう。

彼を助けるために。

千束を助けるために。

それが、井ノ上たきなが選んで決めた、一番したいことなのだから。

来たルートをそのまま戻るように、たきなは全力で走る。

いつの間にか東京の街に出ていた。

真島が起こした放送により、周囲の群衆は色めきだっているが目もくれずに走り続ける。

目指す場所はただ一つ。

彼が向かっている場所。

平和の象徴。

旧電波塔の最上階だ。

延空木から旧電波塔までの最短ルートはもう頭の中で組み上がっている。

問題無くいけば二十分以内には到着できる自信がある。

懸念すべき点は、その程度の時間で間に合うかということのみだ。だが、それは彼女の足を止める理由にはなり得ない。

何故ならば、彼女はもう決めているからだ。

自分の人生を生きるということを。

だから彼女は走る。

風を切る音が耳に響く。長くてしなやかな黒髪が風に靡く。

息が切れ、肺が酸素を求めて悲鳴を上げているが、そんなことはお構い無しに走り続けた。

もっと速く、もっと遠くへ。

彼の元まで届けと祈りながら。

大通りを走り抜けていたが、途中で路地裏に入る。

この道を通り抜ければ五分は時間を短縮出来る。

そう思って駆け抜けた直後だった。

突如として目の前に現れた人物に、たきなの身体は急停止した。

視界に現れた影も止まる。

その人物は赤い制服を着ていた。

相手も走っていたのは暖色混じりの白髪と赤いリボンが、風で激しく揺れている。

淺日色の瞳が、たきなの花色の瞳孔を映した。

その人物は――

 

「たきな!?」

「千束!?」

 

錦木千束だった。

喫茶リコリコに尚連ねる唯一のファースト・リコリスにして、たきなと共に戦っていた仲間だ。

どうして彼女がここに居るのか。

それは考える必要は無かった。

きっと彼女も同じことを考えたのだろう。

だから、お互いの口から出る言葉は、同じものだった。

そして、二人同時に叫んだ。

「千束! 止まってください」

「ちょーいちょいちょい!」

2人とも、減速も停止も忘れて走っていたのか、そのまま正面衝突してしまう。

 

「ぐえっ」と情けない声を出して倒れ込む千束の上に、たきなは覆い被さるようにして倒れた。

「うぅ……痛いです」

「ごめんごめん、つい勢い余っちゃったよ……」

お互いに立ち上がり、改めて向き直る。

「…そんで、たきなはなんでこんなところに?」

「それはこっちの質問ですよ? なんでそんなに走っているんですか? 心臓のこともあるのに」

「まぁそうなんだけどね。でも、助けに行きたい人がいるんだ」

珍しく千束が真剣な表情で云うと、たきなも察しがついたようだ。

よく見ると彼女の目尻が真っ赤に腫れていることにも気づく。

恐らく泣いていたのだ。

たきなと別れた後もずっと。

それでも彼女は走ろうとしている。

彼のために。

「たきなは?」

首を傾げながら投げかけられた問いに、たきなは答えた。

「私も、助けに行く人がいます。大切な人を」

その言葉を聞いて、千束は微笑む。

まるで、たきなの気持ちを分かっていたというように。

「そっか……じゃあ一緒に行こう。2人であの人を助けに」

差し出された手を、たきなは迷わず掴み返した。

「はい」

こうして、二人の少女が手を取り合った。

共に戦い、共に過ごした仲間の為。

たった一人のためだけに。

「千束」と、たきなは彼女の名を呼ぶと「なあに?」と聞き返される。

その問いかけにたきなは、こう告げた。

「私は謝りませんからね。あの時、銃を渡さなかったこと」

「……」

あの夜、千束が彼を止めるために命を賭した駆け引きをしたこと。

それを最後の局面でたきなは妨害した。

あの選択を、たきなは確かに後悔した。間違いだったとも思う。

別の答えがあったかもしれないと、この日を迎えるまでずっと考えていた。

だけど、今なら云える。

「あの場で銃を渡せば千束は自殺していた。なら渡すわけが無いです。例え、時間が巻き戻っても同じ選択をします」

まっすぐ、一字一句、言い淀むことなく、たきなは言い切った。

それが、あの人が凄いと云ってくれた生き方なのだから。

その言葉に「ほーん」とニヒルな笑みを浮かべた。

「千束の考えることは分かります。だって、相棒なんですから」

「っ……云ったなコンニャロー!」

たきなの言葉を訊いた千束は、笑みを深くしながら彼女の臀部に軽く蹴りをいれて見せた。

すると…

「っ!」

「痛ったぁ~!」

今度は千束の臀部に向けてたきなが蹴りを入れた。

不意打ちだったためか、思いの外強い衝撃を受けた千束は蹴られた部分を手で押さえながらしゃがみ込んでしまう。

そんな彼女を見て、たきなはクスリと笑う。

そして二人は、お互いの顔を見合わせて笑いあった。

お互いの顔を見合わせながら、腹を抱えて笑う。

そうしてひとしきり笑って満足したところで、千束は立ち上がると、たきなに手を差し伸べながら言う。

いつも通りの笑顔で。

もう大丈夫だ。

お互いがお互いを信じている。

この先どんな困難があっても乗り越えられるという確信がある。

「んじゃ、行こっか」

「はい」

二人が向かう先は、旧電波塔。

そこにはきっと彼がいる。

たきなと千束は、再び走り出した。

 

 

 

 

 

 

「なーんて、そうは問屋が卸さねぇぜ」

 

 

 

 

 

 

千束のスカートの中に忍ばせてあった携帯が鳴った。

ミズキかクルミからの連絡かと思ったが、それならたきなのインカムに通信が入るはずだ。

だとすると相手は誰か?

「楠木さんかな?」

千束は勿論、たきなも命令を無視ししてこの場所にいる。だが、上記と同じ。

だとすると誰か?

スカートの中から携帯を出した千束は画面を見るとその表情が凍りついた。

「たきな、これ」

突き出された液晶画面に映っていたのは吉松シンジだった。

彼女の命の恩人であり、今、千束の命を脅かしている男。

薄暗い通路の中、手足を拘束されて、椅子に座らされている。

千束は迷うことなく通話を開始した。

スピーカーを大きくしてにしてたきなにも聞こえるようにする。

携帯から聞こえてきたのは――

 

「よう、電波塔のリコリス。黒い方も一緒か?」

 

この声に、2人とも記憶があった。

特に千束は、印象的なことだろう。

真島だ。

4月の銃取引で1000丁の銃を手に入れ、今も尚、延空木でテロを企てている男からの電話だった。

「真島…」

「お前の大事な吉さんは今、旧電波塔にいる。そんで、お前らのヒーローさんが向かってるところさ」

クルミの云う通りだった。

吉松は旧電波塔にいる。

場所からしておそらくは最上階。

そこに彼をおびき寄せるつもりなのだ。

「アンタ、今どこにいるの?」

「そりゃあ教えられないが、俺はお前らがどこにいるかわかるぜ?」

上を見なと、言葉通りに顔を上げるとそれはあった。

四角い箱のような物が、四つのプロペラを回転させながら浮遊させている。

ドローンだ。

おそらく、これでたきな達を捕捉しているのだ。

「お前らが延空木の方に行かれるのも、あっちの壊れた方に行かれるのも困るんでな。ここで邪魔させてもらうわ」

「っ…たきな!」

殺気を感じた千束はたきなを突き飛ばした。

彼女が立っていた場所に、一閃の光が走る。

アスファルトに突き刺さったそれは黒い刃。

スペスナズナイフと呼ばれるコンバットナイフだ。

千束はたきなを庇いながらその襲撃者に視線を向ける。

そこには、身体のラインが異様に強調されたボディスーツに身を纏ったサーモンピンクの頭髪をシニヨンにまとめた女性がいた。

千束は勿論、たきなにも彼女の顔に記憶があった。

「お前!」

たきなは声を上げると共にしなやかな頭髪が逆立つ。

奴は千束の心臓を壊した下手人だ。

看護師としてDA傘下の病院に潜入し、検診に来た千束に睡眠薬を撃ち込んだ女だ。

おそらくは吉松の腹心。

たきなが遭遇したときの身のこなしからただ者ではないことの裏付けだったが暗殺の得意としていたとは。

「おっと、吉さんの部下だけじゃないぜ~?」

と携帯から真島の声が響くと大通りと路地裏の逃げ道を塞ぐようにサングラスをかけたツナギ男がぞろぞろと現れた。

いずれも、銃器や刃物を所持している。

真島の部下達だ。

たきなは彼らを捕捉するとすぐに銃を抜く。だが「おっといいのか?」という真島の声が彼女を止めた。

「携帯を見てみな?」

千束は持っていた携帯を見た。

そこには報道の映像が映されていた。

おそらくはハッキングによって送られてきた映像。

映し出されていた映像を見た千束は、「フキ」とある少女の名を零した。

 

『映像は延空木からの中継です! 武装した少女が発砲を繰り返してます!』

 

携帯で流れていたのは新しい電波塔、延空木上空を撮影した物。

ただの完成セレモニーの様子では無い。

展望台に見えるのは血だまりと制服を着た少女達。

リコリスだった。

ニュースキャスターと思わしき人間の声が賢明にその様子を千束達に伝えようと実況を続けている。

「あっちのリコリスは今や全国デビュー中だ。ハッ。これでお前らは終わりだ」

これが真島の真の狙いだったのだ。

なぜ日本全国のインフラに対して全ての優先権をもつラジアータがあるのにこのような報道がされているのかはわからないが、リコリスという存在を世間に知らしめること。

下手にリコリスと正面から殺し合うよりもよっぽど効果的な殺し方だった。

 

「たきな! 撃っちゃダメ!」

「っ…!」

銃を構えているたきなを静止する。

これでは発砲も迂闊に出来ない。

路地裏に入ったばかりでは、すぐに大通りの往来に悟られてしまう。

なにしろ今日は延空木完成セレモニーで普段の4割増しで人が行き来している。この中で抗争の騒ぎでも起こせばすぐに事が大きくなる。

サイレンサーを付ける時間も無い。

だとすれば2人ができることは一つのみ。

 

 

「逃げるよ!」

「はい!」

 

そのまま路地裏の奥へと走り出す。

同時に囲んでいた者達を動き出した。

吉松の腹心である女はすぐさま換えのナイフを装填してたきなの背中を射貫こうとしてる。たきなは持ち前の正確な射撃で放たれる前に打ち落とした。

すぐにこの場を離れるだけなら多少の発砲は問題無い。

騒ぎにはなるだろうが、今の混乱ならば雑音に等しい。

目の前には路地裏を塞いでいるツナギが四人が迫ってくる。

「退け!」

「っ!」

普段のように銃を扱うことが出来ない2人は、各々が相手を絞る。

幸い、条件は向こうも同じだ。

今は制服を着たリコリスの方が目立つとは云え、銃を乱射などできるわけがない。現に吉松の部下ですらも、音の無いナイフでの暗殺を試みたのが云い証拠だ。

真っ先に迫っていた2名をそれぞれが鮮やかな手際で足払いをかけて体勢を崩す。そして、余っていた2人へ向けてその巨体をぶつけて転倒させた。

「このままいこう!」

「はいっ!」

道は開けた。

このまま一気に駆け抜けるしかない。

「んじゃ、俺はお暇するぜ? もうすぐこわーいヒーローさんが来るからなぁ。俺じゃあんな化け物手に終えないからトンズラするわ」

「あっ! こら!!」

真島からの通話が切れた。

ツーツーと虚しい電子音が聞こえる。

言い回しから旧電波塔の最上階にいたのだろう。だが彼が来るとこを知っているためか居場所を眩ますらしい。

テロリストは例外なく殺さなければならないリコリス達とは違ってある意味聡明だ。

ジイドと同じ力をもつ彼と真正面から戦うほど馬鹿ではない。

だが、そんなことはどうでもいい。

一刻も早く彼らを撒いて、彼の元へ向かわないと……!

 

千束とたきなは怒号の響く路地裏を駆けだした。

 

 

 

 

 

*****

 

 

 

 

 

「くっくっくっくっ……そんな簡単に逃げられないぞ~?」

 

数々のモニターから発せられる液晶画面の光のみが薄暗く照らすマンションの部屋に不気味さを演じている深いな笑い声が響いていた。

ロボ太は今、非情に上機嫌だった。

なにせ、あの難攻不落のラジアータを攻め落とした。

ウォールナット亡き今、この偉業を成し遂げた自分はまさしく世界最強のハッカーと云って良い。

そして、邪魔立てするリコリス2名も問題無く片がつく。

 

「ドローンはいくらでもある。お前達がどこに逃げたってお見通しだぞ~?」

 

中央の大きなモニターには赤いリコリスと黒いリコリスの2人が路地裏の迷路を賢明に彷徨っている様子が映し出されていた。

得意の銃も使えない。

おまけにこの狭い路地裏でこの人数に追いかけられればいかに手練れのリコリスといえど逃げ切れるはずが無い。

その上、決定打も持ち合わせている。

「角を右折しました。位置を特定してください」

「お安いご用さ!」

依頼人である吉松の部下、姫蒲がいる。

彼女1人でもリコリスを倒しうる実力を秘めていたのは驚きだが、こうして今はロボ太の指揮に従っている。

頑張れとかバランスを取れとか滅茶苦茶な要求をされてきたが、その鬱憤も今や些末ごと。

厄介な連中を2人も殺せるのだ。

さすがは世界最強のハッカーといえるだろう。

「おっと、確か、赤い方は殺しちゃダメだったんだよな」

どちらでもいい。

彼女達の逃げ道はもう塞いだ。

「右の通路を曲がった。そこは行き止まりだ。奴らは終りだ!」

今逃げ込んだ場所は袋小路だ。

そうなれば絶体絶命。

いかに最強のリコリスといえど、銃も満足に使えず、狭い場所で大人数に押し寄せられればひとたまりも無い。

これで彼を追い詰めてきたあの少女達も終りだ。

 

「僕の勝ちだああああああ!!」

 

 

ロボ太は椅子から飛び上がり、勝利の雄たけびをあげた。

だが…。

 

「2人を見失いました」

 

スピーカーから聞こえた姫蒲の声がロボ太の勝利の雄叫びを断末魔に変えた。

「なああにぃい!?」

「どこにもいません」

「馬鹿を言うな! よく見ろ! ほら、僕のドローンの映像に行き止まりで立ち止まっているリコリスがいるじゃ……」

 

言い切る前に、目の前に起きた非現実な光景にロボ太は画面をしがみついたのだった。

モニターに映し出されていた2人のリコリスの姿が、突然消えたのだ。

どこかに隠れたわけじゃない。

そこに確かに立っていたはずなのに、蜃気楼のように消えたのだ。

画面にいるのは姫蒲と周囲を騒ぎながら捜索している真島の部下だけだった。

 

「な、何が……一体、何が起こっているんだ!?」

 

カメラの故障だろうか?

妙に画面の写りが悪い。

今日の天気は晴れなのに、雪が降っている。

四日前の夜に季節外れの雪が降っていたが、今は昼間で温かい。

雪なんて降るはずがないのに何故だ。

そして、その降る雪が、雪の割には妙に緑色だったのが印象に残っていた。

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